最終更新:ID:Bbk/DH21Jg 2015年08月10日(月) 15:27:48履歴
「おい、やめろ!」
フェンリル極東支部、ロビー。
普段は日々死闘を繰り広げるゴッドイーター達の休息場所として笑い声などが絶えないそこに、ただならぬ怒声が響き渡った。
声を荒げたのは、極東支部第一部隊隊長の藤木コウタだった。
その両腕は同じゴッドイーターの特殊部隊ブラッド隊香月ナナを羽交い締めにしていて、彼女の足元には同じくブラッド隊ギルバート・マクレインが倒れこんでいる。
コウタと行動を共にしていたらしいエリナ、エミールは混乱したように視線を泳がせていて、それが異様な事態であることはすぐにわかった。
赤く染まったギルバートの頬。
固く握りしめられているナナの拳。
信じられないことに、いつも笑顔を絶やさないほがらかな性格のナナがギルバートを殴り飛ばしたらしい。
「どうして……どうしてそんなひどいこと言うの!? いつものギルらしくないよ!!」
大きな瞳は涙に揺れ、まだまだ幼さを残す顔は怒りで真っ赤になっている。
普段からブーストハンマーを扱う彼女の力はゴッドイーターのなかでも群を抜いて強く、今にもコウタを振り切って殴りかからんばかりの剣幕だ。
対し、殴られたギルバートは静かに目を伏せ、感情を押し殺したような掠れた声でそれに答える。
「事実を言ったまでだ。隊長がいなくなってもう2ヵ月……目撃情報も妙な荒神も確認されてない、だったらもう隊長は……っ!?」
小さな拳が、しかし鉛のような重さでギルバートを再び殴り飛ばした。
血走った瞳は、まるで荒神のようで。
溜まったストレスと怒りの矛先が、混乱の果てに家族同然の仲間へと向けられていた。
ブラッド隊隊長が行方不明。
それは、ここ極東支部だけでなくフェンリルという組織事態に大きな波紋をよんだ事件だった。
その日、彼はまだゴッドイーターになって日の浅い初心者の付き添いを請け負っていらしい。
ブラッド隊のみが有する血の力、特に外部へ強い影響を与える彼の≪喚起≫の能力は多くのゴッドイーター達に大きな力を与えるものだった。
第一、第二世代の隔てなくブラッドアーツを使用することができるようになり、感応種とも短時間なら戦闘を行うことができるようになる。
すなわち、それまで拠点から離れた場所まで誘導し、スタングレネード等のトラップを用いて戦闘を回避するしかなかった感応種に対する抵抗手段をほぼノーリスク、ノーコストで手にできるのだ。
そしてその力はP53偏食因子が体に定着してから間もないゴッドイーターほど早く、確実に発現する。
ゆえに彼は普段の感応種との死闘にくわえ、初心者の付き添いという感応種を相手する以上に精神がすり減る任務をあり得ない頻度でこなしていた。
隊長という地位にある彼ならば休みを貰うことはそれほど難しいはずはないのだが、元来お人好しな彼は自分の力が役立つならと頑なに休みを取らなかった。
そのお陰もあってか、近頃は感応種との遭遇で貴重な新人ゴッドイーターが命を落とす事故もへり、逆に彼への任務頻度は増えていった。
もちろん、彼の所属するブラッド隊メンバー(特にシエルなどを筆頭に)をはじめ、
初期から彼らと交流があり先の地球存亡をかけた戦いにともに挑んだ極東支部のゴッドイーターや葦原ユノなど、
そんな激務をこなし続ける彼や依頼している極東支部へ不満を持つ人間はいた。
しかし、その任務自体は極東支部ではなくフェンリル本務の意向であったため、
なにより本人が拒否を望まないため彼ら彼女らは出来る限りのサポートすることしかできなかった。
激化する戦況ゆえ、歴戦の仲間たちは他の任務に負われ、彼はますます多くの新人たちと多くの戦場に駆り出された。
そんな矢先に、考え得るかぎり最悪の事態が起こったのだ。
偶然だった。
偶然、その日に限って皆が忙しかった。
偶然、その日に限って彼は具合が悪いようだった。
偶然、その日に限って強力な感応種が彼の戦闘区域に侵入した。
最悪な偶然の重なりが、ブラッド隊隊長の行方不明という最悪な結果を生んだ。
必死の捜索の結果見つかったのは、"腕が付いたままの"破損したブラッド特有の黒い腕輪と神器の破片のみだった。
死体や神器本体は発見されていないが、腕輪を失ったゴッドイーターの末路など言うまでもなく……。
実力もあり、人望も厚かった彼の事実上の死亡通達はブラッド部隊の指揮を一気に下落させ極東全体にも影響を与えていた。
ゴッドイーターとはいえ、人である。
このナナとギルバートの間で起こったようなやり取りはこれが初めてではなかった。
ストレスは対人関係を悪化させ、対人関係の悪化はチームワークの悪化に繋がる。
今月にはいってまだ二週も経っていないにもかかわらず、すでに3人ものゴッドイーターが命を落としていた。
そのなかには、経験を積んだ有能なゴッドイーターもまざっていて、死と隣り合わせの世界とはいえここ極東では異例の事態だ。
死が、連鎖する。
不幸が、ゴッドイーター達を包む。
最強と謳われた極東に終わりが近づくような嫌な予感。
ブラッド創設者を失ったいま、感応種に対抗できるのは一部の≪喚起≫のお陰で多少動けるゴッドイーターと、わずか3人になってしまったブラッド部隊のみ。
日進月歩進化する荒神と、停滞しつつあるゴッドイーターたちを含めた人類の技術。
クレイドルのソーマ博士が研究するレトロオラクル細胞も、現状感応種をも凌駕するキュウビとさらにそれを上回るマガツキュウビのみしか確認されておらず。
そもそもソーマ博士自身も数少ない感応種に対抗できるのはゴッドイーターとあって研究の時間が取れないことが多い。
ブラッド部隊に使われている技術の解析も行われているが、それも荒神の凶暴化にともなう資材不足や人材不足によりなかなか進んでいない。
死と隣り合わせ、それが嘘のように安定した戦果をあげていた極東の衰退は、フェンリルという組織すべてに大きな打撃を与えたのだ。
二度の終末補喰を退け未だ息長らえる人類に、世界はどこまでも冷酷だった。
「……邪魔です」
もたれ掛かるようにしてようやく体制を整えたギルバートに、酷く冷たい声がかかった。
シエル・アランソン、生き残ったブラッド部隊の一人でありながら、今もっともブラッド部隊から遠くなってしまった少女である。
可憐な容姿はそのままに、彼女を包む雰囲気はまるで豹変してしまった。
人付き合いが苦手で、戦闘以外のすべてにたいし不器用で、それでも当時服隊長であった彼と友達になってからは明るくなった彼女はもういない。
誰よりも早く、誰よりも長く彼の捜索にあたり、無謀で無茶な戦闘で右眼球を失い隻眼となった彼女が纏うのは、どこまでも冷えきった威圧感だった。
四ヶ月たった今でも、彼女は未だ彼の捜索を続けていた。
ただし、ブラッド部隊として感応種などの危険な荒神が大量に現れる現状捜索だけに集中されることは許されない。
ゆえに、彼女は感応種を討伐ののち戦闘行動が認められている制限時間いっぱいまで捜索を行っているのだ
感応種との戦闘はブラッド部隊とはいえけして消耗の少ない戦闘とはいえず、しかも同行者に捜索を邪魔されて以来彼女は単独での出撃を繰り返していた。
白い肌には痛々しい傷が刻まれ、完治していないのか血の滲んだ包帯を至るところにまとっている。
その影響か、この頃は荒神のコアの摘出に失敗し破壊してしまうことも多く、正確無比だった戦闘スタイルは失われてしまったとされている。
当然ドクターストップを受けているが、本部の意向もあり本人の申し出以外では出撃にストップをかけられない。
果たして。
一秒でも長く、一秒でも多く外へと。
身なりすら満足に整えず出撃を繰り返す彼女に声をかける者など、すでに一人しかいないのだが。
「シエル……、お前そんな状態でまた出撃する気か……?」
「私の状態など関係ありません」
心配を露にするギルバートに、初対面の頃と比べても数段機械的な返事が返ってくる。
視線は、合わない。
ギルバートが道を開けないと判断したのか、シエルはその横を通りすぎようとする。
治療を受ける時間すらもったいないと思っているのか、応急処置のみ行い後はゴッドイーターの回復の力に任せただけの荒い治癒痕。
わずかに引きずられる足、戦闘前からただよう濃い血のにおい、そして……深く歪な狂気。
気づけば、ギルバートはシエルの肩をつかんでいた。
「なにをするのですか?」
無感情に。
歩みを止められたことへの怒りすらなく。
ただただ冷たい声が、問う。
木に服が引っかかった、その程度の不快感すら感じていない。
彼女の目に映るのは、ともに戦い笑いあった仲間ではなく、雑草以下の障害物だった。
それに、ギルバートは泣きそうになる。
崩壊していく、暖かな場所。
仲間が消えていくストレスから全く笑わなくなったナナ。
無謀な捜索を続け、周りを拒絶するようになってしまったシエル。
そんな二人に比べれば、周りの人間はギルバートはいくらか落ちつている方だと見ていた。
だが、最年長とはいえ、引きずり続けていた過去を聞き入れ、受け入れてくれた彼に起きた事態に動揺しないはずがなかった。
また守れなかったと、幾度壁を殴り付けただろう。
なぜ駆けつけなかったと、幾度自らを責めただろう。
どうして無理矢理にでも止めなかったと、幾度後悔しただろう。
そんな負の感情と、壊れていく仲間と、際限なく凶悪になっていく荒神。
自分はいつ壊れるのだろう、そんな思考が浮かぶたびギルバートは発狂しそうなほどの恐怖に襲われていた。
「そうやって無茶な出撃をして、その目を無くしたのを忘れたのか……」
「目を失ったからなんだというのですか? 私には<血の力>があります。視力を失っても問題ありません」
四肢を失うことなどささいなことだと言わんばかりに、淡々とシエルは云う。
病的なまでに戦闘を繰り返し、数多くの感応種との戦闘を繰り返した結果。
シエルの血の力はいつしか次の段階へと強化され、荒神……つまりオラクル細胞の状態・状況の判別だけでなく、その属性や位置を目視することなく感知することが可能になっていた。
心眼、とでも言うのだろうか。
悔やまれるのはその情報の複雑さゆえ、以前のように極東の機材を介した情報共有が不可能であることだったが。
文字通り、今や彼女はこと戦闘において視力というものを除外したところでまったく問題が無いのだ。
「用件は以上ですか? では、失礼します」
力なく、しかし圧倒的意思をもって、シエルはギルバートの手を振り払った。
障害を排除した彼女は機械的に、業務的に、そちらが本来の居場所であると言うように出撃ゲートへと消えていく。
なにも言えず、なにもできなかった。
振りほどかれ握りしめていた手に湿り気を感じ、見れば、そこには血が握られていた。
シエルの傷が開いたものかと思って、すぐ、自分の掌が切れていることに気がつく。
(はは……)
自傷することしかできないのか。
自分を痛め付けて逃げることしかできないのか。
事実上、現在の隊長権限を得ているギルバートだが、ブラッド部隊の内部崩壊を前になにもできないでいた。
(あいつは、やさぐれていた俺でも、常識知らずのシエルでも難なく打ち解けてったってのに……)
俺は、壊れていく仲間を前に逃げることしかできないのか……!
拳を壁に叩きつける。
周りにいた人間が驚いて後ずさるの気配を感じる。
みっともない。
また自傷行為で逃げるのか。
けれど、そうでもしなければこの現実に押し潰されてしまいそうだった。
隊長はもういない、これだけに期間なんの音沙汰がない以上荒神化する暇もなく喰われたのだろう。
それが、本格的な捜索の打ちきりを発表した本部とギルバートがナナに言った見解だった。
喚起、ブラッド部隊以外にも感応種と戦える力を授けるという奇跡の力を持つ彼の存在の大きさゆえに捜索自体の打ちきりはまだないが、それも時間の問題だろう。
ここ、極東には腕輪を失い長期間半ば荒神化しながらも未だ人としての自我を保ちゴッドイーターとして活躍する異例の存在、リンドウという男が所属している。
だが、異例は異例。
信じられないほどの偶然と奇跡の産物でしかない。
現在に至るまで何千何万というゴッドイーターが死に、その内腕輪を失い荒神化してしまった例は少なくないにも関わらず、未だ第二のリンドウのような存在は現れない。
そんな奇跡を信じて探し続ける余裕は、今のフェンリルという組織にはなかった。
「私も、行ってくる」
ふらふらした、激情のままにギルバートを殴り付けたさっきとはうってかわり、まるで自殺でもしにいくのではないかという雰囲気のナナが神器保管庫の方へと歩いていく。
どこに、というまでもなく隊長の捜索にだろう。
もちろん、感応種討伐任務は彼女にも課せられているためシエルのように戦闘後にである。
「ま……まて、ナナ。そんな状態じゃお前もシエルみたいに大怪我するかもしれねぇ、俺も……」
「私だけでいいよ。隊長が死んだなんて言うギルなんか、嫌いだから」
殺気ともいえる冷たい視線。
隊長の死を肯定するようなやつは仲間じゃない、そんな言葉が聞こえてきそうだった。
ナナとギルバートは危ういながらもなんとか今日まではブラッド部隊として二人で任務をこなすことがあった。
それはまだ、二人の間にはわずかながら信頼関係が残っていたということだった。
それが今、がらがらと音を立てて崩れていこうとしている。
人懐っこく他人に対して敵意と言うものを持つ姿を想像できなかった彼女が、今や近づくすべての人間に敵意に近い不信感を持っている。
悲しみにくれたロミオとの死別。
苦渋の決断をもって涙のうちに決意したジュリウスとの別れ。
幼い少女たちに、度重なる別れは深い傷を刻んでいたのだ。
病的なまでに捜索を続けるシエルとナナを見ていて、本人たち以上にギルバート自身が耐え切れなくなってしまったがために言ってしまった隊長の死。
信じいている。
信じいていた。
彼が戻ってきたとき、変わらないブラッド部隊でいようと誓った。
でも、どうもその誓いを守ることはできないらしい。
エレベーターへと歩を進めるナナの後ろ姿。
たぶん、その姿を見送ってしまったが最後、ブラッド部隊は二度と言葉を交わさないだろう。
もう、《ブラッド部隊》ではいられないだろう。
エレベーターの到着を告げる音。
わかっていても、ギルバートはうつむいたまま、小さく嗚咽を残すナナへ手を伸ばすことはできず、そして……
「ちょっといいかな?」
「うわっ!?」
ずいっと、到着したエレベーターから現在極東支部長を務めるサカキの顔がとびだし、さすがのナナもすっとんきょうな声をあげた。
シンと沈みきった空気のなかにあってもケタケタとマイペースな様子は相変わらずだったが、隊長の件で本部と何度も何度もやり取りを繰り返したのだろう、その顔はいささかやつれて見える。
サカキは 、ぐるりとロビーを見渡して大体の状況を察したのだろう、脱力したようにため息をついた。
「困るなぁ、現状もっとも頑張ってもらわないとならない君たちブラッドがそんな様子では」
「……。大丈夫、ですよー。ちゃんと、与えられた任務はこなしますから」
「とても、大丈夫には見えないけどね」
生気の感じられないナナの返答に、サカキは首を横にふった。
「そんな君たちに朗報だ、彼の神器の反応が見つかったよ」
「隊長の神器が!?」
サカキの一言で、ロビーの雰囲気が一気に変わっていった。
たかが神器だが、捜索に進展があったというだけでも今の極東にはこれ以上ない吉報なのだ。
どこに、と先を急かすナナとギルバート。
しかし、サカキが次に発したのは耳を塞ぎたくなるような内容だった。
荒廃した大地に舞う影が二つ。
ひとつは、人の形をした荒神シユウ感応種<イェン・ツィー>であり、周囲にはその能力によって顕現した<チョウワン>達が群がっている。
その他にも小型の荒神<オウガテオル>や<ザイゴート>もどこか統率された動きで<イェン・ツィー>に追従している。
