RWF人物辞典
RWFに関わる人物を、レスラーを中心に紹介しています。
年度別になってます。
自分の分かる範囲内で書いてますので、かなり世代や人によって偏りがあります。もしサークル関係者の方でここのテキストを書いていただけるという稀有な方がいましたら、コメント欄などで連絡お願いします。
そうした試行錯誤の中から自分のファイトスタイルを見出した彼は、2004年11月、念願の第23代京都統一ヘビー級チャンピオンの栄冠を勝ち取る。彼の魅力は、仁王の如き表情と、鍛え抜かれた筋肉から繰り出されるパワーあふれる動きであり、決して器用ではないものの、ストイックに自分のスタイルにこだわり続けた上での戴冠であった。代表的な技としては、ブラックタイガーボム、ダイビングエルボーなどが挙げられる。一度だけ人の試合に乱入し、周りを困らせたことがあったが、それ以外は常に、RWF正規軍のリーダー的存在であり続けた。
2005年11月、星☆一発との試合にて引退。現在は社会人であるが、なぜか未だに学校の近所に住んでいるため、ちょくちょく目撃情報が飛び交っている。
3回生時には、自称癒し系ヒール軍団「裸笑悶」を立ち上げるものの、ひまわりの種を会場にぶちまけ、客に怒られて後で掃除に行くなどといった、ピントの外れたファイトを展開。いろんな意味で同期の先駆けであったが、勝負弱さがネックとなり、特にケンドーオバヤシにはどうしても勝てなかった。シングルベルトには縁がなかったが、不知火やファイヤーバードなどの技に代表される華やかなファイトスタイルには、多くの人を魅了した。
2005年11月、最後の試合で、ついにケンドーオバヤシから初勝利を挙げ、大きな感動の中で引退した。周りが嫌になるほどの雨男でもある。
2005年11月、ポルノコレクションAVとの試合で引退。「あいつにはシンパシーを感じる」などと言っていたが、ポルノの何処にシンパシーを感じたのかは非常に謎。引退時のコメント「みんな、ありがとう。そして、ありがとうございました!」には、見ている人全員から拍手と突っ込みが送られた。
道場では、後ろから追いかける後輩たちの大きな壁となり、その厳しい指導と面倒見の良さは、引退した今でも生きた伝説として残るほどである。2005年11月、ビッグバン・カウパーとの試合で引退。現在は故郷の山口県で生活している。
2005年に一度復活。体中に呪詛の文字を入れチェーンを振り回すなど、もはや「お茶」とは何の関係もなくなっていた。
年1回程のペースでイレギュラーに登場。よく「穴瓶」とか「穴兵衛」などと表記されるが、本人曰く、これが正式表記らしい。途中、潮吹亭一門を脱会したらしいが、だからといって、何かが変わったとかいうことはない。
しかし、1年後に突然「熱意が無くなった」とリングを去る。卒業してしまった現在でも、彼の復帰を願う声は多い。その後は解説者にジョブチェンジ。和田解説員ばりの絶妙な解説を見せる。
実力的にも、その大きな体を生かしたスタイルは早いうちから注目度が高く、その証拠に、デビュー3戦目でいきなり、タッグ選手権のトーナメントに参加している。2回生時に、自称癒し系ヒール軍団「裸笑悶」に加入するも、肌があわなかったのか、あっさり離脱。その後はトントン拍子に結果を残し、ついに2003年6月、第24代京都統一ヘビー級チャンピオンに輝く。歴代2位の8度の防衛を果たし、「京都で一番強いデブ」と呼ばれる。でも家は滋賀である。
大学6回生が内定している。
RWF的特撮ヒーローと銘打たれる事が多かったが、ヒーロー的な華やかさというよりも、むしろ直線的で泥臭い戦いを得意とする。決して大きくはない体ながら、運動神経は抜群。しかし、その運動神経にすべてを頼ることを良しとせず、あくまでその体で正面からぶつかっていく戦い方には、学生プロレスに対する彼の哲学を感じさせる。伝家の宝刀、腕ひしぎ逆十字固めは、多くの強敵を苦しめた。「平成ライダーは認めない」という、確固たる信念を持っている。
2006年12月、天使との試合で引退。しかし、引退決定後も進路が決まらず、リアルに改造手術を考えているとかいないとか。
レスラーとしては、某レスラー曰く「デビュー当時の彼は、何も持たない選手だった。少なくとも私にはそう思えた。」だそうだが、彼は内に秘めた闘志ときれいなシュートフォームを持っていた。授業後の1日500本のシューティング筋力トレーニングは欠かさず、そうした日々の積み重ねと意志の強さによって這い上がってきた、雑草魂の男である。
2006年12月、BKC興行でのポルノコレクションAV戦にて引退。ただ、その後1ヶ月も経たない間に別団体のリングに上がってしまい、サークル員からの総ツッコミを受けている。
ギャグファッションセンスが所々に光る外見となっている。その後、2005年にニューマスクに変更。ドレッドヘアーを取り入れた最先端のマスクで、そのセンスが進化していることを感じさせた。
