残された天使

残された天使

紅の夕日は沈み空が紺に染まり星が一つ、二つとまたたき始める。
だが、その星ぼしには手を伸ばしても届かない。

どうすればあそこに行けるのか……。あるいは死んでしまえばいくのだろうか……。

天使はエルギオスを救い、世界を守った。これで全てが元に戻ると思っていた。
天使界に帰ることは出来なくても天使たちとはまた会えると考えていた。しかし、今は
その希望も仲間たちも何もかも消え、ただ自分は取り残された。
天使の中で拭いきれない不信が首をもたげていた。自分たちは神の道具でしかなかった
のだという思いが空虚な心の中で形を成し始めている。
天使たちは女神セレシアを元に戻すために作られた。だが天使たちは世界樹を育み女神の
果実が実れば救われると謀られていたのだ。全てが終わった後セレシアは天使たちを星に
変え、自分を人間にして放り出した。

結局、自分は神と人間のエゴに振り回されていただけの道化でしかなかったのだ。
星空はにじみ、天使は耐えられず目を閉じた。

ダーマ神殿の酒場に少女が二人、浮かない表情である者の帰りを待っていた。

長身のパラディンの少女は落ち着かない様子で腕を組み、
魔法戦士の少女はじっとテーブルの上の冷めたコーヒーを見つめていた。

沈んだ顔の少女が酒場の入り口に現れ二人のいるテーブルへと向かう。
帰ってきた賢者の少女は椅子に腰かけ、テーブルの温い茶を一口飲んで小さなため息をついた。

「どうだ、天使は?」
パラディンが帰ってきた賢者に尋ねる。

「変わらないわ。まだあの青い木の下で空を眺めているの。」
彼女の表情から答えはわかっていた。

「そうか……。」
パラディンは項垂れて口を閉じた。

「何か、何かしなくちゃ!天使に何かしてあげなくちゃ!」
沈黙に耐えかね魔法戦士がしゃべりだす。

「天使は……失ったものが多すぎるんだ。友達も家族も故郷も無くしてしまって
ボクたち以外の人間は守護天使のことを忘れてしまって―――。」

「だいたい、あの女神が酷すぎるのよ!天使たちの役目が終わったからって
天使界を消して天使たちの存在を無かったことにするなんて!」
魔法戦士の言葉を遮り賢者が声を荒げる。

地上に戻った彼らが知ったのは人々の中から守護天使の概念が消えてしまったという事実だった。
精神的に限界が来ていた天使はこれが追い打ちとなり今は青い木の下で塞ぎ込んでしまっていた。

「世界を救った天使に『人間として生きろ』なんて……。」
賢者はもう声が出なかった。代わりに目から涙が溢れ、口からは嗚咽が漏れた。

旅の途中から天使が無理に明るく振る舞っていたのは知っていた。
彼が精神的に追い込められていることを知っていながら何もできなかった
自分の不甲斐なさを痛感ぜずにはいられなかった。

「我々ではどうしようもないだろう。天使は……全てを失ってしまったのだから……。」
静かな声でパラディンは言う。

「私たちには何も出来ないっていうの!?」
声を震わせる賢者の頬に涙が伝う。

「事実だ……。天使にとって何十年、何百年共に生きた天使界の家族や仲間たちと、
たかだか数ヶ月共に冒険しただけの私たちでは比較にもなりはしない。」
パラディンは続ける。

「今いちばん辛いのは天使だ……。私もどうすればいいのかわからない……。
天使の気持ちの整理がつくまで待つ以外ないのかもしれない。」
そう言いながらパラディンは顔を起こす。彼女の目もまた潤んでいた。

「ごめん……。」
賢者はうつむき、また沈黙が漂う。
この状況でも冷静でいられるパラディンがうらやましい、直情的な自分が情けなかった。

「……天使のところにいる。」
賢者はそういって立ち上がる。彼女は羞恥の感情から早くここを離れたかった。
何かしなければならないという焦燥感にも駆られていた。

「私も行く!」
パラディンも立ち上がり彼女に続く。

ダーマ神殿の長い階段を降りながら二人の足は競うように速くなる。
夜の冷たい空気を受けながら青い木の下に着くと天使は変わらず背を木の幹にもたれ掛け、力なく顔を項垂れていた。

