最終更新:ID:HNQSftMghA 2023年10月03日(火) 19:53:58履歴
【元ネタ】晋書
【CLASS】アーチャー
【真名】馬隆
【異名・別名・表記揺れ】孝興(字)
【性別】男性
【身長・体重】170cm・68kg
【外見・容姿】犀皮の鎧に身を固めた中華武将
【地域】中国
【年代】三国時代〜晋
【属性】秩序・善
【天地人属性】人
【その他属性】人型
【ステータス】筋力C 耐久B+ 敏捷B+ 魔力B 幸運B 宝具C
【CLASS】アーチャー
【真名】馬隆
【異名・別名・表記揺れ】孝興(字)
【性別】男性
【身長・体重】170cm・68kg
【外見・容姿】犀皮の鎧に身を固めた中華武将
【地域】中国
【年代】三国時代〜晋
【属性】秩序・善
【天地人属性】人
【その他属性】人型
【ステータス】筋力C 耐久B+ 敏捷B+ 魔力B 幸運B 宝具C
同ランクの軍師の指揮と同じ効果を発揮し、兵に力を発揮させるスキル──なのだが、馬隆の場合、兵器や宝具の運用にも恩恵がある。
曰く、諸葛亮が残した兵書『諸葛亮兵法』は密命を受けた陳勰が暗記した上で破棄され、その内容のみが司馬昭の下に持ち帰られた。
その兵法は羊祜が長官を務めていた禁軍に継承され、馬隆もまた諸葛亮兵法にある八陣の一部を用いたという。
曰く、諸葛亮が残した兵書『諸葛亮兵法』は密命を受けた陳勰が暗記した上で破棄され、その内容のみが司馬昭の下に持ち帰られた。
その兵法は羊祜が長官を務めていた禁軍に継承され、馬隆もまた諸葛亮兵法にある八陣の一部を用いたという。
生体電流と魔力の自在な転換、および蓄積。馬隆の場合は主に電磁力という形を取り、磁鉄鉱を併用して臨機応変な対応を取る。
磁場によって敵の動きを阻害するのみならず、偏箱車、鹿角車、強弩といった兵器の数々を磁力で自在に操作・強化可能。
諸葛亮兵法の効果も相まって、馬隆が構築する陣地はさながら移動要塞とも言うべき力を発揮する。
磁場によって敵の動きを阻害するのみならず、偏箱車、鹿角車、強弩といった兵器の数々を磁力で自在に操作・強化可能。
諸葛亮兵法の効果も相まって、馬隆が構築する陣地はさながら移動要塞とも言うべき力を発揮する。
本来は愛馬と共に在ることでもたらされるスキルなのだが、馬隆の場合、兵車に搭乗し、電磁力を動力としてかっ飛ばすという形となっている。
史実でも千里の彼方まで転戦した事もあり、長時間・長距離移動を可能とする無尽蔵の体力を有する。
また、敏捷パラメーターの一時的な急上昇、全力疾走時の耐久及び筋力パラメーターの上昇、といった効果を発揮できる。
史実でも千里の彼方まで転戦した事もあり、長時間・長距離移動を可能とする無尽蔵の体力を有する。
また、敏捷パラメーターの一時的な急上昇、全力疾走時の耐久及び筋力パラメーターの上昇、といった効果を発揮できる。
ランク:C 種別:対軍宝具 レンジ:50 最大捕捉:500人
諸葛孔明の石兵八陣を、かの軍師ほどの頭脳を持たずとも扱えるように自己流でアレンジしたもの。
偏箱車や鹿角車に磁鉄鉱を組み合わせ、車蒙陣をベースとした迷宮の如き防衛陣を構築する。
この陣の内部に侵入した敵は、毎ターン数多の強弩で釣瓶打ちにされ、大ダメージを負う。
また、陣の内部は磁気嵐が吹き荒れており、侵入者の方向感覚を狂わせ、金属製の武具を装備した者の動きを格段に鈍らせる。
その上、配置した車を電磁力で動かし迷宮の構造を適宜変化させられる為、陣を脱出する事も困難。
「上空なら陣の範囲外……とでも思ったかい?残念、そこも陣の内側、磁力の圏内さ!」
諸葛孔明の石兵八陣を、かの軍師ほどの頭脳を持たずとも扱えるように自己流でアレンジしたもの。