もうひとつは、荒神を喰らう人類の希望ゴッドイーターの頂点に位置するブラッド部隊シエル・アランソンだった。
巨大な体とオラクル細胞によって生み出す刃、滑空による突進攻撃、さらには感応能力により統率した小型の荒神を従え<イェン・ツィー>はシエルを喰らおうと襲いかかっているが、戦況はシエルが優位にたっているようだった。
満身創痍の体をなんら苦にするでもなく、小型の荒神を的確に避け、<イェン・ツィー>の命を確実に削っている。
そこには、複数人で行動していた際に報告されていた危なげな戦闘風景は見られず、正確無比な動きは未だ<イェン・ツィー>に指一本触れさせることも許していない。
ほどなく、戦闘は終了する。
やはり危なげなく全ての荒神からコアを回収し、息をつくシエル。
戦闘を終えれば本来ヘリを呼び極東へ帰還するのが当たり前だが、当然彼女が無線機に手を伸ばすことはない。
あの場所に帰る意味など、彼女にはないのだから。
本来の目的はあくまで隊長の捜索、のはずなのだが……。
「ふふ……」
虚ろに、しかし何かを愛しく想うような笑みを浮かべシエルは確固たる目的を持った足取りでどこかへと歩を進めていく。
いましがた殲滅しつくしただけあり、風の音しかない静かな大地を進むこと十分弱。
シエルは、教会の前に立っていた。
教会、と表現したものの、荒神が闊歩する前は神々しささえ覚えたであろう装飾や色鮮やかな硝子はとうに廃れ、半ば崩壊したそれはどこにでもある廃墟と大差はない。
そんな場所になんの用があるのか。
デートの待ち合わせに遅れてきたような、焦りとも興奮ともつかない表情で息を整えていたシエルはゆっくりとその廃墟に手を伸ばした。
無造作に積まれていたはずの瓦礫は、彼女が手をそえたとたんまるで扉のようにスッとその場から移動する。
そこに現れたのは、空洞。
ちょうど小柄なシエルが身を屈めてやっと通れるような狭い通路だった。
狭い瓦礫の隙間、今にも押し潰されてしまいそうな狭いそこにシエルはなんら臆することもなく身を滑り込ませ、神器を器用に使って開けた瓦礫をもとに戻す。
十メートル程度進むと、そこにはちょっとした空間ができていた。
破損こそしていたが、そこには教徒達が神へと捧ぐ歌を、祈りを紡ぐために頭垂れていたであろう祭壇とシンボルが健在していた。
所々割れてしまっているステンドグラスへ注ぐ光に彩られたそれらには、今世界を食っている神達の肖像画が救世主のごとく描かれている。
尖った瓦礫とガラスが散乱する床を地面を進み、祭壇の前でシエルは腰をおろした。
そして、眼前の≪それ≫へと、にっこり笑いながら、
「ただいま戻りました……隊長」
そう、呼び掛けた。
「…………」
筋のような日光が照らす祭壇に背を預けて。
彼は、そこにいた。
死んでいるのかと思うほど静かに、目を閉じている。
何年も切らなかったように無造作にのびた黒髪、男というにはいささか白い肌。
脱力した体を支えるためか、胴体と生前の原型をのこす左腕は鎖によって拘束されている。
そして、何より目を引くのは人の身にはありえない異形の右腕。
異形。
まるで、肖像画の神達の肉体を移植したような。
否。
まるで、神達を喰らうための巨大な≪顎≫を移植したような。
それでも、やつれているが顔立ちは間違いなくブラッド部隊隊長だった。
神に喰われた果ての姿にしては、肉体に損傷は無く些か生前の造形を保ちすぎている。
しかし、生きた人間に見えるかと問われれば、否である。
ゆえに。
はたからみれば、生気を感じない彼の様子からシエルが死体に向かって話しかけているようにも見えたが、
「…………」
「お目覚めですか、隊長」
ゆっくりと、彼はその眼をひらいた。
髪同様黒かったはずのその目は、しかし、瞳孔が縦に、瞳が赤く。
やはり人の身にはありえないものだった。
不自然な赤さだった。宝石のように鮮明な赤の瞳は、鈍く光っている。
意識は、ないようで。
三割ほど開かれたその瞳にほほを染めたシエルが写っているにも関わらず、彼は微睡みのなかから出てこようとはしない。
異形の右腕もゆっくりと動くが、力なく地面に伏すばかりで顎はシエルや周囲の物質に牙を向けることはなかった。
彼の形をした人形のようだった。
人間らしさ、というものが根こそぎ欠落している。
それでも彼女には、四肢に傷を負ったシエルには満面の笑みで迎えてくれたように見えたのだろうか。
はい、と。
数時間前アナグラで絶望に打ちのめされていたギルバートが見たら別の意味で発狂しかねない、無邪気な子供同然の笑みで彼に抱きついた。
当然彼が抱き返してくることはなかったが、その分シエルがこれでもかと彼を抱擁している。
マーキング、とでも言うべきだろうか。
豊満な胸を押し付け。
華奢な手足を絡ませ。
そうしなければ命がつきてしまうといわんばかりに、シエルはその身を彼へと押し付け、巻き付け、堪能する。
この人は私だけのものだと、誰にでもなく宣言するように。
笑顔の裏の狂気が、語る。
そして、抱擁は次第に妖艶から淫乱なものへと変化していった。
未だ微睡みから覚めない彼の、好意的に解釈すれば眠そうなその顔に、いつしかシエルは口づけを始めていた。
額に、瞼に、鼻に、頬に。
そして、唇に。
焦らすようなキス。
もちろん、彼はなにも言わず、求めない。
が、確かにそれはほかならぬ、シエル本人にたいして効果のあるものだったようだ。
「はぁ……はぁ……」
キスを重ねれば重ねるほど、シエルの頬は赤く染まっていき呼吸は速くなっていった。
全身に及んでいた口付けはいつの間にか彼の口にのみ集中し、だらしなく垂れるシエルの唾液が彼の顔面を濡らしていく。
半開きのまま抵抗をしない口内にはシエルの舌が入り込み、まるで高級な飴でもなめるように彼の歯を、舌を味わっている。
なまじ彼が何の反応もしめさないがゆえに、彼女の欲求が第三者によって中断されることはなく……。
しかし。
トロンと、極上の快楽を身に受けているように無我夢中でキスを繰り返し、さらにその先を求めようとした彼女を止めたのは突然の激痛だった。
討滅したとはいえ一瞬の油断が致死につながる外にいながら意識をほとんどキスに向けていた彼女だったが、さすがに驚きキスを中断する。
スッと、シエルの口から一筋。
真っ赤な血が大地へと流れ落ち、消えていく。
その量は唇をちょっと切った、では済まされないほど多い。
悲鳴を上げるでもなく、もごもごと口の中で何かを確認して、ベッとシエルは舌を出しす。
「……ふふ、そうでした。すいません、今回はちょっと会えない期間が長かったので君の"食事"を後回しにしてしまいました」
"一部が噛み切られた舌"で愛らしく、痛みをまったく感じさせない笑みを浮かべながらシエルは彼えと謝罪した。
そのまま名残惜しそうに立ち上がると、彼女はまるで出血を無視して止血するでもなく神器に手を伸ばす。
水色と黒で彩られた神器が振動し、捕食形体となった神器がシエルの腕を覆うように展開される。
華奢な腕に落されたのは、先ほど討伐した荒神のコアだった。
本来、コアは安全のため本部に帰還するまでは神器の内部に保管し、帰還後専用の容器に厳重に保管される。
いかに荒神とはいえコアのみではその捕食能力は著しく低下し、ゴッドイーターの身であれば早々に捕食されることはない。
しかし、そんな危険を犯してまで途中で取り出すなどといった愚行を行うゴッドイーターはまずいない。
しかし、彼女は容易く、その危険を冒す。
赤く脈打つコア。
それに、初めて≪それ≫が反応した。
拡張された人間の認識機能がギリギリ反応できるか、といった勢いで動いたそれに、シエルは完璧に反応した。
「……っ。……そんなに急がなくても、ちゃんとさしあげますよ。そんなに、お腹が空いていたのですか? ふふ、君はいつからナナになったのですか」
彼女は、完璧に反応した。
彼女にとって、完璧に反応した。
異形の顎がその喉元に伸びているにもかかわらず、彼女は笑顔を崩さない。
異形の牙がその細腕を貫いていようと、彼女は笑顔を絶やさない。
バキリと、十全に展開したはずの盾が砕ける。メキメキと、牙を受け止めた刃がきしむ。神器の悲鳴は、しかしシエルには届かない。
「…………」
「ふふ、仕方ないですね。来れなかった分いつもより多めに持ってきたのでゆっくり食べてくださいね」
大人が子供にボールを投げるようにゆっくり投げ渡されたコアを、異形はまた、信じられないような速度で反応し、捕食する。
生々しく、形容しがたい音と光景で食事を開始した彼を、シエルはやはり、笑顔で見つめる。
つまりは、そういうことだった。
シエルは、荒神と化した彼を本部に報告することもなく、討伐することもなく、自分の拠り所としてこの教会に拘束、監禁していた。
コアを壊してしまったという報告も、頑なに単独でもミッションに向かうのも、すべて彼を生かすため、彼に会うためだった。
シエルが彼を発見したのは偶然だった。
まだ、本部が全力でブラッド部隊隊長の捜索をしていたころ、当時は珍しかった単独出撃の際に、見つけたのだ。
異形の姿、自身の身の内に封じていた荒神に侵しつくされ、もはや人ではなくなってしまった彼を。
あたりに散乱していた大型荒神の亡骸は、未だ手付かずで、荒神と化した彼は捕食する寸前であると同時に疲弊していたのだろう。
異形と化した彼の姿に、頭のどこかで何かが壊れてしまったシエルは、逃走を計った彼を必死に叩き伏せ、再び彼が自分の前から消えることを許さなかった。
そして、壊れていながらも彼女はこのまま彼を本部へと連れて行けばどうなるか、自分の始めての友達がどうなってしまうかを理解し、それを避ける方法を模索した。
他の誰かに殺されてしまうくらいならば、いっそのこと自分の手で……そんな思考も浮かんだ。
だが、初めてできた友達を、初めて好意を抱いた彼を殺すなど、そんなことは考えただけで発狂してしまう。
一瞬でもそんなことを考えてしまった自分がどんな汚物よりも汚く思え、なんども吐いた。
彼が目の前から消えたあの日。
生きながらに自分の半分が死んで無くなってしまったかのような絶対的な喪失感を、残りの人生で背負い続けるなど、シエルには不可能だった。
ただ、無機質で機械的に命令をこなす事がこの世のすべてだと、自分は一生こうして生きていくのだと思っていた。
そんな灰色の世界を変えてくれた彼はシエルにとって、もはや全てといってもよかった。
彼のいない世界。
シエルにとって、それはまたあの暗くて冷たい灰色の世界に戻ることと同じで。
すべてを与えてくれた彼の死は、彼がシエルに与えたすべて……仲間も、居場所もなにもかもを置き去りにしてしまったのだ。
彼は、そして仲間たちはシエルが皆との交流の中で明るく、表情豊かになって普通の女の子になったのだと思っていた。
しかし、彼が与えたすべては、彼自身が一緒にいて初めてシエルの世界に色を付ける。
シエルは、彼という存在を通して初めて、世界が暖かなものであると認識していたのだ。
友達になってください。
たったそれだけの言葉に、どれだけの意思が詰め込まれていたのか。
いつしか、シエルは彼という存在を独占したいと思うようになっていた。
ナナ、ギルバート、ロミオ、ジュリウス。そして、極東の仲間たち。
彼ら彼女らも、もちろん大切な仲間で、大切な人々だ。
しかし、シエルにとって友人とは彼だけだった。
自分にとって、唯一の友人。
自分にとって、唯一の人間。
そんな彼が、他の誰かと一緒にいる。
仲のいい人間が増えるにつれ、たったそれだけのことが、なぜかシエルは嫌になっていった。
独占欲、とでも言うのだろうか。
初めての友人を純粋に喜んでいたはずなのに。
いつしか求めるだけでなく、求められたいと思うようになった。
自分にとって唯一であるように、相手にとっても自分が唯一であってほしいと思うようになった。
シエルは知らなかった。
その感情が、もはや友人に対して抱く好意ではなく、愛というものであることを。
故に、彼女はわけのわからない、共に任務に望み、会話をするだけでは満たされない欲求と、親しく同じように好意を持って接しているはずの仲間たちに感じる敵意のような感情に挟まれ、歪んでいった。
あるいは、彼が行方不明にならず、耐え切れなくなった彼女が誰かに相談していれば、そこには初恋に悩む愛らしい乙女の姿があったのかもしれない。
しかし、死んでしまったかもしれないという絶望と、誰よりも先に彼を見つけたという現実が、最後の一歩をシエルに踏み出させてしまった。
彼を、独占できる。
彼にとって、唯一になれる。
絶望と同時にやってきた誘惑が、シエルを壊した。
「あ、もう食べてしまったのですか? 足りませんでしたか?」
「…………」
捕食を終えた彼は、幾分か生気が戻っていて、先ほどとは違って全身が滑らかに、そして異様なまでの力強さを持って動き始めていた。
それこそ自身を拘束している“偏食因子を組み込まれた鎖”を引きちぎらんとばかりに。
「……ああ、だめですよ」
しかし、シエルがそれを許さない。
彼が暴れる中、異形の腕が自身の身を裂くのも気にせず、シエルが何かを彼へと突き立てた。
見るからに危険な色をした液体が彼の中に消えていき、また彼は生気を失いまどろみの中へと帰っていく。
それは、封神やホールドと言ったトラップ素材を構成する素材から作成された特殊で特別な、彼を留めるためだけに作られたものだった。
なぜ、そんなものがあるのか。
いくら彼女が壊れているとはいえ、もともとは機械のように冷静でありとあらゆる状況を想定した訓練をつんできた知識が消えることは無い。
荒神になってしまった彼と安全に、確実に会う方法。
もちろん、アナグラの自室になど連れて行けないだろう。
ならば外に彼とあえる場所を作るしかない。
ならば彼を逃がさないようにしなければならない。
どうやって。
ああ。
極東は激戦地だ。
荒神に関する膨大な資料、過去の事例、有効な薬品、それを作るための資材が山のようにある。
もちろん、それらは厳重に管理され盗むことは非常に困難だった。
ならば、厳重であるからこそ、そこ付けばいい。
シエルが持ちえる知識は、なにも荒神のものだけではない。
彼と会ってから嫌悪の対象でしかなかった対人戦闘知識。
友達を作る対話知識は無かった。
しかし、操り人形を作る拷問知識は在った。
ゴッドイーター、さらにその中でも数少ないブラッドであるシエルに与えられている権限は実はそこまで多くのもではない。
だが、その肩書きは通常謁見を望めない人物と会うには十分なものであった。
会ってしまえば、あとは簡単だった。
拷問し、恐怖を植え付け。洗脳し、奴隷と化す。
専門なわけでもなく、一度は二度と使うまいと忘れようとした知識なだけに、不完全な洗脳になってリークされるなどの危険もあった。
それでも、シエルは一秒でも早く彼の唯一になりたかったのだ。
たとえ、常時薬で無理やり眠らせ、常時偏食因子により強化された鎖で縛り付けてでも。
「あ、隊長。食べてすぐ眠ると体に良くないですよ。君が教えてくれたんじゃないですか」
ニコニコと。
どこまでも幸せそうなシエルは、己のしたことを都合よく忘却し、彼の状態を脚色する。
「だから、隊長……」
笑みが、次第に邪気を帯びていく。
人形に戯れる子供から、独占欲に溺れた悲しい少女へ。
「食後の運動ついでに、私にご褒美をいただけますか……?」
その小さな手が、脱力した彼の股へと伸びる。
手馴れた手つきでベルトをはずし、ジッパーを下ろし、下着を下ろす。
外気にさらされたそれを凝視し、シエルは今までよりずっと陶酔した様子で息を吐いた。
荒神は通常の生命とは違い生殖器を有さないため、それは紛れも無く彼自身のものである、とシエルは認識していた。
