差別・偏見やヘイトスピーチを助長する「嫌韓」デマ・中傷に対抗・反論するウィキです。

2014年12月16日、次世代の党最高顧問の石原慎太郎氏が政界引退を表明しました。

さて、石原氏と言えば様々な「暴言」でも知られています。今回の引退表明の記者会見でも日本維新の会共同代表の橋下徹氏に対して「彼は天才だ。あんなに演説がうまい人を見たことがない。うまさは若い時の田中角栄だし、迫力はヒトラー」と「ベタ褒め」したと言います。誉め言葉としてヒトラーを引用することの異常さを本人が自覚していないことも問題ですが、そうした物言いに対して「歯に衣着せぬ石原節」と称賛はしても、きちんと批判したメディアが少ないのは残念なことです。

さて、石原氏の「暴言」の中でも特に有名なものの一つがいわゆる「三国人発言」です。2000年4月9日、当時東京都知事だった石原氏は陸上自衛隊練馬駐屯地創隊記念式典で次のように述べました。

今日の東京をみますと、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。もはや東京の犯罪の形は過去と違ってきた。こういう状況で、すごく大きな災害が起きた時には大きな大きな騒じょう事件すらですね想定される、そういう現状であります。こういうことに対処するためには我々警察の力をもっても限りがある。だからこそ、そういう時に皆さんに出動願って、災害の救急だけではなしに、やはり治安の維持も1つ皆さんの大きな目的として遂行して頂きたいということを期待しております。

この発言に対しては抗議や非難が殺到し、石原氏は数日後の記者会見で「不法入国した外国人のことを、不法入国した三国人と表現しました。このことが在日韓国・朝鮮人をはじめとする一般の外国人の皆さんの心を不用意に傷つけたとしたら、それは私の本意ではなく、遺憾です。一般の外国人の皆さんの心を傷つけるつもりはないので、今後は、その言葉を一切使わぬように致します」という「遺憾の意」を表明しました(ちなみに「謝罪と受け取っていいのか」という質問に対しては「それは受け取りようで、私はあくまで遺憾の意を表明しただけだ。私にとっても心外な出来事だった」と述べています)。

この発言については「三国人」という言葉の是非が主に取り上げられています。現に石原氏の「遺憾の意」でも「三国人という言葉を使ったこと」に焦点が当てられています。一方で「三国人という言葉は元々、当事国以外の国、第三国の国民という意味であって、差別的な意味はない。また石原氏が言及したのはあくまで「不法入国した」外国人についてであって、一般の外国人を差別・敵視するものではなく、したがって批判は不当だ」と擁護する主張も見られます。以下、「三国人」という言葉の使用の是非について、またそれ以外の問題について触れていきます。

「三国人」という言葉の歴史


元々「(第)三国人」という言葉は、「自国にも相手国(敵国)にも属さない、中立国の国民」の意味で使われていた言葉です。敗戦後、朝鮮人や台湾人、つまり日本の植民地支配の下に置かれ、独立・解放されるべき地域の出身者に対して、他の外国人と区別する目的で使われるようになりました。GHQは彼らを「出来るだけ解放国民として扱う」と共に「必要に応じて敵国民として扱い得る」と規定しました。

元々「朝鮮人・台湾人」の代替語として使われるようになった「三国人」という呼称は、次第に差別的なニュアンスを伴うようになっていきます。この言葉が頻繁に使われていた頃、多くの人々が連想したのは「闇市などで横暴に振る舞う朝鮮人・台湾人」というイメージでした(※注1)こうした言葉を何の注釈もなく使うことは、実際にはほとんどの朝鮮人・台湾人が戦後も様々な差別にさらされ、日本人以上の苦労や不利益を被ったという事実を隠蔽し、差別や偏見を助長・正当化するものであり、「差別的表現」と非難されるのは当然のことです。したがって、「三国人」という表現について「元々差別語として生まれたのではない(差別的な意味合いはなかった)のだから、その表現を「差別的表現」として非難するのはおかしい」という主張(※注2)には、何ら意味がありません。ある表現が差別的か否かという議論においては、それがどのような文脈・背景(歴史的背景も含む)で使用されてきたか/されているかが重要になります(ですから、たとえば「第三国人」という表現が、日本で使われてきた文脈を離れ、本来の「自国にも相手国(敵国)にも属さない、中立国の国民」の意味で使われた時に、それを「差別的表現だから使うな」という人はまずいないでしょう)。

