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前作


舞台袖の椅子に座る対照的な雰囲気の二人に、私は思わず声をかけた。

「萩原さん行けるかしら?」
「う、うん。ごめんね千早ちゃん」

謝って欲しいわけではないのだが。

「千早ちゃん、私もどきどきしてきたよ!」

春香がやや楽しそうに言う。彼女はわかってやっているのか、いないのか。まあ、そこが憎めないのだけれど。

しかし、萩原さんは、相変わらず不安そうな顔つきで、ステージを見ている。ライブ本番1分前。人の心配をしている自分に少し呆れる。熱が手のひらに集中しているように、少し汗ばんでいた。これから、歌う。それを実感できる心地よい緊張感。

55秒前。思わず喉が鳴る。

「千早ちゃんはやっぱり、すごい。本当にすごいですうう」

ライブ直前の萩原さんの弱音にも慣れた。彼女は緊張や焦りがピーク間近になると、他人を褒める癖がある。春香が萩原さんのきつく握られた手の甲に触れた。

「不安も、緊張も成功も失敗もみーんな同じだからね? 精一杯やるだけだよ。落ち着いていこう、雪歩。ほら、笑って」

私も知らず手を重ねる。

「不安なときこそ笑顔だよ」

互いの手のひらが離れる頃には、萩原さんの震えはもうなかった。10秒前。ステージへ走り出す。太陽より眩しいスポットライトが肌をさす。同時に、爆発のようなとびきりの歓声。

「始まる……」
「冷めた、アスファルト……」


ライブが終わって、私たちは事務所への帰り道少し寄り道した。ビル街から少し抜けた所で、春香が言うには、萩原さんにぜひ食べて欲しいというお茶の葉を使った創作和食屋さんがあるということだった。女性に大人気という入口のブラックボードの通り、中は女性客しかいなかった。


「プロデューサーも来ればよかったのにね」

メニュー表に目を輝かせつつも、春香が口をとがらす。

「さ、さすがにこの雰囲気だと男の人は入りずらいんじゃないかなあ?」

おずおずと言う萩原さんに私も少し間を置いて首を縦に降る。私も正直、女性だけという空間には慣れない。姦しい店内では、萩原さんの声も聞こえずらかったりする。

「茶そばとか茶豆腐、鯖の茶葉煮とか、雪歩に食べさせるっきゃないなあって思ってたんだー」

彼女の中では、お茶と名のつくものが萩原さんに直結しているのだろうか。萩原さんはそれを聞いて笑っている。

「ええっと、お茶は好きだけど、こういうのは初めて食べるかも……」
「私も、初めてだわ、何かしらこれ。茶ンバーグ?」
「あ、それね、大葉と大根おろしの和風ソースがまたおいしくてねえ」

頬を緩ませながら嬉しそうに話す。

「春香……あなた最近太ったと思ったら」
「え、ええ?! う、うそ?!」
「そんなことないよ、春香ちゃんは……うん、ほんとにそんな……」
「雪歩まで! 違うよ、たまに来るくらいで、お金もないし、自分へのご褒美に!」

それは、もう今日はそのために来たと言っているのようなものだけれど。気づいているだろうか。私は思わず笑ってしまう。

「うう……笑わないでってば」
「春香が笑わせてるのよ」
「……私、太った?」
「気にしてるのね、大丈夫よ、春香の顎は」

春香はからかうと本当に可愛い。フグのように頬を膨らます。

「ちーはーやちゃん?」
「ご、ごめんなさい。でも、地味に……くっ……つぼに入ったみたい……でっ」
「もうっ。こんな人ほっといて、ほら雪歩なに食べる?」

萩原さんが呆れたように苦笑いしている。

「二人とも仲いいね……」
「別にー。千早ちゃんさ、最近お姉さんモード覚醒しちゃったのか、いっつもいじってくるんだよー。身が持たないよー。私の方がお姉さんだってこと忘れてるんだよー。助けて、雪歩お姉ちゃーん」