レスラーとしては、どちらかと言うとパワーで勝負するタイプ。ただ、彼自身が得意としているのはデスマッチで、凶器を持たせると、その動きは別人のようになる。また、2004年には「裸笑悶」、2005年には「極熱同盟」といったヒール軍団にも参加。ルールの盲点を効果的に利用したダーティな戦いぶりは、正規軍の面々を大いに苦しめた。
一度、マスクを剥がされて素顔を見せた事があるが、彼の素顔は、その時の実況曰く「アニメの声優の素顔を初めて見てしまったときのような印象」らしい。
デビューが遅かった事に加えて、2回生の終わりに肩を負傷し、半年以上の欠場。2回生から3回生に上がる一番大事な時期に長期欠場でリングに上がれなかったのは残念だったが、学生プロレスにかける思いの大きさと地道な努力によって、3回生の夏、再びリングでの復活を果たす。4回生時にはその肩の故障の影響が強く、再びリングを去ることになってしまったが、その不屈の精神は大きな結果を残した。
阪神の剛球投手、藤川球児にそっくりなのは有名な話。藤川が有名になることによって、そこらじゅうで「似てるね」といわれるらしく、人間関係を構築するのに大変便利だそうだ。肩を故障した時、「やっぱピッチャーは肩が命だよね」とは、本人の弁である。嘘である。
現在はDWA所属らしく、DWA主催興行でたまにお目にかかれるが、外見から使う技まで本郷と大して変わらないため、見る側にとってはあまり変わらない。
グラウンドの技術や打撃の力など、レスラーとしての偏差値はかなり高かったものの、それ以上に目を引いたのは彼の破天荒さであり、ムーミンの彼女、フローレンに対する異常な執着、キテレツ大百科の為に集合時間に遅刻、麻雀をする際は大三元しか狙わない等、彼に関する逸話の数々は、現在においても未だ色あせる事無く語り継がれている。
また、膣・OH!膣になってから、彼はDWAに対して異常なまでの興味を示し、立命館大学に居ながらにして、DWAへの移籍作戦を展開。DWA所属として試合に出たり、DWAの例会に参加したり、ついには同志社大学への編入試験の受験を画策するなど、その活動内容は、最早大学のサークル活動の枠を超えた、ある種彼自身の人生を左右するような事態を引き起こしていた。
3回生になって、突然行方不明になったが、2年後、消息が判明。言語が不明瞭になったとか、なっていないとか。
前にも述べたが、レスラーとしての偏差値の高さ以上に、リング上での挙動不審さが注目され、特に、リング上で決める「加護ちゃんです!」の決めポーズは、あまりに予測不可能な動きの為に、見ている人には何が何だかさっぱり伝わらなかった。「天才」と「奇人」の境目を行ったり来たりしている男。
ちなみに、サークル内部ではお馴染みとなっている「冒険島入場」を最初に考えたのも、彼である。
2005年にヒール軍団「極熱同盟」に参加。Burgと組んでタッグベルト取りに挑もうとしたが、志半ばで首を負傷し、長期欠場に追い込まれてしまう。その長期の欠場期間に、肉体改造を決意。欠場前まで、お世辞にもあまり良い体のレスラーではなかった彼が、復帰戦のリングで割れた腹筋を見せ付けた時は、観客だけでなく、身内のサークル員まで、驚きの声をあげた。
得意なのは、その鍛え抜かれた筋肉によるパワー殺法。2006年12月のクリスマス興行では、120kgのチャンピオン、ブー高木に対してパワー勝負を挑み、そのタイトルを奪ってみせた。体力と精神力をストイックなまでに鍛え上げた末の、彼の集大成とも言える試合である。
名前は「パイパン」だが、結構毛は濃い。一度試合前に処理を怠って、コスチュームから毛がはみ出していた事があり、関係者一同をガッカリさせたことがある。
また、日頃の不摂生に故障中のトレーニング不足なども関わって、どんどん腹が出てきており、外見だけは40歳代。それでいて、なぜか一昔前、というかかなり昔のトレンドを好む傾向があり、精神的にも40歳代。同期の藤崎詩織からは、そのまま「ヲッサン」と呼ばれている。
レスラーとしては、その上背と、泥臭く粘り強い戦いが持ち味。怪我でベルト戦線に出遅れたが、そのハンデをどのように克服するのか。これから注目される。
体格的には男子レスラーには圧倒的に劣るものの、一瞬の隙を突いた丸め込みや、男子顔負けの度胸によって、RWFのマットに華やかさを加えている。そして何といっても、彼女の必殺技、S・O・D(シオリ・オブ・デストロイ)の切れ味の鋭さは、他のレスラーの誰にも真似出来ない武器である。
名前は某ギャルゲーからそのままパクった。公式設定では「才色兼備、文武両道、攻略難度特A」といった感じだが、どうやら授業の単位がかなりヤヴァイらしく、そういった意味では完全に名前負けしている。
怪我でデビュー時期は遅れたものの、重厚かつ多彩な蹴り技と、劇団で鍛えた表現力、そして何よりもそのスター性によって、デビューしてまもなく頭角を現す。デビュー2戦目では、スペルマ・クレイジーの引退試合の相手という大役を立派に務めあげ、大いにリングを沸かす。誰が言い出したかは知らないが、彼の別名は「スーパースター」。ただ、真の意味でスーパースターとなるには、まだまだこれからである。