歴史的事実に対する無反省


ここまで「三国人」という表現について言及してきましたが、石原氏の「三国人発言」の問題はこれだけではありません。石原氏は「不法入国した多くの三国人、外国人」が「すごく大きな災害が起きた時には大きな大きな騒じょう事件」を起こすと想定し、その際には自衛隊が「治安の維持」も「大きな目的として遂行」することを「期待」すると述べています。更に石原氏はこの発言の翌日、発言について記者団から質問された際「日本人が彼ら(引用者注:石原氏言うところの「三国人」)にひどい目にあって、それを皆で守る自警団まで作った。歴史を知らない馬鹿どもがいっている…東京の犯罪はどんどん凶悪化している。だれがやっているかといえば全部三国人、つまり不法入国して居座っている外国人じゃないか…だから関東大震災の時は流言ひごで朝鮮の人たちが殺されるようになる。今度は逆に不法に入国している外国人が必ず騒じょう事件を起こす」と述べています。

そもそも敗戦(1945年)直後の状況と関東大震災(1923年)の朝鮮人虐殺を「だから」という接続詞でつなげて語る(1923年の日本人は20数年後の未来に朝鮮人が横暴な態度を取ることを予知していたから朝鮮人を虐殺した!?)人物に「歴史を知らない馬鹿ども」などと言われたくない、という人は少なくないと思いますが、問題は「外国人(石原氏言うところの「三国人」が)必ず騒じょう事件を起こす)」と何の根拠もなく主張していることです。周知のように関東大震災における朝鮮人虐殺は「朝鮮人が井戸に毒を流した」「朝鮮人が暴動を起こした」という警察が流した「流言ひご」を発端とし、暴走した警察や軍隊、民間の自警団によって引き起こされた事件です。石原氏は、そうした歴史に学び、同じ悲劇を繰り返さないよう訴えるどころか(むしろその発言の裏には朝鮮人虐殺はやむを得なかったと考えているフシさえ見られる)、新たな「流言ひご」で自衛隊を煽動したと言っても過言ではありません。

ちなみに、1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災の際、石原氏が「必ず」起きると断言した「外国人による騷じょう事件」は起きませんでした(※注3)。震災時にそのような事件が起きる可能性については石原氏の「歴史を知らない馬鹿」な発言よりも、阪神淡路大震災で被災した方の以下の言葉の方が何倍も説得力があります。
「日本人の親は、こんな風に教えとったんです。関東大震災のとき、朝鮮の人がみんな日本人を恨んで、井戸に毒薬入れたんは、ほんまやでえって…わしもそれ聞いてな、『ああ、そんなことしとったのかあ。それでようけ殺されたのも、これは仕方ないなあ』思うとった。ところがな、自分が震災に遭って初めてわかったわ。そんな毒入れる余裕なんかあるか。あの『ゴーッ』いう音、聞いたらな。みんな阿鼻叫喚で逃げるばっかりや。わしでも、そんな余裕なかったわ。だから、毒入れたなんていうのは、嘘ですわ。関東大震災のときも、朝鮮の人は逃げるだけで必死やったでしょう」
(「阪神大震災と朝鮮学校」 野村進『コリアン世界の旅』第十章「大震災のあとで――神戸市長田区の人々」より)

なお、近年、この朝鮮人虐殺事件を「正当防衛だった」とする主張が起き始めています(※注4)。こうした風潮に対抗するためにも、石原氏の発言の問題点をきちんと押さえておく必要があります。

「不法入国外国人」に対する差別・憎悪の煽動


さて、上でも紹介しているように、石原氏は「不法入国してきた外国人を想定しての発言」という趣旨の弁明をしています。「不法入国外国人」は凶悪・危険だから厳重に取り締まらなければならない、と。実際「外国人犯罪の増加・凶悪化」ということがしばしばマスコミでも報道されます。