私は思わず吹き出してしまう。

「え、ええっと、あ、よしよし」

しかし、春香が萩原さんに頭を撫でられている光景は笑えない。

「こほっ。早く注文しましょうか。ぐずぐずしてたら中華料理屋に行ったプロデューサーをかなり待たせてしまうことになるわ」
「笑いながら言わなくてもいいじゃん」

真顔で言ったつもりなのだけれど。おかしいわね。

注文した料理が運ばれ、春香が脇腹を気にしつつ食べていたので私は少しだけ罪悪感を口に運ぶことになった。

「そういえば、真ってプロデューサーに告白したの?」

尋ねられて、

「え?」

萩原さんが普段より大きく驚いた声を出した。私も春香の方に視線を向けようとしたのだが、萩原さんの何とも言い難い表情が目に留まった。それに気づいていないのか、春香は遠い目で話を進める。

「噂なんだけどね……ただ、出どころが小鳥さんっていう」

噂と言えば、ちょっと前に、真とプロデューサーが喧嘩したと言う話は聞いていたけれど。春香は普段音無さんと何を話しているのか。

「さ、さあ何で私に?」
「いやー、真のことよく知ってるから。公式会見の前にリークできるなら」
「ごめんね……ちょっとそういうのは聞いてないかな」
「そっか。でも、ここはがっつり応援してあげた方がいいのかな。真って初めてじゃない?」
「そう、なるのかな……」
「今までそんな浮いた話聞いたことないからね。真もついに恋に恋する乙女になっちゃったのかー」
「真ちゃん、可愛いから、きっと大丈夫だよ。本当にすっごくすっごく可愛いから」

褒めすぎじゃないだろうか、と胸中で突っ込みつつ、私は、会話の流れから漸く悟っていた。飲み込んだライスが喉に詰まりそうになる。

真はプロデューサーのことが好きなのか。どうやら、そこが事実のようだった。けれど、そこはアイドルとして、プロデューサーとしての立場もあるだろう。私に言えた義理ではないけれど。

「真って王子様しつつも、結局守ってくれる人に憧れちゃうんだろうね。千早ちゃんはどう思う?」
「いや、私には」

女子トークに巻き込まれそうになる予感がして、萩原さんに助けを求める。ただ、当の少女は、気のせいかもしれないけれど不安そうにしていて、私は一瞬声をかけるのが遅れた。代わりに、私の携帯が鳴った。

「プロデューサーからだわ」

噂をすれば、

「早く食べろ。帰るぞ。だって」
「いっけない。忘れてた」
「……春香ちゃん、また今度時間の空いたときにお話しようね」
「うん」

また、今度。というと、たいていはあまり話したくない時の建前のような気がする。それが誰にでも当てはまるとは言わない。私は一度萩原さんを見る。いつも通りだった。

いつの間にか店内の他の女性客は減っていて、味の感想を普通に言い合いながら、私達はペースを上げて食事を楽しむことにした。

春香が今日は私の家に泊まるため、事務所に戻る途中、マンションの前に降ろしてもらった。車が見えなくなるまで手を振る春香。リボンが夜の蝶のようにひらひらと舞っていた。



「じゃあ、シャワー先に借りるね」

そう言って、春香がお風呂場へ向かう。順番はいつもじゃんけん。私は、何となしにテレビのスイッチを入れた。ソファーに座って、ぼんやりとリモコンをいじり番組を変える。

テレビを付けるのは、春香が来る時くらいだ。緊張してついつけてしまう。外で話すのは全然平気なのに、どうしてか部屋に招くとなるとそうもいかなくなる。鼓動が勝手に早くなる。

午後23時。眠くはない。普段なら疲れをとるために、自然と体が睡眠を欲する。それに従って眠るのに。

無機質なキッチンの蛇口からはみ出した水滴が音を立てて落ちる。耳が良いのは自分の長所だと思っている。しかし、テレビをつけても掻き消えない音にまいってしまう時もある。扉の開かれる音。ある意味での拷問が終わる。

