裏二話

眼を細める少女。
 左の複眼が怪しく蠢く。
 しかし、そんな少女に不敵な笑みを返しながら、佑太郎は悠然と言い放った。
 「そろそろ聞かせてもらおうかな。何で…僕の所に来たのかを」

 しばしの沈黙。
 俯く少女。
 佑太郎はカフェオレを啜りながら、少女の言葉を待った。
 (微温い、な…)
 冷蔵庫から出したての牛乳を注いだカフェオレは、舌を包むように微温かった。
 子供の頃はちょうどいいと思っていたその温度も、今の彼には少し物足りない。
 一気に飲み干したい衝動に駆られたが、とりあえず一口に留める。
 間を持たせる為にも、飲み物を切らせないようにする。
 飲み物というクッションを介することで会話の流れをスムーズにし、同時に一拍置く機会を作る。
 それが、見ず知らずの相手と会話する時の佑太郎なりの会話術だった。
 「……なんでも、さがせますか…?」
 「ああ、努力はするよ」
 「…はい」
 意を決したように少女は顔を上げる。
 それまでに見られなかった感情の波…強い意志の篭った瞳。
 核心を突くであろう言葉を佑太郎は待った。
 「…さがして、ほしいの」
 「何を?」
 
 「……わたしの、おもいで」

 一瞬、何を言われているのか理解できなかった。
 何を探せと言ったのか、この少女は。
 ―――思い出。
 凝固した脳を溶かしながら、佑太郎は反芻するように少女の言葉を直して紡ぐ。
 「記憶…か」
 つまり、こういうことだろう。
 少女は記憶喪失なのだ。
 変質した左眼を見る限り、何らかの霊障を負っている可能性もある。
 怪異に巻き込まれたことは間違いないのだろうが……何とも厄介な話だと内心で独りごちる。
 しかし、放置するわけにはいかないのも事実。
 先程感じた霊圧…脳にまで染み込むような腐臭を思い出せば、身体も心も震い出す。
 あんなものを放っておけば、被害者が出ないなどと考えられるわけがない。
 霊的事象の厄介なところ…それは、人は霊に干渉できずとも霊は人に干渉できる点だ。
 この場合の霊は、怪異や悪魔、妖怪などに置き換えても通用する…言わば、裏社会の常識だ。
 霊能力者とも言うべき自分がこの少女との接点を持った事は、ある意味では天啓なのかも知れないと佑太郎には思えた。
 ―――何とも迷惑な天啓だが。
 「そうだなァ…どこまで覚えてるんだ、君は」
 「…なまえも、おぼえて…ません」
 霊障の進行が早いのか、それとも霊障に掛かったのが相当前なのかは不明瞭だが…重度に違いはなさそうだ。
 いつ掛かったのか、などと訊いても答えは恐らく返っては来るまい。
 「行く宛はあるのか?」
 「…ない、です」
 しばしの思案。
 しかし、幾ら頭を廻そうが…これ以上の結論など出ようもない。
 (………いや、出せるほど頭が良くない、と言った方がいいかも知れないな)
 こんな時に兄ならどうするだろうと、脳裏に過ぎる兄の姿。
 機知に富み、常に大局から最善の一手を導き出す兄を思い出す…そんな自分の弱さを振り切るように、佑太郎は頭を振る。
 そして、観念するようにその“結論”を紡ぎ出した。
 「その依頼、成功報酬って形で引き受けるのは一向に構わない。
  ただ…少し時間がかかると思うんだ」
 「…そう、ですか」
 ほんの少し、よく見ていなければわからない程度に肩を落とす少女。
 行く宛がないという彼女の言葉を反芻しながら、佑太郎は“結論”の続きを口にした。
 「君はここで暮らせばいいよ。
  記憶を取り戻すか、行く宛ができるか…それまでは僕を頼ってくれていいから」
 「……ぇ…」
 「勿論、事務所の掃除とか炊事くらいは頼むかも知れないけど、ね。
  一応…いや、疚しい気持ちがあって言うわけじゃないけどさ…その、男と一つ屋根の下になっちまうけど…君がそれでも
  構わないんであれば…」
 意識せざるを得ない現実――――彼女は女性で、彼は男性。
 その事実……しかも、幾ら同情があったとは言え、こうも容易く同居を勧めてしまったという事実に言葉が乱れる。
 (…くそ…これじゃ下心アリですって言ってるようなもんじゃないか…っ)
 完全に失敗した。
 ここで彼女を野放しにすることはできない……だからこそ、監視下に置くという意味でそう言ったはずなのに。
 (自分でそれを意識しちまうなんて――――――なんて不覚)
 内心で舌打ちする佑太郎。
 だが、少女の返答はそんな彼の失態を意に介さないものだった。
 「…いいん、ですか?」
 「え、ああ。ぼ、僕の方は全然構わないさ」
 どこか安堵を浮かべた少女。
 微かな表情の動きを察する能力が芽生えてきたことに、佑太郎もどこか誇らしげな感覚を覚えていた。
 「……よろしく………おねがい、します」
 「ああ、こちらこそ」
 笑顔を浮かべながら、佑太郎は右手を差し出した。
 それを、ゆったりとした動作で戸惑いながら握り返す少女。
 その手は、しっとりとした絹のような…女性特有の柔らかさを持った肌だった。


