第肆録「座敷童子」

 座敷童子



 ある夜。私が弟と共に、スーパーで安売りされていた和菓子を食べながら、談笑している時の事であった。

「あれ?姉ちゃん、三色団子いくつ食べた?」
それは弟の転調した声であった。
 私は偽る心も猜疑心も無く、変わらぬ調子で正直に答えた。
「え?ニ本しか食べてないけど」
開封前には三色団子が三つずつ入っていた、二つのパックに視線を移した。
そこには、合わせて一本しか残っていなかった。
 弟は自分も二本しか食べていない事と、不公平な手段で数多く食べようとする意思の無い事を強調するように、
無意識ながらに態とらしく、首を傾げて言った。
「おかしいなあ、もう一本はどこに行ったんだろ?」
 私は三色団子が消滅した原因について、一昨昨日から連続している物がいるような気がした。
その理由は弟の動向と瞳孔、加えて声質でしかなかったが、
それは犯人特定の材料としては弱くても、アリバイとしては強かった。
そのために、私は少なくとも弟を疑ってはいないという事を示唆する意味で、容疑者を挙げた。
「そうね、食い意地の張った妖怪が盗み食いしたんじゃない?」
仰々しく、顔全体を用いて斜め四十五度を見たのが、失敗だった。
再びパックに目をやると、言うまでも無く、三色団子のパックは空っぽになっていた。
 弟は私に連れて、壁と天井の境界線を見ていた。
また私に連れて視線を下に戻して、いつの間にか空になっていたパックを見ていた。
ポーズボタンを押したように一時停止してから、急に動き出して、私の顔を見つめて、不安げな声で言った。
「そうだね、明らかに妖怪だね。
 あな恐ろしや……」
 私は、最初から食べる目的で来る妖怪ならば、恐れるほどの物ではないだろうと考えた。
そして弟を安心させるためにも、その正体を暴こうと思い立った。
まだスーパーのビニール袋の中に入ったままだったお萩の箱を取り出し、朗らかな声で言った。
「お萩食べたい子は手ー上げて!」
 弟はいつもの調子で手を上げた。
「はーい」
 私も手を上げた。
「はーい」
 見知らぬ手も上がった。
「は〜い」

 私は三本目の謎の手を素早く掴み、一気に引き上げた。
「盗み食いする悪い手はこれね!」
 謎の手にくっ付いてきたのは、五歳程の姿の黒髪の女児であった。
彼女は言った。
「ごめんなさ〜い離して〜!」
 私は彼女をゆっくりと降ろして、見た目からしてまず間違いないであろう事を、念のため確認した。
「あ〜やっぱり。座敷童子?」
 彼女はすぐに落ち着きを取り戻して、本当に幼児のように言った。
「うん、ザシキワラシって呼ばれてる。
 で、お萩は?」
 私はお萩の箱を開けながら言った。
「今あげるわよ。ところで、今日は何の用で来たの?」
 彼女はお萩を素手で掴んで、食べながら話した。
「あのね、狐さまに、『あの神社に行って、二人を鳥居獄門に懸けてこい』って言われたの。
 だから来たんだけど、トリーゴクモンって何だろう?」
 私は、自分がここに来た理由すら理解していない彼女の様子を見て、弟に言った。
「翔太、安心しなさい。
 この妖怪は安全よ」
 弟は既に大体分かっていたという声で言った。
「あ、やっぱり。良かった〜」
 私はそれに付け加えた。
「しかも座敷童子は幸運を齎す妖怪だから、賽銭が増えるかもしれないわ。
 収入が倍になれば小遣いも倍よ」
 弟は急に元気になって言った。
「ホント!?
 これは最高のおもてなしをしなくっちゃね!」
 私は軽く笑って、彼女に言った。
「ははは、今日は遊んでって良いわよ、座敷童子ちゃん」
 彼女は溢れんばかりの笑顔で答えた。
「うん!」

 彼女は私達の先頭に立って、屋内を探索し始めた。
最初に、居間の壁の上の方に飾ってあったお面を指差して言った。
「ねえねえ、あれなーに?」
 私はいつか母に教わった記憶を頼りに答えた。
「えっと、あれは確か、”式食いの面”って言うお面よ。
 呪いを撥ね返す力があるらしいけど、ここ最近の家の状態からして、あんまり効いてないみたいね」
 彼女は次に、壁に掛かった弓と矢筒を指差して言った。
「ねえねえ、あれなーに?」
 私は誇らしげに言った。
「あれは、弓道で使う和弓と矢の入った筒よ。
 私、去年の市民スポーツ祭の弓道競技で八位だったんだから」
 弟は軽快に突っ込みを入れた。
「姉ちゃん、凄いのは認めるけど、腕前は聞いてないよ」
 彼女は弓矢に興味を持ったらしく、私にせがんだ。
「やってみて!お願い!」
 私は良い事を思いついたので、それを快く引き受けた。
「うん、いいわよ」