RWFきってのモテ男であり、彼の所属する産業社会学部には、何人もの彼の愛人が潜伏しているとの噂もある。ただ、そんな彼は意外と尻が汚く、彼の尻は、一部サークル員から「レーズンパン」と呼ばれている。
例年以上に好素材が揃ったと言われた、この世代のヤングジャガー杯で見事優勝。その後、ヤングジャガーの呪いに苦しむも、復活後には天使とのタッグ、KIT-TUN GENERATIONでタッグベルトに挑戦。そして、その後の学園祭では、2回生ながら、シングルのベルトにも挑戦。惜敗したが、次代のRWFに大きな期待を抱かせる試合となった。彼が今後、どういったムーブを起こしていくのか、その動向が注目される1人である。
ゲイであり、試合の所々にゲイ殺法(?)が登場する。実は立命館大学の生徒ではないが、それを言うと不機嫌になるので、サークルではその事について、あまり触れないようにしている。
大きな体格からの威力のある打撃が持ち味。中でも、必殺のエルボーは、見ている人間を震え上がらせるほどの殺人的威力を持つ。派手さは無いが、安定した力を見せ付ける。陵南の植草みたいな奴である。KIT-TUN GENERATIONでタッグベルトに挑戦するも、惜しくも敗退。タッグでの試合が多いが、シングルとしての動きも非常に楽しみな存在である。
アンパンマン顔の癒し系だが、リングの上での表情は完全にSの人のそれ。リング外でもそれは構わず、現在では後輩のサモハン・チンポーが彼の被害に遭っている。
言わずと知れた耐震偽装キャラだが、完全に機会を逸した感がある。そのせいか、鉄骨関連の弄られ方はするものの、特にそういった特徴のある攻撃などは無い(てか、耐震偽装でプロレスって何だよ)。基本的にはヒールキャラであり、正統派の戦い方よりも凶器等を使った戦いが得意だが、現状ではまだまだ「ちょい悪」程度であり、彼の本領が発揮されるのは、まだまだこれからだと言えそうだ。
元ネタは某掲示板群から発した物語だが、インパクトという意味では完全に、映画やドラマの上を行っている。ポロシャツ、長ズボン(なぜかスリット入り)、メガネ。脱げば蛍光ピンクのブーメランパンツ一丁。長身なのに細い。戦闘スタイルは完全に馬場さん(晩年)。河津落としでは、相手以上にダメージを食らう…。動くだけで会場がどよめく、という奇跡の男。マイクを持つと人が変わる。
2006年6月の同志社今出川興行から行方不明。だが、その後の興行でも、似たような人間を何度も見るのは気のせいなのだろうか…。
とにかく悪い奴、というのは何となく分かるが、どこがどう悪いのかと聞かれると微妙。2006年6月の同志社今出川興行で顔射男に敗れてRWFを永久追放になったらしいのだが、その後の興行でも似たような人が出ているので、たいして違和感はない。
パワーファイトが持ち味で、必殺技はエクスプロイダー。デビュー当初は、曲者揃いのこの年代において、「最も新人らしい新人」と言われる。一時失踪した某先輩レスラーに似てると言われ、周囲からは「愛想の良い膣・OH!膣」などと称されていたが、性格的にはむしろ正反対。今となって考えてみると、外見も言うほど似ていない。
一応、謎の組織「GM派」の一員らしいが、組織が謎過ぎてイマイチよく分からない。2006年10月の田辺興行で、永遠のライバル、ポルノ様(本人談)との決着戦をして以来、行方不明。
とても時間にルーズな性格で、デビューしてから半年もの間に、遅刻の為に2度もカードが流れた経験を持つ。
年度別になってます。
自分の分かる範囲内で書いてますので、かなり世代や人によって偏りがあります。もしサークル関係者の方でここのテキストを書いていただけるという稀有な方がいましたら、コメント欄などで連絡お願いします。
2002年度入学
ケンドーオバヤシ
2003年4月、立命館衣笠新歓興行のソルティ・キッドマン、キングボンビー戦でデビュー(パートナーはカーネル・パンパース)。「お茶に限界を感じた」と、言っていたとか言ってないとか。当時は黒のタイツに赤いマントをしていたような。その後、テーマ曲を4回、コスチュームを4回変えるなど、文字通りの迷走ぶりを見せつける。と同時に、私生活でも、そでにチャックのついたパンクっぽい長袖シャツを着だす、酔った勢いで手刀で瓶を割る、手当たり次第に後輩の家の風呂に入る等といった、変な方向に向かいだす。そうした試行錯誤の中から自分のファイトスタイルを見出した彼は、2004年11月、念願の第23代京都統一ヘビー級チャンピオンの栄冠を勝ち取る。彼の魅力は、仁王の如き表情と、鍛え抜かれた筋肉から繰り出されるパワーあふれる動きであり、決して器用ではないものの、ストイックに自分のスタイルにこだわり続けた上での戴冠であった。代表的な技としては、ブラックタイガーボム、ダイビングエルボーなどが挙げられる。一度だけ人の試合に乱入し、周りを困らせたことがあったが、それ以外は常に、RWF正規軍のリーダー的存在であり続けた。
