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臨床心理学聞き齧り

心理職の国家資格化について


ロジャーズに還れ!という意見には同感です。ロジャーズ選集を読んで感じたことですが、ロジャーズという人は開かれた人で、隣接分野や社会との関わりに積極的だった人だと思います。彼は自分の方法論からそういう面倒くさい要素を排除していません。現在の臨床心理学は、ロジャーズのその面を継承してないのではないでしょうか。


Freezing Point: 説教とは、転移なき強要


「直る」というのは、ある意味で違う人になってしまうことであって正攻法だけですむような簡単なことじゃないということだ。


+駝 ・ 鳥+:礼儀作法について


「論壇系」のブログで見られる議論の方法と違うやりとりが、「メンタル系」のブログには見られるという話である。

ワールドワーク体験レポート


ワールドワークというものに参加してみたので、レポートを書いてみました。


「操作」され「治療」されるブログを想像する


私は、例えば足を骨折したら「効果的なツールで」さっさと直してほしいと思いますが、自分の生き方について「効果的なツールで」判定したり操作したりしてほしくはありません。足とか内臓なら前者で、思考や感情に関わる部分は後者ですが、その境界線は微妙で、気分を操作できるクスリとかだと迷うでしょうね。

気分と感情の間に、「操作してほしくない自分の境界線」というものがあると感じているのだと思います。

そして、同じような境界線が、ブログと職業の間にもあります。誰かがこのブログを「操作」してアクセスを増やしてくれると言ったらそれを拒否するし、仕事上で誰かのアドバイスを受けて収入がアップすることが確実だったら、それを歓迎するでしょう。

その境界線は、今のところは社会のシステムにうまく適合していますが、それは運のようななもので、ちょっとしたきっかけでそのバランスが崩れたら、「効果的なツールで気軽に直されてたまるか」という範囲が広がって、職業や自分を治療しようとする人との対立が起こると思います。

私は、メンヘラー、引きこもり、ニートといった人たちをそのように想像していて、そういう人たちと自分との違いは、体重の違いくらいにしか感じません。その想像が当たっているかどうか確信はありませんが、もし当たっているとしたら、「直る」ってことは、誰かにおそわって言われた通りにブログを書いて、人気ブロガーになるようなもので、全くナンセンスなことだと思います。


母性的なガンコ者


私の経験では、こういうタイプは「相手を包みこむ」ような会話をする。「相手を包みこむ」というのは、母性の特性なのだが、男性や社会の権力者がこれを濃厚に持っているのが、日本の特色だというようなことを、河合隼雄が言っている。

関連記事: The Tombs of Atuan

リアル「時計仕掛けのオレンジ」に関する倫理学



あれが「治療」として本当に機能してれば、本人にとっても救いで、話が全然違うんだけど、犯罪者を「犯罪恐怖症」にするために自分の犯罪を苦痛が伴う形で再体験させるというものに見えた。「時計仕掛けのオレンジ」と違うのは、薬や電気ショックを使わない臨床心理的手法だけで構成されていたことだ。


私たちでなければ誰が? -- If Not We, Then Who?


こういうプロセスが無いと、「悪者」のイメージは外部に投影され、果てしない「悪者探し」が続くことになる。現実生活の中で行なわれているそのゲームでは、弱い者や繊細な者や敏感な者がそれを引き受ける所に追いこまれ、やむなく彼らが引き受けた「悪者」という役割への非難は、彼らそのものへの非難とすりかわり、彼らはさらに疎外され、より一層破壊的、暴力的にその役割を背負っていくことになる。




「他者の到来」に対して概念が鎧になる


思春期において、人間の内面に発生するものは、「あれ」という言葉でも概念化できない、非常になんともいいようもないものです。それは本質的に理解不能、伝達不能のものです。私が、「グロ画像」という平板な言葉で言い換えをしたように、「恋愛」とか「殺意」とか「盗んだバイクで」とか「羽美ちゃん」とか、いろいろな言い換えの仕方はあります。

体験そのものが圧倒的で破壊的である場合には、そういう概念が、ひとつの鎧として支えになります。「それ」は人生において不可避であって、ある意味必要なものです。概念は体験の代理にはならないので、逆にその鎧が、「それ」を直接体験することの妨げになってしまう場合もあります。しかし、そのような鎧を子供たちの手元に用意しておくことは必要だと思います。