今の彼なら黙って消えてしまっても不思議ではない、息が荒いのは走ってきたからだけではなかった。

「大丈夫?」
賢者は眠る天使の前に屈み天使に囁く。

賢者の持つカンテラの淡い明りに照らされる天使の顔はやつれ、目の周りには涙の跡が見えた。
毎日、何百年も人間のために尽くした不幸な少年だ。自分の何倍も長く生きているのにませていない。
初めて会ったときは子供の様に常識知らずで幼く、優しい彼にまごついて彼の正体が天使だと知ったときは納得した。

その天使が今はまるで病人のように青白い。

「寝ているだけだ。」
パラディンは彼の顔に耳を近づけ寝息を聞く。

「どうすればいいの?パラディン、天使のために何ができるの?」
自分が今天使のために何ができるのか、答えを賢者は必死に探していた。

「私たちにできることは……彼のそばにいてあげることだけだ。」
パラディンは天使の隣に腰掛け彼に寄り添う。
まるで恋人のように。

「……!」
賢者は思わず声をあげそうになるが何とか飲み込む。
だがパラディンが天使の肩に頭を乗せ満足そうに眼を閉じたその瞬間、少女の眉が八の字に歪んだ。

彼女の目から涙が引っ込み、叫びたい気持ちを抑えながら
同じようにパラディンの反対側に座り天使に寄り添う。

二人は互いに互いの天使への感情を理解した。

彼とパーティを組んで以来、ギリギリのところで隠していたものが
一気に露呈し賢者とパラディンの互いへの疑念が確信へと変わる。

静かに戦いが始まった。

孤独な二人

海から吹く冷たい風に頬を撫でられ天使の意識が戻る。
周囲は薄暗く足元にあるカンテラの光が自分を照らしていた。

見回しても風の音と自分の上で木の葉がざわめく音が聞こえるだけであった。
日が落ちて夜になり相変わらず自分が青い木の下にいることに気付き落胆する。


――――何も変わっていなかったのだ。


「天使――――。」
誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた。
辺りは暗かったがカンテラの灯りと自分に寄り掛かる重みから自分の隣に誰かがいるようだ。

「天使……。」
再び自分を呼ぶ声が耳元から発せられパラディンだとわかった。
なぜ彼女が自分の隣にいるのかはわからない。

「大丈夫?」
パラディンは天使の手を握りながら聞く。

「………。」
天使は彼女の顔を一瞥し何も答えず夜空を眺め始めた。

「寝るのなら宿屋のベッドにしないか?ここでは疲れるだろ。」
言葉を選びながらパラディンは彼を気遣う。

「ここでいいよ。」
天使は煩わしそうに答えた。

「辛いのはわかるが今のままでは体に悪い。」
彼女は続ける。

「……別にいいよ。放っておいて…ボクはここにいたいんだ。」
話すことさえ今の彼には煩わしかった。

「それはできない。」
パラディンは即座にはっきりと答える。

「パーティの誰かが怪我したら治るまでみんなでフォローしてきただろ?天使が決めたことだ。」
彼女は言う。

……確かにそれは自分が決めた気がする。

「ボクは怪我していない、一人にしてよ…。」
彼女の言葉の意味に天使は気が付かなかった。
彼にはもう全てがどうでもよかったからだ。

「……じゃあ、お願いだ。一緒にいさせてくれないか?」
今度は少し強い口調でパラディンは言う。
彼女は食い下がらなかった。

なら勝手にすればいい、自分はこれから星空を見るだけで彼女にかまっている余裕はない。

天使は彼女には何も言わず、また星を眺め始めた。

相変わらず星は輝くだけで何も起こらない。

それでも彼はセレシアの力を持つこの木の下で待てば
何かが起こるかもしれないという淡い希望を捨てられずにいた。

「何か食べたいものはない?」
パラディンが聞くが天使は何も答えなかった。


日が昇り魔法戦士が持ってきたパンを頬張りながら3人は話し合っていた。

魔法戦士は少しだけこの状況を楽しんでいた。
昨日は我先にと天使のところに走る二人を追いかけた後、
青い木の下で二人が天使に寄り添っているのを見たときは笑ってしまった。