神と混ざってしまった彼が醜いと感じたことはないシエルだが、だからこそ純粋な彼である部分はより一層、愛おしい。
薬の影響なのか些か普段より小さいそれを、シエルは割れ物でも扱うかのように愛撫し始める。
しかし、いかに少女の柔肌と言えど潤滑剤もなくすべりの悪い手ではやりにくいらしく。
数秒撫で回した後、シエルはそれをためらい無く口へと含んだ。
どろりと流れ出た血。
止血をしていないシエルの口内では、多少収まったとはいえ未だ少なくない出血が続いていた。
普通なら叫び声をあげかねない激痛が絶え間なくシエルを襲っていたが、彼に噛み切ってもらった傷を、果たして痛がるつもりなど無かった。
むしろ唾液より多く流れ出る潤滑剤として、猥らな音を上げながら奉仕を続ける。
「けほっ、けほっ……」
数分後、己の口の中には納まらなくなったそれを無理やり喉まで突っ込み奉仕し続けていたシエルが口を離す。
血液と粘性のある液体の混ざり物で真っ赤に染まったそれは、お世辞にも醜くないとはいえないものへとなっていた。
もちろん、シエル以外には、だが。
「ふふ、相変わらず大きいですね。私の膣では入りきらないのも納得です」
言いながら、シエルはスカートの中に手を入れ下着を脱ぎ捨てた。
服も何もかも脱ぎ捨て裸で、と言うのが最良だったが、一応荒神の闊歩する外でそれはリスクが高すぎる行為だ。
何より、食欲旺盛になった彼にいつ"食べられるか"わからない。
戦闘による傷だと言い張るには、服と肉体の傷痕が一致していたほうが都合がいいのだ。
と、言うのが建前。
本当はただ恥ずかしいだけだった。
過程こそ異常であり、状況も狂気の様ではあったが、彼の前ではシエルはどこまでも純情な少女だった。
隊長、君……と、未だに名前で呼ぶこともできず、丁寧な言葉遣いも崩せないほど、シエルは初心だった。
故に、すでに少ないない回数をこなしていながらシエルは彼の前で裸になるのをためらっていた。
国籍など意味を成さない時代ではあったが、肉体的特徴はまだまだ少なくない。
髪も目も黒い(今は赤目だが)彼と、銀髪と蒼い瞳を持つシエル。
どんなにきれいだと言われても、シエルは最愛の彼と違う自分の体に自信を持てなかった。
純白の肌も、豊満な胸も、低身長ながらに整った四肢も、誇ることはできなかった。
ここまでしておいてなにを今更、事の次第を知るものがいたらそう言っただろう。
己の中に生まれた、言葉で表せない感情に振り回された彼女の心を理解できるものなど、いないのだから
「はぁ、はぁっ、はぁ……隊長、もう……いいですよね」
ぽたぽた、と愛液がコンクリートの地面を濡らす。
たくし上げられたスカートの下から覗いたのは、見た目相応の幼い性器だった。
産毛とそう変わらない薄い銀色の体毛。そして、愛液で猥らに濡れながらもその下の膣はぴったりと閉じていた。
ただでさえ身長が十数センチ違う二人の体格差は言うまでも無く。
生殖器の差は、入りきらないどころかそもそも進入すること自体が不可能であり、危険であるようにも感じられる。
それでもためらうことなく、シエルは彼のそれへと自分のそれをあてがった。
覆いかぶさるようにして、力を抜けば自然に彼が入ってくる体勢。
当てただけで、嬌声が上がる。
冷静沈着、ポーカーフェイスが基本である普段の彼女からは想像もできない猥らな姿。
「あっ……はぁああ、あっ……」
ぴくんぴくんと揺れる体は、すでに絶頂に至たり。彼が自分の中に入ってくる、その事実だけでシエルの体は極上の快楽を感じていた。
感じながら、身に余るそれを無理やりなかへと導こうとするシエルだが、もともとのサイズ差に加え入り口で幾度も先端を刺激さえた彼のそれはますますサイズを増している。
早く、早く、と焦れば焦るほど彼のそれはシエルの許容範囲からは遠ざかっていく。
もちろん、これが初めてではない以上彼女はそれを受け止めることができるのだが、圧倒的な差の前では慣れるのは難しかった。
小柄である体を何度妬んだことか。
だからこそ、この体勢を選んだ。
軽い絶頂に何度達しただろう、下半身に力を込めることができなくなり支えを失ったシエルの体重は自然に、そこへとのしかかることとなった。
「――――っ! あっ……がっ、ああ……はぁっ、はぁっ……」
小柄とはいえ全体重をかけて無理やり押し込んだため、彼のそれはシエルの腹部を思い切り押し上げる形となった。
入れることすら躊躇うサイズのものが、いきなり子宮を突き上げ、さらにまだまだ進入しようと押し上げてくる。
体を突きぬかれかのような感覚。
全身が硬直し、視界が白く染め上がる。
先ほどまでとは比べ物にならない快楽が背筋から頭へと駆け上がり、全身が引きつる。
暴力的な快楽は、機械のように静かなはずの少女を狂わせるには十分すぎた。
波が過ぎ脱力すれば、しかしシエルを貫く彼が中で膣を押し広げ、再びシエルを快楽の中へと誘った。
「たい、ちょ……う……」
はじけた思考。
安定しない視界。
力の入らない体。
しかし、シエルはそんな体に鞭をうち、腰を上げる。
もう数ミリ大きければ膣が裂けかねないほど、これでもかと圧迫感を伝えてくるそれが膣内を行き来するのは拷問のような快楽だった。
それでも、たとえあくびが出るような速度であったとしても、動かなければ、入れただけでは"ご褒美"は貰えない。
「私の、なか……は、気持ちいい、ですか……?」
ぎこちな腰使い。
苦しさを交え必死に動くさまは到底性行為の最中とは思えず、満足な刺激が彼へと行っているとは思えない。
よだれも、愛液も、血液も、汗も、あらゆる体液を流しながら動くシエルとは対照的に、薬を使われている彼は微動だにしない。
シエルの愛撫によって反応しただけに感覚と言う器官は残っているようだが、果たして細く深くまどろむ彼の視線は何を眺め、何を思っているのか。
「隊長……」
頬を、唇を、胸部を、肩を、腕を、指を、流れるように撫でる。
反応は無い。
人形のような彼に、それでもシエルは行為を続ける。
これが子を成す行為であるということは理解していた。
だが、避妊薬などを持参したことは無い。
別に子供がほしいわけではない。
むしろ子ができてしまったなら戦闘でわざと腹部を傷つけて、子を成す機能ごと失ってしまおうとも考えていた。
彼以外、何もいらないのだから。
彼のものを直接受け止めたいから、そんなものは使わない。
この彼から与えられる圧迫感も、快楽も、幸福感も、すべて、すべてすべて、自分だけが感じることのできるものなのだから。
「たい、ちょう……」
行為を始めてどれほどの時間が過ぎたころだろう。
流石に限界が来たシエルは、腰の動きを止め彼へとしなだれかかった。
人間にあるはずの体温も、鼓動も、生きていると感じさせるものを一切失ってしまった体。
シエルにとっては、愛しくて愛しくて仕方が無い体。
数ヶ月前まで手を握ることすら難しかった彼が、いまやすべて自分のもの。
快楽を伴う性行為ももちろんだが、こうして抱き合うのが一番幸せで、満たされている気持ちになれた。
満面の笑みは、しかし。突如苦痛の表情へと変貌した。
「がっ……、隊長……っ! あ、ああ……はあぁっ、あっ……」
緩慢な、ひどくゆっくりとした動作で、彼はシエルの肩に喰らい付き、噛み千切った。
神と混ざってしまった代償。
万物を捕食対象とする神にとって、人間もその例外ではなかった。
ぶちぶち、と。
自身の筋繊維が食い千切られ、引き裂かれ、引き離されていくおぞましい感覚が、快楽で緩慢になっていたシエルの思考を現実へ引きずり戻した。
あたりを覆っていた雄と雌の臭いをかき消さんばかりの生々しい血の香りが充満する。
純白の肌と服が鮮血で、赤く、紅く、深紅に染まっていく。
もちろん、痛みは一瞬で。
いつものことだった。
シエルの身に刻まれた傷の9割は、彼によって食べられた傷であり、彼にささげたものだった。
初めて食べられたのは、眼球。
まだ、行為にも及んでいなかった頃。
キスをしていた拍子に、食いちぎられた。
それでも。
今自分を食ったのが彼だと認識すれば、痛みは瞬く間に快楽へと変貌し、再びシエルを酔わせていく。
同時に、シエルの中へと精が吐き出されていた。
どくり、どくり、と。
人間ではありえない量の白濁が、すでに収まる場を失っていたシエルの膣から逆流していた。
なぜ、今か。
シエルの愛撫がようやく彼を満足させたのか。
それとも、シエルを食べたことで欲が満たされたがためか。
白濁をシエルの中へ吐きながらも、表情を変えることの無い彼からそれを読み取るのは不可能だった。
それでも、シエルには食われるのも、出されるのも"ご褒美"だった。
彼がシエルの中に、シエルが彼の中に。
言葉での意思疎通ができなくなってしまった今、そのつながりは何よりも彼の存在をシエルに教えてくれるものだった。
「はぁっ、はぁっ……ふふ……。ありがとう、ございます……」
自分の右肩を咀嚼している彼に、名残惜しくキス残しシエルはゆっくりと彼のそれを自分の中から引き抜いた。
余韻にひたりたいのは山々だったが、今日は予想以上に時間がかかってしまった。
下着を穿きながら時計を確認すると、元の戦闘区域に戻りヘリを呼ぶには少々遅い時間が経過していた。
多少なら、死に物狂いで捜索していると思っている極東支部の面々には怪しまれないだろうが、あまり超過しすぎると場所を確認されかねない。
目を閉じて。
深く、深く、深呼吸。
淫らに彼を求める自分は彼の前だけに置き去りにして。
またいつもの姿へと、戻る。
数十秒前まで満面の笑みを浮かべていた人物とは思えないほど、深く暗い瞳がそっと彼を振り返る。
口元をシエルの血で紅く染め、よどんだ瞳で地面を見つめる彼に、口の中でそっと、
「また――」
――来ます。
と、その台詞は続くはずだった。
突如として鳴り響いた爆音。
当たればただではすまないサイズのコンクリート片が、散弾のように二人へと襲いかかる。
それに、シエルは驚くほど冷静に反応した。
神器を拾い上げると同時に彼を拘束する変色因子製の鎖を断ち、担ぎ上げながら跳躍。わずかに残っていたステンドガラスを付き破って外へと。
着地と同時に地面を蹴って後方回避。破損した盾を展開し、崩れ落ちる教会の破片から彼を守った。
あたりを土煙が包み込む。
数メートル先も見渡せない最悪な視界の中で、しかし、シエルは一点を刃物のような視線で睨みつけていた。
「…………」
崩壊の余韻で、音はうまく聞こえない。
揺れる地面は、集中力を散らす。
もし荒神が近づいてきたとしても、雄たけびさえなければこの空間では不意を突かれてしまうだろう。
刃が、迫っていた。
湾曲した、槍でも剣でもハンマーでもない、独特の形状をした刃が。
二本の漆黒の刃は、中腰姿勢で前方からの何かに備えていたシエルを無視しその背後にいる彼へと切りかかった。
完全に、不意を付いた一撃。
気づいて反応したとしても、ギリギリ防ぐことのかなわないはずの、計算された一撃。
果たして。
首が、飛んだ。
ごとり、と。重そうな音を響かせながら、驚愕に見開かれた表情で固定された首が大地を転がっていく。
シエルは、それを静かに見つめていた。
自分には関係ないものであるかのような、一切の感情を取り払った表情で。
そのまま首が土煙の中へ消えていくのを見送り、再びシエルの視線は土煙の先に戻され、
「シエルちゃん!」
その先から響いた声を、まったく動じることなく受け止めた。
風に流され、煙が晴れていく。
晴れた視界にまずうつったのは、ついさっきまで二人が行為に及んでいた教会の見るも無残な姿だった。
職人によって描かれたであろう美しい神々の絵はばらばらに砕かれ、ただの瓦礫へと変貌している。
ああ、折角いい隠れ場所だったのに。
そんなことを考えながら、そういえば聞こえていた声の主がだんだんと見え始める。
三十メートルほどさきに、彼女らは立っていた。
全員が巨大な神を喰らう武器を携えながら、悲しいような、驚いたような、そして信じられないと言うような目でこちらを見つめている。
視線が、さらに鋭くなる。
神を喰らうはずの武器を、躊躇うことなく仲間へと向ける。
全員のこすことないように、武器を横に引いてなぞる。
「邪魔をしないでください」
シエル自身、驚くほど低く殺意のこもった言葉とともに、そこにいる全員をにらみつけた。
『彼の神器の反応であることは間違いない。しかし、あれはもう神器の反応じゃあない。荒神の反応だ』
あの後、ギルバートら極東にいる実力者たちに伝えられたのはそんな言葉だった。
神器は荒神のコアを用いているが、それ自体はたとえゴッドイーターの制御を離れても荒神になることは無い。
神器を捕食する≪スサノオ≫という荒神が確認されているが、捕食されてしまった神器は一体化し、反応を示すことは無い。
それが荒神の反応を発している。
それ自体が特異な事態であるためあらゆる可能性が考慮されるが、一番可能性が高いのは、使用者を捕食し、使用者と一体化し荒神になった可能性だった。
神となってしまったゴッドイーターは、本人が使っていた神器を用いた解釈をするのが最善とされている。
理由として、体細胞を媒介に無秩序に増殖してしまったオラクル細胞は多種多様に変異する傾向がある。
そのため元来厳密には制御下に置かれていない≪神機のオラクル細胞≫は、アラガミ化進行中は更なる暴走状態にあると言って過言ではない。
その暴走状態のオラクル細胞を停止させる事ができるのは、当該ゴッドイーターが使用していた神機に搭載されているアーティフィシャルCNSのみなのだ。
この事から≪アラガミ化した神機使いが使用していた神機による攻撃≫が有効となる。
しかし、その神器自体がゴッドイーター本人と融合してしまっている。
最悪、荒神としての力と、荒神を下す力の両方を持った第三の存在になっている可能性すらある、最悪の考察だった。
そのため、ギルバートたちに与えられたのは神器の回収ではなく最悪の可能性を考慮した荒神化したゴッドイーターの討伐だった。
ふざけるな、とナナはサカキに殴りかかった。
嘘だろうと、極東のゴッドイーターは嘆いた。
ギルバートは、ただ、その場へと崩れ落ちた。
ああ、と。
嫌な記憶が、ほかならぬ隊長とともに乗り越えたはずだった過去が今起きたことのようにフラッシュバックした。
“上官殺し”
“フラッギング・ギル”
ついぞ語られることの少なくなった異名が、頭の中で反響した。
ブラッドらの反応は予想していたのだろう、誰もが始めてみるような沈みきった表情で榊は極力感情を殺してその先を続けた。
事態が事態なだけに、榊はすでに準備を整えていた。
荒神化したゴッドイーターを殺すための特殊部隊の存在が、ナナとギルバートに伝えられたのはこのときだった。
彼の元へ向かうのは、ブラッドのほかに任務中だったクレイドルのアリサ、ソーマが任務が終了しだい合流、
そのほかに、彼を先輩と慕うエリナ、戦友と謳うエミール、彼らの上官であるコウタなどが参加を希望したが、万が一を考え彼女らは却下された。
そこに、一人でも一騎当千を誇るらしい専門部隊の構成員が2人。
計4名が、戦力としては数支部分にも値する戦力が彼の介錯……殺害作戦に参加する運びとなった。
任務行動中だったシエルは、この作戦のことを通達すること自体が禁止された。
今の彼女に彼を殺しに行くなどと伝えれば、殺されるのは極東の人間のほうになりかねないからだ。
隊長は荒神になんか負けない、絶対生きてる、絶対つれて帰る……と、憑かれたように、ナナ。
いざと言うときはまた、俺が……と、死にそうな顔で、ギルバート。
そんな彼らに追い討ちをかけるように、現場に向かうヘリのなかでシエルの反応が彼の神器の反応と重なるほど近くにある、と言う連絡が入った。
シエルが彼の神器が見つかったと言う情報を手に入れたとは考えづらく、ならば偶然、彼を今日見つけたのだろうか?
見つけたとして、彼女がとる行動は?