2005年11月、星☆一発との試合にて引退。現在は社会人であるが、なぜか未だに学校の近所に住んでいるため、ちょくちょく目撃情報が飛び交っている。
星☆一発
2002年8月、伊賀上野興行のちょんぼつるた、ブルセラ・リー戦でデビュー(パートナーは千'z利Q)。当時から、スピード感ある動きとスター性は注目度が高く、先輩とのシングルの試合を最初に勝ち取ったのも彼であった。2回生の頃に、反正規軍同盟「京都悶絶組」に加入。先輩のダッチワイフビーターと組んで、第17代京都統一タッグチャンピオンに輝く。ベルト戦後に撮影された、血まみれでベルトを掲げている写真は、あまりの迫力の為に、今後何度もパンフやビラなどに使いまわされることになる。3回生時には、自称癒し系ヒール軍団「裸笑悶」を立ち上げるものの、ひまわりの種を会場にぶちまけ、客に怒られて後で掃除に行くなどといった、ピントの外れたファイトを展開。いろんな意味で同期の先駆けであったが、勝負弱さがネックとなり、特にケンドーオバヤシにはどうしても勝てなかった。シングルベルトには縁がなかったが、不知火やファイヤーバードなどの技に代表される華やかなファイトスタイルには、多くの人を魅了した。
2005年11月、最後の試合で、ついにケンドーオバヤシから初勝利を挙げ、大きな感動の中で引退した。周りが嫌になるほどの雨男でもある。
スペルマ・クレイジー
第19代RWF会長。レスラーとしては、2002年11月、BKC学園祭興行の大黒棒陰茎、キングボンビー戦でデビュー(パートナーはルッテン・THE・Iモード)。決して恵まれた体格ではなく、運動神経も良くはなかったが、デスマッチなどの独自路線を開拓するなど、他のレスラーにはないこだわりを持っていたレスラーである。彼の特徴は、どんな攻撃をくらっても立ち上がるしぶとさと、相手の一瞬の隙をついたシャープな技の各種であり、2005年11月にヘビー級のタイトルに挑戦した際は、敗れはしたものの、その独特の存在感を見せ付けた。試合に負けた際、居もしないドイツ人のタッグパートナーの話をしたり、同期レスラーがリング上でベルトに対する思いをぶちまける中で、24時間テレビのマラソンの心配をしたりと、目の付け所もシャープである。2005年11月、ポルノコレクションAVとの試合で引退。「あいつにはシンパシーを感じる」などと言っていたが、ポルノの何処にシンパシーを感じたのかは非常に謎。引退時のコメント「みんな、ありがとう。そして、ありがとうございました!」には、見ている人全員から拍手と突っ込みが送られた。
ボンビー
2002年11月、BKC学園祭興行のルッテン・THE・Iモード、スペルマ・クレイジー戦でデビュー(パートナーは大黒棒陰茎)。上背はないながらも、横に広いその体格をいかしたパワーファイトで、RWFのリングを彩った。彼のこだわりは「体作り」であり、デビュー当時は脂肪と糖分の塊のような体だったのが、最終的にはそこに筋肉をくわえたゴツゴツとした岩のような体型に生まれ変わったのである。そこに地道なトレーニングの積み重ねがあったことは言うまでもない。その甲斐あってか、出るっ・ピュ!エロとのタッグで、第18代京都統一タッグチャンピオンにも輝いている。ちなみに、顔の大きさは、トレーニングとは何の関係もない。道場では、後ろから追いかける後輩たちの大きな壁となり、その厳しい指導と面倒見の良さは、引退した今でも生きた伝説として残るほどである。2005年11月、ビッグバン・カウパーとの試合で引退。現在は故郷の山口県で生活している。
千'z利Q
2002年6月、同志社田辺興行のルッテン・THE・Iモード、アナ・ホッテン、カーネル・パンパース戦でデビュー(パートナーはグレート南草津、ぎょう虫力)。プロレスでは斬新な「お茶ギミック」で、にじみでる中堅臭さが新人離れしていると内部的には人気だったものの、毒霧の代わりに茶葉を投げるなど余りに斬新過ぎた為、消息を絶ってしまう。2005年に一度復活。体中に呪詛の文字を入れチェーンを振り回すなど、もはや「お茶」とは何の関係もなくなっていた。
(潮吹亭)穴平
初登場は2002年11月、同志社EVE興行のソルティ・キッドマン、Big 5 Row戦(パートナーは内野たま)。マスクにアフロ、オーバーオールという格好で、途中でアフロが外れるなどのコミックムーブが印象的。声が変。年1回程のペースでイレギュラーに登場。よく「穴瓶」とか「穴兵衛」などと表記されるが、本人曰く、これが正式表記らしい。途中、潮吹亭一門を脱会したらしいが、だからといって、何かが変わったとかいうことはない。
キングボンビー
ボンビーのデビュー時のリングネーム。2004年の8月、伊賀興行から突然「ボンビー」に変更になった。なぜマイナーチェンジをしたのか、意図は不明。ピンクローターさくら
2002年11月、衣笠学園祭興行のキャンディありさ引退試合でデビューした女子レスラー。鎖骨骨折での長期欠場が痛かった。華やかさよりも泥臭さと根性で勝負するタイプ。赤面症。イッキーマウス