旅路の途中、何度も天使を巡って静かな火花を散らした二人が
ついに馬脚を現してぶつかり合っているのだ。

こういう男女の色恋沙汰は蚊帳の外で観察すると本当に面白い。

「いつまで意地張っているの?」
天使から離れようとしない賢者とパラディンを少しからかうような口調で言った後、
二人から睨みつけられ魔法戦士は仰け反った。

「天使クンも幸せ者だね。どう、元に戻りそう?」
今度は空気を読みながら魔法戦士は尋ねる。

二人に寄り添われ眠る天使は生気がなく人形のようにさえ見えた。
一晩中二人と一緒にいれば天使も少しは回復するとみていたが現状は予想以上に厳しいようだ。

「あの…昨日は、天使はどうしていたの?」
魔法戦士の質問の後に賢者もパラディンに聞く。
賢者は昨日天使に寄り添い、そのまま寝てしまった。

自分のこらえ性のなさを後悔しながら彼女は
天使とパラディンの間で何かなかったか障りのないように聞く。

「天使は…ずっと空を眺めていただけだった……。」
目を擦りながら答えるパラディンの目元にはクマが見えた。
彼女の表情から見てそれ以外には本当に何もなかったのだろう。

賢者は一層の不安を感じつつもほんの少し安堵した。

「食事もとってくれなかった……『何もいらない、放っておいて欲しい』
何を聞いてもそれしか天使は言わなかった。」
彼女の声が段々と小さく細くなる。

パラディンは俯き、声を押し殺すようにして涙を流し始めた。
今まで彼女が見せたこともない弱い姿に事態の深刻さが表れていた。

「私たちが天使の仲間だと気付かせるだけでいいのに…。」
パラディンは最後に絞り出すように言った後、両手を顔に当てて黙ってしまう。

不安に押し寄せられ肩を震わせながら泣く彼女は、何時になく弱々しく見えた。

「パラディン……。」
魔法戦士の顔から先ほどまでのからかう様な表情が消え、
魔法戦士はパラディンを抱きしめ優しく彼女の肩を叩いた。

「天使はまだ気持ちの整理がついていないだけだよ。しばらくしたら前みたいに旅ができるようになるわ。」
魔法戦士はそう言って慰めるもののその言葉に自信はなかった。

今の天使はパラディンも賢者も自分のことさえ上の空だ。

彼の失ったものは大きすぎる。自分がもし家族も友人もいなくなって
自分の存在を無かったことにされてしまったら、そう考えると背筋が寒くなる。

自分たちも彼と同じような状態になってしまうだろう。
このままではいけない、彼をこのままにはしておけない。


……でも、方法がわからない。


魔法戦士に背中を撫でられながらパラディンは震えていた。
声を上げて泣きだすことを必死に抑えすすり泣いている。
状況を変えられない自分の無力さに失望しているようだった。

そんな彼女をなだめながら賢者も涙を流した。

夜明け

賢者はダーマ神殿の宿屋でシャワーを浴び、かなり遅い夕食をとって青い木の下に向かう。
彼女の足取りは重く疲れていた。

青い木の下で変わらず夜空を眺め続ける天使を一瞥し、カンテラを置いて彼に寄り添った。

パラディンは隣で疲れ果て眠っている。
ずっと天使のために起きて彼を励ましていた彼女も限界が来ていた。

天使界が消えてしまう前までは彼はいつも自分たちを気遣ってくれた。
自分やパラディンの想いには気付いてはくれなかったが彼は天使らしく慈愛をもって接してくれた。

今の彼は昼間ずっと眠っている。
夜になって起きても星空を眺めるだけで自分たちが隣にいないかのように振る舞う。


天使は旅の途中よく泣いた。

守れなかった新婚の女性の墓前で、故郷とかつての恋人を想い続けた彫刻家の告白を聞いて、
死んだ主の役を演じ続けた人形を哀れんで、
悪を演じた師匠の死を悲しんで何度も声を上げて涙を流した。

