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昨秋、灘でも30メートル行き過ぎ

http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/00011227sg300...
2005/06/12

 尼崎JR脱線事故で、死亡した高見隆二郎運転士(23)が、昨年秋にも神戸線の灘駅で約三十メートルのオーバーランをしていたことが十一日、複数の運転士らの証言で分かった。同運転士は車掌から運転士になって間もない昨年六月、学研都市線下狛駅での約百メートルのオーバーランで処分を受け、ミスに課される「日勤教育」を経て運転業務に復帰。ところが、その後も所定位置を行き過ぎるなどの「停止位置不良」がしばしばあったらしく、運転士としての適性を問題視する上司もいたという。

 同運転士は車掌時代にも乗務時のミスで訓告など二回の処分を受けており、兵庫県警尼崎東署捜査本部は、事故以前の同運転士の勤務ぶりなどについて上司や同僚らから事情聴取を進めている。今後、さらに運転士としての適性判断などJR西日本の管理、指導面に問題がなかったか調べるもようだ。

 関係者によると、高見運転士がオーバーランを起こしたのは昨年十一月ごろ。普通電車に乗務中、神戸市灘区の灘駅で停止位置を三十メートル近く行き過ぎて停車。常用ブレーキをかけるタイミングが遅れたらしく、所定の位置までバックして乗客を乗降させたという。

 日勤教育が課される基準だったとされる三十メートル(現在は二十メートル)を超えていなかったため、JR西が同運転士を運転業務から外すことはなかったが、所属していた電車区の施設にミスの概要を掲示するなど、再発防止の徹底が図られたという。

 同運転士はこの半年前の昨年六月、下狛駅を約百メートルオーバーラン。「日勤教育」を十三日間受け、反省レポートを書かされるなどした。

 JR西などによると、その約一週間前に同じ下狛駅を居眠りのため通過したと勘違いした別の運転士が、同駅手前で停止し、指令に無断で後退するミスが発生。オーバーランは厳重注意が呼び掛けられる中でのミスだっただけに、「下狛二連発」などと称された。高見運転士が新人だったこともあり、上司からの事情聴取や日勤教育での指導も厳しかったとされる。

 しかし、同僚らは、高見運転士が運転業務に復帰後も「停止位置を数メートル誤る小さなミスがあった」などと証言。灘駅でのオーバーランを受け、「(同運転士に)注意を向ける必要がある」などと指摘する上司もいたが、その後も特別な指導はなかったという。
2006年08月20日(日) 23:19:47 Modified by umedango




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