なんか怪獣イラスト/怪獣の話などのてきとうwiki

   

なんかabout-15.6-2からの続き




●2015.7.5 正解に近づいたっぽい

なんか手巻き煙草で模索中だけど、フィルターには困っていた。
最初はティッシュペーパー使ったけど、どうも初めの一口二口が紙臭い。 そこで次は無料で配布されていた使い捨てマスクをバラして大量のフィルター作ったけど、これもどうも寸づまりというか通気が悪いような・・・まあ巻き加減次第なんだろうけど。
またじゃっかん匂いがあるような気がするんで、次は百円均一のポリエステルかなんかの綿を。
化学素材なのだから本物のタバコフィルターと同じだろ思ったが、やっぱり味が違うような気がする。
なもんで自然素材だと思われる脱脂綿を買ってきたりした。

ところがたばこと塩の博物館のサイトを見ていたら、昔は口付タバコというのがあったと知る。
あ、なるほど! と閃いた。
とゆうのも夢幻紳士で兵隊さんがフィルター付きみたいなタバコを吸っていた記憶があり、戦前のコンテンツには詳しいであろう高橋葉介先生がそーゆうのを描くのは不思議だった。 自分の中では戦前は両切りしかない、とすっかり思い込んでいたもので。
アレがおそらく口付タバコだったのだろう。

構造的には紙のチューブがフィルターのかわりにつくだけで、刻みたばこに面する部分は潰すなりしてタバコがこぼれないようになってるようだ。
別名ロシア巻きとも言われるらしく、現在の日本たばこ産業ではみられない型だという。

というわけで、試しに作ってみたが、これがうまい。
素材の味は最小限となるし、ほとんど両切りに近い構造なんでそりゃうまいわな。
しかもタバコ葉の節約にもなる。
とゆうかタバコが高いからゴールデンバットを吸い始めたわけで、本当はハイライトが吸いたかった。
むろん昔の話で、今はゴールデンバットもピースも好きだけど。
でもフィルター付きの扱いやすさは認めざるをえないので、それとほぼ同じ口付タバコは気に入った。

 作ったタバコは携帯用のケースと宝箱に入れるほか、すぐ吸う分はこうして缶に入れている。

とりま素材には和紙を使ってみた。
いかにも味の影響が少なそうなイメージだし、じっさい巻いてみたら片方を水にひたして若干内側に潰すのは簡単だった。
巻くための芯は手近にあった筆の柄を使ったが、両端で太さが違う筆よりもちゃんとしたパイプが欲しいところ。 経は5ミリあれば、長めの和紙を巻いて結果的に7ミリチューブが完成する。

 ※その後、5ミリの棒を買ってきた。 和紙でだいたい9センチほどのチューブを作っている。


つかこれこそ自分のタバコだと思える。
やや細巻きで、ちょい長めのチューブがついた70ミリレギュラーサイズで、パッケージが十本入りなら完璧だ。
パッケージに関してはとりまココアシガレットの箱に入れて解決だが、将来的にはネットプリント出力で自作したい。
デザインが苦手なのだが。

別に昔の生活を再現するつもりもないが、踏襲したい粋なものってあるわけで。
小さな十本入りタバコはまさに男のだだだだんでずむにふさわしい。
小さなと言えば、小さなマッチ箱も欲しいがさすがに今、なかなかないので紙マッチを探すくらいか。
まあZIPPOもあるし、BICのライターが便利なんだけど。

余談ながらYouTubeの旧い映画を数分間、観る言うのは何度かやってみたが、やっぱり喫煙シーンは頻繁だがパッケージは見れない。
つか会話しながら座った男がポケットもぞもぞしたのでキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!みたいに盛り上がったら、タバコを一本直接出しやがった。
器用なことこの上ない。
にしても昔からあんなチェーンスモーカーばかりだったのか? 戦前の人間はどんなに高くてもタバコは買う人種だったのか、安かったのか不明。
明らかにパッケージを扱うシーンもあるのだが、カメラが左側から、箱を持つ手も左手で、手のひらに隠れて箱が見えん。
それだけでやはり小さいパッケージだと確信はするのだが。

あと夢幻紳士の夢幻魔実也が吸ってるのはスターみたいだ。
星空と軍艦をあしらったパッケージだっけ、それも上端しか見えないんだけど。
やっぱり高橋先生も渋谷時代のたばこと塩の博物館に行って勉強したのだろうか。

