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高見運転士、福知山線事故の前年にもミス計4回

http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe5000/news/20060...

 JR福知山線脱線事故で、死亡した高見隆二郎運転士(当時23歳)が事故の前年、すでに判明している100メートルのオーバーラン以外にも、オーバーランなどの運転ミスを3回繰り返していたことが、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の調べなどでわかった。

 また、事故前夜、当直勤務の仮眠時間帯に携帯サイトに接続していたことも判明。事故調や兵庫県警は、JR西日本の社員教育や運転士の適性判断に問題がなかったか、詳しく調べている。

 調べや同社関係者によると、高見運転士が最初に運転ミスをしたのは、運転士になって約3週間後の2004年6月7日。大阪市鶴見区の片町線放出(はなてん)駅で停止位置を4メートル行き過ぎた。

 すでに判明している京都府精華町の同線下狛(しもこま)駅での100メートルオーバーランは、当直明けで勤務していた翌8日に起きていた。

 高見運転士は下狛駅でのミスで13日間の「日勤教育」と訓告処分を受けた。

 ところが、このミスの約1か月半後の7月24日、神戸市灘区の東海道線灘駅で15メートルオーバーランし、10月10日には、大阪市福島区の大阪環状線野田駅構内でブレーキ操作を誤ったため、自動列車停止装置(ATS)が作動して非常ブレーキがかかり、ホーム手前で停車した。

 事故調は、高見運転士が車掌時代も訓告1回、厳重注意1回の処分を受けていたことから、同僚運転士らから事情聴取するなどして勤務実態を調査。

 その結果、新たな運転ミスのほか、高見運転士が事故当日の昨年4月25日午前0時過ぎ、当直勤務員の仮眠室で、自分の携帯電話からサイトに接続していたことが、わかった。直前の前日午後11時48分ごろには、携帯電話で知人に電話をかけていた。

 同社幹部は「高見運転士は、運転士としてミスが多い方だと思う」と指摘。下狛駅でのオーバーラン以外の運転ミスを公表しなかったことについて「行き過ぎた距離が短い場合などは、事故扱いとせず、記録が残っていなかったため」としている。

(2006年4月24日15時47分 読売新聞)
2006年08月21日(月) 23:35:04 Modified by umedango




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