第壱録「白面金毛五尾の狐」


 白面金毛五尾の狐



 ある夜。私が弟と共に夕餉を食べている時の事であった。

「姉ちゃん、何か焦げ臭くない?」
それは弟の一声であった。
 私は少し嫌な予感を受けながらも、さほど危機感の無い声で言った。
「そう言われてみればそんな気も……、ちょっと見てくる」
私は箸を置いて。台所へと歩いていった。

 私は、流し台の横に畳んで置いてあった布巾から、小さな火が立ち上っている様子を見た。
私は奇妙な現象に、冷静に驚いて言った。
「ちょっ、何コレ、何で火が……」
私は即座に流しの蛇口を捻り、コップを手に取って水を汲んだ。
布巾に水をかけると、火はすぐに消えた。
布巾は一部が黒く焼け焦げていた。
私は気を休めて言った。
「はぁ、どうやったらこんなとこに火が点くんだか」
 食卓の方から弟の声がした。
「姉ちゃん、何があったの?」
 私は朗らかさを装って言った。
「あ、平気平気。
 ただのポルターガイストだから」
 弟は冗談めいた困惑の声で言った。
「ポ、ポルターガイストって、大丈夫なのかな」
 私は不吉な感覚も忘れて、弟の心配は杞憂だと思った。
食卓の方へと戻りながら、言いかけた。
「自然発火なんて、プラズマの」
私は息を呑んだ。
 突然、弟の叫び声が響いた。
「うわあぁ!」
 私はゆったりとした歩きを全速力に変え、弟の許へと走った。
嫌な予感が当たってしまったのかもしれないと思って、言った。
「翔太!どうしたの!?」
 弟は慌てふためいた声で言った。
「火が!火が服に!」
 私は、弟のトレーナーの裾から黄色味がかった火が出ているのを見た。
布巾から出火した火と同じ色をしていることに気が付いた。
手で裾を繰り返しはたいて、火は消えた。
火は、見た目ほど熱くは感じられなかった。
目の前で烈火の如き視覚効果を齎す炎に恐れ戦く弟の顔を見て、私は小さめの声で言った。
「翔太、火傷してない?」
 弟は荒い息で言った。
「う、うん、大丈夫」
 私は落ち着きを取り戻しつつある弟の顔を見て頷き、ゆっくりと立ち上がった。
そして、部外者の存在に気が付いたことを部外者に曝け出すような声で言った。
「これは単なる自然発火や超常現象じゃないわね……
 どう考えても、意思を持った妖怪かなんかの仕業だわ。
 妖怪なら多分、狐火ね」

「ご名答。
 人間にしては、随分と勘が効くものだな」
 どこからとも無く響く声を聞いて、私は空気に向かって言った。
「やっぱり狐ね。
 何しに来たの。神社焼くつもり?」
 主見えぬ声は自尊心の塊のような声で言った。
「こんなボロ臭い社を焼いて何になる。
 私が焼きたいのは、貴様ら卑しい人間ども、とりわけ貴様らのような腐った者どもだ」
 私は相も変らぬ声で会話を続けた。
「焼灼処分されるほど怨まれるようなことをした覚えはないわ。
 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつ?」
 生意気な空気は鼻で嘲笑って言った。
「馬鹿なことを。
 坊主憎けりゃ巫女まで憎い、そう言うべきだ」
 私は台所まで歩きながら、時間稼ぎのために野暮なことを口にした。
「あっ、わかった。
 坊さんに苛められたのね。
 家に賽銭入れてくれたら、相談に乗るわよ。
 一秒五円で年中無休受付中」
 揺らぎ始めた空気は、私の右斜め後ろの方から、怒りを露にして言った。
「どうやら、今すぐにでも骨まで焦がされたいようだな」
 私は、にやりと小さく笑みを浮かべた。
そして冷蔵庫を開け、油揚げのパックを取り出した。
封を開け、油揚げの端を人差し指と親指で摘み、振り返って、空中でぷらんぷらんと振った。
 とにかくお腹が空いて堪らなかっただろう。
陽炎は突然、半裸の人の形に固化し、油揚げに手を伸ばした。
 私は彼女の右手の長く伸びた爪から、油揚げをひょいと遠ざけた。
そして、動物をあやす様に、食べ物を再びアピールした。
「ほらほら、食べてもいいのよ?」
 彼女は金色の長い髪を激しく振りながら、必死になって油揚げを取ろうとした。
右手だけで取ろうとしていたのが、両手で取ろうとする姿勢になった。

 私はその瞬間を見逃さなかった。
左足をさっと前にだして、右脚で勢い良く膝蹴りをした。
思いっきり彼女の腹に入ったので、やりすぎたかなという罪悪感を多少覚えつつも、少し気持ち良かった。
 彼女は息を詰まらせて、腹を押さえて前に倒れ込んだ。
非常に苦しそうな表情をして、「おえぇっ」と吐きそうな声を出した。
だが彼女の胃は空っぽだったらしく、口からは唾液が数滴落ちるだけであった。
 私は動けなくなっている彼女を観察した。
長い金色の髪、狐の耳、私と同じ赫い瞳、白い肌、晒を巻いているにも関わらず無駄にでかい乳。
ここまで見て、私はこの狐の妖怪は白面金毛九尾の狐だと推測した。
だが、赤い袴の上から出た尻尾は、五本しかなかった。
白面金毛だが、九尾ではない狐。その意味はすぐには思いつかなかった。
 だが、その意味はともかくとして、彼女の動きを拘束する必要があると考えた私は、緋袴のポケットからセロハンテープと霊符を素早く取り出した。
霊符は、”冷頭静気急急如律令”の咒文が書かれたものである。
セロハンテープを適当な長さで千切り、霊符を彼女の額に押し付け、テープでくっ付けた。
そして、ポケットからライターを取り出し、彼女の額の霊符に火を点けた。
 彼女の額の霊符が灰も残さず燃え尽きると、彼女はまだ苦しそうな声で唸った。
「こ、紅白め、何をした……」
 私は彼女とは反対に陽気な口調で言った。
「放火したり、つまみ食いしようとしたりする悪い子には、お仕置きよ」
 彼女は力を込めて立ち上がろうとするも、力が抜けてしまい立ち上がれない様子を見せて言った。
「くっ、力が入らん……何故だっ……」
 私は油揚げを、四つん這いになったままの彼女の口に押し込んだ。
そして少々投げやりながらも優しい態度で言った。
「”頭を冷やして気を静めろ”のお札を使ったのよ。
 油揚げあげるから、ほら帰った帰った」
 彼女は油揚げを食べながら言った。
「ん〜、安物だが中々美味い、もう一個……ではなくて、この怨みは必ず返してやる。
 八日以内だ。首を洗って待っているが良い」
 私は鬱陶しがるように言った。
「はいはい、もう来なくてもいいわよ」

 壁の影から見ていた弟が言った。
「姉ちゃんって結構武闘派なんだね……」
 私は笑うしかなかった。
「あは、あははは」


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2007年04月03日(火) 22:59:29 Modified by ID:vXzLvT8jTQ




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