呟き尾形の個人的な資料です。

快楽主義                       目次

快楽主義  編集中

エピクロスの提唱した哲学は、快楽主義とよばれていて、快楽は
善、苦痛を悪としました。快楽というと、快くて、たのしいことです。
 他には、官能的な欲望に満足することにもつかわれています。
 ”快楽”=幸福という図式は、ただただ、金銭欲、名誉欲、権力欲、
性欲、食欲など、酒池肉林、牛飲馬食を礼賛すると誤解しがちですが、
エピクロスの快楽主義は、ちょっとちがいます。
 むしろ、いわゆる欲望から連想されるイメージから正反対のものだと
いえます。
 エピクロスのいう快楽とは、そうした物理的、感覚的な快楽ではなく、
 アタラクシアという魂の平安が目指されています。
 その手段として、つつましい生活が選択されたともいわれています。
 お金があれば、なんでも手に入るから幸せだと感じるでしょう。
 みんながほめてくれると幸せだと感じるでしょう。
 それに、えらくなれば、それだけで幸せを感じるでしょう。
 たとえば、プリンが大好物な人が、おなかいっぱいプリンが食べら
れたとしてます。
そうすれば、幸せになれますよね? しかし、大好物がなくなったとき、
実は、食べられなかったときは、どう思いますか?
 とてもいやですよね。
 人間は本来、苦を避け、快を求める傾向にあります。
 それは、快楽を選択し、苦痛を避けることが自然の状態とすることに
なります。
 つまり、自然の命じるままに生きていくことが、すなわち身体の健康
と平静が得られることになります。
 たとえば、プリンをたべて、おいしいと快を感じたとしても、プリン
の食べすぎで、快は、同時に一時の激しい快楽におぼれて苦痛を味わう
ことや健康を害することもあります
 過ぎたるは及ばざるが如し。
 というように、苦痛や健康を害することを引き寄せる快楽は、当然、結果的
に望まれません。
 その類の快楽を自分でコントロールできなければ、欲望や快楽の奴隷と
なっている状態であるとも言えます
 欲望や快楽の奴隷となっている状態というのは、欲望や快楽をコントロール
できず、理性や合理性よりも、欲望や快楽が主体となる状態です。
 そうした状態を避けるためには、思慮深さ(フロネーシス 理性)が必要
となるとエピクロスは主張しています。
 もし、理性がなければ、人間は快楽を求める欲望は際限なく、大きくな
ります。
 すると、理性なき快楽の追求は、限界がありませんが、現実には、やが
て限界になります。
 限界に達すると、快楽に比例して苦痛が感じられるようになります。
 と、エピクロスは述べています。
 つまり、エピクロスは、欲望の奴隷、快楽の奴隷になると、不幸にな
ると考え、そうならないためには、つつましい生活をすることだと考え
ました
 エピクロスは、少しの欲望を満たすことで大きな快楽が得られ
ると主張しました。
 もちろん、ちょっとだけ満足できても不満が残るという考えもある
でしょうが、それこそが、欲望の奴隷になっている証拠なのです
 つまり、エピクロスは、”苦”の無い状態と、持続的な快楽こそ、
幸福であると言う主張をしました。
 すでに説明したとおり、快楽による欲望を満たすということにおい
て幸福とすると、際限なく欲望が生まれます。
 そして、際限なく肥大化した欲望を満たすことは大変難しい事で
あり、なかなか欲望を満たせない状態になってしまいます。
 つまり、なかなか幸福を味わえない辛い状態になるというわけです。
 しかし、少しの欲望を満たすだけで、幸福を感じ取れるなら、そ
れは、いつでも好きなときに幸福が持続するわけです
 快楽主義をより、厳密にするために、エピクロスは大胆にも、飢えない、
渇かない、寒くない。という三つの自然的で、必要な欲望のみに絞りりました
 飢えない、渇かない、寒くない。だけでは、簡単すぎるようにおもえるか
もしれませんが、簡単だからこそ、少ない欲望で幸福になれるのです。
 たとえば、粗食であっても、空腹であれば、とてもおいしく食事が
でき、満足できる。
 たとえば、酒で無くとも、湧き水などで、のどの渇きは癒され、満
足できる。
 たとえば、暖かくなくとも、凍えなければいいと考えれば、暖房は
必要は無い。
 とにかく、 飢えない、渇かない、寒くないということさえ満たさ
れれば、幸福です。
 とすれば、いつでも快楽を得られるということです。
 エピクロスは、そうやって、アタラシアという、魂の平安さえ
あれば、満足感をいつでもえられれば、よいのだと考えたようです。
 少しのことで、満足感が得られれば、幸福といえるでしょう。
 せつな的な、感覚的な幸福感を持続させても、すぐに不安に脅か
されるよりも、心の平静によって得られる幸福感の方が、人生を楽
しめます。
 激しい欲望は制御されるべきです。
 心の平静は、苦を耐え忍ぶ支えにもなるともいえるでしょう。



呟き尾形の哲学自転

管理人/副管理人のみ編集できます