「藪の中」を生きる技術



物語のレベルでは真実は常に「藪の中」です。我々はそういう「藪の中」が表層に露出した時代、「心理学化する社会」に生きているのです。ある種のWEBビジネスにとっては「TRONはオープンソースの敵か味方か」という問いが、金を儲ける為に答えを出す必要のある具体的な質問になるかもしれません。しかし、その答えは客観的な真実の中にはなくて、TRONとオープンソースを巻きこんだ別の物語の中にしかありません。


音羽の事件その後



被告に精神的な問題があったのは明らかだが、問題はそのトラブルが救助を妨げる方向に働いていることだと思う。治療を受ける=自分はビョーキ=駄目人間で脱落者というかたちの抵抗は誰にでもあるのだが、脱落者という烙印をどの程度致命的なものと感じるかが普通の人と違う。そこに被告の病気があって、その烙印を極度に嫌がってしまうのだ。それで、どんなに苦しくても治療、救援を求めることができなかった。おそらく疲れて弱れば弱るほど病気が強まり、治療への抵抗が増していくような精神的な回路があったのではないか。


OS:ディストリビューション=宗教:X



OS:ディストリビューション=宗教:Xという方程式のXに相当する、哲学と世界観とライフスタイルをそれなりに矛盾なく体系化したものが、もっといろいろあっていいと思う。このXの難易度はちょうどディストリビューションくらいだ。誰にでもできるものではないが、ちょっとセンスのいい奴ががんばればできる。



「耳をすませば」にミンデルを見る


もし雫が、ムーンという共時性を無視してしまったらどうなっただろうか。おそらく、雫は無駄な混乱を経験せず何事もなく中学を卒業しただろうが、二次プロセスは地下で着々と進行している。そして、より破滅的、より暴力的な形でいつかはそれと出逢わなくてはならない。残念ながら、そのような悲劇的な一次プロセスと二次プロセスの衝突がこの国の若者たちに起こっているのだと思う。



ワールドワーク


パレスチナ問題について語るには、軍事とイスラムの知識が必須だと言われる。だが、これは同時に「憎しみ」の問題であり、「憎しみ」のプロを呼んできて、専門家としての見解を聞くべきだ。軍事知識なくして国際政治を語ることが無意味であるのと同様に、リアルに紛争を解決したいと思うならば、ミンデルのような人の言うことに、もっともっと耳を傾むけるべきだと思う。

世界はひとつだ。殺しあうのはやめよう



逆に、分裂した世界は人を安定させる。ブッシュが何かいさましいことを言うのを聞くと、僕も気分が昂揚してくる。つい二日前、戦う相手が見えなかった時は、僕は今月の家計が赤字になったことに頭を悩ましていて、煙草とネット代と食費のどれを削減すべきか真剣に考えていた。それは実に陰鬱な日々だった。でも、今はなぜかずっとはればれとした気分で、報復攻撃の行方を見守っている。



自我と「外部」


共通点を言うと、その人が「世界全体」と感じるもののひとつ下のサブシステムが、アイデンティティを持ちやすいということなんだよね。そして、その世界に対してアイデンティティを持とうとすると、それを本音として実感として持つためには、どうしても「外部」が必要になる。世界全体のレベルをひとつ広げればそこにアイデンティティを持つことができるようになる。

ちなみにこれは、人間が自分の心全体を意識できず、その一部を「自我」としてくくりださないとやってけないことに対応している。だから、「外部」抜きで地球人というアイデンティティを持つことは、こころの全体に自我を拡張するような、すさまじい変革なんだよね。地球環境の悪化とかネットとか、そういう地球レベルの発想を要求されることが随分多くなってるけど、相当覚悟をきめて「こころ」を鍛えておかないとこりゃヤバいぞ。


正気と病の同居




どちらのケースも通常以上の正気と強烈な病が同居しているわけで、これはひょっとしたらすごくつらいことをしているのではないだろうか。たまたま、今日は別の*17才*が「頭の中の声が命じたから」人を殺そうとして捕まったが、ああいうのが本来精神科の領分である。同じ17才でも、バスジャックの方は正気であってこれとは全く違うケースだ。ある意味では精神科が入院を拒否したのも理解できる。「うちのお客さんじゃない」ということじゃないだろうか。


トラウマとコンピュータウイルス


トラウマというものがこころの中に住みついた時も、これと似たようなことが起こります。プログラムにOS(カーネル)と普通のアプリケーションプログラム(ワープロやメモ帳のような普通のプログラム)があるように、感情や思考も意識と無意識に分かれています。トラウマは無意識の領域に住み着き、ウイルスと同じように意識から自分の存在を隠すのです。
2007年06月21日(木) 17:57:00 Modified by uncate




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