差別・偏見やヘイトスピーチを助長する「嫌韓」デマ・中傷に対抗・反論するウィキです。

たとえば、マイノリティである在日コリアンがマジョリティに向けて何かを訴えている時、あるいは在日コリアンと日本人との間で議論や意見の衝突・すれ違いが起きた時、上記のようなことを言う人がいます。


「互いに歩み寄り」も「相互理解」も、どちらも平和的・理性的な単語で、こういう主張は一見まっとうに思えますが、しかし重要な視点が抜け落ちています。

日本社会に生きる在日コリアンは、日本人と同様に日本の文化・環境に接しています。また、よほど特別な事情がない限り、日本人の友人・知人がいます。一方、同じく日本社会に生きている日本人の中には在日コリアンと接したことのない人、在日コリアンについてほとんど知らない人が大勢います(※注1)。言い方を変えると、「在日コリアンは日本人のことを日本人と同様(ある意味では日本人以上)に知っている一方で、日本人は在日コリアンのことをほとんど知らない」という「非対称」の関係にあります。それをきちんと踏まえずに「“相互”理解」を双方に求める、というのは一見「公正」に見えて、そうした非対称性が存在しないことにしてしまうという意味で非常に欺瞞的な態度だと言えるでしょう。

こうしたことを言うと「圧倒的多数の日本人が在日コリアンのことを知らないのは仕方がないじゃないか。むしろ在日コリアンの側は、もっと日本人に自分たちのことを知ってもらうよう声をあげて努力すべきだ」という人がいます。しかしこれも「相互理解を」と主張するのと同じで非対称性を無視した欺瞞的な物言いです。日本人約1億2千万人に対し、在日コリアンは約60万人、およそ0.5%(200人に1人)ほどです(※注2)。数の上で圧倒的少数派である上に、現在の(というより、今までの)日本社会はマイノリティが声をあげにくい、異議申し立てがしづらい状況にあります(※注3)。そうした困難な状況の中、それでも声をあげる(あげてきた・あげている)在日コリアンは少なくありません。

たとえば、近くの図書館に行ってみましょう。それほど規模が大きくなくても、在日コリアンが自分たちについて書いた本が一冊はあるはずです。また、インターネットでもさまざまな立場の在日コリアンが声をあげています。そうした本に接したり、あるいは「声」にきちんと耳を傾け、じっくり考えてみる。そうした、ささやかな「努力」をする人が少しでも増えれば、その分非対称性は是正されることになります。

ここまであえて明記してきませんでしたが、「相互理解を」「在日コリアンはもっと努力を」という主張はほぼ例外なく日本人の側から出てきます。そういう人は、自分がどれだけ相手に「歩み寄り」、「理解」のために「努力」したのか(あるいは「してこなかったのか」)をじっくり省みる必要があるのではないでしょうか。

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(※注1)ただし在日コリアンの中には自分が在日コリアンであることを公にしていない人も少なくないので、より正確には「接していても気づかない」人、あるいは「その存在をふだんほとんど意識しない」人も含まれます。

(※注2)「帰化」などにより日本国籍を有している朝鮮半島をルーツに持つ人も含めればもう少し増えますが、それでも圧倒的少数派であることに変わりはありません。

(※注3)わかりやすい例でいうと、たとえば今、ツイッターなどのSNSで在日コリアンであることをプロフィールに書くと、それだけで(特に政治的な主張をしていなくても)絡まれたり嫌がらせを受けることがあります。そのため、在日コリアンであることを明かさない人や閲覧・公開を制限する(いわゆる「鍵をかける」)人も少なくありません。「ネット自体が在日コリアンに対するヘイトスピーチに溢れているので見ない、利用しない」という人もいます。

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