荒神になっているであろう彼を前に、躊躇い無く介錯を行うか。
断じて否である。
なら、反応が重なるほど近くにいると言うのはもしかして。
そんな、嫌な思考の連鎖にさらにぐちゃぐちゃになっていく思考。
果たして。
「邪魔をしないでください」
ヘリから飛び降り、反応のあった教会ごとなぎ払った部隊員を急いで追ってきた彼らの前にいたのは、明確な敵意と殺意をもってこちらを睨んでいるシエルの姿だった。
邪魔をするな、そういった彼女の背には人のような、だがけして人ではない何かが静かに座り込んでいる。
変わってしまった姿、だがそれが誰であるのかは考えるまでも無かった。
「邪魔って……どう言うこと? ねぇ、シエル……ちゃん」
ナナの問いに、シエルは答えない。
ゆらりと構えられた神器は、動けば迷い無くナナたちを切り裂こうと言う威圧が見て取れた。
思わずひるんだナナの変わりに、ギルバートがその先を紡ぐ。
「シエル……、どういうことだ。そこにいる、そいつは」
「――――っ」
発砲音が響いた。
反射的にそらした頭の真横を、バレッドが通り過ぎていく。
放心するギルバート。
シエルが自分を狙撃したのだと、気づくのにはひどく時間がかかったようにも感じた。
なぜ、と咎める声を上げるより早く、シエルの怒声が響き渡った。
「お前が、隊長をそいつ呼ばわりするな!」
優しく笑う姿は、知っている。
悲しみに涙を流す姿も、知っている。
だが、声を荒げ、感情のままに叫ぶこんなシエルは、知らない。
「一体何をしにきたんですか? 私と隊長の居場所をこんな風にバラバラにして……」
本当に悲しそうに、シエルが崩れ去った教会を一瞬見つめる。
「ようやく、ようやく私と隊長が二人だけになれる場所を見つけたと思ったのに……」
隻眼が、眼下に転がる”二つ”の頭を睨みつけ。
「しかも、隊長を殺そうとする輩まで引き連れて……」
躊躇い無く、それを踏み潰した。
躊躇い無く、それを神器で突き刺した。
「もう一度だけ言います」
返り血で真っ赤になった神器で、誰でもなく、そこにいる全員を指す。
「私の邪魔を、するな」
吐き気がするほど、空気が張り詰める。
ここにいるのは歴戦の戦士たちで、数々の地獄を歩んできたゴッドイーターである。
故に、今更人間の死体を見て、吐いたり恐怖でおかしくなるようなことは無い。
だが、その死体が荒神に食われたのではなく、ほかならぬ、ほんの少し前まで笑いあっていた仲間が断首したものだとすれば、話は別だ。
まるでワイヤーで斬ったかのように断面がはっきりした死体は、むごい死体よりずっと恐ろしい。
ギルバートは、死体よりも、そんなことをしながらまるでそれを他人事のように見ているシエルの姿に、何度目ともわからない目の前が真っ暗になる感覚に襲われた。
ナナは、
「ねぇ、シエルちゃん」
一歩一歩、足も神器も引きずりながら、シエルのほうへと歩を進め始めた。
「おい、ナナ……?」
ギルバートの声は、その歩を止められず。
「邪魔をするなってことは、さ。シエルちゃんは、もう、ずっと前に隊長を見つけてたってことだよね……?」
がりがり、と。桜色のハンマーが大地を削っていく。
数ある神器の刀身のなかで最過重をほこるブーストハンマーが、ナナの細腕によって、軽々と持ち上げられる。
「……それが?」
素っ気ない、シエルの返答。
ギルバートは、この場でシエルと向き合った時点で予想していた可能性に、しかし信じたくなかった返答に言葉を失った。
だが、ナナは。
「それが? ……って、いった?」
幼い、愛らしいその顔を、阿修羅のごとき怒気で埋め尽くし。
「……ふざけないで」
ブーストハンマーが、火炎を吐き出した。
チャージスピアと並んでもつ特徴である爆炎による超加速が、ナナとシエルの数十メートルを刹那で無にした。
「ふざけるなぁ!!」
強固なオラクル細胞を一撃で叩き潰すブーストハンマーによる必殺の一撃。
身長の倍以上飛び上がったナナが、全力で振りかぶったその超質量を躊躇いなくシエルへと振り下ろした。
破損したシールドに、神器の中でももっとも強度と質量に劣るショートブレードを扱うシエルにとって、それは防御不可能な一撃にも思えた。
それを、シエルは斜めに傾けたブレードの腹であっさりと受け流してしまった。
遥か後方にいるはずのギルバートらにまで届くような振動とともに、ハンマーが大地に食い込む。
常人なら転びかねない振動の中、シエルは先ほど部隊の人間にやっとように、微塵も躊躇いのない首への斬撃を放った。
装甲の展開は間に合わない。
避けて避ける事は不可能だ。
そんな思考をしたわけではなかった。
ただ、ゴッドイーターとして毎日死地で神との戦闘を繰り返した人間ゆえの勘がナナを突き動かした。
地面に刺さっているハンマーを、無理やり、地面ごと引きずり出しその刃を弾き飛ばした。
もち手で防ぐでもなく、そんな力技に任せた回避は予想外だったが、そんなことで隙を見せるようなシエルではない。
弾き飛ばされた刃をその勢いのまま体ごと一回転させ、上段から脳天から真っ二つにせんと振り下ろす。
再び、その刃にハンマーーを叩きつけ、防ぐ。
そのまま押し込もうと力をこめるナナに、そんな技術を使用しているのかまったく動じないシエル。
まるで作り話の中でしか見ないような、刃と刃で行うつばぜり合い。
「シエルちゃんは……とっくに隊長を見つけてたのに、誰にも言わないで私利私欲を満たすためにこんなところに閉じ込めてたの!?」
まるで噛み付こうとでもするかのように、
「もしかしたら、もっと早く連れ帰れたらリンドウさんみたいに人間に戻れたかもしれないのに!!」
泣きそうな声でナナはシエルへと叫んだ。
「隊長を見つけたからって、誰も殺そうとなんてしないよ! 少しでも人間に戻る方法があるなら、誰を敵にしたって私はがんばれたのに!! なのにっ!」
「馬鹿なことを言わないでください、ナナ。あれは奇跡です。奇跡は、誰にでも起こるものではないんですよ?」
静かに、しかし明確な拒絶を含んだ言葉をシエルは発した。
リンドウが、元第一部隊の隊長の行動による奇跡のような確立で人としての思考を失わずにいると言う話をブラッドはすでに聞いていた。
それだけしか知らないナナは、ならば万が一隊長が荒神化していても連れ戻すつもりでここにきていた。
現場に立ち会ったという人間だけでなく、今極東には本人がいるのだから。
だが、シエルはリンドウが完全に荒神化する前にシオと言う荒神の少女が係わっていたと言う情報をリークさせた情報から知っていた。
それは、完全に人としての意思を失ってしまっていた彼には施せない方法だ。
奇跡のような存在による奇跡のような行動がない以上、万が一の可能性も無いことは数多のゴッドイーターの末路が証明している。
ゆえに、シエルはその訴えに一切動じた様子を見せない。
そもそも、
「それに……あんなところへ戻ってしまったら、また、あなたたちに隊長が奪われてしまうじゃないですか」
「っ!」
再び、刃を回転しハンマーが滑り落ちるようにして大地に食い込む。
同じ手を、毒づきながらハンマーを振り上げようとするナナだったが、同じ手を使った本人が、そこに勝機を見出していないわけが無かった。
先ほどの一撃など比べ物にならないような勢いで翻った刃が、荒神を切るより躊躇うことなくナナの左腕を切り飛ばした。
「あっ――がっ、あぁぁぁぁぁぁあぁあぁああぁああぁあぁあーーー!!」
支えを失ったハンマーが腕から離れ、瓦解した教会跡へと消えていく。
もう、身を守るものは何も無い。
切断面を抑えながらのたうつナナへ、再三翻った刃が迫る。
が、それがナナを断頭することは無かった。
限界以上まで拡張された血の力が、自身に迫るバレットの存在をシエルに伝えたのだ。
回避――と、同時に神器の形態を変化、長距離狙撃に特化したアサルト銃身を後方に跳躍しながらも正確に固定。
連続して発砲された狙撃弾が、回避を追撃してきたバレッドを破壊した。
「やめてくれ……もうやめてくれ、シエル……」
再び彼を背にする形で向き合ったシエルを、整った顔立ちを涙で濡らしながらギルバートが睨みつける。
濃紺の槍が震えながらも、無表情のシエルを指す。
人間に神器を向ける日がまた来るなどと、思いたくも無かった現実がよりいっそギルバートの思考を侵していく。
すべてを奪っていった神を下すために手に入れたこの力を、なぜ仲間へと向ける日が来なければならないのか。
紅いカリギュラを倒した日から、彼を支えていこうと、もう誰もこんな目にあわせないためにと、精一杯やってきたつもりだった。
なのに、ロミオを失い、ジュリウスを救えず、彼を死なせ、シエルを狂わせてしまった。
もう、嫌だった。
努力すれば努力しただけ、何かが自分のすべてを否定しているような気さえするそんな日々が。
なぜ、この世界はこんなに残酷なのだろうか。
「やめるのはあなたたちのほうです。私は、隊長さえいれば幸せなんですから」
「そいつはもう、隊長じゃない……」
「隊長は隊長です。私の、もう、誰にも邪魔されず、誰にも奪われない、私だけの隊長です」
ああ、だめだ。
もう、何もできない。
誰も、救えない。
人を殺すことすら躊躇わなくなってしまった彼女を救う方法など、ギルバートはわからなかった。
やめよう。
もう、すべてあきらめてしまえば楽になれるだろう。
「無理だな、俺たちが本部にお前の行動と隊長の状態を知らせる」
「では、あなたたちを殺します」
それでいい。
「俺たちが死んだら、もう支部には戻れないぞ。P66偏食因子の投与も受けられない」
「では、支部の人間を殺します」
好きにすればいい。
「お前みたいになっちまったゴッドイーターを殺す専門の部隊が束になって襲ってくるぞ?」
「全員、殺します」
「無理だ」
「できます、隊長のためなら。私はなんでも」
ここまで、隊長を想っているならば、いいじゃないか。ギルバートは、神器をつかむ手の力をゆっくりと抜いた。
ギルバートの絶望など、今のシエルにはわからないのだろう。
明確な隙を前に、神器をブレードモードに切り替えたシエルは大地を蹴り、二人の首を刎ねようと――
「……あ」
気の抜けた声が、響いた。
「え……?」
もうすべてをあきらめ視界を絶っていたギルバートが思わず目を開けたその先に映っていたのは、彼に捕食されるシエルの姿だった。
神器のプレデターフォームを移植したような彼の右腕が、シエルの細い右腕のひじから下を丸ごと噛み千切っている。
血管が、骨が、筋繊維がむき出しになった右腕から、ぼたぼたと血が流れ落ちる。
悲鳴は、聞こえなかった。
己の右腕を捕食する彼を、シエルは静かに見つめている。
「し、シエルちゃん!」
ゴッドイーターの治癒能力によって血が止まり始め、思考ができるようになってきたナナが思わずといったように叫ぶ。
隊長が人間に戻れる可能性を潰したとか、自分の腕を切り落としとか、そんなことは些細なことだった。
家族のように笑いあい、苦楽を共にしてきた仲間が死のうとしている。
救えないとわかっていても、死んでほしくないと、目の前の事実を否定するように声を荒げる。
「シエル! 神器を!」
それは、ギルバートも同じだった。
もしかしたら、何もできない自分への言い訳なのかもしれない。
今更神器を手放したところで、彼女を侵蝕しているオラクル細胞が止まることは無い。
しかし、必死な二人とは裏腹に、シエルはどこもでも静かに彼を見つめていた。
「ふふ、君は不器用ですね」
優しげな声に、しかしギルバートとナナは殺気より薄ら寒い何かを感じ、駆け出そうとしていた足を止めた。
彼女は、食いちぎられた右腕と神器を持ったままの左腕で、ゆっくりと彼を抱擁した。
「君は優しいですから、私がみんなを殺そうとするのをとめてくれたんですね」
内容とは裏腹に、殺そうとしたことへの懺悔は一切感じられなかった。
ただ、彼が自分のために行動してたという事実のみに歓喜している。
「あなたといる時間は、とても長くて、でもとっても短くて」
自分に迫る死に気づかないように、云う。
否。
自分に迫る死がどうでもいいというように、云う。
「本当に、君は不思議な人です」
彼女の満面の笑みが映る瞳は、やはりピクリとも動かない。
それでも、シエルはどこまでも幸せそうな笑みを彼へと向けて。
「私のことを友達にしてくれたあの日から、私はそんなあなたのことが……えっと」
熱の無い彼の体に自分の体を押し当てながら、シエルはその先に続く言葉に詰まってしまった。
すいません、と笑いながらキスを落す。
そういえば、自分の感情について考えたことがありませんでした、と。
ああ、そうだ、と。
霞む意識の中で、シエルは最後に思い出した言葉を彼へとささやいた。
「愛しています」
神器が、彼とシエルを貫いた。
逆手に構えた神器で、シエルが自分ごと彼を串刺しにしたのだ。
死んでしまえば、彼と離れ離れになってしまう。
ならば、彼も一緒に死んでしまえばいい。
優しい彼ならば、自分のために死ぬことに何も躊躇わないだろう。
だから一緒に。
伝えたかった想いを何とか近い言葉でしか伝えられなかったのは残念だけれど。
また、あっちで会えばいい。
ずっと、永遠に一緒ですよ……隊長。
ギルバート・マクレインが次に自分の居場所を認識したのは、極東支部医療室のベットの上だった。
何も話さず、何も云わない自分に誰かが話していたのを聞いていた限りギルバートとナナをあの場から移動させたのは合流したクレイドルのメンバーだったそうだ。
隊長とシエルの遺体は無く、彼らの神器の反応を示すオラクル細胞の塊のみが残っていたらしい。
そこまで話して、まともに何を聞ける状態でもないと判断されたのかいつの間にか自室へと付いていた。
酒が置かれていた。
誰が置いてくれたものかは考えるまでも無かった。
それを眺めながら、真っ暗な自室でギルバートは静かに呟いた。
「……ああ、疲れた」
香月ナナは、神器を片手に外に来ていた。
無断で出てきてしまったが、別にどうでもなるだろう。
随分と久々の外の空気。息の詰まる支部内と違って、やっぱり外は空気がおいしかった。
なぜかある日から支部内の自由行動が禁止され、ギルバートとも、シエルとも会っていないし、おでんパンも食べていない。
理由を聞こうにも、誰も見かけないので聞きようが無かった。
さらに、出撃禁止の命令まで出されていた。
でも、知ったことではなかった。本人の意思が無ければ、出撃に関する命令は不可能なのだから。
最近の記憶がひどくあいまいだったが、それだけは覚えていた。
それが、今回邪魔する人間を殴り飛ばしてまで出てきた理由でもあるのだから。
「さ、今日も荒神を倒して隊長を探さなきゃね!」
極東支部が壊滅した。
フェンリルという組織が衰退し、しぶとく地球に居座っていた人類が少なくなっていったのはそんな情報があった日からだった。
既存のゴッドイーターたちの力では敵わない感応種に対抗できる唯一の部隊、血の力を持つブラッド。
元隊長、元服隊長シエル・アランソンの事実上の死亡。
隊長であったギルバート・マクレインの自殺。
最後の部隊員であった香月ナナの無断出撃による戦死。
唯一無二の戦力を失った極東支部が壊滅するのには、そう長くなかった。
元隊長の能力≪喚起≫によって感応種に対抗できるゴッドイーターは少数ながらいたが、激戦区たる極東では”動けるだけ”のルーキーでは戦力は無いにも近かった。
神器の操作自体が無効化される感応種との戦闘では、通常の支部なら一騎当千の戦力を持つ極東のゴッドイーターたちも無力な一般人のように蹂躙されてしまった。
感応種への抵抗能力と、類まれなる経験と戦力をもつゴッドイーターも、尽きない荒神の猛攻に、一人、また一人と散っていった。
神器兵も、ブラッドのP66偏食因子の解析も、時間と資源が間に合わなかった。
最前線にして最強の支部の壊滅。
それからはなし崩し的にありとあらゆる支部が抵抗することもできず、蹂躙されていった。
荒神に対する抵抗手段を失った現在、何とか生きながらえている人類もそう遠くない未来に潰えるだろう。
二度、終末捕食を退けた人類。
しかし、結局ところ人間が神に逆らうなど、無謀なことだったのだ。
残った人類にできることは、ただあがくことだけだった。
くそったれ、と。膨大な神の死体上に座り込む銀髪の男性が背後の青年へと毒を吐いた。
青年は血まみれの顔で銀髪の男性へと言葉を返す。
生きることから逃げるなって命令しただろ、と。