辛い旅路の末に報われることもなくすべてを奪われ、
一人残された彼の絶望と孤独を癒す方法が存在するのだろうか。

この閉塞した状況を打開するため意を決し賢者は天使に尋ねる。
「どうして私たちがあなたの隣にいるのかわかる?」

天使は何の反応も示さない。

「わかる?」
もう一度彼に聞く。

「……さぁね。」
彼は賢者の顔さえ見ようとしない。

「あなたにはもう何も残ってないの?」
天使と一緒にいるようになって何日かたつが彼の目に光はない。

「僕に何が残っているって言うんだい?」
自嘲的に発せられたその言葉に賢者は天使の手を握りしめる。

自分がここにいるのに気付いてくれない彼に苛立ちを覚えずにはいられなかった。

彼の手は力なく垂れ、自分の手を握り返さない。

「この木の下でずっと泣いているだけで何かが変わると思っているの?」
無気力で何にも関心を示さない天使に賢者は苛立ち始めていた。

「泣いてないで何かできることを探そうよ!貴方は天使なのよ。」
この賢者の叱責するような言葉が天使の逆鱗に触れる。

「だから?ボクはもう何もしたくないからここにいるだけさ。」
ここで待っていれば女神が自分を哀れんで奇跡を起こすかもしれない。

そんないじけた考えでここにじっとしているのは死んでも認めたくない。

加えて自分のことを天使と呼ばれることに今までにないほどの嫌悪を感じずにはいられなかった。

「お願いよ、天使。何かして欲しいなら教えてよ。何でもしてあげるから!」
彼女は天使の肩を掴み、前後に揺する。

自分たちと旅をしていたころとは全く違う彼の言動と目つきに賢者は動揺を隠せなかった。
彼が人に対して悪態をつくなんて以前は考えられなかったからだ。

「誰とも一緒にいたくない。一人でいたい。ボクの願いはそれだけだ!
一人にしてくれ、あっちに行ってくれよ……人間のくせに!」
賢者の手を払いのけながら彼は言い返す。

