呟き尾形の個人的な資料です。

金蝉脱殻

第二十一計 金蝉脱殻「金蝉、殻を脱ぐ(きんせん、からをぬぐ)」

 漢の高祖劉邦が項羽と天下を争っていたころ、彼は常に苦境の連続だったそうです。
 劉邦が包囲された時のこと、項羽の軍に固められて食料も尽きかけていました。
 この絶体絶命の時に紀信という将軍が献策したそうです。
 それは、婦女二千人に鎧兜を着させ東門から出すというものです。
 すると項羽軍は攻撃と勘違いして東門に兵力を集中しました。
 紀信は劉邦の格好をし、劉邦の御座車に乗って敵に降伏を申し入れたそうです。
 当然、敵の将兵は、劉邦が降伏したものと勘違いをし、万歳の声が原野にこだましました。
 劉邦はその隙に正門から脱出し、難を脱したそうです
 その後、紀信は項羽に捕らえられて処刑されました。
 この計略は一人の有能な将軍の死という犠牲の上に成り立っています。


 「金蝉脱殻」とは、とどまっているように見せかけて、移動するという計略で、主に、撤退の時の計略だといえるでしょう。
 戦争で何が難しいといえば、撤退が一番難しいといいます。
 例えば、戦況が不利になり、敵と対峙しているときなど、一度撤退して状況を巻き返す必要が生ます。
 そのとき、策もなく撤退すれば、追撃を受けて壊滅の危機に瀕する可能性が高くなります。
 そこで、撤退する時に攻撃されたら不利ならば、撤退した事に気付かれなければいいわけです。
 撤退した事に気付かれ無いためには、敵にはあくまでも現在地にとどまっているように見せかけて釘付けにしておき、作戦を無事に完了することが出来ます。
 そして、敵が気付いた時には、味方の陣はもぬけの殻ということになります。
 もちろん、金蝉脱殻は、計がばれた時は、かなりの損害を覚悟しなくてはなりません。
 ですから、いかに、現在地にいるように見せかけつつ、もぬけのからにして脱出するかが、金蝉脱殻の重要なポイントとなります。
 たとえば、退却するときめても、陣形を保って、固く守ると見せ掛ければ敵も迂闊には手を出せるものではありません。
 ですから、敵も様子をみる形になります。
 その隙に、退却するという、軍の統率力と移動の迅速な行動が必要とされます。

 もちろん、金蝉脱殻は、退却の計ではありますが、いたずらに逃げるものではなく、分身の法だといえます。
 目の前にいるように見せかけて、他の方角から攻撃すれば、目の前に敵がいると思っている敵軍は混乱します。
 分身するためには、いかにもそこにいるように見せかけなければいけません。
 ですから、自軍が転進させたあとも、旗やドラはもとの陣に残しておくべきでしょう。

 進むにしろ退くにしろ、味方の動静が敵に察知されなければ、それだけ成功の確率は高まります。
 つまり、金蝉脱殻とは、単なる退却のための策略というわけではなく、敵に対面したとき、精鋭を抜き出して別の陣を襲うものとしての応用も可能なのです。

 これは、『声東撃西の計』や『暗渡陳倉の計』などの陽動作戦とは、方法がまったく逆の策ですが、いずれの目指すところも同じです。
 孫子の兵法において、敵に動きを察知させないことの重要だとしています。


 さて、現代においては、金蝉脱殻は、どのような活用方法があるでしょうか?
 それは、交渉術です。
 勝負事、取引でもかまいません。
 まず、より、交渉において、有利になるためには、とりあえず、相手と対立し、簡単にはことは進まないのだという見せ掛けの主張をします。
 そこから、相手の考えが見えてきます。
 譲歩する条件が用意してあれば譲歩する条件を提示するでしょうし、最初から譲歩する気が無いのであれば、その上で検討が可能です。
 つまり、見せ掛けの態度をみせることによって、最初に相手の手の内を見てから検討することが可能になるわけです。


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