2002年10月、同志社田辺興行のブルセラ・リー、たか加藤戦でデビュー(パートナーは大黒棒陰茎)。コミカルなキャラクターと軽快な動きとは裏腹に、何かに困っているような、いつも苦々しい表情に、サークル内外から注目された。しかし、1年後に突然「熱意が無くなった」とリングを去る。卒業してしまった現在でも、彼の復帰を願う声は多い。その後は解説者にジョブチェンジ。和田解説員ばりの絶妙な解説を見せる。
ぎょう虫力
2002年6月、同志社田辺興行のルッテン・THE・Iモード、アナ・ホッテン、カーネル・パンパース戦でデビュー(パートナーはグレート南草津、千'z利Q)。「倉木麻衣(立命館大学出身、彼らの1学年上)の次に有名になる」「BKC1有名になる」が口癖だった。その後、人知れずFA宣言を行い、サッカーサークルに移籍。現在でも一部のサークル関係者とは仲が良いらしい。2003年度入学
ぶぅ〜高木
2003年8月、伊賀上野興行の大黒棒陰茎戦でデビュー。168cm、120kg、体脂肪50%という驚異的な体の持ち主で、傘をさすと、リアルにトトロに見える。外見がコミカルなせいか子供受けがよく、特に子供客の多い伊賀上野などでは、よく入場時に群がられる。ハーメルンの笛吹きの様だ。周りが期待している以上によく食べるため、校内での大食いイベント等には、必ず参加させられる。実力的にも、その大きな体を生かしたスタイルは早いうちから注目度が高く、その証拠に、デビュー3戦目でいきなり、タッグ選手権のトーナメントに参加している。2回生時に、自称癒し系ヒール軍団「裸笑悶」に加入するも、肌があわなかったのか、あっさり離脱。その後はトントン拍子に結果を残し、ついに2003年6月、第24代京都統一ヘビー級チャンピオンに輝く。歴代2位の8度の防衛を果たし、「京都で一番強いデブ」と呼ばれる。でも家は滋賀である。
大学6回生が内定している。
本郷猛
初登場は2004年7月、同志社今出川興行の星☆一発、キングボンビー戦(パートナーはスペルマ・クレイジー)。初登場時は自転車に乗って入場してきた記憶がある。「反物隆史」とよく似た、というか全く同じ人が、赤い布を着けただけで出てきたので、当初は反物の単なる悪ふざけという説もあったようだが(公式の試合結果には「反物隆史」と書いてある)、どうやら彼は、反物の別人格らしい。RWF的特撮ヒーローと銘打たれる事が多かったが、ヒーロー的な華やかさというよりも、むしろ直線的で泥臭い戦いを得意とする。決して大きくはない体ながら、運動神経は抜群。しかし、その運動神経にすべてを頼ることを良しとせず、あくまでその体で正面からぶつかっていく戦い方には、学生プロレスに対する彼の哲学を感じさせる。伝家の宝刀、腕ひしぎ逆十字固めは、多くの強敵を苦しめた。「平成ライダーは認めない」という、確固たる信念を持っている。
2006年12月、天使との試合で引退。しかし、引退決定後も進路が決まらず、リアルに改造手術を考えているとかいないとか。
ハメドリアヌス
初登場は、2004年4月、BKC新歓興行の星☆一発、カーネル・パンパース戦(パートナーはBurg)。同時期にデビューしたBurgが「謎のマスクマン」と呼ばれていたのに対して、彼の場合は同じマスクマンでもそういった呼ばれ方をされる事は少なく、むしろ「イケメンマスクマン」などという、物凄く矛盾した呼ばれ方をしていた。2004年のEVE興行で星☆一発にあっさり正体をばらされるなど、何かと不遇。2005年にはヒール軍団「極熱同盟」を結成、リーダーとして君臨するも、相次ぐメンバーの離脱や負傷欠場などで、こちらもいやはやな結果に終わってしまった。レスラーとしては、某レスラー曰く「デビュー当時の彼は、何も持たない選手だった。少なくとも私にはそう思えた。」だそうだが、彼は内に秘めた闘志
2006年12月、BKC興行でのポルノコレクションAV戦にて引退。ただ、その後1ヶ月も経たない間に別団体のリングに上がってしまい、サークル員からの総ツッコミを受けている。
Burg
2004年4月、衣笠新歓興行でのピンクローターさくら、膣・OH!膣戦(パートナーはケンドーオバヤシ)でデビュー。格好良く、華やかなマスクマンが全盛の昨今において、特撮モノの戦闘員のようなマスクで登場。コスチュームはキャッツアイ仕様な上、胸元が大胆に開いており、セクシーさを演出。その他、背中の青い炎のプリント、マスクの頭部分についている白い布など、彼のレスラーとしては、どちらかと言うとパワーで勝負するタイプ。ただ、彼自身が得意としているのはデスマッチで、凶器を持たせると、その動きは別人のようになる。また、2004年には「裸笑悶」、2005年には「極熱同盟」といったヒール軍団にも参加。ルールの盲点を効果的に利用したダーティな戦いぶりは、正規軍の面々を大いに苦しめた。
一度、マスクを剥がされて素顔を見せた事があるが、彼の素顔は、その時の実況曰く「アニメの声優の素顔を初めて見てしまったときのような印象」らしい。
オナルドダッく