ッハ、と銀髪の男性は青年を小突いた。
膨大な神たちが、彼らを囲んでいた。彼らが、多くの犠牲を払って倒した神よりもずっと多くの神が。
「やってやるさ、どうせこの世界は最後までくそったれな世界だ」
どれだけの時間が流れただろうか。
ひどく静かになってしまったこの星の姿を”樹”はいつまでも見つめていた。
神も、人も、もうどれだけ見ていないだろうか。
見た目だけならば、随分美しくなったように感じる。
だが、それは絵に描いた世界を眺めているような、ひどく虚無な美しさだった。
結局、なんだったのだろうか。
目的も何も無く、蹂躙し、喰らい尽くした先。
なにもない、そんなこの姿が、望みだったのだろうか。
ただ、これが朽ちていく姿を眺めることしかすることが無いのだろうか。
果たして、そんな樹の前に何かが現れた。
一瞬神かと思って、次に人かと思って、最後には随分と懐かしい存在であることを思い出した。
引きちぎられたような右腕と、銀色の混ざった黒い長髪。
全身ズタボロの何かが、赤と蒼のオッドアイで、樹を見つめていた。
『久しぶりだな』
…………。
『……そうか、辛かったな』
…………。
『いや、お前はがんばったよ。ただ、運が悪かっただけだ』
…………。
『……いいのか?』
…………。
『そうだな、きれいなだけなこの世界を見つめているのも悪くなかったが』
…………。
『あやまるな、お前は、よくやったよ』
樹が、その神でも人でもない存在とひどく短い会話を終えた瞬間。
かつて、螺旋の樹と呼ばれたそれがその造形を失った。
絡み合い、樹のようになっていた最後の神が世界に放たれていく。
白と黒の蛇。
長く樹の中で戦っていた存在が、先に行く、と彼に云った。
最後の神によって包まれていく星を見つめながら、彼は呟いた。
「今度は、みんなを幸せにしてみせるよ」
蛇が彼を喰らう。
――世界は、再構築された。
フェンリル極東支部、ロビー。
普段は日々死闘を繰り広げるゴッドイーター達の休息場所として笑い声などが絶えないそこに、ただならぬ怒声が響き渡った。
声を荒げたのは、極東支部第一部隊隊長の藤木コウタだった。
その両腕は同じゴッドイーターの特殊部隊ブラッド隊香月ナナを羽交い締めにしていて、彼女の足元には同じくブラッド隊ギルバート・マクレインが倒れこんでいる。
コウタと行動を共にしていたらしいエリナ、エミールは混乱したように視線を泳がせていて、それが異様な事態であることはすぐにわかった。
赤く染まったギルバートの頬。
固く握りしめられているナナの拳。
信じられないことに、いつも笑顔を絶やさないほがらかな性格のナナがギルバートを殴り飛ばしたらしい。
「どうして……どうしてそんなひどいこと言うの!? いつものギルらしくないよ!!」
大きな瞳は涙に揺れ、まだまだ幼さを残す顔は怒りで真っ赤になっている。
普段からブーストハンマーを扱う彼女の力はゴッドイーターのなかでも群を抜いて強く、今にもコウタを振り切って殴りかからんばかりの剣幕だ。
対し、殴られたギルバートは静かに目を伏せ、感情を押し殺したような掠れた声でそれに答える。
「事実を言ったまでだ。隊長がいなくなってもう2ヵ月……目撃情報も妙な荒神も確認されてない、だったらもう隊長は……っ!?」
小さな拳が、しかし鉛のような重さでギルバートを再び殴り飛ばした。
血走った瞳は、まるで荒神のようで。
溜まったストレスと怒りの矛先が、混乱の果てに家族同然の仲間へと向けられていた。
ブラッド隊隊長が行方不明。
それは、ここ極東支部だけでなくフェンリルという組織事態に大きな波紋をよんだ事件だった。
その日、彼はまだゴッドイーターになって日の浅い初心者の付き添いを請け負っていらしい。
ブラッド隊のみが有する血の力、特に外部へ強い影響を与える彼の≪喚起≫の能力は多くのゴッドイーター達に大きな力を与えるものだった。
第一、第二世代の隔てなくブラッドアーツを使用することができるようになり、感応種とも短時間なら戦闘を行うことができるようになる。
すなわち、それまで拠点から離れた場所まで誘導し、スタングレネード等のトラップを用いて戦闘を回避するしかなかった感応種に対する抵抗手段をほぼノーリスク、ノーコストで手にできるのだ。
そしてその力はP53偏食因子が体に定着してから間もないゴッドイーターほど早く、確実に発現する。
ゆえに彼は普段の感応種との死闘にくわえ、初心者の付き添いという感応種を相手する以上に精神がすり減る任務をあり得ない頻度でこなしていた。
隊長という地位にある彼ならば休みを貰うことはそれほど難しいはずはないのだが、元来お人好しな彼は自分の力が役立つならと頑なに休みを取らなかった。
そのお陰もあってか、近頃は感応種との遭遇で貴重な新人ゴッドイーターが命を落とす事故もへり、逆に彼への任務頻度は増えていった。
もちろん、彼の所属するブラッド隊メンバー(特にシエルなどを筆頭に)をはじめ、
初期から彼らと交流があり先の地球存亡をかけた戦いにともに挑んだ極東支部のゴッドイーターや葦原ユノなど、
そんな激務をこなし続ける彼や依頼している極東支部へ不満を持つ人間はいた。
しかし、その任務自体は極東支部ではなくフェンリル本務の意向であったため、
なにより本人が拒否を望まないため彼ら彼女らは出来る限りのサポートすることしかできなかった。
激化する戦況ゆえ、歴戦の仲間たちは他の任務に負われ、彼はますます多くの新人たちと多くの戦場に駆り出された。
そんな矢先に、考え得るかぎり最悪の事態が起こったのだ。
偶然だった。
偶然、その日に限って皆が忙しかった。
偶然、その日に限って彼は具合が悪いようだった。
偶然、その日に限って強力な感応種が彼の戦闘区域に侵入した。
最悪な偶然の重なりが、ブラッド隊隊長の行方不明という最悪な結果を生んだ。
必死の捜索の結果見つかったのは、"腕が付いたままの"破損したブラッド特有の黒い腕輪と神器の破片のみだった。
死体や神器本体は発見されていないが、腕輪を失ったゴッドイーターの末路など言うまでもなく……。
実力もあり、人望も厚かった彼の事実上の死亡通達はブラッド部隊の指揮を一気に下落させ極東全体にも影響を与えていた。
ゴッドイーターとはいえ、人である。
このナナとギルバートの間で起こったようなやり取りはこれが初めてではなかった。
ストレスは対人関係を悪化させ、対人関係の悪化はチームワークの悪化に繋がる。
今月にはいってまだ二週も経っていないにもかかわらず、すでに3人ものゴッドイーターが命を落としていた。
そのなかには、経験を積んだ有能なゴッドイーターもまざっていて、死と隣り合わせの世界とはいえここ極東では異例の事態だ。
死が、連鎖する。
不幸が、ゴッドイーター達を包む。
最強と謳われた極東に終わりが近づくような嫌な予感。
ブラッド創設者を失ったいま、感応種に対抗できるのは一部の≪喚起≫のお陰で多少動けるゴッドイーターと、わずか3人になってしまったブラッド部隊のみ。
日進月歩進化する荒神と、停滞しつつあるゴッドイーターたちを含めた人類の技術。
クレイドルのソーマ博士が研究するレトロオラクル細胞も、現状感応種をも凌駕するキュウビとさらにそれを上回るマガツキュウビのみしか確認されておらず。
そもそもソーマ博士自身も数少ない感応種に対抗できるのはゴッドイーターとあって研究の時間が取れないことが多い。
ブラッド部隊に使われている技術の解析も行われているが、それも荒神の凶暴化にともなう資材不足や人材不足によりなかなか進んでいない。
死と隣り合わせ、それが嘘のように安定した戦果をあげていた極東の衰退は、フェンリルという組織すべてに大きな打撃を与えたのだ。
二度の終末補喰を退け未だ息長らえる人類に、世界はどこまでも冷酷だった。
「……邪魔です」
もたれ掛かるようにしてようやく体制を整えたギルバートに、酷く冷たい声がかかった。
シエル・アランソン、生き残ったブラッド部隊の一人でありながら、今もっともブラッド部隊から遠くなってしまった少女である。
可憐な容姿はそのままに、彼女を包む雰囲気はまるで豹変してしまった。
人付き合いが苦手で、戦闘以外のすべてにたいし不器用で、それでも当時服隊長であった彼と友達になってからは明るくなった彼女はもういない。
誰よりも早く、誰よりも長く彼の捜索にあたり、無謀で無茶な戦闘で右眼球を失い隻眼となった彼女が纏うのは、どこまでも冷えきった威圧感だった。
四ヶ月たった今でも、彼女は未だ彼の捜索を続けていた。
ただし、ブラッド部隊として感応種などの危険な荒神が大量に現れる現状捜索だけに集中されることは許されない。
ゆえに、彼女は感応種を討伐ののち戦闘行動が認められている制限時間いっぱいまで捜索を行っているのだ
感応種との戦闘はブラッド部隊とはいえけして消耗の少ない戦闘とはいえず、しかも同行者に捜索を邪魔されて以来彼女は単独での出撃を繰り返していた。
白い肌には痛々しい傷が刻まれ、完治していないのか血の滲んだ包帯を至るところにまとっている。
その影響か、この頃は荒神のコアの摘出に失敗し破壊してしまうことも多く、正確無比だった戦闘スタイルは失われてしまったとされている。
当然ドクターストップを受けているが、本部の意向もあり本人の申し出以外では出撃にストップをかけられない。
果たして。
一秒でも長く、一秒でも多く外へと。
身なりすら満足に整えず出撃を繰り返す彼女に声をかける者など、すでに一人しかいないのだが。
「シエル……、お前そんな状態でまた出撃する気か……?」
「私の状態など関係ありません」
心配を露にするギルバートに、初対面の頃と比べても数段機械的な返事が返ってくる。
視線は、合わない。
ギルバートが道を開けないと判断したのか、シエルはその横を通りすぎようとする。
治療を受ける時間すらもったいないと思っているのか、応急処置のみ行い後はゴッドイーターの回復の力に任せただけの荒い治癒痕。
わずかに引きずられる足、戦闘前からただよう濃い血のにおい、そして……深く歪な狂気。
気づけば、ギルバートはシエルの肩をつかんでいた。
「なにをするのですか?」
無感情に。
歩みを止められたことへの怒りすらなく。
ただただ冷たい声が、問う。
木に服が引っかかった、その程度の不快感すら感じていない。
彼女の目に映るのは、ともに戦い笑いあった仲間ではなく、雑草以下の障害物だった。
それに、ギルバートは泣きそうになる。
崩壊していく、暖かな場所。
仲間が消えていくストレスから全く笑わなくなったナナ。
無謀な捜索を続け、周りを拒絶するようになってしまったシエル。
そんな二人に比べれば、周りの人間はギルバートはいくらか落ちつている方だと見ていた。
だが、最年長とはいえ、引きずり続けていた過去を聞き入れ、受け入れてくれた彼に起きた事態に動揺しないはずがなかった。
また守れなかったと、幾度壁を殴り付けただろう。
なぜ駆けつけなかったと、幾度自らを責めただろう。
どうして無理矢理にでも止めなかったと、幾度後悔しただろう。
そんな負の感情と、壊れていく仲間と、際限なく凶悪になっていく荒神。
自分はいつ壊れるのだろう、そんな思考が浮かぶたびギルバートは発狂しそうなほどの恐怖に襲われていた。
「そうやって無茶な出撃をして、その目を無くしたのを忘れたのか……」
「目を失ったからなんだというのですか? 私には<血の力>があります。視力を失っても問題ありません」
四肢を失うことなどささいなことだと言わんばかりに、淡々とシエルは云う。
病的なまでに戦闘を繰り返し、数多くの感応種との戦闘を繰り返した結果。
シエルの血の力はいつしか次の段階へと強化され、荒神……つまりオラクル細胞の状態・状況の判別だけでなく、その属性や位置を目視することなく感知することが可能になっていた。
心眼、とでも言うのだろうか。
悔やまれるのはその情報の複雑さゆえ、以前のように極東の機材を介した情報共有が不可能であることだったが。
文字通り、今や彼女はこと戦闘において視力というものを除外したところでまったく問題が無いのだ。
「用件は以上ですか? では、失礼します」
力なく、しかし圧倒的意思をもって、シエルはギルバートの手を振り払った。
障害を排除した彼女は機械的に、業務的に、そちらが本来の居場所であると言うように出撃ゲートへと消えていく。
なにも言えず、なにもできなかった。
振りほどかれ握りしめていた手に湿り気を感じ、見れば、そこには血が握られていた。
シエルの傷が開いたものかと思って、すぐ、自分の掌が切れていることに気がつく。
(はは……)
自傷することしかできないのか。
自分を痛め付けて逃げることしかできないのか。
事実上、現在の隊長権限を得ているギルバートだが、ブラッド部隊の内部崩壊を前になにもできないでいた。
(あいつは、やさぐれていた俺でも、常識知らずのシエルでも難なく打ち解けてったってのに……)
俺は、壊れていく仲間を前に逃げることしかできないのか……!
拳を壁に叩きつける。
周りにいた人間が驚いて後ずさるの気配を感じる。
みっともない。
また自傷行為で逃げるのか。
けれど、そうでもしなければこの現実に押し潰されてしまいそうだった。
隊長はもういない、これだけに期間なんの音沙汰がない以上荒神化する暇もなく喰われたのだろう。
それが、本格的な捜索の打ちきりを発表した本部とギルバートがナナに言った見解だった。
喚起、ブラッド部隊以外にも感応種と戦える力を授けるという奇跡の力を持つ彼の存在の大きさゆえに捜索自体の打ちきりはまだないが、それも時間の問題だろう。
ここ、極東には腕輪を失い長期間半ば荒神化しながらも未だ人としての自我を保ちゴッドイーターとして活躍する異例の存在、リンドウという男が所属している。
だが、異例は異例。
信じられないほどの偶然と奇跡の産物でしかない。
現在に至るまで何千何万というゴッドイーターが死に、その内腕輪を失い荒神化してしまった例は少なくないにも関わらず、未だ第二のリンドウのような存在は現れない。
そんな奇跡を信じて探し続ける余裕は、今のフェンリルという組織にはなかった。
「私も、行ってくる」
ふらふらした、激情のままにギルバートを殴り付けたさっきとはうってかわり、まるで自殺でもしにいくのではないかという雰囲気のナナが神器保管庫の方へと歩いていく。
どこに、というまでもなく隊長の捜索にだろう。
もちろん、感応種討伐任務は彼女にも課せられているためシエルのように戦闘後にである。
「ま……まて、ナナ。そんな状態じゃお前もシエルみたいに大怪我するかもしれねぇ、俺も……」
「私だけでいいよ。隊長が死んだなんて言うギルなんか、嫌いだから」
殺気ともいえる冷たい視線。
隊長の死を肯定するようなやつは仲間じゃない、そんな言葉が聞こえてきそうだった。
ナナとギルバートは危ういながらもなんとか今日まではブラッド部隊として二人で任務をこなすことがあった。
それはまだ、二人の間にはわずかながら信頼関係が残っていたということだった。
それが今、がらがらと音を立てて崩れていこうとしている。
人懐っこく他人に対して敵意と言うものを持つ姿を想像できなかった彼女が、今や近づくすべての人間に敵意に近い不信感を持っている。
悲しみにくれたロミオとの死別。
苦渋の決断をもって涙のうちに決意したジュリウスとの別れ。
幼い少女たちに、度重なる別れは深い傷を刻んでいたのだ。
病的なまでに捜索を続けるシエルとナナを見ていて、本人たち以上にギルバート自身が耐え切れなくなってしまったがために言ってしまった隊長の死。
信じいている。
信じいていた。
彼が戻ってきたとき、変わらないブラッド部隊でいようと誓った。
でも、どうもその誓いを守ることはできないらしい。
エレベーターへと歩を進めるナナの後ろ姿。
たぶん、その姿を見送ってしまったが最後、ブラッド部隊は二度と言葉を交わさないだろう。
もう、《ブラッド部隊》ではいられないだろう。
エレベーターの到着を告げる音。
わかっていても、ギルバートはうつむいたまま、小さく嗚咽を残すナナへ手を伸ばすことはできず、そして……
「ちょっといいかな?」
「うわっ!?」
ずいっと、到着したエレベーターから現在極東支部長を務めるサカキの顔がとびだし、さすがのナナもすっとんきょうな声をあげた。