天使であることを否定された今でも自分が人間だとは思いたくなかった。

「ッ……!」
まるで刃物を付きたてられたかのような痛みが賢者に走った。

時が止まったかのような重苦しい沈黙の後、彼女は口を開く。

「人間のこと…嫌いになっちゃったの……?」
天使がこの状態になってからずっと懸念していたことを尋ねた。

「………。」
天使にもそれはわからなかった。何を憎めばいいのかわからない。

天使たちは最初から星にされてしまうことが運命だったのなら、
それが救いだったというのなら人間を憎むことはない。


だが、自分だけ地上に残されてしまったのは人間が原因だ。


「私たちのことも……嫌…い?」
涙声で賢者は聞く。

「……わからない。」
彼も今となってはそれさえ否定をすることはできなかった。

賢者の口から嗚咽が漏れ、彼女の心にも大きな痛みが走る。

『比較にもなりはしない……。』
パラディンの言葉が賢者の中で反芻していた。

(もうお終いなのかもしれない……。)
賢者も最悪の事態を覚悟せざるをえなかった。

吸い込まれそうな黒い空と風さえも止んだ草原に賢者のすすり泣く声が響いた。

天使は変わってしまったのだ。
彼の中で自分の存在がどれほど矮小なものだったのかを痛感せずにはいられなかった。

大粒の涙が止めどなく流れて彼女のほほを照らした。


そうして賢者が泣き疲れたころに紺の空が段々と明るく朱に染まり始める。

ふと、賢者は自分の泣く声に誰かの嗚咽が重なっていることに気付いた。
目を開けてみると天使の目に涙が溢れ、彼は瞬きもせず空を眺めていた。

賢者は天使の悲しみを知る。

天使は朝が怖いのだ。
星空が消える朝が、彼と天使たちを結ぶ唯一の繋がりが消える朝が彼は怖いのだ。

「貴方は……一人じゃないのよ……。」
賢者は、か細い声で俯きながらいう。

白んでいく空、そして朝焼けが海から溢れて三人を照らし、海も淡い光を反射し瞬いた。

「綺麗…。」
天使の口から言葉が一つ漏れる。

天使界でいつも見ていた雲の間からの日の出とは違う
その美しい光景が今の彼には悲しみ以外の何物でもないはずだったのに。


しかし、この美しい日の出も彼がいたから今も見ることができるのだ。


「……ありがとう。世界を守ってくれて。」
彼に慰めの言葉はかけても感謝の意を伝えてはいなかったことに賢者は気づく。

「ごめんね。大切なことを忘れていたわ。」
その言葉に天使は困惑する。

「ボクが…世界を……守った?」
急に感謝の言葉を言われ彼は困惑した。天使の顔が賢者のほうを向く。

「違う?世界樹を育むことだけが天使の役目じゃない。
人間を守ることも天使の、あなたの役目だった。」
賢者は俯いていた顔を起こす。

「天使は世界の守護天使になったのよ。皆が忘れても私は忘れない。」
天使の手を両手で優しく包み彼の涙で潤んだ瞳を見つめ言う。


「私はあなた達天使のやってきたこと忘れていない。
天使の存在が消えたわけではないわ…。」


「ボクが少しずつ天使ではなくなっていったように君たちも天使の存在を段々と忘れていくよ。
わかるんだ……。最初から存在しなかったのと変わらない…。」
自分が世界を救ったとは思えなかった。
もしそうならここまで惨めで陰気な気持ちになるはずはない。


羽と光輪を失い人々の意識から守護天使が消えてしまった今、
自分の存在を証明するのは彼女たちの記憶のみだ。

「………。」
やはりダメなのか。

「それに……。」
天使の言葉には続きがあった。

「世界を守ったのはボクじゃない。賢者もパラディンも魔法戦士も……。」
彼女と見つめあいながら天使は続ける。

朝日が彼女の顔を照らして眩しい。


「皆が協力してくれたから世界は守られたんだ。」

「だから僕からもお礼を言わせて……
僕と一緒に世界を守るために戦ってくれてありがとう。」


その言葉に賢者は心が震え、たまらず天使の首に手を絡ませ少年の体をぎゅっと抱きしめた。
天使は心まで失ったわけではなかったのだ。


自分の愛していた天使がまだ生きていた。


「でも、貴方がいなかったら私たち人間は滅んでいた。
世界が終っていたかもしれないのよ。」
突然抱きしめられ面食らう天使の耳元で彼女は言う。


「違う……結局この世界を守ったのは君たち人間だよ。」
天使は否定する。


「……そうかもしれないわ。でも、私たち4人の誰か一人でもいなかったら世界は終わっていた。
こんな綺麗な日の出も見ることはできなかった。それだけは違わない。」
賢者は天使の否定を否定する。


「…………。」
天使は賢者から視線を離して彼女に握られた右手を見つめた。

彼女に見つめられて抱きしめられて体が熱くなる。


「天使……私たちはあなたの仲間なのよ。」

「……ナ…カマ?」

その言葉の意味と重さを今の天使に理解してもらうにはまだ足りない。

「私たちってルイーダの酒場で出会って、世界中を駆け回って、
怪物と戦って、女神の果実が引き起こした騒動を解決して…。」
賢者は天使との出会いを思い出しながら話す。

