遺族ら現場で献花 尼崎JR事故から1年半
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000148909.sh...
2006/10/25
死者百七人、負傷者五百人以上を出した尼崎JR脱線事故は二十五日、発生から一年半を迎えた。午前七時ごろから、遺族らが花束を手に尼崎市久々知の事故現場を訪れ、快速電車が衝突したマンションに向かって静かに手を合わせた。
事故が起きた午前九時十八分、妻を失った男性が献花台に線香を手向け、こらえきれずに涙をぬぐった。男性は「一年半は長いようで短かった。今でも妻に対する反省や後悔ばかりが頭に浮かぶ。月命日には、この先、何年たってもここに来るつもり」と静かに語った。
毎月二十五日を「安全の日」と定めるJR西日本は、山崎正夫社長や垣内剛前社長らが献花台を訪れた。山崎社長は「一年半が過ぎたが、ご遺族にとって、つらい思いが小さくなるにはとても十分な時間ではない。われわれがしなければならないことがまだまだ残っているということを、あらためて感じた」と話した。
マンションは無人で、元住民のほとんどが示談に応じている。JR西日本はマンションを解体し、跡地に事故の風化を防ぐ施設を造る意向だが、遺族らは慎重な対応を求めている。
2006/10/25
死者百七人、負傷者五百人以上を出した尼崎JR脱線事故は二十五日、発生から一年半を迎えた。午前七時ごろから、遺族らが花束を手に尼崎市久々知の事故現場を訪れ、快速電車が衝突したマンションに向かって静かに手を合わせた。
事故が起きた午前九時十八分、妻を失った男性が献花台に線香を手向け、こらえきれずに涙をぬぐった。男性は「一年半は長いようで短かった。今でも妻に対する反省や後悔ばかりが頭に浮かぶ。月命日には、この先、何年たってもここに来るつもり」と静かに語った。
毎月二十五日を「安全の日」と定めるJR西日本は、山崎正夫社長や垣内剛前社長らが献花台を訪れた。山崎社長は「一年半が過ぎたが、ご遺族にとって、つらい思いが小さくなるにはとても十分な時間ではない。われわれがしなければならないことがまだまだ残っているということを、あらためて感じた」と話した。
マンションは無人で、元住民のほとんどが示談に応じている。JR西日本はマンションを解体し、跡地に事故の風化を防ぐ施設を造る意向だが、遺族らは慎重な対応を求めている。
2006年10月26日(木) 06:43:12 Modified by umedango