東宮に関する事実関係を検証するです。

2005年12月8日、羽毛田宮内庁長官による会見
>内庁の羽毛田信吾長官は8日の記者会見で、医師団の見解について
>「実は私も皇室医務主管も妃殿下にお目にかかっておりません」と明かしたうえで、
>「私どもがご回復に尽力できる状態になればと思っています」と話した。
↑ソース無いお

『 三極会議』:日弁連、欧州弁護士会評議会、中華全国律師協会の三団体が年に1度、意見交換を行う会議

ビルダーバーグ会議
毎年1回、欧米各国で影響力を持つ王室関係者・欧州の貴族や政財界・官僚の代表者など
約120人が、北米や欧州の各地で会合を開き、政治経済や環境問題等の多様な国際問題について討議する完全非公開の会議である。
ビルダーバーグクラブ、ビルダーバーグソサエティとも呼ばれる。「陰のサミット」と呼ばれることもある。
出席者リスト、議題は公表され、欧米のジャーナリストも招待されるが、会議での討議内容は非公開であり記事になることはない。
また、日本を含めて、非欧米諸国からの参加者は中東、イスラエルを除きほとんど存在しない。


よくあるコピペ(未検証)

小和田雅子が浩宮と結婚する気マンマンだったソース

<資料「消えたお妃候補たち」(小田桐誠 著) ほか>

1986年10月10日 写真週刊誌「FOCUS」で父娘2代の外交官誕生として4Pにもわたる、アイドル顔負けのグラビアを飾る。
 ※なお同号にはなぜかトップに浩宮の記事も併せて掲載され、自然に皇太子が手に取るようなしくみに。
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1986年10月18日 スペイン・エレナ王女歓迎の茶会に飛び入りで無理やり出席、浩宮と顔合わせ
           「タイプ打ちされた、そのパーティーの出席者名簿に、手書きで 書き加えられていたのが、雅子さんであった」
           (『小和田雅子さん素顔の29年』より)

1986年11月中旬  日英協会のパーティに出席、浩宮と顔合わせ
1986年12月31日  東宮御所のパーティーに両親、妹と共に出席、浩宮と顔合わせ
1987年 1月 9日  再び日英協会のパーティー(新年もちつき大会)に出席、浩宮と顔合わせ
1987年 2月     日英協会のパーティーで浩宮と顔合わせ
1987年 4月上旬  日英協会パーティーで浩宮と顔合わせ
1987年 4月25日  高円宮邸へ。同席予定者が欠席したため一対一に近い状態での浩宮との歓談は深夜に及んだ
1987年10月24日  浩宮、学友(賀陽正憲氏)と一緒に雅子さんを御所に招き、お茶会をする
1987年暮れ〜88年早々
            この頃、昭和天皇、他皇族、宮内庁から水俣病やその他の理由で雅子さんはちょっと、と反対される
            富田宮内庁長官の説得により浩宮、一旦あきらめる→雅子、お妃候補からはずされる
1989年 9月     留学先の英国で日本のテレビ局の取材を受け、「私には関係ないと思っております」
            (お妃候補からはずされてムカついてる雅子、逆ギレ中。取材陣に吠えまくり、噛み付きまくり)
懸案事項
  • 資料「ほか」とは具体的にどれか?
  • 『消えたお妃候補たち』の信憑性は?
  • 『小和田雅子さん素顔の29年』とは何か?
  • 各項目が、どこからの引用なのか、分からない。


メディアの傾向
  • WiLL:かなり保守右派、編集長は文春から独立
  • 週刊文春:右派、新潮と対立
  • 週刊新潮:右派、文春と対立
  • 週刊朝日:Princess Masakoの著者インタビューで宮内庁から抗議される。
  • AERA:親欧米路線、キャリアウーマン臭
  • サンデー毎日:学歴受験ヲタ、有名大学合格者出身校一覧
  • 週刊女性:傾向不明
  • 女性自身:傾向不明
  • 女性セブン:傾向不明

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