しかし、これは端的に言って誤りです。多くの人々のイメージに反し(※注5)、日本で起きた犯罪のうち、外国人による犯罪の割合はごくわずかで、不法入国した外国人による凶悪犯罪に限定すればさらに少なくなります(※注6)。石原氏の「不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している」「東京の犯罪はどんどん凶悪化している。だれがやっているかといえば全部三国人、つまり不法入国して居座っている外国人じゃないか」という言葉は事実に反する上、外国人に対する敵意・憎悪を煽る悪質なヘイトスピーチだと言えます。

そもそも不法入国(滞在)という言葉は非常にネガティブな印象を喚起しますが(そのため、非正規滞在外国人、あるいは未登録外国人という呼称が使われるようになっています)、彼らの多くは故郷への仕送りなどを目的として来日し、様々な困難の中でつつましく暮らしています。中には家族を呼び寄せたり結婚して家庭を持ち、地域住民とも良好な関係を築いている人も少なくありません。

また、安価な賃金で雇用することができる外国人労働者を日本の社会(特に中小企業、零細企業)が必要としていた、という側面も忘れてはならないでしょう(※注7)。彼らの日本社会への貢献をなかったことにして邪魔者扱い・悪者扱いするというのはあまりに身勝手・不公平な態度です。

人種差別撤廃条約4条(c)に抵触


ここまで見てきたように、石原氏の「三国人発言(その後の関連発言も含む)」が外国人に対する差別・憎悪を煽るヘイトスピーチであったことは明白です。日本が1995年に加入、1996年に発効した人種差別撤廃条約(正式名称は「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」、全文はこちら)の第4条(c)には次のように書かれています。
国又は地方の公の当局又は機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めないこと。

当時東京都知事であった石原氏による「三国人」発言が、この条文に抵触するものであったことは明らかです。そしてこれは何も石原氏だけの問題ではなく、警察が外国人犯罪や「不審な外国人」への警戒を呼び掛ける行為(前述したように、日本における犯罪のほとんどは日本人によるものです。本来なら、私たちは外国人犯罪以上に「日本人犯罪」を警戒しなければならないはずなのです)も同じく、この条文に抵触するものとして批判されなければなりません。また、人権擁護を旨とする(かつ、現在「反ヘイトスピーチ」を呼び掛けている)法務省もまた、そうした行為に加担していたことも厳しく問わなければなりません(※注8)

今「わたしたち」が問われていること


さて、冒頭で述べたように石原氏は政界を引退しました。石原氏に批判的な人の中にはこのことを歓迎する人もいました。しかし、このことは素直に喜べることでしょうか。

発言直後、都に寄せられた意見7921件のうち、発言を支持するものが5205件(68.8%)、反対が2402件(27%)、その他が314件(4.2%)だったといいます。単純に見れば2/3以上の人々が石原氏のヘイトスピーチを支持したということになります。事実、石原氏は2012年まで都知事の職を務め、その後2014年の引退まで衆議院議員として「活躍」してきました。おそらく欧米であれば即辞職・政界追放を免れなかったであろう「三国人」発言を、結果的に日本の社会は容認したのです

その間何が起きたかと言えば、たとえば在特会という団体の誕生、躍進があります(※注9)。また、明白な外国人排斥を掲げた「次世代の党」は、惨敗はしたものの決して少ないとは言えない支持を集めました。

ある意味で、石原氏が引退したのは、石原氏自身がその役割を終えたから、つまり石原氏がいなくても「イシハラ的な空気」がこの日本社会に充分に蔓延したから、と解釈することもできるでしょう。その事実と真摯に向き合い、「イシハラ的空気」に抗うためにも、今また「三国人発言」の問題を問い直す必要があります。







(※注1)
こうしたイメージ、いわば「三国人の闇市神話」は、マスコミや映画(終戦後の混乱期を描いたヤクザ映画には、「日本人に横暴な態度を取る三国人」と「彼らから市民を守る日本人ヤクザ」の対立がしばしば題材にされました)で増幅されていきます。また当時の闇市に関わっていた日本人の回顧録などにも、そうした記述がしばしば登場します。