偏箱車や鹿角車に磁鉄鉱を組み合わせ、車蒙陣をベースとした迷宮の如き防衛陣を構築する。
この陣の内部に侵入した敵は、毎ターン数多の強弩で釣瓶打ちにされ、大ダメージを負う。
また、陣の内部は磁気嵐が吹き荒れており、侵入者の方向感覚を狂わせ、金属製の武具を装備した者の動きを格段に鈍らせる。
その上、配置した車を電磁力で動かし迷宮の構造を適宜変化させられる為、陣を脱出する事も困難。
三国時代〜晋代の魏、晋の武将。
当時の皇帝・司馬炎をして「呉、蜀の害より甚だしい」と嘆かせた樹機能の乱を、三千の兵を率いて平定した。
隴右を統治している間、異民族はその勇名を恐れたという。
†
幼少期から節義と名誉を重んじる人柄だった。
謀反に加担した令狐愚の遺体が長く市場で晒されると、馬隆は令狐愚の食客であったと偽り、私財を投じて埋葬し喪に服してやったという。
晋の皇帝・司馬炎が呉の討伐に際して優秀な人材を求めた時、馬隆は良将の素質があると推挙された。
しかし、目覚ましい活躍が見られるのは対呉戦線ではなく隴右での異民族との戦いとなる。
当時、鮮卑の禿髪樹機能の勢いは凄まじく、晋は多くの将を差し向けたが、ある者は敗れ、ある者は討死した。
その勢威は皇帝・司馬炎をしてかつての呉・蜀よりも脅威であると言わしめ、朝議において討伐できる人材を求めても誰も応じなかったという。
ただ一人、馬隆のみは自らを推薦し「身分を選ばず三千の精鋭を選別し、これを率いて討伐する」と進言。
居並ぶ朝臣が反対する中、司馬炎はこれを良しとし、全面的に支援した。
遠征した馬隆は千里の彼方まで転戦し、目覚ましい活躍を見せた。
樹機能の軍勢は数万を数えたが、馬隆はある時は山路が狹隘である事を利用して車蒙陣(諸葛孔明の八陣にあったという)を敷き
ある時は奇謀によって敵の不意を突き、またある時は大量の磁鉄鉱によって鉄甲を装備する敵軍の動きを鈍らせ、と連戦連勝。
樹機能に従っていた部族長は次々に降伏し、樹機能は部下の没骨能に裏切られ殺されたという。
この頃、晋の朝廷では馬隆からの連絡がなく戦死したのではないかとさえ言われていたが
勝利を知らせる伝令がやってきた事で司馬炎は大喜びし、群臣達の不明を責めたという逸話が残る。
かくして樹機能の反乱を平定した馬隆の武名は天下に鳴り響いた。
司馬炎はその武名を頼み、未だ動揺冷めやらぬ隴右の地で統治にあたらせる。
馬隆は以後も奇略によって異民族の侵攻を阻み、彼らに恐れられ続けた。
一時は野心に駆られた厳舒の讒言によって更迭させられたが、それを知った異民族が結集して侵攻する兆しを見せた為、馬隆は程なく復職したという。
当時の皇帝・司馬炎をして「呉、蜀の害より甚だしい」と嘆かせた樹機能の乱を、三千の兵を率いて平定した。
隴右を統治している間、異民族はその勇名を恐れたという。
†
幼少期から節義と名誉を重んじる人柄だった。
謀反に加担した令狐愚の遺体が長く市場で晒されると、馬隆は令狐愚の食客であったと偽り、私財を投じて埋葬し喪に服してやったという。
晋の皇帝・司馬炎が呉の討伐に際して優秀な人材を求めた時、馬隆は良将の素質があると推挙された。
しかし、目覚ましい活躍が見られるのは対呉戦線ではなく隴右での異民族との戦いとなる。
当時、鮮卑の禿髪樹機能の勢いは凄まじく、晋は多くの将を差し向けたが、ある者は敗れ、ある者は討死した。
その勢威は皇帝・司馬炎をしてかつての呉・蜀よりも脅威であると言わしめ、朝議において討伐できる人材を求めても誰も応じなかったという。
ただ一人、馬隆のみは自らを推薦し「身分を選ばず三千の精鋭を選別し、これを率いて討伐する」と進言。
居並ぶ朝臣が反対する中、司馬炎はこれを良しとし、全面的に支援した。