「ありがとう、千早ちゃん。あー、さっぱりしたー」
「そう、体が冷めないうちに布団に入るのよ」
「もうやだなあ、お母さんみたい」

春香に湯冷めして欲しくないと思って言っているだけなのだけれど。母親って、こうやって甘やかす人のことを言うのだろうか。くすくすと、彼女は私の部屋の方に向かう。それにしても、短パンに長袖シャツはダメだと思う。
切実に、他の場所でしてないことを祈る。。

いつから彼女を泊めるようになったのか。もう、忘れてしまった。昔の私からしたら、絶対にありえないことが起こっている。今の私からしたら、もう切り離せない日常が流れている。

お風呂から出て部屋に戻ると、春香が狭いベッドの隅の方に寝転がって雑誌を読んでいた。変なところで彼女は遠慮する。私のスペースは彼女の二倍はあるのではないだろうか。

お風呂上りの臭いが立ち込める。

「あ、いい匂い」
「春香もね」

ベッドの脇に座って、暫く雑誌を読む春香を見る。彼女は、ぺらぺらと何頁か捲って、ドッグイヤーをつけようとして、こちらをちらと確かめる。私はそのたびに頷く。別に好きなようにしたらいいのに。

よく見ると、どうもカップル限定とか、恋人に人気とかそういうフレーズがやたら多い気がする。

「春香、私あまりお洒落なところは」
「え? あ、い、嫌だなあ。私はこうやって、千早ちゃんの隣でくつろげるだけで幸せだよ」

幸せね。

「ふーん、まあいいのだけど」

幸せか。

「なんだか納得してない顔だあ」

幸せなんだ。

「そんなことないわよ」

私は顔をそっぽ向ける。春香が寝巻きの袖を引っ張ってくる。それには動じない。抱きついてくる。それにも動じない。

「千早ちゃんのいじめっこ」
「何のことかしら」
「お夕飯の時もひどいよー」

身に覚えが有りすぎて、自分が馬鹿すぎて困る。そう言えば、

「夕飯の時、萩原さん少し様子おかしくなかったかしら」
「えーっと、うん」
「気づいてたの?」
「なんとなーく」
「どうしてかしら」
「そのうち、わかるよ」
「あなた、何か企んでるの?」
「応援してるだけだよ」

春香が鼻を鳴らす。それすらも可愛く見えるのだから末期だ。

「雪歩のこと気になる?」
「それは、まあ」

仲間なのだから当然である。

「私も同じだよ」

言って、にっこりと笑う。不安を払拭させるように、彼女はたまにこういう笑い方をする。そんな時、彼女が私よりも少しだけ大人なのかもしれないと思ってしまう。少し寂しいとは思う。でも、やりすぎは禁物。

「そう、ほどほどにね」

萩原さんの癖は、私も春香もよく知るところだったのだ。

「それより、春香、どうして寝巻きにそれを選んだのよ」
「え、だって動きやすいし」
「寝るのに動きやすいとか関係ないじゃない」
「あるよ? 例えばさ」

春香が私を押し倒す。

「こうやって、無理やりキスされるのを拒む時とか」

四つん這いで私の上に乗っかかり、両腕を抑えられる。

「あ、ちょ、ちょっと春香? そんなこと私がするとでも」
「思わないよー、だから私もしないよ」
「え」
「ん? なーに? 千早ちゃん」

本当に、何もせずに彼女はまた定位置へと戻っていく。わかってやっているのだろう。でも、憎めないのは惚れた弱みだろうか。私は天井を見た。その明るさにちょっとだけ涙が出た。

「でも……欲しいなら欲しいって言ってくれないと、私」

ぽつりぽつりと春香が漏らす。

「……わかんないよ?」

そんなことを言われても。先程から意識しすぎて、喉がカラカラだった。水を、飲みたい。潤いを求めるように、
私は唇を寄せるのだった。



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