「姉ちゃん、これ、何の冗談かな?かな?」
弟は、頭の上に一つの林檎を乗せた状態で硬直していた。
 私は弓掛を右手に嵌めながら、楽観的な態度で詭弁を弄した。
「凄いのは認めるんでしょ?だったら問題無し。
 大丈夫よ、この前友達の頭を借りて、もっと遠くからやって成功したんだから。
 この至近距離で外す可能性は、ウィリアム・テルが日向ぼっこしている黒猫を射てしまう確率より低いわ」
 弟は不安を拭えない声で言った。
「茶目っ気のある姉ちゃんの事だから、やりかねないよ」
 彼女は、弟の心情も何も知らない純粋無垢な笑顔を見せて、日本の妖怪としては珍しいと思われる単語を混ぜて応援した。
「行け行けゴーゴー!」
 私もそれに便乗して、エンターティナーのように声を上げながら弓を構え、打ち起こした。
「イッツアパーティターイ!」
 弟は慌てて私を抑止しようとした。
「待て早まっちゃだめだ姉ちゃん!これに似た傷害事件だってあるし!」
 私は語調を平常に戻すと同時に、弓を射た。
「知ってるわよ、そんな事」
 弟は瞼を固く閉じた。
弓の弦が引き戻される音、矢が風を切る清清しい音に続いて聞こえてきたのは、気圧の力で物が引っ付くような、
存外滑稽な音だった事に違和を感じ、ゆっくりと瞼を開けた。
目の前が明るいのを確認して、空気が抜けるように言った。
「助かった……」
 私はくすくすと笑った。
そして弟に告げた。
「林檎と矢を見ればわかるわ」
 弟はどういう事だろうと思って、頭上の林檎とそれにくっ付いた矢を手に取った。
矢は、林檎に刺さっていたのではなく、くっ付いていた。
矢の先には、鏃の代わりにプラスチック製の吸盤が取り付けられていた。
弟は本当に空気が抜けて言った。
「な、なんだ、おもちゃだったのか……はぁ」

 彼女は私達に先立って弟の部屋に入り、パソコンを指差して言った。
「ねえねえ、あれなーに?」
 私は小学校低学年の先生のように教えた。
「あれは、パソコンって言う物よ。
 商売から娯楽まで、人によってはおはようからおやすみまで、色んな事ができる機械なの」
 彼女は興味津々な様子で言った。
「どんな遊びができるの?」
 弟は鼻に掛けて言った。
「やっぱり今の最新の流行は、シューティングゲームだぜぃ!」
 私は、弟の曲解がやがて多大な誤解を招くのではないかと心配した。
だが、自慢したい年頃である弟に同情して、ここは弟に一任することにした。
私は弟に同調した。
「あ、いいんじゃないそれ。見せてあげたら?」
 弟は鼻息を荒くして言った。
「その言葉を待ってました!」

 弟はコントローラを握り締めて喚いた。
「うわあぁぁ死ぬ死ぬうぅぅぅ!」
 直後、画面が切り替わり、YOU LOSTの文字とスコア等が表示された。
ゲームオーバーであった。
 弟は人前で、自身の力量の範疇を超えたステージを選んでしまった事に、少し後悔した。
だが、実力が足りなかった事を認めたくなかったらしく、負け惜しみの台詞を吐いた。
「ちくしょー、今日は調子悪いなー」
 彼女は、このゲームの基本的なルールすら理解していなかった。
にも関わらず、今すぐにでもビデオゲームという未知の遊びに触れてみたいと思ったようだった。
そして弟の寝巻きの裾にくっ付いて、上目遣いでせがんだ。
「ねーねー、あたしにもやらせて〜!」
 普段から趣味の話ができる相手を欲しがっていた弟は、それを快く引き受けた。
弟は彼女にコントローラを手渡し、簡単に操作の説明をした。
そしてクリアしやすくするためのオプションを付け、LEVEL1のステージを開始させた。
 彼女は最初こそ操作がぎこちなかったものの、すぐに慣れて、ゲームのシステムに適応した。
そのステージをクリアし、それよりも少し難度の高いステージにも挑戦した。
それを繰り返して、およそ一時間が経つと、ステージの難度は既に弟がギリギリクリアする事のできる辺りにまで到達していた。
 弟は恐れ慄いて言った。
「なんつう上達速度だ……」
 彼女は無邪気に言った。
「ねえねえ、いっちばん難しいのがやってみたいな〜」
 弟は内心震え上がりながらも、表面的には平静を保って言った。
「うん、今プレイできるステージの中では、LEVEL10が最高難度だけど……
 本当にやる気?」
 彼女は臆する事など全くせずに言った。
「うん、やりたい!」

 画面に大きく表示されたのは、まさしくYOU WONの文字であった。
プレイヤーライフが残り少なくなり危うかったものの、彼女は見事にボスの最終攻撃を耐え抜いた。
 彼女は手を上げて高らかに喜んだ。
「やったー!倒したー!」
 弟は苦笑いをした。
残り少なかった笑う力がついに底を突き、自信を喪失してしまった弟は、覇気の無い声で呟いた。
「若いっていいよね……」
 私は半分放心状態の弟に対して、それに加えていつかの自分自身に対して、励ましの言葉を掛けた。
「翔太、好きこそ物の上手なれ、って言うでしょ。
 下手の横好きは、それの前段階。
 だから、勝って喜ぶのは良いけれど、負けて落ち込んではダメなのよ」
 弟は、苦くない笑いを少しだけ見せた。
「うん、そうだよね」

 彼女は時計を見た。
暫くの間、丸い目をふんだんに使って、時計を見た。
そして、ハッと気付いて言った。
「あっ、もう八時だ。
 狐さまの門限を破っちゃだめだから、あたしもう帰らなくっちゃ」
 私は息子の友達を見送る母のように言った。
「そっか、もうこんな時間だからね。
 外はもう暗いから、気を付けて帰りなさいよ」
 彼女は笑顔で手を振った。
「うん。ばいばい、お兄ちゃん、お姉ちゃん」
 私も笑顔で返した。
「また来てね〜」


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2007年04月30日(月) 00:13:34 Modified by ID:vXzLvT8jTQ




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