話を口付タバコにもどすと。
これまで作ったフィルターはぜんぶ捨てて、なおかつ作り置いた約70本以上のシガレットもぜーんぶバラして、口付タバコに変えようと思う次第。
昨日発見したばかりの口付タバコだが、そのくらいの確信がある。

これが和紙で作ったチューブをだいたい3センチに切り、水でちょい濡らしてかまぼこ板をまな板にしてコロコロと潰したとこ。 いちばん上のチューブは吸い口側の加工してない面で、この程度潰すだけで充分、両切りタバコだって葉っぱがポロポロ落ちるほどでもないし。

ネットによるとじっさいの口付はこんな加工らしいんだけどね、さすがにめんどい。


イラストを描く用に水と小皿はいつでも手元にあるため、チューブを濡らして潰すのも手巻きタバコのローラー工程も思い立ったらすぐにできる。
まあじつは飲料薄め用や灰皿用に水を常備しているんだけど、数日するとオリが出て飲むには躊躇するので作業用になっているみたいな。


最近観た映画


●ゴジラ

全てのゴジラ映画にとって別格級となっている昭和29年の原典。
後に平成ゴジラシリーズの元になった1984年版、そしてゴジラvsメガギラスのふたつで完全に伝統化したのだが、どんだけ新しいゴジラが登場しようとも昭和29年にいちど日本を襲撃した事実は消えないことになっている。
まあゴジラシリーズの限界いうか、残念な一面でもあって、平成ガメラ第一弾で描かれた「人類と怪獣のファーストコンタクト」という超最高に美味しいテーマ、状況はどうやってもゴジラで再現できなかったが、まあ代わりにエメリッヒ版やギャレス・エドワーズ版で見れるからいいか。
話ずれたが、そんだけ製作者に聖典扱いされているこの映画。
いちおうゴジラ99の謎みたいな文庫本も読んでいて、当時の新聞などでは酷評だったと知っているが、まあ見る目がないねえと今の人間は思うわけで、でもあの頃は被害妄想のしみったれた市民劇に見えたんだろうね。 そこがいいのに。
ゴジラという災害の、圧倒的な恐ろしさとそれに対する憎悪は他の怪獣映画では少なくとも、1999年のガメラ3 邪神覚醒までほとんど描ききれなかった点であり、そのガメラ3でさえ後半は少年少女のヒロイックファンタジー逃避になるし。
対して1954年版のこの作品だと現在まで共通するゴジラの設定「簡単には殺せない」を極限まで活かしたドラマ、人類が作り上げた核兵器を凌駕したゴジラを殺すにはさらにそれを超える超兵器を創りだして自ら悪魔となるみたいなジレンマが小市民劇としてナチュラルに描かれたナイスなストーリーだと思われ。 る。
あーそりゃ死ぬかもね、ゴジラ以上の恐ろしい兵器をうっかり作っちゃったら個人として耐えられないかもね、納得する。
とにかく悪夢のような映画で、それが他にはない魅力みたいな面もある。
じっさい戦争を知っているスタッフが作り出す物語にはスゴい気迫があり、何気ないかる〜い台詞でもよく内容を考えると重みがあるみたいな。 もしもう一度、日本が大災害に襲われたら・・・というフィクションをここまで確かな息遣いで描いたものはなかなか出てこない。
それと怪獣映画はそもそもキングコングはじめ、昔からあるのだが日本の、東宝の特色として「鳴き声」を確立させた点が自分的には高く評価している。 つい最近になるまで、海外では昔ながらの「動物の鳴き声を加工」という手段を使っていたが、ゴジラの鳴き声に音楽的な響きを与えた東宝スタッフのアイデアは素晴らしい。 ぶっちゃけ怪獣映画が長続きした理由はこうした音響的な魅力なのでは、と考えてしまうし、じっさい理由のひとつではあるかと。

