最終更新: agape_report 2011年02月03日(木) 17:52:05履歴
楼主、下級遊女や禿、各種奉公人の生活の場であり、ほとんど仕切りがされていませんでした。台所で煮炊きする匂いや湯気が充満しており、立ち働いている奉公人の動きまでが丸見えの生活臭あふれる場でした。このため、登楼する客は入口をはいった途端、妓楼の舞台裏を目にすることとなったのです。
入口の通路を進み暖簾をくぐると広々とした土間があり、その一画には井戸があり、また魚屋や八百屋などの行商人はここまではいってきて荷を下ろしました。土間に履き物を脱いであがると板敷き、続いて畳敷きの広間になっており、この広間で下級遊女や禿は細長い飯台(はんだい)に向かって食事をしたそうです。
楼主夫婦の居場所としてさまざまな訪問客を応対するほか、遊女や奉公人を呼びつけて指示をあたえたり叱りつけたりすることもありました。こちらからは入口、台所、広間、階段をのぼり降りする人まですべて見渡すことができたため、楼主とその女房は囲炉裏や長火鉢の前に座って目を光らせていました。
大人数の食事を用意し客用の料理を作るだけに、台所はつねに目の回るような忙しさ。ただ、時代がくだるにつれて仕出し料理屋が発展し、食べ物を売る行商人も増えたため、妓楼の台所は奉公人向けの賄いが中心となっていきました。
便所と内風呂、下級遊女や禿の雑魚寝部屋、奉公人の雑魚寝部屋、お針部屋、昼間行灯を収納しておく部屋、また楼主一家の居間などは、すべて一階の奥まった場所にありました。日当たりも風通しも悪い場所にある行灯部屋は、病気になった遊女を寝かしておくこともあるし、金を払えない客を監禁しておくことも。さらには、遊女の個人的な色ごとの場として用いられることもあったそうです。