 「さて、まずは名前だな」
 「…なまえ、ですか」
 きょとん、とした顔で訊き返す少女。
 「呼ぶ時に不便だろ。家具とかは後で揃えればいいとして、当面の問題は名前。
  確か、覚えてないんだったよな……希望とかあれば、それでいいんだけど」
 少女は俯く。
 そして、右手を顎に添えながらしかめっ面で虚空を睨み続けること3分程。
 (……まだ、かな)
 佑太郎が待ちかねて何かを言い出そうとしたその時―――
 「…おもい、つきません」
 「あ、そう」
 申し訳なさそうに少女はそう言った。
 だが、侮るなかれ。
 彼の名は柊佑太郎――――――――生粋のヲタクだ。
 読了した漫画は積み上げれば塔を為し、やり終えたゲームは同人も合わせれば百から先の数字なし。
 秋葉原――――――否、アキバを聖地と信じて疑わず月に一度の“巡礼”は欠かさない。
 クローゼットは禁忌の領域…開ければ崩壊のみが待つ禁断区域。
 大学では繰り広げられるカードゲームの嵐……最近のお気に入りはリ○とかガ○ダム○ォーとか。
 マ○ックに至っては、もはや大会の常連と化す始末。
 そして、夜はお気に入りの二次元キャラが下半身の御相手仕るわけで。
 ――――そう、彼はただ待っていたわけではない。
 退屈を嫌う彼が、そのような愚行に走る訳がないのだ。
 愚行を行うくらいなら、あえて愚考に有限なる時間を使う。
 それが彼――――退屈を嫌う迷探偵、柊佑太郎なのだ。
 「………透香」
 「…え?」
 「いや、何となく…だけど。
  『透』き通る『香』りと書いて『とうか』……どうかな」
 透香。
 『透き通る香り』で、『透香』。
 その言葉を噛み締めるように呟いて、少女は見る目のある者にしかわからない微笑を浮かべた。
 「…それで、いいです」
 「そっか。気に入ってもらえて何よりだよ」
 少女―――透香に気まずそうに微笑む佑太郎。
 言えない。
 さっき、擦れ違った時に嗅いだ髪の香りが…腐臭の中にあってなお、少女の中に女性を感じさせる香りが名前の由来だなんて。
 そんな変態じみたことは……言えない。
 (何でとは訊かないでくれよ…)
 ぶつぶつと、しきりに『とうか』を繰り返す透香を祈るような眼差しで見つめながら、佑太郎はこれからの事を思案する。
 まずは部屋……物置を一室、片付ければどうとでもなるだろう。
 家具一式と必要なものは後で買いに行けばいい。
 友達には何て言おうか……ってまあ、そこは遠縁の従兄弟か何かで誤魔化すしかない。
 (…妹、でも…通用はするんだけどな)
 佑太郎は兄のことを思い浮かべる。
 そう―――“あの出来事”のせいで、佑太郎は兄のことを…柊晋一郎のことを他者に語ろうとはしない。
 それは、忘れたいと願う彼の心がそうさせるのか…それとも、彼の心の中だけに留めたいと願う心がそうさせるのか。
 何にせよ、佑太郎の中で兄の名前を出すことは禁句なのだ。
 それに、家柄が『特殊』である以上、普通の生活を望んで大学への進学を希望した佑太郎にとって家族の存在もまた、あまり進んで
 語りたいと思う話題でないのも事実。
 故に彼はこれまで、親しい友人にもそういった類の話は極力避けてきた。
 ――――『実家の妹を少し預かることになった』でもおかしい話ではないのだ。
 (むしろ、それでいいか)
 とりあえずは妹として扱うということで決定。
 後はまあ、おいおい考えていけばいいことだろう。
 ―――無論、霊障のことは少しずつでも解明していかねばならないことだろうが、こればかりは一存で決められる話ではない。
 精神的苦痛を伴う儀もあれば、危険を冒さねばならないことも出てくるだろう。
 それは透香とふたりで考えていけばいい。
 
 「…なるようにしか、ならないさ」
 自分を納得させるように、佑太郎は一言だけそう呟いた。
 うだうだと考えるのは趣味じゃない。
 出来ることをやって、それを終えたら次の出来ることを考えればいいだけだ。
 そうやって今まで上手く生きてきた。
 なら、それでいいに決まってる。
 ―――――さあ、手始めだ。
 透香と一緒に、家具と生活必需品を買い揃えに行こう。
 新しい生活が始まる。
 退屈を嫌う佑太郎にとって、それは僥倖のようにも見えた。
 何にせよ、これから始まるのだから。
 “退屈”のないであろう日々が。




 「ん?」
 来客を告げるベル。
 (正直、透香だけでお腹一杯だからもう今日は来てくれなくても結構なんだけどな)
 「…おきゃくさま、ですか」
 「ん。ちょっと待っててくれ」
 所在なく呟く透香に少し待つように告げ、佑太郎は玄関へと急いだ。
 「はいは〜い!今、開けますよ〜」
 玄関を開けると、そこには謎の男が一人。

 「HEY!YOUがユータロー・ヒーラギでOK?」
 
 変な奴だった。
 どこからどう、贔屓目に見ても変な奴だった。
 何かこう…食い合わせのせいで腹を下しそうな服装。
 蒼いハートが刺繍されたピンクのTシャツに、上着は何故かネイティブアメリカンな風味漂う感じ。
 そして、スネ毛も剃ってないのにハーフパンツだ。
 どうしてくれよう。
 「…ど…どちらさま、ですか」
 「俺?俺はGOOD BOY…星の数ほど女のいるこの星で、女と結ばれない宿業(カルマ)を背負った漢さ」
 

 ―――変なのが来ちまった。
 落胆しながら佑太郎は、退屈を毛嫌いしていたことを少しだけ反省した。 
 
 ………これならば、退屈の方がよかったと。
 
 
 
2006年06月12日(月) 21:39:50 Modified by ID:O8b9luq7Cw




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