ところで何度も観ているこの映画、今回になってはじめて気になったが。
プロレスラー入場のごとく、ゴジラ登場にもお決まりのテーマ曲があるのだが、あれっていつからだろうね、というかこの最初の作品で出てきたっけ?と思い出せない。 じゃあキングコング対ゴジラではどうか、モスラ対ゴジラではあったよな・・・といちいち検討しなくてはならない。 まあいいか。
また80年代中頃だと1500円も払ってVHSレンタルした記憶があり、今ではDVDが百円くらいと隔世の思いだが、そこでも気になる点が・・・DVDになってはじめて観るシーンがあるのだが。 具体的には小鳥小屋の向こうにゴジラがいるシーンと、銀座襲撃で親子が半ば自殺するように避難しないでゴジラを待っているみたいな場面。 この親子は後半の焼け野原となった東京の、病院にいた親子なのだろうか。 何度も何度も観たVHS版だけではなく、浅草東宝の上映でも観た記憶無いような気がする。
まあ今のバージョンはソレなんだろうね、東宝はこのフィルムだけは大切にしているらしく、デジタルリマスターもしてるようだし、それがこのバージョンを提供してるんだからこれでいいのだろう。

あと書くこといろいろあるけどキリがないのでここまで。
最近聞いたゴジラ話は町山智浩講義だけど、他にもファンが大勢いて語りだすと熱くなり、とどまることをしらないのが特徴。
ゴジラの原典、怪獣映画文化の立役者だし。



●ゴジラ2000

ちょっとよくわからない部分と、地味な印象がある映画だが15年ぶりくらいで観た。
1984年版以来、念願だったワイド・スクリーンを取り戻したのがまず良かった。 また恐らくツイスターの影響だろうか、移動しながらのゴジラ合成などこれまでにない挑戦的な絵が多い。
ツイスターの影響といえば民間のゴジラハンターという竜巻ハンターみたいな追っかけ商売が登場。
だがそこが、この映画のわかりにくいところでもあり、そーゆー連中がいるということはだ、ゴジラの存在が一般に知られているということで、じっさいかような設定なのだが。 じゃあ前の事件はいつよ、と思う。 オリジナル時間軸なのか、それとも平成ゴジラの最後、デストロイヤー戦のラストで誕生したゴジラ(元ジュニア)が現在のゴジラなのだろうか。
地味な印象というのもそれと無関係ではなく、叩き台になっている物語が不明なので盛り上がれないという部分、あるかも。
だがローランド・エメリッヒ版のハリウッドゴジラを差し置いて、日本のゴジラ製作者たちがこぞって作り上げた作品だけあっていろんな魅力がある作品でもある。 なによりオリジナルと言える昭和29年版に対するリスペクトと理解があるのがいい。
例えば主役三人のひとり佐野史郎先生がネクタイを治すシーンはひと目見て初代ゴジラのオマージュだとわかり、それにより「依頼されたから演じてるだけじゃないよ〜ちゃんと作品を理解して出演しました」というメッセージになり好感度うpとなる次第。
 余談だが町山智浩批評で初代ゴジラに関して南海サルベージの宝田明が好きになれない発現があったが・・・戦争忘れたチャラチャラした世代で高身長のイケメン、一般市民の代表で、つまりゴジラは抹殺するべきだという民意の代表でもある。
じゃあ今回の映画ゴジラ2000の阿部寛長官はどうなん。
南海サルベージの宝田明より高身長でイケメン、そしてなによりゴジラを倒すために全力な姿勢だが。 南海サルベージのは友達になれねえ言うてた町山氏も、こっちだったら話しが合うんじゃないかな、ここまで極端になると。
つうかゴジラvsビオランテのアイツはどうなんだよサシでゴジラと対決したもっと極端なゴジラ打倒論者だが。
阿部寛演じる片桐は、これまで怪獣映画で何度も語られた「魅入られた人びと」なんだよね、巨大すぎて人間と生活接点がない怪獣が、ムリヤリ人間ドラマに割り込む手段でもあるが。 キングコングは美女をさらうし、ガメラ3のイリスは人間と融合して強くなろうとするし、怪獣が人間に、人間が怪獣に魅入られる言うのは常套手段なのだが、今回の片桐とはむっちゃ有能でクールと評され、自分もそのつもりだったがゴジラと戦ううちにその強さに魅せられたみたいな感じだろうか。
どうでもいい話だが片桐で検索すると候補の五番目が片桐 逆噴射となる。
対決するミレニアンだっけ、敵宇宙人は流体人間みたいな。
じゃあこうだ、ガス人間が目的通り宇宙旅行に成功したが、そうなると元の身体が恋しくなり、復元素材であるゴジラ細胞を追いかけ回す、というストーリーと捉えることもできるわけだこの映画は。
ゴジラ対ガス人間だ。
CGが未発達なためだろうか、数千万年ぶりに肉体を取り戻した宇宙人の、歓喜の表情とかもっと欲しかった。
続く怪獣化への驚愕と絶望も。
まーああなったら、もうゴジラを倒して怪獣として地球上に君臨するしか選択肢がないよね、自決するほどセンチメンタルでもないようだし、共存思想がないみたいだし。
場面の意味がよっく理解できるだけに、ちょっとした演出が惜しい。