実際、闇市には朝鮮人・台湾人も関わっていましたが、その圧倒的多数は日本人で、当然その中には横暴・悪辣な業者もいました。逆に言えば、「横暴な朝鮮人・台湾人に泣かされる日本人」もいたかもしれませんが、同時に「横暴な日本人に泣かされた朝鮮人・台湾人」もいたということでもあり、必ずしも「日本人=弱者・被害者、朝鮮人・台湾人=強者・加害者」だったわけではありません。その中で朝鮮人・台湾人のみが「三国人」という呼称と共にネガティブなイメージと偏見を押しつけられていきます。

また、当時を考える上で、戦前の朝鮮人・台湾人がどのような状況にあったかを考えることも重要です。彼らにとって「敗戦」は「解放」と同義でした。それまで不当に抑圧されてきた鬱屈が爆発したという側面は否めないでしょう。また当時「不法行為」とされた中には退職金の要求なども含まれています。戦後の混乱の中、奪われていた尊厳や権利を回復しようとした朝鮮人の態度は、それまで彼らを自分たちより下の存在と見ていた日本人からすると「生意気」、あるいは「横暴」に映ったかもしれません。しかし、そうした一面だけをことさら強調することは、戦前の植民地支配に対する日本側の責任を相殺する(歴史修正主義に加担する)ことになります。


(※注2)
余談ですが、こうした論法で擁護・正当化される表現として、中国に対する「支那/シナ」という表現(石原氏が好んで使用していたことでもよく知られています)があります。この表現の妥当性については、以下のページが参考になるでしょう。
南京事件−日中戦争 小さな資料集「支那」という呼称

(※注3)
ただし、東日本大震災の際はゼノフォビアを煽るようなデマや不確かな情報がネットで拡散しました。
東日本大震災の直後に広がった人種差別と「レイプ多発」というデマ - Togetterまとめ
「アジア人」に対するデマは取締まらぬ暴力装置とデマ大国日本の痴態 : 日本の菩提を弔う

こうした情報に煽動されて関東大震災時のような悲劇が起きなかったことは不幸中の幸いと言って良いかもしれません。しかしこうしたデマが生じること自体が当事者にとっては小さくない被害をもたらす暴力なのだ、ということはきちんと認識されるべきでしょう。

(※注4)
朝鮮人虐殺否定論については以下のページなどを参照のこと。
「朝鮮人虐殺はなかった」はなぜデタラメか −関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定するネット上の流言を検証する−
「嘘さ、君、そんなことは」 関東大震災のデマと南京大虐殺について魚住昭の誌上デモ「わき道をゆく」連載第109回

(※注5)
参照:「外国人犯罪(率)」についての考え方:金明秀さんを中心とする議論のまとめ - Togetterまとめ
なお、このまとめの冒頭で金明秀氏が紹介している調査をまとめた論文はこちら→Sean Richey, "Attitudes Toward Immigration and Assimilation in Japan" WESTERN POLITICAL SCIENCE ASSOCIATION, 2008

(※注6)
参照:
「外国人犯罪増加・凶悪化」のウソ : アムネスティ日本
法学館憲法研究所/外国人犯罪が増えてるって本当!?
なお、外国人による犯罪を考える上での資料としては警察庁による統計がありますが、様々な制約・限界があるため(参照:コムスタカ―外国人と共に生きる会:「外国人犯罪」の宣伝と報道/中島真一郎)、一定の注意が必要です。

(※注7)
現在では外国人研修生制度が、中小・零細企業に安価な労働力を提供する役割を果たしており、そのせいもあってか非正規滞在外国人の数は激減しています。しかし研修生に対する酷使や虐待、人権侵害の問題が深刻な問題となっています。

(※注8)
参照:やねごん(オリンピック反対)さんの「法務省によるヘイトスピーチ」の告発 - Togetterまとめ

(※注9)
在特会といえば主に在日コリアン、韓国や中国を攻撃対象にしている印象がありますが、彼らが大きな支持を集めるきっかけのひとつが2009年に「不法滞在」の罪で退去強制処分を受けたフィリピン人一家に対する嫌がらせデモであったことは記憶しておく必要があります。

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