シンと沈みきった空気のなかにあってもケタケタとマイペースな様子は相変わらずだったが、隊長の件で本部と何度も何度もやり取りを繰り返したのだろう、その顔はいささかやつれて見える。
サカキは 、ぐるりとロビーを見渡して大体の状況を察したのだろう、脱力したようにため息をついた。
「困るなぁ、現状もっとも頑張ってもらわないとならない君たちブラッドがそんな様子では」
「……。大丈夫、ですよー。ちゃんと、与えられた任務はこなしますから」
「とても、大丈夫には見えないけどね」
生気の感じられないナナの返答に、サカキは首を横にふった。
「そんな君たちに朗報だ、彼の神器の反応が見つかったよ」
「隊長の神器が!?」
サカキの一言で、ロビーの雰囲気が一気に変わっていった。
たかが神器だが、捜索に進展があったというだけでも今の極東にはこれ以上ない吉報なのだ。
どこに、と先を急かすナナとギルバート。
しかし、サカキが次に発したのは耳を塞ぎたくなるような内容だった。
荒廃した大地に舞う影が二つ。
ひとつは、人の形をした荒神シユウ感応種<イェン・ツィー>であり、周囲にはその能力によって顕現した<チョウワン>達が群がっている。
その他にも小型の荒神<オウガテオル>や<ザイゴート>もどこか統率された動きで<イェン・ツィー>に追従している。
もうひとつは、荒神を喰らう人類の希望ゴッドイーターの頂点に位置するブラッド部隊シエル・アランソンだった。
巨大な体とオラクル細胞によって生み出す刃、滑空による突進攻撃、さらには感応能力により統率した小型の荒神を従え<イェン・ツィー>はシエルを喰らおうと襲いかかっているが、戦況はシエルが優位にたっているようだった。
満身創痍の体をなんら苦にするでもなく、小型の荒神を的確に避け、<イェン・ツィー>の命を確実に削っている。
そこには、複数人で行動していた際に報告されていた危なげな戦闘風景は見られず、正確無比な動きは未だ<イェン・ツィー>に指一本触れさせることも許していない。
ほどなく、戦闘は終了する。
やはり危なげなく全ての荒神からコアを回収し、息をつくシエル。
戦闘を終えれば本来ヘリを呼び極東へ帰還するのが当たり前だが、当然彼女が無線機に手を伸ばすことはない。
あの場所に帰る意味など、彼女にはないのだから。
本来の目的はあくまで隊長の捜索、のはずなのだが……。
「ふふ……」
虚ろに、しかし何かを愛しく想うような笑みを浮かべシエルは確固たる目的を持った足取りでどこかへと歩を進めていく。
いましがた殲滅しつくしただけあり、風の音しかない静かな大地を進むこと十分弱。
シエルは、教会の前に立っていた。
教会、と表現したものの、荒神が闊歩する前は神々しささえ覚えたであろう装飾や色鮮やかな硝子はとうに廃れ、半ば崩壊したそれはどこにでもある廃墟と大差はない。
そんな場所になんの用があるのか。
デートの待ち合わせに遅れてきたような、焦りとも興奮ともつかない表情で息を整えていたシエルはゆっくりとその廃墟に手を伸ばした。
無造作に積まれていたはずの瓦礫は、彼女が手をそえたとたんまるで扉のようにスッとその場から移動する。
そこに現れたのは、空洞。
ちょうど小柄なシエルが身を屈めてやっと通れるような狭い通路だった。
狭い瓦礫の隙間、今にも押し潰されてしまいそうな狭いそこにシエルはなんら臆することもなく身を滑り込ませ、神器を器用に使って開けた瓦礫をもとに戻す。
十メートル程度進むと、そこにはちょっとした空間ができていた。
破損こそしていたが、そこには教徒達が神へと捧ぐ歌を、祈りを紡ぐために頭垂れていたであろう祭壇とシンボルが健在していた。
所々割れてしまっているステンドグラスへ注ぐ光に彩られたそれらには、今世界を食っている神達の肖像画が救世主のごとく描かれている。
尖った瓦礫とガラスが散乱する床を地面を進み、祭壇の前でシエルは腰をおろした。
そして、眼前の≪それ≫へと、にっこり笑いながら、
「ただいま戻りました……隊長」
そう、呼び掛けた。
「…………」
筋のような日光が照らす祭壇に背を預けて。
彼は、そこにいた。
死んでいるのかと思うほど静かに、目を閉じている。
何年も切らなかったように無造作にのびた黒髪、男というにはいささか白い肌。
脱力した体を支えるためか、胴体と生前の原型をのこす左腕は鎖によって拘束されている。
そして、何より目を引くのは人の身にはありえない異形の右腕。
異形。
まるで、肖像画の神達の肉体を移植したような。
否。
まるで、神達を喰らうための巨大な≪顎≫を移植したような。
それでも、やつれているが顔立ちは間違いなくブラッド部隊隊長だった。
神に喰われた果ての姿にしては、肉体に損傷は無く些か生前の造形を保ちすぎている。
しかし、生きた人間に見えるかと問われれば、否である。
ゆえに。
はたからみれば、生気を感じない彼の様子からシエルが死体に向かって話しかけているようにも見えたが、
「…………」
「お目覚めですか、隊長」
ゆっくりと、彼はその眼をひらいた。
髪同様黒かったはずのその目は、しかし、瞳孔が縦に、瞳が赤く。
やはり人の身にはありえないものだった。
不自然な赤さだった。宝石のように鮮明な赤の瞳は、鈍く光っている。
意識は、ないようで。
三割ほど開かれたその瞳にほほを染めたシエルが写っているにも関わらず、彼は微睡みのなかから出てこようとはしない。
異形の右腕もゆっくりと動くが、力なく地面に伏すばかりで顎はシエルや周囲の物質に牙を向けることはなかった。
彼の形をした人形のようだった。
人間らしさ、というものが根こそぎ欠落している。
それでも彼女には、四肢に傷を負ったシエルには満面の笑みで迎えてくれたように見えたのだろうか。
はい、と。
数時間前アナグラで絶望に打ちのめされていたギルバートが見たら別の意味で発狂しかねない、無邪気な子供同然の笑みで彼に抱きついた。
当然彼が抱き返してくることはなかったが、その分シエルがこれでもかと彼を抱擁している。
マーキング、とでも言うべきだろうか。
豊満な胸を押し付け。
華奢な手足を絡ませ。
そうしなければ命がつきてしまうといわんばかりに、シエルはその身を彼へと押し付け、巻き付け、堪能する。
この人は私だけのものだと、誰にでもなく宣言するように。
笑顔の裏の狂気が、語る。
そして、抱擁は次第に妖艶から淫乱なものへと変化していった。
未だ微睡みから覚めない彼の、好意的に解釈すれば眠そうなその顔に、いつしかシエルは口づけを始めていた。
額に、瞼に、鼻に、頬に。
そして、唇に。
焦らすようなキス。
もちろん、彼はなにも言わず、求めない。
が、確かにそれはほかならぬ、シエル本人にたいして効果のあるものだったようだ。
「はぁ……はぁ……」
キスを重ねれば重ねるほど、シエルの頬は赤く染まっていき呼吸は速くなっていった。
全身に及んでいた口付けはいつの間にか彼の口にのみ集中し、だらしなく垂れるシエルの唾液が彼の顔面を濡らしていく。
半開きのまま抵抗をしない口内にはシエルの舌が入り込み、まるで高級な飴でもなめるように彼の歯を、舌を味わっている。
なまじ彼が何の反応もしめさないがゆえに、彼女の欲求が第三者によって中断されることはなく……。
しかし。
トロンと、極上の快楽を身に受けているように無我夢中でキスを繰り返し、さらにその先を求めようとした彼女を止めたのは突然の激痛だった。
討滅したとはいえ一瞬の油断が致死につながる外にいながら意識をほとんどキスに向けていた彼女だったが、さすがに驚きキスを中断する。
スッと、シエルの口から一筋。
真っ赤な血が大地へと流れ落ち、消えていく。
その量は唇をちょっと切った、では済まされないほど多い。
悲鳴を上げるでもなく、もごもごと口の中で何かを確認して、ベッとシエルは舌を出しす。
「……ふふ、そうでした。すいません、今回はちょっと会えない期間が長かったので君の"食事"を後回しにしてしまいました」
"一部が噛み切られた舌"で愛らしく、痛みをまったく感じさせない笑みを浮かべながらシエルは彼えと謝罪した。
そのまま名残惜しそうに立ち上がると、彼女はまるで出血を無視して止血するでもなく神器に手を伸ばす。
水色と黒で彩られた神器が振動し、捕食形体となった神器がシエルの腕を覆うように展開される。
華奢な腕に落されたのは、先ほど討伐した荒神のコアだった。
本来、コアは安全のため本部に帰還するまでは神器の内部に保管し、帰還後専用の容器に厳重に保管される。
いかに荒神とはいえコアのみではその捕食能力は著しく低下し、ゴッドイーターの身であれば早々に捕食されることはない。
しかし、そんな危険を犯してまで途中で取り出すなどといった愚行を行うゴッドイーターはまずいない。
しかし、彼女は容易く、その危険を冒す。
赤く脈打つコア。
それに、初めて≪それ≫が反応した。
拡張された人間の認識機能がギリギリ反応できるか、といった勢いで動いたそれに、シエルは完璧に反応した。
「……っ。……そんなに急がなくても、ちゃんとさしあげますよ。そんなに、お腹が空いていたのですか? ふふ、君はいつからナナになったのですか」
彼女は、完璧に反応した。
彼女にとって、完璧に反応した。
異形の顎がその喉元に伸びているにもかかわらず、彼女は笑顔を崩さない。
異形の牙がその細腕を貫いていようと、彼女は笑顔を絶やさない。
バキリと、十全に展開したはずの盾が砕ける。メキメキと、牙を受け止めた刃がきしむ。神器の悲鳴は、しかしシエルには届かない。
「…………」
「ふふ、仕方ないですね。来れなかった分いつもより多めに持ってきたのでゆっくり食べてくださいね」
大人が子供にボールを投げるようにゆっくり投げ渡されたコアを、異形はまた、信じられないような速度で反応し、捕食する。
生々しく、形容しがたい音と光景で食事を開始した彼を、シエルはやはり、笑顔で見つめる。
つまりは、そういうことだった。
シエルは、荒神と化した彼を本部に報告することもなく、討伐することもなく、自分の拠り所としてこの教会に拘束、監禁していた。
コアを壊してしまったという報告も、頑なに単独でもミッションに向かうのも、すべて彼を生かすため、彼に会うためだった。
シエルが彼を発見したのは偶然だった。
まだ、本部が全力でブラッド部隊隊長の捜索をしていたころ、当時は珍しかった単独出撃の際に、見つけたのだ。
異形の姿、自身の身の内に封じていた荒神に侵しつくされ、もはや人ではなくなってしまった彼を。
あたりに散乱していた大型荒神の亡骸は、未だ手付かずで、荒神と化した彼は捕食する寸前であると同時に疲弊していたのだろう。
異形と化した彼の姿に、頭のどこかで何かが壊れてしまったシエルは、逃走を計った彼を必死に叩き伏せ、再び彼が自分の前から消えることを許さなかった。
そして、壊れていながらも彼女はこのまま彼を本部へと連れて行けばどうなるか、自分の始めての友達がどうなってしまうかを理解し、それを避ける方法を模索した。
他の誰かに殺されてしまうくらいならば、いっそのこと自分の手で……そんな思考も浮かんだ。
だが、初めてできた友達を、初めて好意を抱いた彼を殺すなど、そんなことは考えただけで発狂してしまう。
一瞬でもそんなことを考えてしまった自分がどんな汚物よりも汚く思え、なんども吐いた。
彼が目の前から消えたあの日。
生きながらに自分の半分が死んで無くなってしまったかのような絶対的な喪失感を、残りの人生で背負い続けるなど、シエルには不可能だった。
ただ、無機質で機械的に命令をこなす事がこの世のすべてだと、自分は一生こうして生きていくのだと思っていた。
そんな灰色の世界を変えてくれた彼はシエルにとって、もはや全てといってもよかった。
彼のいない世界。
シエルにとって、それはまたあの暗くて冷たい灰色の世界に戻ることと同じで。
すべてを与えてくれた彼の死は、彼がシエルに与えたすべて……仲間も、居場所もなにもかもを置き去りにしてしまったのだ。
彼は、そして仲間たちはシエルが皆との交流の中で明るく、表情豊かになって普通の女の子になったのだと思っていた。
しかし、彼が与えたすべては、彼自身が一緒にいて初めてシエルの世界に色を付ける。
シエルは、彼という存在を通して初めて、世界が暖かなものであると認識していたのだ。
友達になってください。
たったそれだけの言葉に、どれだけの意思が詰め込まれていたのか。
いつしか、シエルは彼という存在を独占したいと思うようになっていた。
ナナ、ギルバート、ロミオ、ジュリウス。そして、極東の仲間たち。
彼ら彼女らも、もちろん大切な仲間で、大切な人々だ。
しかし、シエルにとって友人とは彼だけだった。
自分にとって、唯一の友人。
自分にとって、唯一の人間。
そんな彼が、他の誰かと一緒にいる。
仲のいい人間が増えるにつれ、たったそれだけのことが、なぜかシエルは嫌になっていった。
独占欲、とでも言うのだろうか。
初めての友人を純粋に喜んでいたはずなのに。
いつしか求めるだけでなく、求められたいと思うようになった。
自分にとって唯一であるように、相手にとっても自分が唯一であってほしいと思うようになった。
シエルは知らなかった。
その感情が、もはや友人に対して抱く好意ではなく、愛というものであることを。
故に、彼女はわけのわからない、共に任務に望み、会話をするだけでは満たされない欲求と、親しく同じように好意を持って接しているはずの仲間たちに感じる敵意のような感情に挟まれ、歪んでいった。
あるいは、彼が行方不明にならず、耐え切れなくなった彼女が誰かに相談していれば、そこには初恋に悩む愛らしい乙女の姿があったのかもしれない。
しかし、死んでしまったかもしれないという絶望と、誰よりも先に彼を見つけたという現実が、最後の一歩をシエルに踏み出させてしまった。
彼を、独占できる。
彼にとって、唯一になれる。
絶望と同時にやってきた誘惑が、シエルを壊した。
「あ、もう食べてしまったのですか? 足りませんでしたか?」
「…………」
捕食を終えた彼は、幾分か生気が戻っていて、先ほどとは違って全身が滑らかに、そして異様なまでの力強さを持って動き始めていた。
それこそ自身を拘束している“偏食因子を組み込まれた鎖”を引きちぎらんとばかりに。
「……ああ、だめですよ」
しかし、シエルがそれを許さない。
彼が暴れる中、異形の腕が自身の身を裂くのも気にせず、シエルが何かを彼へと突き立てた。
見るからに危険な色をした液体が彼の中に消えていき、また彼は生気を失いまどろみの中へと帰っていく。
それは、封神やホールドと言ったトラップ素材を構成する素材から作成された特殊で特別な、彼を留めるためだけに作られたものだった。
なぜ、そんなものがあるのか。
いくら彼女が壊れているとはいえ、もともとは機械のように冷静でありとあらゆる状況を想定した訓練をつんできた知識が消えることは無い。
荒神になってしまった彼と安全に、確実に会う方法。
もちろん、アナグラの自室になど連れて行けないだろう。
ならば外に彼とあえる場所を作るしかない。
ならば彼を逃がさないようにしなければならない。
どうやって。
ああ。
極東は激戦地だ。
荒神に関する膨大な資料、過去の事例、有効な薬品、それを作るための資材が山のようにある。
もちろん、それらは厳重に管理され盗むことは非常に困難だった。
ならば、厳重であるからこそ、そこ付けばいい。
シエルが持ちえる知識は、なにも荒神のものだけではない。
彼と会ってから嫌悪の対象でしかなかった対人戦闘知識。
友達を作る対話知識は無かった。
しかし、操り人形を作る拷問知識は在った。
ゴッドイーター、さらにその中でも数少ないブラッドであるシエルに与えられている権限は実はそこまで多くのもではない。
だが、その肩書きは通常謁見を望めない人物と会うには十分なものであった。
会ってしまえば、あとは簡単だった。
拷問し、恐怖を植え付け。洗脳し、奴隷と化す。
専門なわけでもなく、一度は二度と使うまいと忘れようとした知識なだけに、不完全な洗脳になってリークされるなどの危険もあった。
それでも、シエルは一秒でも早く彼の唯一になりたかったのだ。
たとえ、常時薬で無理やり眠らせ、常時偏食因子により強化された鎖で縛り付けてでも。
「あ、隊長。食べてすぐ眠ると体に良くないですよ。君が教えてくれたんじゃないですか」
ニコニコと。
どこまでも幸せそうなシエルは、己のしたことを都合よく忘却し、彼の状態を脚色する。
「だから、隊長……」