地味な印象は改めると確かなことで、まあそれもいいんじゃないかな、たまには。
ともかくローランド・エメリッヒ版が出た後にゴジラとは何かと、皆で思い悩んだ作品なわけで。
ラストの台詞にもそれは現れてるが、まあ蛇足だよね。
言葉で説明する場面でもないし、そんな場合でもないし。
ゆうても片桐長官が倒されてもう上陸したゴジラと戦うことができない絶望シーンだから、放射能吐き散らしながら暴れるゴジラ見送ってぼんやりつぶやくしか出来ないのも事実なのだが。

すっかりリニューアルしたゴジラもまあ悪くないね、口がさけた独特な顔はどちらかというとウズラだが。
これのおかげで六作品だっけ、ミレニアムゴジラが続いてそれもよかった。
ただ2004年という、コンピュータグラフィックス全盛期の直前にシリーズ終わって、表現しきれなかった部分もあるかも。
言うてもミニチュア特撮の情報量はなかなかたいしたもんだからいいか。


●怪獣大戦争

怪獣大戦争マーチでおなじみ、この映画。
始まってすぐに例の曲がかかるんで、何度も何度も観た映画だがそのたびにたまげて「大判振舞いだなあ」となってしまう。
むろん錯覚で、時系列が逆になってるからそう思うだけ。 元々この映画のテーマ曲が映画より有名になったみたいな。
それはともかく、前作は三大怪獣地球最大の決戦だっけ、やや地味な印象があるのはモスラと小美人が出ないためか。
かわりにX星人が登場、いろいろ盛り上げてくれる。
全体的にコメディ調な軽さがある作品だが、さすがに重いところはシッカリしており、X星人水野久美のエピソードとかちょい泣けるし。 また人類の信頼を裏切ったX星人に対する反撃がまた容赦なくて。
レディガードという謎防犯ブザーによるお試しの脱出劇では、効果ありすぎてX星人が痙攣してて笑える。
地球防衛軍のミステリアンはまだ少数が逃げ延びるのに成功したが、X星人は泣いても哀願しても赦してもらえず、けっきょく全員のたうち回った末、自爆するまで追い込まれた。 裏切りと侵略の代償って怖いですね〜。
それにしてもレディガードって何だろうね、内部は明らかに通常の防犯ブザーとは違う精密構造、性能は横丁からでも聞こえるといいう凄まじさ、何かに共振する仕組みなのか人間の内耳とかに働きかけるものなのか、現在では実現してるのだろうか。
地球にはX星人のスパイがいくらか歩いているようなので、偶然レディガードのテスト中に通りがかった奴はさぞかし面食らっただろうね、なんじゃこりゃ〜とか叫びながら。 その地球にいるスパイも例の放送で全滅か・・・成仏してください。
そんなこんなで対X星人のストーリーが秀逸なのでゴジラの存在感はちょい薄い。
義理堅くタイトル分だけ暴れたのちにまた海中に消えるみたいな。
地球を侵略するための兵器が三体の怪獣というのも怖いね、パシフィック・リムと同じスケールの話じゃん。
じゃあ怪獣総進撃のはさらにスケールアップだ、確か八体だっけ怪獣増えてるし。
一体でも全世界の軍隊を相手にできるだろうにそれが三体も集うとゆう不幸な村が劇中にあったな。
まあ絶対的に不死身なわりに、破壊力はそれほどでもないからなゴジラ映画の怪獣は。
とにかく何度も観たし、何度観ても面白い映画。



