老人の姿のはずが少年であったり、魚人のはずが人魚がふさわしい姿であったり色々齟齬はあるが、曰く本人そのもののクーマラ。トマス・カイトリーが作ったおとぎ話としての不確かな側面を強調している。
どちらかと言えばかなりサナト・クマラ寄りかつアヴァターラ的に振る舞うメロウもどきであり、並行世界における存在のためかギリシャの機神のようなテクノロジーを自らの礼装に使用、多くの加工を施している。
彼の詳しい神話において、聖人が王に話すと言う賢き人達の中にクーマラに似た名前が存在し、その縁から己の死の直後無理を言って「語らせた」、「知古に歪みのない自分を語らせ、それをトマス・カイトリーが知ることによって作られたという歴史」のクーマラ。
生前はジャックという男性と談笑をしたり、酒の話を語ったりなど楽しい日常を過ごしていたクーマラ。しかしある日魂が癒されるとして行った、「魂を捕らえる」という行為を発見され、それを残酷と捉えたジャックによってその魂を逃がされ、少ししょんぼりした、かと思いきや普通に過ごし、そしていつの間にかかき消えるというのが大筋に共通している。
しかしこのクーマラは、サナト・クマラにとってのアヴァターラや姿を変えただけの一側面にすぎない。というのも
ヘレナ・P・ブラヴァツキー?というヒューマンが生まれた瞬間少なくとも並行世界には「ヒューマン」という座、霊基が生まれた。からくもその編み上げられた伝承において「世界と溶け込んだ」なる物があり、結果的にこの世界の彼は、波及した影響により逆説的に世界から「世界が知るサナト・クマラこうであれ」と変質させられた体を持ってしまった。
彼は生前永遠の若さや姿を変える能力を用いてこそいたが伝承通りに世界各地を旅しており、「クーマラ」というのも仮名であった。しかし、その若さが命取りだった。たまたま自作の潜水スーツを着用せず、精神における若さからそのまま海中にダイブ。若さとは無謀さであり、未だに細かい感覚や浅い傷に気付かない気質でもある。
端的に言おう、炎の化身に及び20年代という未来に発見されるはずのエーテルの魔力は、地球という海にとってあまりにも異物。そんな存在が海の中へ飛び込むという行為は、待つのは単純に苦痛、死、消滅だった。肉体は実体を失い、加護すら損なった。更には完全に鎮火して肉体すら失い──「死した」。
不老の存在ゆえに座に刻まれる事自体が矛盾であるサナト・クマラが並行成果の別側面として現れている事のタネはこれである。
マハトマ自体が創作に近い神智学の概念なので上書きされたイメージを嫌って生前先にサナト・クマラがばら蒔いてたそれで上書きの上から更に「ドイツ伝承」というマテリアルで上塗りした歪なサナト・クマラ(70%本物)
しかしながら
化身を有さない不老の存在とクーマラの霊基は矛盾を起こしており、少なくとも生前からの記憶を持ち、歴史による汚染はほぼないと言っていい。
それもあってか、自らの死によって人の死を目撃する事には敏感になっており生来のクーマラとしての優しさ、を総合してセーバーを選ぶに至った、サナト・クマラとクーマラの解釈の集合概念でもある。
宝具である『
我は遠き温暖なる理想郷』はマハトマのサナト・クマラが作り上げる、持つというシャンバラなる楽園の信仰が習合された物であり、聖杯に願うほどではないが成長させ報われない魂を癒やすことに使用する。
ざっとした経緯
クーマラとして魂の籠の主人公、ジャックと話したりする生を謳歌していた。生前から持つ変容、変化の類のスキルを行使しているため体の感覚や感覚の変化には常々鈍感であり、日課のダイビングをした所「マハトマという知識」「並行世界の自分」などの知識が世界から流れ込んだ。
しかし知識による思考の付け足しをリソースとして意識ごと死ぬ寸前で引き伸ばされた彼は「この怨念、神としてスケールも大きいならば魔力やエネルギーとして活用できるのでは」と生前の「かつてあった賢き人」として語られた経緯をある種の縁、触媒としてナーラダ・アンギラのシャドウサーヴァント的形態に英霊が持つ生前の因果を冠位指定もどきの呪術により歪めて召喚。そをトマス・カイトリーが聞き、興味を持った事により彼の存在がそのまま人格を損なわず伝わったというIFの歴史とIFの存在を辿ったサナト・クマラでありクーマラ。玉藻前(金毛白面)みたいなニュアンス。
知識などは元々あるためマハトマでも構わない、炎が水に沈めば没しても問題ない、エーテル魔力のため当時に「存在しない」などの矛盾点を解消してしまったどこかの世界のサナト・クマラであり、剪定事象になりうるはずが重要なポイントを全て抑えてしまった偽物のメロウにしてアヴァターラ。その性質が悪さをし、剪定事象ならこれを受ける存在として座にあってもいいよね!ランクダウンしてるから一側面でヨシ!と多くの可能性の受け皿となった擬似的な複合神格。