遠征した馬隆は千里の彼方まで転戦し、目覚ましい活躍を見せた。
樹機能の軍勢は数万を数えたが、馬隆はある時は山路が狹隘である事を利用して車蒙陣(諸葛孔明の八陣にあったという)を敷き
ある時は奇謀によって敵の不意を突き、またある時は大量の磁鉄鉱によって鉄甲を装備する敵軍の動きを鈍らせ、と連戦連勝。
樹機能に従っていた部族長は次々に降伏し、樹機能は部下の没骨能に裏切られ殺されたという。
この頃、晋の朝廷では馬隆からの連絡がなく戦死したのではないかとさえ言われていたが
勝利を知らせる伝令がやってきた事で司馬炎は大喜びし、群臣達の不明を責めたという逸話が残る。
かくして樹機能の反乱を平定した馬隆の武名は天下に鳴り響いた。
司馬炎はその武名を頼み、未だ動揺冷めやらぬ隴右の地で統治にあたらせる。
馬隆は以後も奇略によって異民族の侵攻を阻み、彼らに恐れられ続けた。
一時は野心に駆られた厳舒の讒言によって更迭させられたが、それを知った異民族が結集して侵攻する兆しを見せた為、馬隆は程なく復職したという。
節義、名誉を重んじ、己の力量に絶対の自信を持つ。
ある種の侠気も持ち合わせており、たとえ罪人であろうとも誰も助けに入らないなら進んで手を差し伸べる。
その一方、無辜の人々を害さんとする者に対しては情け容赦がない。
これだけなら英霊によくあるタイプと言えようが、馬隆の特異な点は当時から身分や序列に囚われない実力主義者だったという事。
良かれ悪しかれ現代の思想・価値観と噛み合った思考回路の持ち主だが、裏を返せば貴族主義的な魔術師とは噛み合わないという事でもある。
また、自ら武器を選ぼうとして武庫令と揉めた逸話からも分かるように
自身が率先して動き、対立する者はたとえ味方でも激烈に罵倒するタイプな為、マスターによっては戦う前から陣営が空中分解する恐れもあるだろう。
自信家である彼の判断とプライドを否定せず、支援に徹する人間のみが彼と上手くやっていける。
尤も、彼は異民族に神の如く恐れられ、後世でも「古人の兵法というものを真に理解していた」と評された名将であり
その判断に従って失敗する事は考えにくいか。
ある種の侠気も持ち合わせており、たとえ罪人であろうとも誰も助けに入らないなら進んで手を差し伸べる。
その一方、無辜の人々を害さんとする者に対しては情け容赦がない。
これだけなら英霊によくあるタイプと言えようが、馬隆の特異な点は当時から身分や序列に囚われない実力主義者だったという事。
良かれ悪しかれ現代の思想・価値観と噛み合った思考回路の持ち主だが、裏を返せば貴族主義的な魔術師とは噛み合わないという事でもある。
また、自ら武器を選ぼうとして武庫令と揉めた逸話からも分かるように
自身が率先して動き、対立する者はたとえ味方でも激烈に罵倒するタイプな為、マスターによっては戦う前から陣営が空中分解する恐れもあるだろう。
自信家である彼の判断とプライドを否定せず、支援に徹する人間のみが彼と上手くやっていける。
尤も、彼は異民族に神の如く恐れられ、後世でも「古人の兵法というものを真に理解していた」と評された名将であり
その判断に従って失敗する事は考えにくいか。
自らが樹機能討伐で用いた車蒙陣の発案者。『諸葛亮兵法』の著者でもある。
原著は失われたが、司馬昭に密命を受けていた陳勰によって内容のみは晋に持ち帰られた。
晋においては羊祜や馬隆といった名将も諸葛亮の軍規・陣形を学んでいたとか。
原著は失われたが、司馬昭に密命を受けていた陳勰によって内容のみは晋に持ち帰られた。
晋においては羊祜や馬隆といった名将も諸葛亮の軍規・陣形を学んでいたとか。
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