栃木県立足利高等学校(Tochigi Prefectural Ashikaga Senior High School)は、栃木県足利市本城1-1629にある県立の男子高校。略称は足高(あしたか)。
- 設置課程/学科
- 全日制課程 普通科
- 学区
- 安足学区 - 足利市、佐野市 (県内他学区からは定員の25%まで入学が認められている)
- 校訓
- 質実剛健 文武両道
- 校歌
- 4番まであるが、歌詞中に校名が登場しない
- 運動部
- 野球部 卓球部 ハンドボール部 ソフトテニス部 テニス部(硬式) バスケットボール部 陸上競技部 バレーボール部 山岳部 水泳部 剣道部 柔道部 バドミントン部 サッカー部 ゴルフ部 ダンス同窓会
- 文化部
- 英語部 音楽部 美術部 科学部 写真部 インターアクト部 囲碁将棋部 鉄道研究部 ギター同好会 クイズ研究同好会
- 1921年(大正10年)4月6日 - 「栃木県立足利中学校」(旧制中学校)が開校
- 入学資格を尋常小学校を修了した12歳以上の男子、修業年限を5年(現在の中1〜高2に相当)、定員を100名(1学年2学級)とする
- 1925年(大正14年)10月 - 校舎完成と生徒の全学年完成に伴い、学校完成記念式を挙行
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 1学年あたりの学級数が3、定員が150名となる
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年(現在の中1〜高1に相当)となる
- 1945年(昭和20年)
- 3月 - 4年生(1941年(昭和16年)入学生)と5年生(1940年(昭和15年)入学生)の合同卒業式を挙行
- 4月 - 学校での授業が停止される。ただし勤労動員は継続
- 9月 - 終戦により、授業が再開される
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了で卒業することもできた)
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六三制の実施、新制中学校の発足)が行われる
- 旧制中学校としての生徒募集を停止
- 新制中学校が併設(以下併設中学校)され、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校4・5年生として在籍(ただし4年修了時点で卒業することもできた)
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六三三制の実施、新制高等学校の発足)が行われる
- 旧制中学校が廃止され、新制高等学校「栃木県足利高等学校」が発足
- 旧制中学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容
- 併設中学校は継承され(名称:栃木県足利高等学校併設中学校)、1946年に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止
- 4月1日 - 公立高校再編により、足利市立商業高等学校を統合し、普通課程と商業課程を有する総合制の「栃木県足利高等学校」が発足
- 夜間定時制(商業課程)を併置。葉鹿町立葉鹿中学校内に葉鹿分校(家庭課程)を設置
- 1950年(昭和25年)4月 - 御厨町梁田村組合立協和中学校内に御厨分校(農業課程)を設置
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 「栃木県立足利高等学校」(現校名)と改称
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 定時制課程に普通科を増設
- 1965年(昭和40年)3月 - 全日制課程商業科の募集を停止(栃木県立足利商業高等学校の校舎が完成したため)
- 1967年(昭和42年)3月31日 - 全日制課程商業科を廃止
- 1985年(昭和60年)9月11日 - 群馬県立太田高等学校との対抗戦を開始
- 2001年(平成13年)4月1日 - 第2学年類型(国際数理)を導入
- 2002年(平成14年)4月 - 群馬大学との高大連携を開始
- 2006年(平成18年)3月31日 - 定時制課程を廃止(栃木県立学悠館高等学校へ移管)
- 4月1日 - 第2学年類型(文系SP)を導入
- 2012年(平成24年)4月 - 文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール (SSH) の指定を受ける
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