「何日も一緒に過ごして、ご飯を食べて、戦って…ケンカして…仲直りして……家族みたいだよね。」
彼の孤独を癒すには自分が一人ではないことを気付かせる。

それさえできれば望みはある。

「貴方は強くて、逞しくて、戦いのとき前でモンスターに立ち向かう貴方の背中を見るだけで
安心して旅ができたわ。私もパラディンも魔法戦士も、みんな天使のことが大好きなのよ。」
賢者は言葉に詰まりながら続ける。


「悩んでいるならいって…悲しいなら私たちが何とかするから……私が傍にいるから、
もう一人で抱え込まないで…。」
この気持ちを天使に届けたい一心で伝える。



ナ…カマ?…………………ナカマ……なかま……………、仲間……。



そう……自分にとって今、一番欲しいもの…。

人間界に落ちてしまい帰るあてを探してセントシュタインの宿を訪れて
彼女たちに出会った時、どれほど自分が安心しただろう。


もう一人ではなかった。自分の話を半信半疑ながらも聞いて旅をしてくれた仲間たち。
信頼しあい最後には世界のために自分と一緒に命を懸けてくれた。


天使の口から嗚咽が漏れ、顔が求めるような表情に変わる。
賢者の祈りは届いた。

「あ…あり…あ……。」
彼女に感謝の想いを伝えたいが口がうまく動かない。


これ以上続けるとみっともない泣き顔を晒してしまうだろう。
だが、もう我慢はできなかった。

「あり…がとう…。」
天使は何もかも無くしたと思っていた。


失ったものが多すぎてその影に隠れていた
仲間たちがいることにようやく彼は気づいた。

彼は賢者の胸で子供のように、親に甘える稚児のように泣き始める。

朝焼けの眩しい草原に天使の泣き声が響き、
朝日に照らされた二人は身も心も暖かく、お互いの温もりに満たされていった。


「いいよ。天使はずっと我慢していたんでしょ。」 
天使の頭を優しく撫でながら賢者は母のように彼を抱く。
彼女も天使と同じように幸福が溢れていた。


もう傍にいてあげるだけではない、彼を甘えさせてあげることができるのだから。

初めの一歩

声を上げて泣く天使が落ち着き彼の息が整う頃には日は完全に昇り、
彼に抱きしめられて賢者の体のあちこちが痺れた。

だが彼の温もりに彼女は満ち足りていた。

「ありがとう。何だかすっきりしたよ。」 
賢者に微笑みながら天使はいう。
目は赤くやつれてはいたが彼の頬に赤みが差し、生気が戻っていた。


彼のいつもの優しい目に少し自分に対する特別な感情が宿っていることに賢者は気づく。
以前彼に「好きだ」と言っても間髪を入れず「ボクも好きだよ」と返されてしまったが……


今ならいけるかもしれない。

賢者は彼の頬に手を当ててじっと見つめた。
「どうしたの?」

「私は怖かったの。天使がホントに天使だったってわかったとき。」
唐突に彼女は言う。

「天使なんて昔の人が作った空想の種族だってずっと思い込んでいた。
でも、天の箱舟に乗って天使界に着いたとき、あなたの言っていたことが事実で……。」
天使を見つめながら賢者は続ける。


「それにエルギオスとラテーナさんのことを知ったときも怖かった。
天使と人間は結ばれないようになっているのかもしれないと思っていた。でも……。」
彼の首にかけていた手を放し、息を吸い込んで勢いに任せて彼女は言う。

「好きよ……天使。」
その一言にあっけにとられている天使の頬に彼女の唇が触れる。
それは本当に一瞬のことで賢者は彼の顔からすぐに離れた。

「ごめん…。嫌だった?」
もう少し離れて顔をそらしながら彼女は聞くが彼は固まってしまったように動かない。


賢者の顔が赤いのは朝日に照らされたせいだけではなかった。

「貴方のこと…ずっと好きだったの、愛していたの…。」
瞬きを繰り返すだけの天使に弁解する様に彼女はしゃべりだす。

「でも、あなたは私の気持ちに応えてはくれなかった……。
解っているんでしょう?私の気持ち……。」


数刻の沈黙の後、天使は口を開く。
「天使と人間じゃ住む世界が違う。時間の流れも違うから人間と天使は必要以上に関わってはいけない
っていう決まりがあったんだ。だから…人間と天使は…恋ができない…天使は…
人間に特別な感情を抱けない……はずったんだ。」

