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ここはでもにっしょんch ぼくの考えたサーヴァントスレに投稿されたサーヴァントを纏めるwikiです。

基本情報

【元ネタ】戦国時代
【CLASS】アサシン
【マスター】
【真名】足利義昭
【性別】男性
【身長・体重】164cm・87kg
【肌色】病的な白 【髪色】黒髪 【瞳色】黒
【外見・容姿】福々しい容貌だが目が笑っていない男
【属性】秩序・悪(本来は混沌・善)
【天地人属性】人
【その他属性】人型
【ステータス】筋力C 耐久D 敏捷B 魔力D 幸運A+ 宝具C

【クラス別スキル】

気配遮断:D

 サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。

【固有スキル】

自己暗示:B+

 自らを対象とした強力な暗示。精神に働きかける魔術・スキル・宝具の効果に対して高い防御効果を持つ。
 義昭はこのスキルによって自らの所業に対する認識を都合よく改竄する。
 例えば浅井、朝倉、本願寺に苦戦し、信玄にも敵対された織田信長を落ち目と見て切り捨て寝返った、という記憶を
「信長が不忠であるが故に自分が諸大名を蜂起させた」という風に改竄し、言いふらすのである。

友誼の証明:C

 敵対サーヴァントが精神汚染スキルを保有していない場合、相手の戦意をある程度抑制し、話し合いに持ち込むことが出来る。
 聖杯戦争においては、一時的な同盟を組む際に有利な判定を得る。
 ……朗らかに振る舞う様は相手の敵意を減じ、事物万象を自身に都合よく歪めて捉えていると気づかせもしない。

無冠の武芸:−

 様々な理由から認められる事のなかった武具の技量。
 剣、槍、弓、騎乗、神性をそれぞれのスキルランクをマイナス1し、属性を真逆のものとして表示する。
 真名が明かされた場合、このスキルは消滅する。
 兄・足利義輝同様、剣聖・塚原卜伝に刀槍術を教授され、一つの太刀も伝授されたのだが武芸の逸話を語られる事がない。

一の太刀:B

『天の時』『地の利』『人の和』の三つを備えた自然体の一太刀。
 鹿島神流の松本備前守政信が創案し、新当流の塚原卜伝が極意とした技法。宗和の心得への入り口とも。
 同じ相手に同じ技を使用しても命中精度が下がりにくくなる。
 ――甲陽軍鑑によれば、塚原卜伝は『一の太刀』を足利義晴、足利義輝、足利義昭に伝授したとされる。

独尊剣:−

対人魔剣。最大補足・1人
 一つの太刀を伝授される程の力量に、極まった妄執が加わった事で完成してしまった足利義昭の魔剣。
 相手の心理を囚えて歪める邪剣であり、宗和の心得に辿り着けなくなった原因でもある。

 一の太刀の剣理は自他合一――“敵の心理や地形・状況など戦局を取り巻く全てを掌に置く”が故に必ず当たる、というものだが
 それを元に義昭が編み出した魔剣は“自身の心象風景を相手の心へと押し付け、己の妄執の世界に囚える”ものとなった。
 つまり、義昭は剣気と歩法を自在に操る事で敵の心理を囚え、その肥大化した自己認識が生んだ虚妄の中に引きずり込むのである。
 術にかかったが最後、相手は義昭の都合のいい妄想に沿った行動を強いられる事となるだろう。

 二階堂平法の『心の十方』に近い暗示術だが
 技術ではなく使い手の妄念ありきの技であり、また一対一の戦いでしか使えないという欠点がある。
 この魔剣を破るには、複数人で立ち向かうか、精神干渉に対する強い耐性が求められるだろう。

【宝具】

虚影の包囲網きょえいのほういもう

ランク:C 種別:対軍宝具 レンジ:− 最大捕捉:−
「第一次信長包囲網の首謀者は足利義昭である」という巷説が宝具にまで昇華されたもの。
 宝具の対象を一名選び、対象と敵対する人物・英霊に対し、令呪に相当する命令権を1つずつ獲得する。
 ただし、対象と敵対をやめた者に対しては、この命令権は効果を発揮しない。
 ――実際のところ足利義昭が第一次信長包囲網に参加したのは終盤だったのだが、巷説では包囲網の主導者とされた。
 これが昇華された結果、宝具の対象と敵対する人物・英霊に対する強力な命令権を獲得する宝具となったのである。

【Weapon】

『童子切安綱』

『大典太光世』

『鬼丸国綱』

 足利将軍家の重宝たる名刀。

『日本号』

 天下三名槍の一つ。ランサーでの召喚の場合こちらを用いる。

【解説】

 室町幕府第15代将軍。最後の将軍でもある。はじめ義秋とも名乗った。
 仏門に入っていたが、先代の将軍だった兄・足利義輝の横死を受けて次代将軍として名乗りを上げる。
 これに諸大名は表面上は好意的な反応を示したものの、実際に擁立しようとする動きは見せず
 室町幕府将軍を標榜しながらも京都に入れず、諸国を流浪する事となる。