●ぼくらの七日間戦争

観終わってから気づいたのだが・・・ぼくたちと駐在さんの700日戦争ってコレのパロディみたいなのだろうか、クライマックスの花火シーンとそれに続く無罪放免みたいな結末で思ったのだが。
まあタイトルからして無関係ではないだろう。
内容的には面白いドラマでもなく、先述したとおり大騒動おこした生徒たちは無罪放免、これまでどおり学業を続けている。
むしろ先生たちのほうが罪に問われたっぽいようで、そんなストーリーでは喜べない。
確かに先生たちは横暴な圧制者なのだが、生徒たちもまた死人がでてもおかしくない大暴れをして機動隊に負傷者多数みたいな感じだったが、ともあれ喧嘩両成敗というのがスジではなかろうかと。
昭和30から40年代のコメディはだいたいそうではなかっただろうか、クレイジーキャッツもいけ好かない悪党はとことん酷い目に合わせるとして、自分も調子に乗りすぎたらそれ相応のしっぺ返しくらうみたいな法則があった気がする。
だからぼくたちと駐在さんの700日戦争の感想でも言ったように、塀の中の懲りない面々でいくべきだったのに、妙に甘い映画になって・・・・まあいいや。
リアリティの欠片もなく、最後の花火エフェクトはじっさい撮影の時に何人の職人が何日の作業で実現させたか問い詰めたい。
劇中でもどうやったか不明で、戦車の砲塔から一発のあと、どこから花火が沸いて出たみたいな。
演出意図はわかる、というかこんだけのことを生徒たちがやらかしましたー言うことで、そうなるとなおさら前に言ったように無罪放免がおかしくなってくる。 どうにもこうにもならない映画なわけで。
でも面白くないかというとそうでもなく。
まず、時代が80年代というだけで面白く、あの頃の電気ポットはあんなんだったんだー、炊飯器はこんな感じかと、そんだけでひとり盛り上がっていた。 スーパーとかの店内などは最も時代を反映するのでむっちゃ見どころなのだが、レジが映らないのが残念。
単純に80年代末いってもいろんな人がいて、多くが新しいもの好きだが物持ちがいい人もいるわけで、後者の場合は映るアイテムが70年代から80年代初期が多くなってしまい、前者だと(例えば働き者の若者とか)現在に通じるようなデザイン家電とかが多く映るわけだ。 アルミなどの合金製、棍棒にもなるマグライトって当時は珍しかったんだよ。
そんな劇中のアイテム、風景もそうだが、やはり宮沢りえが見どころなのかもしれない。
当時評判だけは聞いていて、じゃあ実物見てみようかということでテレビ放送していたこの映画のラストあたりを観た、という記憶がある。 その後はとんねるずの番組、テレビCMなどで出ずっぱりだったような。
たいへんな美少女で、確かに頭身からして他のアイドルと違う感じだが、それが理解できただけでファンになるわけでもなく。
ゆえにこの映画に関してそれほど熱心ではないのかもしれない。

ところで当時、よく言われていたのが戦車は原作にない余分だという話。
まあそうかもね、宣伝ではとにかく戦車とSEVEN DAYS WARだっけ、主題歌を前面に押し出してたけど。
と思い返しながら映画みてたら・・・アレって61式戦車みたい。
まあ貴重な映像ではあるが、てっきりアメリカ軍の基地跡に立てこもってるのかと思ってた。 つまりアメリカの戦車かと。
それにしても何で61式戦車が。
当時は74式戦車の時代だから前代ということになるが、放置してるのか、紛失した戦車なのか。
自分は自衛隊に入ったことないので分からんが、陸上自衛隊って戦車とか飛行機とか無くなっても気にしない組織なのだろうか。
警察だと銃弾ひとつでも問題になるという都市伝説があるのだが。

あとは劇中の子供たちが普請するとか常識的に危険だが、腕白でもいい逞しいのはいいことかもしれない。
だがそれ以外にも機動隊とガチでバトルとか危険すぎだし、鉄板とか釘の扱いひとつひとつが危険に見えるし、撮影そのものもかなり危険なような気もするし、花火の取り扱いなど言わずもがな、危険が多い映画ではある。
それとあーゆう校則が厳しい学校とかホントにあるのかな、マンガ、ドラマとかでは定番設定だけど。
あったところで戦車で暴れていいことにはならんと思うが・・・ま、いいかそれも。
当初の「エスケープ」は妥当な反抗だし。