2004年7月、同志社今出川興行でのぶぅ〜高木、ハメドリアヌス戦でデビュー(パートナーはケンドーオバヤシ)。2回生になってからRWFに入った事もあって、同期生のレスラーからは約1年程出遅れた格好となったが、スピードに乗った切れ味の鋭い技の数々を得意とし、他の同期のレスラーとは一味違った戦い方の出来るレスラーである。デビューが遅かった事に加えて、2回生の終わりに肩を負傷し、半年以上の欠場。2回生から3回生に上がる一番大事な時期に長期欠場でリングに上がれなかったのは残念だったが、学生プロレスにかける思いの大きさと地道な努力によって、3回生の夏、再びリングでの復活を果たす。4回生時にはその肩の故障の影響が強く、再びリングを去ることになってしまったが、その不屈の精神は大きな結果を残した。
阪神の剛球投手、藤川球児にそっくりなのは有名な話。藤川が有名になることによって、そこらじゅうで「似てるね」といわれるらしく、人間関係を構築するのに大変便利だそうだ。肩を故障した時、「やっぱピッチャーは肩が命だよね」とは、本人の弁である。嘘である。
反物隆史
2003年9月、カナート洛北興行のキングボンビー戦でデビュー。元ネタは「GTO」で有名な某俳優さんだが、スーツ姿で入場する以外は特に関係はなく、どちらかと言えばエスパー伊東や梶原善、チリ人妻のアニータに似ている。本郷猛は彼の別人格らしい。現在はDWA所属らしく、DWA主催興行でたまにお目にかかれるが、外見から使う技まで本郷と大して変わらないため、見る側にとってはあまり変わらない。
膣・OH!膣
初登場は2004年4月、衣笠新歓興行でのケンドーオバヤシ、Burg戦(パートナーはピンクローターさくら)。加護悪慰が2回生になって、心機一転頑張る意味でリングネームを変更し、この名前になった。グラウンドの技術や打撃の力など、レスラーとしての偏差値はかなり高かったものの、それ以上に目を引いたのは彼の破天荒さであり、ムーミンの彼女、フローレンに対する異常な執着、キテレツ大百科の為に集合時間に遅刻、麻雀をする際は大三元しか狙わない等、彼に関する逸話の数々は、現在においても未だ色あせる事無く語り継がれている。
また、膣・OH!膣になってから、彼はDWAに対して異常なまでの興味を示し、立命館大学に居ながらにして、DWAへの移籍作戦を展開。DWA所属として試合に出たり、DWAの例会に参加したり、ついには同志社大学への編入試験の受験を画策するなど、その活動内容は、最早大学のサークル活動の枠を超えた、ある種彼自身の人生を左右するような事態を引き起こしていた。
3回生になって、突然行方不明になったが、2年後、消息が判明。言語が不明瞭になったとか、なっていないとか。
加護悪慰
2004年8月、伊賀上野興行でのピル・サムライ、アナ・ホッテン戦でデビュー(パートナーはJ・P・珍・ポルナレフ)。膣・OH!膣の前のリングネーム。前にも述べたが、レスラーとしての偏差値の高さ以上に、リング上での挙動不審さが注目され、特に、リング上で決める「加護ちゃんです!」の決めポーズは、あまりに予測不可能な動きの為に、見ている人には何が何だかさっぱり伝わらなかった。「天才」と「奇人」の境目を行ったり来たりしている男。
ちなみに、サークル内部ではお馴染みとなっている「冒険島入場」を最初に考えたのも、彼である。
勃鬼アンダーレイパー
2003年9月、カナート洛北興行のケンドーオバヤシ戦でデビュー。当時正規軍の若大将と呼ばれていたオバヤシを、デビュー戦の時点で見下ろしていた大物。「学生」プロレスのイメージとはかけ離れた「地下労働者」ギミックで、くすんだ色のコスチュームと年齢不詳の外見、独特の泥臭さは、一部の人間に好評だった。チン毛剃るジャー3号
2003年10月、同志社今出川興行の大黒棒陰茎、J・P・珍・ポルナレフ戦でデビュー(パートナーは勃鬼アンダーレイパー)。ハメドリアヌスの中の人。ヤクルトスワローズの高津臣吾に似ているという以外は、取り立てて特徴はなかった気がする。ハメ千人
2003年8月、伊賀上野興行のマグナムKYOTO戦でデビュー。ラグビーだかアメフトだかの下地があり、それを生かしたタックルとはつらつとした戦いぶりは、次代のエース候補と呼ばれたものの、惜しくも退団。RWFには珍しい、さわやかな男だった。2004年度入学
パイパン・グレイシー
2004年8月、伊賀上野興行のぶぅ〜高木戦でデビュー。せっかくのデビュー戦に星☆一発が乱入し、いかんせん地味なデビューになってしまった悲しい過去がある。2005年にヒール軍団「極熱同盟」に参加。Burgと組んでタッグベルト取りに挑もうとしたが、志半ばで首を負傷し、長期欠場に追い込まれてしまう。その長期の欠場期間に、肉体改造を決意。欠場前まで、お世辞にもあまり良い体のレスラーではなかった彼が、復帰戦のリングで割れた腹筋を見せ付けた時は、観客だけでなく、身内のサークル員まで、驚きの声をあげた。
