エロゲの紹介と心に残った作品の感想をダラダラ書いています。

 とあるブランドのライブに行って人生を感じているオタクを見て、ふと思った。もしかしたら俺の人生はとてつもなく空虚なのではないかと。何故かといえば、心の中を見返したときに、人生と言えるだけの愛着が何一つとして残っていないからである。俺が積み上げてきたものは何一つとして形を成していないのだ。恐らく好きを継続させることができない性質なのだろうと思う。何でもかんでも幼少期の体験がどうのとか、環境がどうのとか言うのは、良い歳した大人のくせに言い訳がましくて情けなく思えるが、昔のことを思い返しても宝物と呼べるものが何もなかった。

 クリスマスにもらったのは大体が辞書とか伝記とか学習まんがみたいなものばかりで、小学生に入る前からドラえもんとのび太の足し算引き算みたいな何が面白いのかも分からないものを娯楽としていた。テレビは小四のころに両親が喧嘩して壊したまま。自慢でも何でもなく、お金に困ってはいなかったと思う。それでもなお、壊れたテレビは壊れたまま、リビングのインテリアになっていた。ベイブレードとか、ゲームソフトとか、誕生日にもらえるお金やお小遣いをためて買ったものはそれなりに大事にしてきたような気がする。でもそれも、なんだか周りに合わせて選んでいて、その時々の流行り物を刹那的に購入していただけだった。周りを見たら、最新型のベイブレードを持ってるやつや、たくさんのゲームソフトを持ってるやつがいた。正直に言えば羨ましかったし、大切にしようとおもったものの価値が、相対的に落ちていくような劣等感があった。

 家族みたいな近しい人間から自分が本当に欲しい乃至はもらってよかったと思えるものをプレゼントしてもらって、その気持ちごと大切にする、みたいな体験が幼少期から今に至るまで欠落している。中には貰ったときには確かに温かな想いが込められていたはずのものもあったが、縁の切れ目と一緒に大切さが薄れた。随分と話が逸れたが大切なものを純粋に大切にするという当たり前の出来事を長らくしてこなかったから、人生と呼べるものがないのだ。直接聞いたわけじゃないから本当のところは分からないが、人生を感じたオタクは本当にそのコンテンツが好きなのだろう。何か情報があれば喜び、お金を払い、ふとした時にそのことを考える。この程度の薄っぺらい「好き」しか想像できないが、逆に言えばその程度のことも想像できないくらい好きが遠いのだろう。俺は何かを真似るように好きだと語るが、今でも本当に好きだ、といえる自信がないものばかりである。

 他の人はどうなのだろうか。昔好きだったもので、今でも好きと言えるものはあるだろうか。長く長く大切にし続けたと胸を張って言えるものはあるだろうか。エロゲは長く続けてきた趣味の一つだけれど、空虚な自分を埋める依存先のような気もする。事実数年単位でエロゲをプレイしていなかった時間は確かに存在したし、また同じことは起こりうるだろうという確信がある。今日日小学生でも答えを出してそうな好きが、未だに分からないまま生きている。永遠に埋まらなさそうなこの頼りない心が俺の人生である。何も積み上げていないを積み上げてきてしまったのだ。それでいいともそれがいいとも思えないが、この劣等感は小学生の時に感じたそれと似ているなぁ…と他人事みたいに感じているから多分きっと俺は大丈夫なのだろう。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

めにゅー

自己紹介

管理人のツイッター

応援バナー

インレ『幕末尽忠報国烈士伝 MIBURO』


ウグイスカグラ『紙の上の魔法使い』


『ノラと皇女と野良猫ハート』 夕莉シャチ


青春ロケットADV『あの晴れわたる空より高く』

管理人/副管理人のみ編集できます