●妖星ゴラス

純粋なSFとしての価値は薄れたと思うが、ある意味面白い。
時代は1980年前後、宇宙の彼方からやってきた妖星ゴラスへの対処というお話だが。
質量は地球の6000倍、どんな水爆でも吹っ飛ばせないのは明らかで、普通に考えてお手上げみたいな。
そこで逆転発想、地球が避ければよくね? という。
劇中で語られる「数字」がもっともらしく、この加速度なら人類文明を破壊せずに動かせるとか、その推力を実現するにはノズルの全体面積はこのくらいで・・・とか言っているんだけど。
南極大陸にお皿みたいなノズル並べて一斉に噴射すれば、大気に火がついて世界中が真夏になってしまうとか、酸素が減って息苦しくならねえか?とか、そもそもノズル位置が低すぎるから勢いで大気が宇宙へ持って行かれそうとか、ツッコミどころは多いんだけど。
なんか軌道エレベーターみたいに成層圏突き抜けた建築物から噴射したほうが、と思うがそれもまた無理な話か。
(柳田理科雄著、空想科学読本・・・だったっけ? では「何を噴射するんだ?」という疑問が提示されていて、コレは言われるまで自分では気づけなかった。 恐らくほとんどの人がそうであろうが、土砂でもなんでもぶっこんでガス化して噴射するにしても、近隣の大陸あらかた掘り返したとしても足りそうにないという試算だったという、うろ覚えだが良い考察だった。 あの本にしては珍しく)
まあそーゆうSFもそうだけど、設定された近未来(1980年前後)がまたアレで。
でも探査船隼号のエピソードはなかなか泣かせるところ。
未知の天体を調べるため出動し、貴重なデータを地球に送り続けて自分自身は妖星ゴラスの引力から脱出できずに激突するという。
逆に言えば唯一の感動箇所なんだが、最近どっかで聞いたような話。
というか、探査機はやぶさって、この映画の隼号からとられたネーミングなんじゃないの逆に。 ウィキペディアの妖星ゴラス項目には何も書いてないのだが。
先述した近未来(1980年前後)は、今から30年以上前・・・ではなく、映画製作の当時は20年後の未来。
どっちにせよ古い話で、いま観るとふ〜ん、となるかもしれない。 昔の人が近未来のつもりで昔を描いているだけで、トンチンカンなのは当たり前だから。
だが当事者である1980年代の人間がこの映画を鑑賞すると爆笑モンでして。
現実との差が、あまりにもスゴすぎて抱腹絶倒、繰り返すけど今現在みると、その笑いツボがわかりにくいはず。
製作者によると「怪獣映画の東宝」というイメージが有るために急遽、強引に割り込ませた怪獣エピソードなども珍妙な印象に拍車をかけている。
映画研究者によっては洪水などによる世界のリセットというとことか、宮駿監督と本多猪四郎監督との共通点を指摘することも。
なんにせよ力の入った大作で、見応えはある一品。


●ダブルヘッド・ジョーズ

素晴らしい。
タイトルだけでもう素晴らしい。
これだけで傑作はもう間違いなく、なんなら本編は観なくてもかまわないくらい素晴らしい。
 さて、題名通りである。
なんといってもアサイラムの映画だし。
まあファンでなければ、アサイラム・・・ダブルヘッド・ジョーズ・・・うっ、頭が・・・と聞いただけで頭痛にさいなまれるだろうが。
内容について語る必要あるかな、期待通りのB級底辺ジョーズ映画なんだけど。
頭がふたつだとどうだというんだゆう疑問にはいちおう劇中説明があるが、むろん説得力とかあるはずもなく。
演出から脚本までツッコミどころの嵐なのはむしろ、ファンへの期待に誠実なのかもしれない。
そもそもB級映画屋がファンに迎合しすぎてふざけるようになったらおしまいだが、アサイラムの映画はなかなか持ちこたえている。
「真面目に作ってこの程度です〜」というニュアンスを保っているわけ。
逆に邦画のほうがその点、怪しくなってる場合があるかもみたいな。
気のせいかもしれないし、タイトルも思い出せないが、観客のリアクションをスクリーンからチラ見するような邦画がいくつかあったような・・・まあいいや。
これは午後ロードの録画視聴だが、CMみるとまだまだスゴいのが目白押しですな。
タコ+ジョーズとか、シャーク台風とか、浜辺ジョーズとか、どんだけあるんだ。
なんにせよ午後のロードショーは目が離せない。