得意なのは、その鍛え抜かれた筋肉によるパワー殺法。2006年12月のクリスマス興行では、120kgのチャンピオン、ブー高木に対してパワー勝負を挑み、そのタイトルを奪ってみせた。体力と精神力をストイックなまでに鍛え上げた末の、彼の集大成とも言える試合である。
名前は「パイパン」だが、結構毛は濃い。一度試合前に処理を怠って、コスチュームから毛がはみ出していた事があり、関係者一同をガッカリさせたことがある。
ビッグバン・カウパー
2004年10月、同志社田辺興行のBurg、膣・OH!膣、オナルドダック戦でデビュー(パートナーは大黒棒陰茎、パイパン・グレイシー)。デビューの頃は同期のパイパンに遅れを取っていたものの、着実に実力を蓄え、パイパンの欠場中には、先輩であるオナルドや、師匠格のボンビーを倒すなど、大きな結果も残してきた。だが、ライバルであるパイパンが復帰した興行で腰を負傷し、入れ替わるかのように欠場。その後も足の故障などもあり、怪我に悩まされ続けている。また、日頃の不摂生に故障中のトレーニング不足なども関わって、どんどん腹が出てきており、外見だけは40歳代。それでいて、なぜか一昔前、というかかなり昔のトレンドを好む傾向があり、精神的にも40歳代。同期の藤崎詩織からは、そのまま「ヲッサン」と呼ばれている。
レスラーとしては、その上背と、泥臭く粘り強い戦いが持ち味。怪我でベルト戦線に出遅れたが、そのハンデをどのように克服するのか。これから注目される。
藤崎詩織
2004年11月、BKC学園祭興行のソルティ・キッドマン戦でデビュー。RWF唯一の女子レスラーとして、当時からアイドル的扱いをされることが多かったが、最近はアイドル路線にも限界を感じてきたらしい。その証拠に、デビュー当時からのトレードマークだったセーラー服を、3回生になってから脱ぎ捨て、コスチュームチェンジしている。まぁ、ハタチも過ぎてセーラー服は(ry体格的には男子レスラーには圧倒的に劣るものの、一瞬の隙を突いた丸め込みや、男子顔負けの度胸によって、RWFのマットに華やかさを加えている。そして何といっても、彼女の必殺技、S・O・D(シオリ・オブ・デストロイ)の切れ味の鋭さは、他のレスラーの誰にも真似出来ない武器である。
名前は某ギャルゲーからそのままパクった。公式設定では「才色兼備、文武両道、攻略難度特A」といった感じだが、どうやら授業の単位がかなりヤヴァイらしく、そういった意味では完全に名前負けしている。
2005年度入学
ポルノコレクションAV
2005年11月、BKC学園祭興行でのクワエル・恥垢スキー、アナルカイダ戦でデビュー(パートナーは顔射男)。ただ、その1週間前の大阪市立大興行にて、当時の京都統一ヘビー級チャンピオン、ぶぅ〜高木とプレデビュー戦を行っている。劇団西一風と映画部にも所属しており、その事についてちょいちょい弄られる。怪我でデビュー時期は遅れたものの、重厚かつ多彩な蹴り技と、劇団で鍛えた表現力、そして何よりもそのスター性によって、デビューしてまもなく頭角を現す。デビュー2戦目では、スペルマ・クレイジーの引退試合の相手という大役を立派に務めあげ、大いにリングを沸かす。誰が言い出したかは知らないが、彼の別名は「スーパースター」。ただ、真の意味でスーパースターとなるには、まだまだこれからである。
RWFきってのモテ男であり、彼の所属する産業社会学部には、何人もの彼の愛人が潜伏しているとの噂もある。ただ、そんな彼は意外と尻が汚く、彼の尻は、一部サークル員から「レーズンパン」と呼ばれている。
ダイナマイト亀頭
2005年8月、伊賀上野興行の本郷猛戦でデビュー。学生プロレスをするために浪人し、浪人中は勉強ではなくひたすら体を鍛えていた、というエピソードを持つ困ったちゃん。地引網の似合いそうな絶妙の男臭さがあり、ポルノとは違った意味でのスター性と抜群のプロレスセンスを持つ。例年以上に好素材が揃ったと言われた、この世代のヤングジャガー杯で見事優勝。その後、ヤングジャガーの呪いに苦しむも、復活後には天使とのタッグ、KIT-TUN GENERATIONでタッグベルトに挑戦。そして、その後の学園祭では、2回生ながら、シングルのベルトにも挑戦。惜敗したが、次代のRWFに大きな期待を抱かせる試合となった。彼が今後、どういったムーブを起こしていくのか、その動向が注目される1人である。
ゲイであり、試合の所々にゲイ殺法(?)が登場する。実は立命館大学の生徒ではないが、それを言うと不機嫌になるので、サークルではその事について、あまり触れないようにしている。
天使
2006年4月、BKC新歓祭興行のダイナマイト亀頭戦にて初登場。観客に「マーン・コールマンさんですよね」と言われるほど、マーン・コールマンに似ているが、本人が別人と言っているので、多分別人。エルボーの威力とか打ち方とかそっくりだけど、別人。顔に変な模様あるし。大きな体格からの威力のある打撃が持ち味。中でも、必殺のエルボーは、見ている人間を震え上がらせるほどの殺人的威力を持つ。派手さは無いが、安定した力を見せ付ける。陵南の植草みたいな奴である。KIT-TUN GENERATIONでタッグベルトに挑戦するも、惜しくも敗退。タッグでの試合が多いが、シングルとしての動きも非常に楽しみな存在である。
