第弐録「メリーさん」

メリー



 ある夜。私が部活動を終えて帰路に就いている時の事であった。

「もしもし、私メリーさん。
 今あなたの小学校の校門を出た所なの」
それは受話器の向こうから聞こえてくる少女の声であった。
 弟は何のことかと思い、電話応対の雛形をなぞった声で言った。
「えっ?あの、どちら様で」
受話器から聞こえる音は、既にビープ音だけになっていた。

 電話は再び鳴った。
「もしもし、私メリーさん。
 今歩道橋の下にいるの」
先ほどと同じ声であった。
 弟はこれをいたずら電話だと確信し、揶揄するように言った。
「君、パンツ何色?」
返事はビープ音でしかなかった。
弟は勝手に考えて、自分の思い込みを証人に仕立てた。
「つまり履いてないってことか」

 またである。
「もしもし、私メリーさん。
 今駅前」
 弟は電話を切られる前に急いで尋ねた。
「ねえねえ、バストは何カップ?」
 少女の声は、ビープ音に変わる直前に、今までにない反応を示した。
「キモッ」
 弟は一番詰まらない展開を避けられた事は認めながらも、少々頭に来て、ビープ音に向かって静かに独り言を発した。
「僕を愚弄するとは、いい度胸だ。
 よぉし、次は何のネタにしようか」

 四回目。
今度の声はかなり早口であった。
「もしもし私メリー今あなたの神社の前にいるの」
 弟も負けじと早口で言った。
「もしかして生理キツくて苛々してる?」
 少女はぶつぶつと文句を言いながら電話を切った。
「なんでこんなのを相手にしなくちゃ……」
 弟は吊り上っていた口元を急に垂れて、受話器を静かに置いて、呟いた。
「本当に、神社の前にいるの、かな……?
 やば……」

 私は家の玄関を開けようとした。
だが、玄関には鍵が掛かっていて、開けられなかった。
私は鍵を取り出してそれを鍵穴に差し込み、何の気なしに回そうとした。
すると、中から弟のたどたどしい声が聞こえてきた。
「ちょ、ちょっと待って、僕が悪かったです!
 許してください!」
私は何のことやらさっぱりだったので、曇りガラスの向こうの、土下座の格好の弟の影に言った。
「へ?どうしたの翔太?」
 ドアの向こうの弟は、一瞬きょとんとして、それから安心した様子で言った。
「あっ、姉ちゃんか。
 良かった……」

 家の中に入った私は、弟から事情の説明を受けた。
メリーを名乗る謎の電話の事、段々近づいて来る事、つい先ほどの電話では神社の前にいるとの事であった。
私はこれらの事情から推測される、有名な噂話を知っていた。
私はこの電話の正体を弟に伝えた。
「翔太、これは”メリーさん電話”って言う都市伝説よ。
 メリーさんは呪われた女の子の人形で、留守番をしている人に電話を掛けるの。
 電話の中で、メリーさんは自分の居場所を告げるわ。
 そして段々その人の家に近づいてきて、最後は……」
 その時、電話が鳴った。
 弟にとってそれは既に五回目であったにも拘らず、弟は今までで最も冗長性のないコールを聞いた。
弟は受話器を取らなかった。
次に取った時、恐ろしい事が起きる気がしたからである。
 だが、電話の電子音は受話器を取らずして止んだ。
そしてこの時の声、彼女の声は受話器を介さず、弟の聴覚に直接響いた。
「もしもし、私メリーさん。
 今あなたの後ろにいるの」
 弟はぎょっとして、振り返りそうになった。
 私ははっとして、振り返りそうな弟の首を両手で押さえ固定した。
そして耳元で言った。
「振り向くな君は美しい。じゃなくて、振り向いちゃだめ。
 メリーさんは、この電話をかけた後、相手が後ろを向いた瞬間を狙うのよ」
 弟は少し怯えながら懐疑的に言った。
「で、でも、僕の後ろには何もいないでしょ?」
 私は怯えず、だが厳格な声で言った。
「昨日の頭の悪い狐の妖怪を見たでしょ。
 妖怪にとっては、自分の姿を隠すぐらい造作もないのよ。
 しかもメリーさんの場合は、電話をかけられた相手にしか見えない状態で現れるの」
 弟は声を荒げて言った。
「じゃあ、僕は一生後ろを見れないじゃん!」
 私は弟を諭し、成功するかどうかも分からない対策を、さも確信的であるかのように伝えた。
「大丈夫大丈夫、良い作戦があるのよ。
 翔太、その向きのまま、後ろに下がって」
 弟は私の云うとおり、おそるおそる後ずさりした。
「う、うん……これでいいかな」
 私は次の指示を伝えた。
「オーケー、次はそのまま壁伝いに、化粧台の所まで行って。
 私はちょっとある物を取ってくるから、くれぐれも後ろは見ないようにね」
 弟は慎重に、壁に背中を這わせて横向きに歩いた。