●キングコングの逆襲

東宝のキングコング、懲りずに第二弾みたいな。
キングコングの版権料とかわざわざ払ってこんなん作る国って他にあるのかな。
個人的にはオリジナルキングコングのファンであり、オブライエンやハリーハウゼンなどのストップモーションアニメ信者なので、ぶっちゃけこのキングコングの逆襲とか怒り狂っていいんだけど、実は好きで。
かなりのアホ映画なんだけどね、憎めないわ。
オリジナルのファンなら立腹するべきコングの造形だが、まあ前作の対ゴジラよりはマシになっているのでいいとしよう。
逆にコングの造形だけがリック・ベイカーによって突出した出来栄えになっていたギラーミン版よかいいんでないの?くらいの感じで。
漠然とした南の島みたいな舞台もいいよね、上陸したら次から次へと怪物が襲撃、角川アニメ版少年ケニヤもそうだけど、もし自分が映画作家なら「俺ならこう撮る」みたいな無節操な怪物具合で。
類型的な島の住民も魅力で、ドクター・フーがコングを拉致するところなんか現地語だけど明らかに「我々の神を持って行くな」言ってるだろうにドクター・フーが「よしよし、わかった」でニッコリ、ズドンみたいな展開、わかりやすい悪党感が良い。 この島民、ダイイングメッセージでも冴えていて、天本英世演じるドクター・フーを言うに事欠いて「骸骨のように痩せた、ドブネズミのような目つきの男が・・・」と失礼をほざいて事切れるという、命を張ったギャグみたいだ。
メカの魅力も尽きることがなく、ドクター・フーのヘリコプターはチヌークみたいな二発ヘリなんだけど、通常のヘリに似た箱型ボディで独特、それを搭載するヘリ空母もいい感じだし、エアカーみたいなのもGOODなデザイン、謎の飛行艇や国連の潜水艇などどれもこれもナイスな仕上がりだった。
全体的に昭和40年前後の輝きに満ちていて、それは衣装デザインにも現れているが、とくにスーザンのワンピースみたいなのが可愛らしく、自分でイラスト描く際なんどもパクった。
浜美枝演じるマダム・ピラニアもそうとう可愛らしくて素晴らしいのだが、どういうつもりかワンシーンごとに着替えてなんか笑える、好意的な意味で。
登場ごとに新衣装なので映画全体が浜美枝モデルのファッションショーみたいになっているわけ。
メカニコングやキングコングは20メートル級怪獣として表現されていて、従来とは違う縮尺の町並みはなんというか、当時のロボットアニメに近いビジュアルで面白い
東京タワーのシーンではかなり大きなミニチュアセットを組んで暴れるんだけど、同時に人間のスタントシーンでも実物大のハリを作って撮影、贅沢だなー、本物の東京タワーに行ってスタントマンで撮影してロングショットにして、アップは俳優さんのバストショットで済ませれば手っ取り早いのに妙なコダワリ。
ところで某国ってどこだろね、日本人に擬態するのが得意で中国でもタイでもビルマでもベトナムでもない軍事的野心がスゴい国って。
あとで「キングコングの逆襲 某国」でぐぐってみようかと思う次第。
とまあ、ストーリー的にツッコミどころ多いけど、それでも純粋に好きな映画のひとつ。