アンパンマン顔の癒し系だが、リングの上での表情は完全にSの人のそれ。リング外でもそれは構わず、現在では後輩のサモハン・チンポーが彼の被害に遭っている。
兄歯建築死
2006年4月、衣笠新歓興行の顔射男、ポルノコレクションAV戦で初登場(パートナーは藤崎詩織)。傍から見れば、外見から使う技まで、アナルカイダそっくりであり、違いが全く分からない。小指の角度でも違うのだろうか。言わずと知れた耐震偽装キャラだが、完全に機会を逸した感がある。そのせいか、鉄骨関連の弄られ方はするものの、特にそういった特徴のある攻撃などは無い(てか、耐震偽装でプロレスって何だよ)。基本的にはヒールキャラであり、正統派の戦い方よりも凶器等を使った戦いが得意だが、現状ではまだまだ「ちょい悪」程度であり、彼の本領が発揮されるのは、まだまだこれからだと言えそうだ。
顔射男
2005年9月、向日町競輪場興行の味皇、星☆一発戦にてデビュー(パートナーはアナルカイダ)。だがこの時は、興行場所の関係上、下ネタを使用する事が出来ず、この時は「エネルゲン」という名前でデビューしており、実際に顔射男として登場したのは、その後の同志社今出川興行が初である。元ネタは某掲示板群から発した物語だが、インパクトという意味では完全に、映画やドラマの上を行っている。ポロシャツ、長ズボン(なぜかスリット入り)、メガネ。脱げば蛍光ピンクのブーメランパンツ一丁。長身なのに細い。戦闘スタイルは完全に馬場さん(晩年)。河津落としでは、相手以上にダメージを食らう…。動くだけで会場がどよめく、という奇跡の男。マイクを持つと人が変わる。
2006年6月の同志社今出川興行から行方不明。だが、その後の興行でも、似たような人間を何度も見るのは気のせいなのだろうか…。
アナルカイダ
2006年9月、向日町競輪場興行の味皇、星☆一発戦でデビュー(パートナーは顔射男)。正式表記はアルファベットだが、なんとなく検索等が怖いので、筆者はこちらを採用させていただく。下ネタが使えなかったデビュー時は、もろそのものの名前であり、関係者一同ヒヤヒヤしたもんである。とにかく悪い奴、というのは何となく分かるが、どこがどう悪いのかと聞かれると微妙。2006年6月の同志社今出川興行で顔射男に敗れてRWFを永久追放になったらしいのだが、その後の興行でも似たような人が出ているので、たいして違和感はない。
マーン・コールマン
2006年9月、向日町競輪場興行のケンドーオバヤシ戦でデビュー。顔射男の項でも書いているように、競輪場デビューでは下ネタ禁止だった為、この時は別リングネーム「谷川貞治」としてデビューしている。パワーファイトが持ち味で、必殺技はエクスプロイダー。デビュー当初は、曲者揃いのこの年代において、「最も新人らしい新人」と言われる。一時失踪した某先輩レスラーに似てると言われ、周囲からは「愛想の良い膣・OH!膣」などと称されていたが、性格的にはむしろ正反対。今となって考えてみると、外見も言うほど似ていない。
マスク・ド・Q〜ン
2006年6月、同志社田辺興行のハメドリアヌス、ポルノコレクションAV戦でデビュー(パートナーは破夢太郎)。マスクマンだが、長身かつ細身という分かり易すぎる体型。バスローブ着用で入場し、脱いだらタイツにサスペンダー。入場していきなり自らマスクを外し、また被り直す。突っ込みどころが多すぎて、逆にどこから突っ込んだらいいのか分からない。一応、謎の組織「GM派」の一員らしいが、組織が謎過ぎてイマイチよく分からない。2006年10月の田辺興行で、永遠のライバル、ポルノ様(本人談)との決着戦をして以来、行方不明。
USAGIさん
2006年10月、京都競馬場興行で初登場。RWFの誰かが拾ったウサギらしいが、長身かつ細身の分かり易い体型である上、すぐに被り物を外すので、正体はバレバレ。外見はメルヘンかつ不気味という、ありえないコラボレーションが実現している。雄琴仮面
2006年12月、BKCクリスマス興行でデビュー。やはり長身で細身なので、正体はバレバレ。「仮面」となのっているにも関わらず、目の周りにペイントをしているのみで、マスクはしていない。歌が得意。フェラ田三四郎
2005年8月、伊賀上野興行のボンビー戦でデビュー。アメフトで鍛えた体格と強烈なタックルで有望視されていたものの、惜しくも退団。しかし、興行や講演会などにちょいちょい観戦に来る上、非公式なサークル行事(プロレス観戦等)にはしれっと参加している為に、サークル員の中では「準レギュラー」としての位置づけで親しまれている。とても時間にルーズな性格で、デビューしてから半年もの間に、遅刻の為に2度もカードが流れた経験を持つ。
2006年度入学
華奢〜ン
サモハン・チンポー
キタ━(゚∀゚)━ !!郎
アレキサンドリア・ニート
2007年04月29日(日) 20:47:37 Modified by millionnights