笑みが、次第に邪気を帯びていく。
人形に戯れる子供から、独占欲に溺れた悲しい少女へ。
「食後の運動ついでに、私にご褒美をいただけますか……?」
その小さな手が、脱力した彼の股へと伸びる。
手馴れた手つきでベルトをはずし、ジッパーを下ろし、下着を下ろす。
外気にさらされたそれを凝視し、シエルは今までよりずっと陶酔した様子で息を吐いた。
荒神は通常の生命とは違い生殖器を有さないため、それは紛れも無く彼自身のものである、とシエルは認識していた。
神と混ざってしまった彼が醜いと感じたことはないシエルだが、だからこそ純粋な彼である部分はより一層、愛おしい。
薬の影響なのか些か普段より小さいそれを、シエルは割れ物でも扱うかのように愛撫し始める。
しかし、いかに少女の柔肌と言えど潤滑剤もなくすべりの悪い手ではやりにくいらしく。
数秒撫で回した後、シエルはそれをためらい無く口へと含んだ。
どろりと流れ出た血。
止血をしていないシエルの口内では、多少収まったとはいえ未だ少なくない出血が続いていた。
普通なら叫び声をあげかねない激痛が絶え間なくシエルを襲っていたが、彼に噛み切ってもらった傷を、果たして痛がるつもりなど無かった。
むしろ唾液より多く流れ出る潤滑剤として、猥らな音を上げながら奉仕を続ける。
「けほっ、けほっ……」
数分後、己の口の中には納まらなくなったそれを無理やり喉まで突っ込み奉仕し続けていたシエルが口を離す。
血液と粘性のある液体の混ざり物で真っ赤に染まったそれは、お世辞にも醜くないとはいえないものへとなっていた。
もちろん、シエル以外には、だが。
「ふふ、相変わらず大きいですね。私の膣では入りきらないのも納得です」
言いながら、シエルはスカートの中に手を入れ下着を脱ぎ捨てた。
服も何もかも脱ぎ捨て裸で、と言うのが最良だったが、一応荒神の闊歩する外でそれはリスクが高すぎる行為だ。
何より、食欲旺盛になった彼にいつ"食べられるか"わからない。
戦闘による傷だと言い張るには、服と肉体の傷痕が一致していたほうが都合がいいのだ。
と、言うのが建前。
本当はただ恥ずかしいだけだった。
過程こそ異常であり、状況も狂気の様ではあったが、彼の前ではシエルはどこまでも純情な少女だった。
隊長、君……と、未だに名前で呼ぶこともできず、丁寧な言葉遣いも崩せないほど、シエルは初心だった。
故に、すでに少ないない回数をこなしていながらシエルは彼の前で裸になるのをためらっていた。
国籍など意味を成さない時代ではあったが、肉体的特徴はまだまだ少なくない。
髪も目も黒い(今は赤目だが)彼と、銀髪と蒼い瞳を持つシエル。
どんなにきれいだと言われても、シエルは最愛の彼と違う自分の体に自信を持てなかった。
純白の肌も、豊満な胸も、低身長ながらに整った四肢も、誇ることはできなかった。
ここまでしておいてなにを今更、事の次第を知るものがいたらそう言っただろう。
己の中に生まれた、言葉で表せない感情に振り回された彼女の心を理解できるものなど、いないのだから
「はぁ、はぁっ、はぁ……隊長、もう……いいですよね」
ぽたぽた、と愛液がコンクリートの地面を濡らす。
たくし上げられたスカートの下から覗いたのは、見た目相応の幼い性器だった。
産毛とそう変わらない薄い銀色の体毛。そして、愛液で猥らに濡れながらもその下の膣はぴったりと閉じていた。
ただでさえ身長が十数センチ違う二人の体格差は言うまでも無く。
生殖器の差は、入りきらないどころかそもそも進入すること自体が不可能であり、危険であるようにも感じられる。
それでもためらうことなく、シエルは彼のそれへと自分のそれをあてがった。
覆いかぶさるようにして、力を抜けば自然に彼が入ってくる体勢。
当てただけで、嬌声が上がる。
冷静沈着、ポーカーフェイスが基本である普段の彼女からは想像もできない猥らな姿。
「あっ……はぁああ、あっ……」
ぴくんぴくんと揺れる体は、すでに絶頂に至たり。彼が自分の中に入ってくる、その事実だけでシエルの体は極上の快楽を感じていた。
感じながら、身に余るそれを無理やりなかへと導こうとするシエルだが、もともとのサイズ差に加え入り口で幾度も先端を刺激さえた彼のそれはますますサイズを増している。
早く、早く、と焦れば焦るほど彼のそれはシエルの許容範囲からは遠ざかっていく。
もちろん、これが初めてではない以上彼女はそれを受け止めることができるのだが、圧倒的な差の前では慣れるのは難しかった。
小柄である体を何度妬んだことか。
だからこそ、この体勢を選んだ。
軽い絶頂に何度達しただろう、下半身に力を込めることができなくなり支えを失ったシエルの体重は自然に、そこへとのしかかることとなった。
「――――っ! あっ……がっ、ああ……はぁっ、はぁっ……」
小柄とはいえ全体重をかけて無理やり押し込んだため、彼のそれはシエルの腹部を思い切り押し上げる形となった。
入れることすら躊躇うサイズのものが、いきなり子宮を突き上げ、さらにまだまだ進入しようと押し上げてくる。
体を突きぬかれかのような感覚。
全身が硬直し、視界が白く染め上がる。
先ほどまでとは比べ物にならない快楽が背筋から頭へと駆け上がり、全身が引きつる。
暴力的な快楽は、機械のように静かなはずの少女を狂わせるには十分すぎた。
波が過ぎ脱力すれば、しかしシエルを貫く彼が中で膣を押し広げ、再びシエルを快楽の中へと誘った。
「たい、ちょ……う……」
はじけた思考。
安定しない視界。
力の入らない体。
しかし、シエルはそんな体に鞭をうち、腰を上げる。
もう数ミリ大きければ膣が裂けかねないほど、これでもかと圧迫感を伝えてくるそれが膣内を行き来するのは拷問のような快楽だった。
それでも、たとえあくびが出るような速度であったとしても、動かなければ、入れただけでは"ご褒美"は貰えない。
「私の、なか……は、気持ちいい、ですか……?」
ぎこちな腰使い。
苦しさを交え必死に動くさまは到底性行為の最中とは思えず、満足な刺激が彼へと行っているとは思えない。
よだれも、愛液も、血液も、汗も、あらゆる体液を流しながら動くシエルとは対照的に、薬を使われている彼は微動だにしない。
シエルの愛撫によって反応しただけに感覚と言う器官は残っているようだが、果たして細く深くまどろむ彼の視線は何を眺め、何を思っているのか。
「隊長……」
頬を、唇を、胸部を、肩を、腕を、指を、流れるように撫でる。
反応は無い。
人形のような彼に、それでもシエルは行為を続ける。
これが子を成す行為であるということは理解していた。
だが、避妊薬などを持参したことは無い。
別に子供がほしいわけではない。
むしろ子ができてしまったなら戦闘でわざと腹部を傷つけて、子を成す機能ごと失ってしまおうとも考えていた。
彼以外、何もいらないのだから。
彼のものを直接受け止めたいから、そんなものは使わない。
この彼から与えられる圧迫感も、快楽も、幸福感も、すべて、すべてすべて、自分だけが感じることのできるものなのだから。
「たい、ちょう……」
行為を始めてどれほどの時間が過ぎたころだろう。
流石に限界が来たシエルは、腰の動きを止め彼へとしなだれかかった。
人間にあるはずの体温も、鼓動も、生きていると感じさせるものを一切失ってしまった体。
シエルにとっては、愛しくて愛しくて仕方が無い体。
数ヶ月前まで手を握ることすら難しかった彼が、いまやすべて自分のもの。
快楽を伴う性行為ももちろんだが、こうして抱き合うのが一番幸せで、満たされている気持ちになれた。
満面の笑みは、しかし。突如苦痛の表情へと変貌した。
「がっ……、隊長……っ! あ、ああ……はあぁっ、あっ……」
緩慢な、ひどくゆっくりとした動作で、彼はシエルの肩に喰らい付き、噛み千切った。
神と混ざってしまった代償。
万物を捕食対象とする神にとって、人間もその例外ではなかった。
ぶちぶち、と。
自身の筋繊維が食い千切られ、引き裂かれ、引き離されていくおぞましい感覚が、快楽で緩慢になっていたシエルの思考を現実へ引きずり戻した。
あたりを覆っていた雄と雌の臭いをかき消さんばかりの生々しい血の香りが充満する。
純白の肌と服が鮮血で、赤く、紅く、深紅に染まっていく。
もちろん、痛みは一瞬で。
いつものことだった。
シエルの身に刻まれた傷の9割は、彼によって食べられた傷であり、彼にささげたものだった。
初めて食べられたのは、眼球。
まだ、行為にも及んでいなかった頃。
キスをしていた拍子に、食いちぎられた。
それでも。
今自分を食ったのが彼だと認識すれば、痛みは瞬く間に快楽へと変貌し、再びシエルを酔わせていく。
同時に、シエルの中へと精が吐き出されていた。
どくり、どくり、と。
人間ではありえない量の白濁が、すでに収まる場を失っていたシエルの膣から逆流していた。
なぜ、今か。
シエルの愛撫がようやく彼を満足させたのか。
それとも、シエルを食べたことで欲が満たされたがためか。
白濁をシエルの中へ吐きながらも、表情を変えることの無い彼からそれを読み取るのは不可能だった。
それでも、シエルには食われるのも、出されるのも"ご褒美"だった。
彼がシエルの中に、シエルが彼の中に。
言葉での意思疎通ができなくなってしまった今、そのつながりは何よりも彼の存在をシエルに教えてくれるものだった。
「はぁっ、はぁっ……ふふ……。ありがとう、ございます……」
自分の右肩を咀嚼している彼に、名残惜しくキス残しシエルはゆっくりと彼のそれを自分の中から引き抜いた。
余韻にひたりたいのは山々だったが、今日は予想以上に時間がかかってしまった。
下着を穿きながら時計を確認すると、元の戦闘区域に戻りヘリを呼ぶには少々遅い時間が経過していた。
多少なら、死に物狂いで捜索していると思っている極東支部の面々には怪しまれないだろうが、あまり超過しすぎると場所を確認されかねない。
目を閉じて。
深く、深く、深呼吸。
淫らに彼を求める自分は彼の前だけに置き去りにして。
またいつもの姿へと、戻る。
数十秒前まで満面の笑みを浮かべていた人物とは思えないほど、深く暗い瞳がそっと彼を振り返る。
口元をシエルの血で紅く染め、よどんだ瞳で地面を見つめる彼に、口の中でそっと、
「また――」
――来ます。
と、その台詞は続くはずだった。
突如として鳴り響いた爆音。
当たればただではすまないサイズのコンクリート片が、散弾のように二人へと襲いかかる。
それに、シエルは驚くほど冷静に反応した。
神器を拾い上げると同時に彼を拘束する変色因子製の鎖を断ち、担ぎ上げながら跳躍。わずかに残っていたステンドガラスを付き破って外へと。
着地と同時に地面を蹴って後方回避。破損した盾を展開し、崩れ落ちる教会の破片から彼を守った。
あたりを土煙が包み込む。
数メートル先も見渡せない最悪な視界の中で、しかし、シエルは一点を刃物のような視線で睨みつけていた。
「…………」
崩壊の余韻で、音はうまく聞こえない。
揺れる地面は、集中力を散らす。
もし荒神が近づいてきたとしても、雄たけびさえなければこの空間では不意を突かれてしまうだろう。
刃が、迫っていた。
湾曲した、槍でも剣でもハンマーでもない、独特の形状をした刃が。
二本の漆黒の刃は、中腰姿勢で前方からの何かに備えていたシエルを無視しその背後にいる彼へと切りかかった。
完全に、不意を付いた一撃。
気づいて反応したとしても、ギリギリ防ぐことのかなわないはずの、計算された一撃。
果たして。
首が、飛んだ。
ごとり、と。重そうな音を響かせながら、驚愕に見開かれた表情で固定された首が大地を転がっていく。
シエルは、それを静かに見つめていた。
自分には関係ないものであるかのような、一切の感情を取り払った表情で。
そのまま首が土煙の中へ消えていくのを見送り、再びシエルの視線は土煙の先に戻され、
「シエルちゃん!」
その先から響いた声を、まったく動じることなく受け止めた。
風に流され、煙が晴れていく。
晴れた視界にまずうつったのは、ついさっきまで二人が行為に及んでいた教会の見るも無残な姿だった。
職人によって描かれたであろう美しい神々の絵はばらばらに砕かれ、ただの瓦礫へと変貌している。
ああ、折角いい隠れ場所だったのに。
そんなことを考えながら、そういえば聞こえていた声の主がだんだんと見え始める。
三十メートルほどさきに、彼女らは立っていた。
全員が巨大な神を喰らう武器を携えながら、悲しいような、驚いたような、そして信じられないと言うような目でこちらを見つめている。
視線が、さらに鋭くなる。
神を喰らうはずの武器を、躊躇うことなく仲間へと向ける。
全員のこすことないように、武器を横に引いてなぞる。
「邪魔をしないでください」
シエル自身、驚くほど低く殺意のこもった言葉とともに、そこにいる全員をにらみつけた。
『彼の神器の反応であることは間違いない。しかし、あれはもう神器の反応じゃあない。荒神の反応だ』
あの後、ギルバートら極東にいる実力者たちに伝えられたのはそんな言葉だった。
神器は荒神のコアを用いているが、それ自体はたとえゴッドイーターの制御を離れても荒神になることは無い。
神器を捕食する≪スサノオ≫という荒神が確認されているが、捕食されてしまった神器は一体化し、反応を示すことは無い。
それが荒神の反応を発している。
それ自体が特異な事態であるためあらゆる可能性が考慮されるが、一番可能性が高いのは、使用者を捕食し、使用者と一体化し荒神になった可能性だった。
神となってしまったゴッドイーターは、本人が使っていた神器を用いた解釈をするのが最善とされている。
理由として、体細胞を媒介に無秩序に増殖してしまったオラクル細胞は多種多様に変異する傾向がある。
そのため元来厳密には制御下に置かれていない≪神機のオラクル細胞≫は、アラガミ化進行中は更なる暴走状態にあると言って過言ではない。
その暴走状態のオラクル細胞を停止させる事ができるのは、当該ゴッドイーターが使用していた神機に搭載されているアーティフィシャルCNSのみなのだ。
この事から≪アラガミ化した神機使いが使用していた神機による攻撃≫が有効となる。
しかし、その神器自体がゴッドイーター本人と融合してしまっている。
最悪、荒神としての力と、荒神を下す力の両方を持った第三の存在になっている可能性すらある、最悪の考察だった。
そのため、ギルバートたちに与えられたのは神器の回収ではなく最悪の可能性を考慮した荒神化したゴッドイーターの討伐だった。
ふざけるな、とナナはサカキに殴りかかった。
嘘だろうと、極東のゴッドイーターは嘆いた。
ギルバートは、ただ、その場へと崩れ落ちた。
ああ、と。
嫌な記憶が、ほかならぬ隊長とともに乗り越えたはずだった過去が今起きたことのようにフラッシュバックした。
“上官殺し”
“フラッギング・ギル”
ついぞ語られることの少なくなった異名が、頭の中で反響した。
ブラッドらの反応は予想していたのだろう、誰もが始めてみるような沈みきった表情で榊は極力感情を殺してその先を続けた。
事態が事態なだけに、榊はすでに準備を整えていた。
荒神化したゴッドイーターを殺すための特殊部隊の存在が、ナナとギルバートに伝えられたのはこのときだった。
彼の元へ向かうのは、ブラッドのほかに任務中だったクレイドルのアリサ、ソーマが任務が終了しだい合流、
そのほかに、彼を先輩と慕うエリナ、戦友と謳うエミール、彼らの上官であるコウタなどが参加を希望したが、万が一を考え彼女らは却下された。
そこに、一人でも一騎当千を誇るらしい専門部隊の構成員が2人。
計4名が、戦力としては数支部分にも値する戦力が彼の介錯……殺害作戦に参加する運びとなった。
任務行動中だったシエルは、この作戦のことを通達すること自体が禁止された。
今の彼女に彼を殺しに行くなどと伝えれば、殺されるのは極東の人間のほうになりかねないからだ。
隊長は荒神になんか負けない、絶対生きてる、絶対つれて帰る……と、憑かれたように、ナナ。
いざと言うときはまた、俺が……と、死にそうな顔で、ギルバート。
そんな彼らに追い討ちをかけるように、現場に向かうヘリのなかでシエルの反応が彼の神器の反応と重なるほど近くにある、と言う連絡が入った。
シエルが彼の神器が見つかったと言う情報を手に入れたとは考えづらく、ならば偶然、彼を今日見つけたのだろうか?
見つけたとして、彼女がとる行動は?