 私は洗面所から、縦の長さが弟の身長の半分ほどある鏡を持ってきた。
そして、既に化粧台の前まで来ていた弟に言った。
「いい?
 私が合図したら、横に一歩出て、そして素早く後ろを向いて。
 ちゃんとやらないとメリーさんに襲われるわよ」
 弟は私の胡散臭い作戦、少年向けの売れない漫画に出てくるような作戦に疑念を抱くこともなく、首を細かく振って頷いた。
「う、うん、わかったよ」
 私はしゃがんで、壁に密着した弟の後頭部のすぐ横に鏡を構えて、勢い良く言った。
「いっせーのーでっ、はいっ!」
弟が右足を横に差し出すと同時に、私は化粧台の鏡と平行になるように鏡を突き出した。
 弟は目を瞑って振り返った。

「う〜、どれが本物なの〜」
鏡の向こうの遥か遠く、弟の正面ではなく、背中の方から、少女の声が響いた。
 私は固く目を閉じたままの弟に呼び掛けた。
「翔太、もう大丈夫よ」
 弟は恐る恐る目を開けて、状況がいまいち呑み込めない様子で言った。
「……あれ?メリーさんは……?」
 私には弟が恐れていた存在、メリーさんがどこにいるのか、
どちら側にいるのかも、否定を何度通過した場所にいるのかも分からなかった。
しかし声が聞こえてきた以上、そして声の内容が無限の循環に混乱する亡者のようであった以上、本当の場所など何処でも良かった。
私は弟の背中側の鏡、化粧台の鏡の奥を適当に指差し、彼女の姿が見えているかのように言った。
「ほら、こっちの鏡の奥に何かいるでしょ。
 これがメリーさんよ。」
 弟が再度振り返ると、私には姿の見えない少女はまた呻き声を上げた。
「あっ、あれ?ちょっと振り返らないでよ。
 もうどれがどれだかどっちだか……」
 弟はようやく自分と彼女の状態を理解したようで、間延びした声で私を褒めた。
「あっ、あ〜なるほど〜。
 さすが姉ちゃん、機転が利くなぁ〜」
 私は苦笑いして言った。
「いや、私が頭良いんじゃなくて、妖怪が”馬鹿過ぎる”のよ。
 まさかネット上でよく言われるような単純な手段が効くとは思わなかったわ」
 既に本当の弟の正面に辿り着く事を諦めてしまったようで、私にも見えるようになっていた彼女は、自分の悲惨さを嘆いた。
「う〜、貧乳巫女には貶されるし、マセたガキには変態質問されるし……
 もう散々、帰って寝るわ。さようなら」
そして、金髪と青ドレスの少女ドールは、鏡の向こうから姿を消した。

 私は弟に詰問した。
「ところで翔太、一体メリーさんに何を質問したの?」
 弟は目線を逸らしながらも、正直に答えた。
「あ〜、えっと、その、パンツは何色かな〜とか、バストは何カップかな〜とか、気になって、つい……」
 私はゆとりのある野次を飛ばした。
「このマセガキめっ!」


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2007年04月04日(水) 05:04:29 Modified by ID:Q/zcXyJ2Dw




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