「でも、今は違う。」
固まって無表情だった天使の顔が明るく微笑む。


彼の顔が賢者に近づき今度はゆっくりと強く天使の両手が賢者の頬を挟む。
天使は目を閉じ、賢者は目を見開いて、今度は二人の唇が触れ合う。


「ありがとう、大好きだよ。」
同時に今度は、賢者が両手を口に当て肩を震わせ泣き始めた。

「……ちょっと、何で泣くの?」
突然のことに狼狽しながら天使は賢者の両肩を抱き、
くしゃくしゃになった彼女の顔を覗き込むようにして聞く。


「ごめんなさい。何だかホッとして…天使が戻ってきてくれて…私にキスしくれて…
うれしいことが続いて安心しただけだから…。」
泣きながら微笑む賢者の肩を抱き、今度は天使が彼女の頭を撫でる。


天使は虚無の中から自分を取り戻し、賢者は彼からのキスで
今まで積もっていたパラディンへの嫉妬や劣等感、
天使に想いを告げられない閉塞感が拭い去られていた。


暫くしてぎゅっと天使と賢者は抱きしめあう。


天使の肩に賢者は頭を乗せ二人は他愛のないやり取りを続けた。
「いつからボクのことを好きになったの?」

「好きだったのは出会った時からよ。
だから貴方のために何ができるか必死になって考えたの……。」

「……ありがとう。何かお礼をしないといけないね。」

「じゃあ、今日は私に付き合って。」

「何をするの?」

「楽しいことをしましょう。おいしいものを食べて遊ぶのよ。お腹減っているでしょ?」

「……うん、お腹が減ったよ。」

「グビアナ城が最近、観光で盛り上がっているらしいから行ってみましょう。」

「オッケー。」
賢者に手を引かれ立ち上がると同時に自分の隣のもう一つの温もりに気付く。


「そうだ、パラディン起こさないと。彼女にまだ『ありがとう』を言ってない。」
自分のために傍にいてくれたのは彼女も同じだ。

自分にずっと声をかけてくれた彼女をぞんざいに扱ったことを謝ってお礼を言わなければならない。

「気持ちよさそうに寝ているのに起こしちゃ悪いよ。ね、行こうよ。」
確かに眠っている彼女を起こすのは悪い気がする。

賢者は焦っていた。

「……行こう。」
少し強引に天使の手を引き言う。

パラディンを置いていくことに負目を感じながら天使は歩き始めた。
久しぶりに立ち上がったせいか少しフラフラし足取りはおぼつかない。


「でも、まずはお風呂に入ろうか。」
少し歩いたところで籠っていた汗のにおいに賢者は顔をしかめる。


そういえばもう何日も風呂に入っていない。
自分でも感じる臭いに天使はひどく赤面した。

「そっ……そうだね。」
ばつの悪そうに天使は賢者から少し距離をとる。

そんな彼を見つめながら賢者は意味ありげに含み笑いをする。
次の瞬間、賢者は彼を捕まえるようにバッと抱きつく。


「これでいいよ。」
そういいながら賢者は天使の首に手を回し彼にぶら下がる。

天使の赤かった顔がますます赤くなるが、すぐに両腕が賢者の背中に回り
彼はルーラの呪文を唱えた。

二人は空に飛び立ち新たな一歩を踏み出したのだ。



そして、彼らが去った後の青い木の下で今度は少女の咽び泣く声が響いていた。
2013年08月16日(金) 13:44:09 Modified by moulinglacia




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