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脱線事故、高見運転士の遺体収容

 兵庫県尼崎市のJR福知山線での快速電車脱線事故で、兵庫県警などは発生4日目の28日午後までに乗客の遺体を収容し、捜索活動を終了した。犠牲者は計106人(男性59人、女性47人)で戦後の列車事故史上4番目の惨事となった。負傷者は461人。高見隆二郎運転士(23)は先頭車両から、ブレーキレバーを握り締めたまま遺体で発見された。またこの日、同社の現役運転士らが会見し、事故原因を「(高見さんが)オーバーランでパニックになっていたのでは」と指摘した。

 高見運転士の遺体は腰や太ももが運転台と壁に挟まれていた。現場のカーブで急に減速したのだろうか。右手でブレーキとみられるレバーを握り締め、血だらけで息絶えていたという。高見さんと他の乗客数人の遺体が収容された先頭車両はマンション1階の駐車場に突っ込み、右側を上にして横転。長さ約20メートルあった車両は蛇腹のように7〜8メートルに。遺体は先頭部分でまとまって見つかったという。

 中学時代、高見さんはバスケットボール部員だった。部活仲間の友人は死亡確認の報に「生きてへん方がよかったかもしれへん」。大惨事を引き起こした電車を運転していた高見さんの立場を思いやった。

 高見さんは「超がつくほどマジメだった」と友人たちは口を揃える。バスケットボール部ではガードとして、1、2年の夏休みの練習は1度も休まなかった。レギュラーではない。部活仲間は「運動神経がいい方じゃなかった。でも、顧問の先生は試合の最後1分間とかに彼を出場させた。マジメに打ち込む姿を評価しての“特別出場”だった」と振り返る。

 中学時代の別の友人は「(高見さんは)気は弱かった。頭はよかったけど、ちょっとボ〜としているところがあって、ヘマすることもあった。よく『しまった』という困った顔をしていたのが印象に残っている」と話した。

 高見さんの自宅は大阪府東部にある。建設関連の仕事をする父と専業主婦の母に兄、姉、弟の6人家族。地元の中学を卒業し、府立高校に進学。高校時代にアルバイト先で知り合った彼女とは結婚を前提にして付き合っていた。

 00年4月にJR西日本に入社。「鉄道マニアで運転手になりたいというのではなく、安定した大きな企業を就職先として考えていたようだ」(中学の友人)。事故3日前に高見さんと自宅近くで偶然再会した中学時代の友人は「今JRで運転士をしている」とうれしげに話しかけられた。ほかの友人にもJR社員であることを誇らしげに話していたという。

[2005/4/29/11:11 紙面から]
2006年08月09日(水) 20:46:31 Modified by umedango




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