 やがて明智光秀の仲介によって、日の出の勢いにあった織田信長に擁立されることとなり
 織田の軍事力を背景に破竹の勢いで攻め上り、京都に上洛。
 名実ともに室町幕府将軍となった。

 織田信長との関係は一定の緊張と対立を孕み、それは次第に増していったが
 幕府の権威の向上という点において両者の利害はおおよそ一致しており、義昭と信長は権力の綱引きをしながらも協調路線を保った。
 これが崩壊したのは信長包囲網に信長が追い詰められてからである。

 足利義昭が信長包囲網を画策したとする巷説があるが、第一次において義昭が主導した痕跡は見受けられない。
 第一次信長包囲網とは信長と敵対する諸大名が緩く繋がった程度のものに過ぎず
 また武田信玄が信長を裏切り、三方ヶ原の戦いで徳川軍相手に大勝するまで、織田信長と足利義昭は協調関係にあった。
 つまり、足利義昭は織田信長を落ち目と見て切り捨て、信長包囲網に“後から”参加したのだが
 後世の認識は義昭が首謀して信長包囲網を構築した、というものになっている。

 信玄の病没を切っ掛けに信長包囲網が瓦解すると、情勢は信長の優位に傾く。
 この状況で信長は義昭に講和を申し入れたが、状況を理解できていなかったのか、これを拒否。
 戦うも敗れ、毛利家の下に逃れた。
 その後も信長は義昭との和解を模索するが、義昭が彼我の立場を弁えず人質を要求した事で和解は失敗。
 信長は朝廷と結び、将軍家なしで天下を制する方向に動き出す。
 結果、義昭と室町幕府は急速に存在感を失っていった。

 第二次信長包囲網では
 まだ足利将軍の権威が通用した地方大名を反織田方につけるべく工作したが
 結局、第二次信長包囲網も目的を果たせず瓦解。
 信長が本能寺の変で横死した後は、信長の旧臣である柴田勝家と結んで復権を計ったが
 趨勢は羽柴秀吉の下に帰し、以後は秀吉の駒のように扱われるようになってしまう。

 秀吉は未だ地方には通用していた室町幕府将軍という権威を外交工作に利用し
 利用価値が失われると将軍職を朝廷に返上させて室町幕府を滅ぼした。
 その後、義昭は秀吉の御伽衆(話し相手)となったという。

【人物像】

 表面的には穏やかで朗らか。敵意や悪意を感じさせないように振る舞うが
 その実、全てを自分に都合よく利用しようと考えている恩知らず。
 関われば関わる程に人に損をさせる疫病神じみた存在。
 傍目には戦闘力などなさそうな太っちょなのに、刀槍術に長けているのも始末が悪い。

 とはいえ、それだけならば戦国の動乱を乗り切れずに終わったであろう。
 天はこの男に二つの才能を与えた。
 一つには塚原卜伝をして一の太刀を伝授する程の類まれなる武術の才能。もう一つは強い存在を見定める嗅覚である。
 強き者に寄生し、剣の術理を応用して相手の心を都合よく操り
 室町幕府将軍という権威をも最大限に利用して、彼は戦国の世を生き延びた。

 サーヴァントとなった後も、その在り方は変わらない。
 聖杯戦争に召喚されたのならば、生前と同じように強者に寄生して生き残りを計りつつ、その背後を狙うだろう。*1

【因縁キャラ】

足利義輝:兄に対しては剣者としても将軍を継いだ者としても(本人なりに)敬意を払った対応をする。
でも「兄上、剣豪将軍とか刀を次々持ち替えて戦ったって言われてますけど、最後の戦いで振るってたの薙刀だけでしたよね?」と空気を読めないツッコミをすることも。

織田信長:憎んでも憎み足りない相手。
実のところ裏切ったのは義昭の方が先で逆恨みもいいところなのだが、彼の脳内では信長が先に裏切った事になっている。

明智光秀:憎んでも憎み足りない相手part2。
信長に寝返った不忠者という事に本人の脳内ではなっている。光秀側からすれば愛想が尽きたというものだろうが。

長尾景虎:後世では室町幕府に忠義を尽くした義の将……という事になっているが、実際は言うことを聞かない事もしばしばだった。
景虎の側も「この男はろくでもない奴だ」となんとなく察知していたと思われる。

豊臣秀吉:言い様に操られた相手なのだが恨みは抱いていない。
義昭をして恨みを抱かせなかった程に、秀吉の人心掌握術が卓越していたとも言える。

柴田勝家:生前、手を結んだ事もある程度なのに馴れ馴れしい対応をしてくる元将軍に勝家の側も困惑顔。

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