一般的に、正当ではない理屈を指すが、
ことそれを扱う者が喧嘩師となれば立派な武器と化す。
例えば、「世界は5分前に出来た」という理屈は、
現状の世界や文化、歴史や記憶などを参考に、「誤りである」とするのが正当だが、
それらも5分前に突如構築され、歴史や記憶さえもあったことにされていると言われれば、
それを否定する術は皆無であり、論破する方法はカウンターを用いる他ない。
また、有名な「アキレスと亀」という話しも屁理屈の一種である。※下記参考
めっぽう足の速いアキレスと、走るのが苦手な亀が、徒競走をすることになった。
徒競走は、お互いの能力差を考慮して、亀のスタート地点をいくらか進んだA地点とした。
すると、亀は勝利を確信し、アキレスにこう言った。
「君がA地点に来る頃、僕も前に進んでいるため、いくらか先のB地点に居るハズだ。
そして、君がB地点にくる間に、僕はいくらか進んだC地点に居る。同様に、君がC地点に来る頃、
僕はC地点より先のD地点に居て、君がD地点にくるころ僕はE地点に居る。
だからアキレス君は僕を追い越せない」
上記のように、一見して、論理的にアキレスが亀を追い越すことは不可能であるが、
現実に徒競走を行えば、アキレスはどこかで亀を追い越すはずであり、亀の言うことは誤りである。
しかし、そのような事実をもってしても、亀を論破することは非常に困難である。
このように、現実には通用しない理屈であっても、
扱う者が言論に於ける強者であれば有用可能であり、
その能力は言論を用いて頭脳戦を繰り広げる喧嘩師に最も求められる能力の一つである。
ことそれを扱う者が喧嘩師となれば立派な武器と化す。
例えば、「世界は5分前に出来た」という理屈は、
現状の世界や文化、歴史や記憶などを参考に、「誤りである」とするのが正当だが、
それらも5分前に突如構築され、歴史や記憶さえもあったことにされていると言われれば、
それを否定する術は皆無であり、論破する方法はカウンターを用いる他ない。
また、有名な「アキレスと亀」という話しも屁理屈の一種である。※下記参考
めっぽう足の速いアキレスと、走るのが苦手な亀が、徒競走をすることになった。
徒競走は、お互いの能力差を考慮して、亀のスタート地点をいくらか進んだA地点とした。
すると、亀は勝利を確信し、アキレスにこう言った。
「君がA地点に来る頃、僕も前に進んでいるため、いくらか先のB地点に居るハズだ。
そして、君がB地点にくる間に、僕はいくらか進んだC地点に居る。同様に、君がC地点に来る頃、
僕はC地点より先のD地点に居て、君がD地点にくるころ僕はE地点に居る。
だからアキレス君は僕を追い越せない」
上記のように、一見して、論理的にアキレスが亀を追い越すことは不可能であるが、
現実に徒競走を行えば、アキレスはどこかで亀を追い越すはずであり、亀の言うことは誤りである。
しかし、そのような事実をもってしても、亀を論破することは非常に困難である。
このように、現実には通用しない理屈であっても、
扱う者が言論に於ける強者であれば有用可能であり、
その能力は言論を用いて頭脳戦を繰り広げる喧嘩師に最も求められる能力の一つである。
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