●大怪獣バラン

久しぶりに観ましたバラダギ様。
つか前回の市長もとい視聴がVHSレンタルだったので、今回借りたDVDはだいぶん高画質で感動もひときわ・・・と言いたいとこだが記憶が曖昧で。
ただテレビ放送用に撮られたスタンダードサイズの作品が、急遽劇場用になったのだという前知識があったのだが、それによる先入観があって。
つまり、ウルトラQの前後あたりな時系列だと思っていたのに、想定より五年以上旧い映画だった。
具体的にはラドンと同輩なのだろうか、あんがい古参というわけ、大怪獣バラン。
それにしても東宝パンスコープとか言って、要するに80年代以降の擬似ビスタサイズと同じことだよね、スタンダードサイズで撮って、上下をカットするわけで。
だいぶん話それるけど、擬似ビスタサイズというのは本来、現在のテレビやパソコンなどでお馴染み16:9ワイドサイズに限りなく近いものを言うんだけど・・・70年代まで低予算映画でもシネマスコープなど、ワイドで撮られていたのが80年代になって何故か擬似ビスタサイズになったというのは先述したとおりだが、当時の雑誌記事、その他複数の情況証拠から、どうもカメラ内にマスクなど切らず、ふつーにスタンダードサイズ撮影していたっぽい。
要は映画館の技師が指示通りに上下を切って上映していたと思われるわけ。
テレビ放送する場合、当時は縦横4:3なのだから映画の真ん中あたりをトリミング、という事になるわけだが・・・映画館にせよテレビ放送にせよ、担当者のさじ加減ひとつという面があったと思う。
元のフィルムがレターサイズではないのだから、うっかりすると写ってはならないものまで映る。 劇場版・電子戦隊デンジマンだと背景のホリゾント幕が見切れていたり。
現在は午後のロードショーでさえシッカリしているが、昔だといい加減なテレビ映画劇場があったので、本来ビスタな映画をスタンダードサイズのまんま放送する事故も起きたと記憶する。
話ずれた。
単純に白黒フィルムだからとうわけではなく、なんだかいつもと違う特撮映画だが、それがスタンダードサイズを上下切っている影響だと思う。
絵作りが、テレビっぽくなるわけで、まあ仕方ないね予算の問題もあるし。
主役の人はあれか、ガス人間第一号で偽編集長だった人だな、印象深いが東宝の主役級俳優に比べると身長が足りないみたい。
怪獣の造形があんがいオリジナリティがあると思ったが、例えばバラゴンなどは逆に、その後いろんな怪獣に改造されて多数出演しているため類型的に見えてきて、それほど流用されないバランがオリジナリティあるみたいな錯覚かも。
このころはまだ、着ぐるみ型の怪獣は慎重だっただろうね、アンギラスの二番煎じ感が出ないよう気を使って。
志が低いガメラシリーズさえデザインのオリジナリティ、インパクトは勝負どころだったし、怪獣はとにかく難しいが、バランは工夫している。
またバランはゴジラクラスの巨大怪獣なのだが、一方でゴジラほどの神々しさはなく、生物学者が活躍するタイプのドラマ。
その流れて戦車砲などが通用しないバランの謎を「砲弾が通用しないのは皮膚の硬さではなく、むしろ柔らかさなのでは」という疑問提示が面白い。
榴弾であれロケット弾であれなんであれ、軍艦の装甲をも貫く威力があるのに生き物を殺せないのは不思議だ、ということであり、ゴジラだったら圧倒的な質量と皮膚の硬さで説明できるが、バランはなんとな〜くリアリティがある怪獣なので、かような文芸がさり気なく光ってくる。
ま、いろいろ凝った怪獣だとしても、正直な意見としてゴジラほど強く見えないんだよね。
陸、海、そして空まで制覇した万能怪獣だけど、海ではゴジラに、空ではラドンに負けそうで、じっさい怪獣総進撃でもゴジラ・ファイナルウォーズでも端役だったような。
しかしやっぱり観ておいて損はない映画。
怪獣映画のコレクターでなくても、選に入れておきたい。

日記など



●2015.7.6 手巻きタバコの経済学

なんかたいそうな記事タイトルつけたが。
まあ先月のことを大雑把に思い返して、いくらくらいか試算みたいな。

買った道具とか試行錯誤とか省けば、けっこう月あたりの予算が見えるんでないかと思った。
要はシャグと巻紙ひとつを買って約千円、それを何度繰り返せば一月分のタバコになるかという話。

節約すればだいたい四回、多くても6回くらいではないだろうか。
つまり月額6千円くらいを想定してればいいかと。


シャグは巻紙がひとつ付属するタイプの刻みタバコを選んでいて、それに加えて巻紙ひとつの組み合わせということは、100本ぶんという単純計算。
じっさい40グラムのシャグでそんくらいの煙草は巻けるのではないかと思えてきた今日この頃。
つまり千円で100本、20本で200円になるが・・・本当かな。
だとすると通常の煙草、例えばハイライトの半額となり、リーズナブルな感じがするが。

確かに1日普通の煙草20本吸っている人は月額12000円ほどの出費になるそうで、それに比べれば安いが。
あと普通にゴールデンバットやピースも時々買っているんで、自分のタバコ代がよくわからない。
自作の手巻き煙草が上達するほどに、ゴールデンバットを買う頻度が減少傾向みたいな気もするのだが。


まあとりあえずは。
月額4000円を目標にしてみようか、それなら従来と変わらないから。





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なんか本来こっちがメインだった、てきとう怪獣のブログ。


 
↑Poser5で作ったてきとうアバター。
余り似てないかも。

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なんかアフィリエイトは
やめました。
重いしめんどうなので。
以下、単なる広告。


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