荒神になっているであろう彼を前に、躊躇い無く介錯を行うか。
断じて否である。
なら、反応が重なるほど近くにいると言うのはもしかして。
そんな、嫌な思考の連鎖にさらにぐちゃぐちゃになっていく思考。
果たして。
「邪魔をしないでください」
ヘリから飛び降り、反応のあった教会ごとなぎ払った部隊員を急いで追ってきた彼らの前にいたのは、明確な敵意と殺意をもってこちらを睨んでいるシエルの姿だった。
邪魔をするな、そういった彼女の背には人のような、だがけして人ではない何かが静かに座り込んでいる。
変わってしまった姿、だがそれが誰であるのかは考えるまでも無かった。
「邪魔って……どう言うこと? ねぇ、シエル……ちゃん」
ナナの問いに、シエルは答えない。
ゆらりと構えられた神器は、動けば迷い無くナナたちを切り裂こうと言う威圧が見て取れた。
思わずひるんだナナの変わりに、ギルバートがその先を紡ぐ。
「シエル……、どういうことだ。そこにいる、そいつは」
「――――っ」
発砲音が響いた。
反射的にそらした頭の真横を、バレッドが通り過ぎていく。
放心するギルバート。
シエルが自分を狙撃したのだと、気づくのにはひどく時間がかかったようにも感じた。
なぜ、と咎める声を上げるより早く、シエルの怒声が響き渡った。
「お前が、隊長をそいつ呼ばわりするな!」
優しく笑う姿は、知っている。
悲しみに涙を流す姿も、知っている。
だが、声を荒げ、感情のままに叫ぶこんなシエルは、知らない。
「一体何をしにきたんですか? 私と隊長の居場所をこんな風にバラバラにして……」
本当に悲しそうに、シエルが崩れ去った教会を一瞬見つめる。
「ようやく、ようやく私と隊長が二人だけになれる場所を見つけたと思ったのに……」
隻眼が、眼下に転がる”二つ”の頭を睨みつけ。
「しかも、隊長を殺そうとする輩まで引き連れて……」
躊躇い無く、それを踏み潰した。
躊躇い無く、それを神器で突き刺した。
「もう一度だけ言います」
返り血で真っ赤になった神器で、誰でもなく、そこにいる全員を指す。
「私の邪魔を、するな」
吐き気がするほど、空気が張り詰める。
ここにいるのは歴戦の戦士たちで、数々の地獄を歩んできたゴッドイーターである。
故に、今更人間の死体を見て、吐いたり恐怖でおかしくなるようなことは無い。
だが、その死体が荒神に食われたのではなく、ほかならぬ、ほんの少し前まで笑いあっていた仲間が断首したものだとすれば、話は別だ。
まるでワイヤーで斬ったかのように断面がはっきりした死体は、むごい死体よりずっと恐ろしい。
ギルバートは、死体よりも、そんなことをしながらまるでそれを他人事のように見ているシエルの姿に、何度目ともわからない目の前が真っ暗になる感覚に襲われた。
ナナは、
「ねぇ、シエルちゃん」
一歩一歩、足も神器も引きずりながら、シエルのほうへと歩を進め始めた。
「おい、ナナ……?」
ギルバートの声は、その歩を止められず。
「邪魔をするなってことは、さ。シエルちゃんは、もう、ずっと前に隊長を見つけてたってことだよね……?」
がりがり、と。桜色のハンマーが大地を削っていく。
数ある神器の刀身のなかで最過重をほこるブーストハンマーが、ナナの細腕によって、軽々と持ち上げられる。
「……それが?」
素っ気ない、シエルの返答。
ギルバートは、この場でシエルと向き合った時点で予想していた可能性に、しかし信じたくなかった返答に言葉を失った。
だが、ナナは。
「それが? ……って、いった?」
幼い、愛らしいその顔を、阿修羅のごとき怒気で埋め尽くし。
「……ふざけないで」
ブーストハンマーが、火炎を吐き出した。
チャージスピアと並んでもつ特徴である爆炎による超加速が、ナナとシエルの数十メートルを刹那で無にした。
「ふざけるなぁ!!」
強固なオラクル細胞を一撃で叩き潰すブーストハンマーによる必殺の一撃。
身長の倍以上飛び上がったナナが、全力で振りかぶったその超質量を躊躇いなくシエルへと振り下ろした。
破損したシールドに、神器の中でももっとも強度と質量に劣るショートブレードを扱うシエルにとって、それは防御不可能な一撃にも思えた。
それを、シエルは斜めに傾けたブレードの腹であっさりと受け流してしまった。
遥か後方にいるはずのギルバートらにまで届くような振動とともに、ハンマーが大地に食い込む。
常人なら転びかねない振動の中、シエルは先ほど部隊の人間にやっとように、微塵も躊躇いのない首への斬撃を放った。
装甲の展開は間に合わない。
避けて避ける事は不可能だ。
そんな思考をしたわけではなかった。
ただ、ゴッドイーターとして毎日死地で神との戦闘を繰り返した人間ゆえの勘がナナを突き動かした。
地面に刺さっているハンマーを、無理やり、地面ごと引きずり出しその刃を弾き飛ばした。
もち手で防ぐでもなく、そんな力技に任せた回避は予想外だったが、そんなことで隙を見せるようなシエルではない。
弾き飛ばされた刃をその勢いのまま体ごと一回転させ、上段から脳天から真っ二つにせんと振り下ろす。
再び、その刃にハンマーーを叩きつけ、防ぐ。
そのまま押し込もうと力をこめるナナに、そんな技術を使用しているのかまったく動じないシエル。
まるで作り話の中でしか見ないような、刃と刃で行うつばぜり合い。
「シエルちゃんは……とっくに隊長を見つけてたのに、誰にも言わないで私利私欲を満たすためにこんなところに閉じ込めてたの!?」
まるで噛み付こうとでもするかのように、
「もしかしたら、もっと早く連れ帰れたらリンドウさんみたいに人間に戻れたかもしれないのに!!」
泣きそうな声でナナはシエルへと叫んだ。
「隊長を見つけたからって、誰も殺そうとなんてしないよ! 少しでも人間に戻る方法があるなら、誰を敵にしたって私はがんばれたのに!! なのにっ!」
「馬鹿なことを言わないでください、ナナ。あれは奇跡です。奇跡は、誰にでも起こるものではないんですよ?」
静かに、しかし明確な拒絶を含んだ言葉をシエルは発した。
リンドウが、元第一部隊の隊長の行動による奇跡のような確立で人としての思考を失わずにいると言う話をブラッドはすでに聞いていた。
それだけしか知らないナナは、ならば万が一隊長が荒神化していても連れ戻すつもりでここにきていた。
現場に立ち会ったという人間だけでなく、今極東には本人がいるのだから。
だが、シエルはリンドウが完全に荒神化する前にシオと言う荒神の少女が係わっていたと言う情報をリークさせた情報から知っていた。
それは、完全に人としての意思を失ってしまっていた彼には施せない方法だ。
奇跡のような存在による奇跡のような行動がない以上、万が一の可能性も無いことは数多のゴッドイーターの末路が証明している。
ゆえに、シエルはその訴えに一切動じた様子を見せない。
そもそも、
「それに……あんなところへ戻ってしまったら、また、あなたたちに隊長が奪われてしまうじゃないですか」
「っ!」
再び、刃を回転しハンマーが滑り落ちるようにして大地に食い込む。
同じ手を、毒づきながらハンマーを振り上げようとするナナだったが、同じ手を使った本人が、そこに勝機を見出していないわけが無かった。
先ほどの一撃など比べ物にならないような勢いで翻った刃が、荒神を切るより躊躇うことなくナナの左腕を切り飛ばした。
「あっ――がっ、あぁぁぁぁぁぁあぁあぁああぁああぁあぁあーーー!!」
支えを失ったハンマーが腕から離れ、瓦解した教会跡へと消えていく。
もう、身を守るものは何も無い。
切断面を抑えながらのたうつナナへ、再三翻った刃が迫る。
が、それがナナを断頭することは無かった。
限界以上まで拡張された血の力が、自身に迫るバレットの存在をシエルに伝えたのだ。
回避――と、同時に神器の形態を変化、長距離狙撃に特化したアサルト銃身を後方に跳躍しながらも正確に固定。
連続して発砲された狙撃弾が、回避を追撃してきたバレッドを破壊した。
「やめてくれ……もうやめてくれ、シエル……」
再び彼を背にする形で向き合ったシエルを、整った顔立ちを涙で濡らしながらギルバートが睨みつける。
濃紺の槍が震えながらも、無表情のシエルを指す。
人間に神器を向ける日がまた来るなどと、思いたくも無かった現実がよりいっそギルバートの思考を侵していく。
すべてを奪っていった神を下すために手に入れたこの力を、なぜ仲間へと向ける日が来なければならないのか。
紅いカリギュラを倒した日から、彼を支えていこうと、もう誰もこんな目にあわせないためにと、精一杯やってきたつもりだった。
なのに、ロミオを失い、ジュリウスを救えず、彼を死なせ、シエルを狂わせてしまった。
もう、嫌だった。
努力すれば努力しただけ、何かが自分のすべてを否定しているような気さえするそんな日々が。
なぜ、この世界はこんなに残酷なのだろうか。
「やめるのはあなたたちのほうです。私は、隊長さえいれば幸せなんですから」
「そいつはもう、隊長じゃない……」
「隊長は隊長です。私の、もう、誰にも邪魔されず、誰にも奪われない、私だけの隊長です」
ああ、だめだ。
もう、何もできない。
誰も、救えない。
人を殺すことすら躊躇わなくなってしまった彼女を救う方法など、ギルバートはわからなかった。
やめよう。
もう、すべてあきらめてしまえば楽になれるだろう。
「無理だな、俺たちが本部にお前の行動と隊長の状態を知らせる」
「では、あなたたちを殺します」
それでいい。
「俺たちが死んだら、もう支部には戻れないぞ。P66偏食因子の投与も受けられない」
「では、支部の人間を殺します」
好きにすればいい。
「お前みたいになっちまったゴッドイーターを殺す専門の部隊が束になって襲ってくるぞ?」
「全員、殺します」
「無理だ」
「できます、隊長のためなら。私はなんでも」
ここまで、隊長を想っているならば、いいじゃないか。ギルバートは、神器をつかむ手の力をゆっくりと抜いた。
ギルバートの絶望など、今のシエルにはわからないのだろう。
明確な隙を前に、神器をブレードモードに切り替えたシエルは大地を蹴り、二人の首を刎ねようと――
「……あ」
気の抜けた声が、響いた。
「え……?」
もうすべてをあきらめ視界を絶っていたギルバートが思わず目を開けたその先に映っていたのは、彼に捕食されるシエルの姿だった。
神器のプレデターフォームを移植したような彼の右腕が、シエルの細い右腕のひじから下を丸ごと噛み千切っている。
血管が、骨が、筋繊維がむき出しになった右腕から、ぼたぼたと血が流れ落ちる。
悲鳴は、聞こえなかった。
己の右腕を捕食する彼を、シエルは静かに見つめている。
「し、シエルちゃん!」
ゴッドイーターの治癒能力によって血が止まり始め、思考ができるようになってきたナナが思わずといったように叫ぶ。
隊長が人間に戻れる可能性を潰したとか、自分の腕を切り落としとか、そんなことは些細なことだった。
家族のように笑いあい、苦楽を共にしてきた仲間が死のうとしている。
救えないとわかっていても、死んでほしくないと、目の前の事実を否定するように声を荒げる。
「シエル! 神器を!」
それは、ギルバートも同じだった。
もしかしたら、何もできない自分への言い訳なのかもしれない。
今更神器を手放したところで、彼女を侵蝕しているオラクル細胞が止まることは無い。
しかし、必死な二人とは裏腹に、シエルはどこもでも静かに彼を見つめていた。
「ふふ、君は不器用ですね」
優しげな声に、しかしギルバートとナナは殺気より薄ら寒い何かを感じ、駆け出そうとしていた足を止めた。
彼女は、食いちぎられた右腕と神器を持ったままの左腕で、ゆっくりと彼を抱擁した。
「君は優しいですから、私がみんなを殺そうとするのをとめてくれたんですね」
内容とは裏腹に、殺そうとしたことへの懺悔は一切感じられなかった。
ただ、彼が自分のために行動してたという事実のみに歓喜している。
「あなたといる時間は、とても長くて、でもとっても短くて」
自分に迫る死に気づかないように、云う。
否。
自分に迫る死がどうでもいいというように、云う。
「本当に、君は不思議な人です」
彼女の満面の笑みが映る瞳は、やはりピクリとも動かない。
それでも、シエルはどこまでも幸せそうな笑みを彼へと向けて。
「私のことを友達にしてくれたあの日から、私はそんなあなたのことが……えっと」
熱の無い彼の体に自分の体を押し当てながら、シエルはその先に続く言葉に詰まってしまった。
すいません、と笑いながらキスを落す。
そういえば、自分の感情について考えたことがありませんでした、と。
ああ、そうだ、と。
霞む意識の中で、シエルは最後に思い出した言葉を彼へとささやいた。
「愛しています」
神器が、彼とシエルを貫いた。
逆手に構えた神器で、シエルが自分ごと彼を串刺しにしたのだ。
死んでしまえば、彼と離れ離れになってしまう。
ならば、彼も一緒に死んでしまえばいい。
優しい彼ならば、自分のために死ぬことに何も躊躇わないだろう。
だから一緒に。
伝えたかった想いを何とか近い言葉でしか伝えられなかったのは残念だけれど。
また、あっちで会えばいい。
ずっと、永遠に一緒ですよ……隊長。
ギルバート・マクレインが次に自分の居場所を認識したのは、極東支部医療室のベットの上だった。
何も話さず、何も云わない自分に誰かが話していたのを聞いていた限りギルバートとナナをあの場から移動させたのは合流したクレイドルのメンバーだったそうだ。
隊長とシエルの遺体は無く、彼らの神器の反応を示すオラクル細胞の塊のみが残っていたらしい。
そこまで話して、まともに何を聞ける状態でもないと判断されたのかいつの間にか自室へと付いていた。
酒が置かれていた。
誰が置いてくれたものかは考えるまでも無かった。
それを眺めながら、真っ暗な自室でギルバートは静かに呟いた。
「……ああ、疲れた」
香月ナナは、神器を片手に外に来ていた。
無断で出てきてしまったが、別にどうでもなるだろう。
随分と久々の外の空気。息の詰まる支部内と違って、やっぱり外は空気がおいしかった。
なぜかある日から支部内の自由行動が禁止され、ギルバートとも、シエルとも会っていないし、おでんパンも食べていない。
理由を聞こうにも、誰も見かけないので聞きようが無かった。
さらに、出撃禁止の命令まで出されていた。
でも、知ったことではなかった。本人の意思が無ければ、出撃に関する命令は不可能なのだから。
最近の記憶がひどくあいまいだったが、それだけは覚えていた。
それが、今回邪魔する人間を殴り飛ばしてまで出てきた理由でもあるのだから。
「さ、今日も荒神を倒して隊長を探さなきゃね!」
極東支部が壊滅した。
フェンリルという組織が衰退し、しぶとく地球に居座っていた人類が少なくなっていったのはそんな情報があった日からだった。
既存のゴッドイーターたちの力では敵わない感応種に対抗できる唯一の部隊、血の力を持つブラッド。
元隊長、元服隊長シエル・アランソンの事実上の死亡。
隊長であったギルバート・マクレインの自殺。
最後の部隊員であった香月ナナの無断出撃による戦死。
唯一無二の戦力を失った極東支部が壊滅するのには、そう長くなかった。
元隊長の能力≪喚起≫によって感応種に対抗できるゴッドイーターは少数ながらいたが、激戦区たる極東では”動けるだけ”のルーキーでは戦力は無いにも近かった。
神器の操作自体が無効化される感応種との戦闘では、通常の支部なら一騎当千の戦力を持つ極東のゴッドイーターたちも無力な一般人のように蹂躙されてしまった。
感応種への抵抗能力と、類まれなる経験と戦力をもつゴッドイーターも、尽きない荒神の猛攻に、一人、また一人と散っていった。
神器兵も、ブラッドのP66偏食因子の解析も、時間と資源が間に合わなかった。
最前線にして最強の支部の壊滅。
それからはなし崩し的にありとあらゆる支部が抵抗することもできず、蹂躙されていった。
荒神に対する抵抗手段を失った現在、何とか生きながらえている人類もそう遠くない未来に潰えるだろう。
二度、終末捕食を退けた人類。
しかし、結局ところ人間が神に逆らうなど、無謀なことだったのだ。
残った人類にできることは、ただあがくことだけだった。
くそったれ、と。膨大な神の死体上に座り込む銀髪の男性が背後の青年へと毒を吐いた。
青年は血まみれの顔で銀髪の男性へと言葉を返す。
生きることから逃げるなって命令しただろ、と。
ッハ、と銀髪の男性は青年を小突いた。
膨大な神たちが、彼らを囲んでいた。彼らが、多くの犠牲を払って倒した神よりもずっと多くの神が。
「やってやるさ、どうせこの世界は最後までくそったれな世界だ」
どれだけの時間が流れただろうか。
ひどく静かになってしまったこの星の姿を”樹”はいつまでも見つめていた。
神も、人も、もうどれだけ見ていないだろうか。
見た目だけならば、随分美しくなったように感じる。
だが、それは絵に描いた世界を眺めているような、ひどく虚無な美しさだった。
結局、なんだったのだろうか。
目的も何も無く、蹂躙し、喰らい尽くした先。
なにもない、そんなこの姿が、望みだったのだろうか。
ただ、これが朽ちていく姿を眺めることしかすることが無いのだろうか。
果たして、そんな樹の前に何かが現れた。
一瞬神かと思って、次に人かと思って、最後には随分と懐かしい存在であることを思い出した。
引きちぎられたような右腕と、銀色の混ざった黒い長髪。
全身ズタボロの何かが、赤と蒼のオッドアイで、樹を見つめていた。
『久しぶりだな』
…………。
『……そうか、辛かったな』
…………。
『いや、お前はがんばったよ。ただ、運が悪かっただけだ』
…………。
『……いいのか?』
…………。
『そうだな、きれいなだけなこの世界を見つめているのも悪くなかったが』
…………。
『あやまるな、お前は、よくやったよ』
樹が、その神でも人でもない存在とひどく短い会話を終えた瞬間。
かつて、螺旋の樹と呼ばれたそれがその造形を失った。
絡み合い、樹のようになっていた最後の神が世界に放たれていく。
白と黒の蛇。
長く樹の中で戦っていた存在が、先に行く、と彼に云った。
最後の神によって包まれていく星を見つめながら、彼は呟いた。
「今度は、みんなを幸せにしてみせるよ」
蛇が彼を喰らう。
――世界は、再構築された。
このページへのコメント
エロは薄いけどこれくらい暗くて重い話もいいな
服隊長、、、きっとファッションリーダーの事だろう
色んな誤字脱字が気になるのが残念
物語としては結構なクオリティーがあって良かったです
実際こんなことになったら怖いッスね
え、文章凄いです...
最後辺り「この人何なん...」って思ってしまいました。
シエルのヤンデレみたいなのが
印象に残っています!