トム・サム号は、アメリカの鉄道史において、最初に一般輸送用に用いられた蒸気機関車。
つまり、企業などが製品輸送などの為に自社保有する専用路線ではなく、一般旅客・貨物を輸送する路線で走った、最初の蒸気機関車である。
彼が最初にアメリカの線路を走った1830年頃、アメリカには既に、馬などを用いた畜力式鉄道、重力によって高所を下りウィンチで引き上げる重力式鉄道は存在していた。
しかし、当時固定車軸式が多かった蒸気機関車については、アメリカの多種多様な地形に追従する形で敷設され、曲がりくねり高低差もある路線には向かないと判断されていた。
蒸気機関車を実用普及させた
ジョージ・スチーブンソンも消極的だった蒸気機関車の鉄道への導入。
それを促進するきっかけとなったのが、実業家のピーター・クーパーがボルチモア・アンド・オハイオ鉄道の要請に応じて発明した、このトム・サム号であった。
蒸気機関車と聞いて連想されるものとはかけ離れた、蒸気機関とその上下運動を円運動に変換するシリンダー、そして冷却用のブロワーがトロッコに乗っているだけ、という外観。
とは言っても、車輪の動力はシリンダーから受け取った円運動エネルギーであり、如何に不格好であっても、これは立派な蒸気機関車だった。
トム・サムは、1830年8月28日
*1、ボルチモア-エリコットシティ間に敷設されたテスト用路線の上を走り、乗客を載せた馬車と競争する形でテストを行った。
その結果、途中ブロワーの故障でエンジンの稼働効率が落ちるというアクシデントはあったものの、それまでは馬車を大幅にリードする結果を残したのである。
土地の起伏や曲線を物ともせず走り抜け、しかも馬車よりもなお迅速な輸送を行える。この事実がB&O鉄道社に理解されたことで、同社は、本格的な輸送用蒸気機関車の導入を開始。
やがて、畜力式や重力式鉄道、そして当時の輸送手段の主流だった運河による海路輸送と平行して、蒸気機関車による鉄道も各社に普及していくことになった。
――――話がただこれだけで終わるならば、これ以外の逸話も持たないトム・サムという蒸気機関車が座に登録されることはなかっただろう。
しかし、先述の通り、彼が蒸気機関車の価値を証明したことで、アメリカを結ぶ大鉄道網が形成され、それに纏わる産業と都市を発展させることに繋がった。
鉄道会社はその運行路線の長大さに比例して巨大化し、人類史上空前の企業体を形成。様々な労働問題、そして法や権利、経済に纏わる問題を提起した。
特に、建設と維持に莫大な費用を要する鉄道路線の資産価値計算に用いられた「減価償却」の計算手法と概念は、今やあらゆる会計業務で利用されている。
更に、馬車よりも圧倒的に早く行き来する鉄道の時刻表を正確化する為、当初は都市ごとにバラバラだった時間基準を統一する動きが出た。
これは鉄道会社のみに留まらず一般社会にも普及し、広大な国土を有する国家が、エリアごとの「標準時」を定めるきっかけにもなった。
例えハービンジャーがそれを成し遂げずとも、いつかは世界中にその風潮は広がっていたことだろう。
だが、これらの“アメリカという国の形を決定づけた原因”は鉄道にあり、そしてその鉄道普及の先駆となったのがトム・サムであることも、間違いがない。
故に、彼はただの機関車、ただの
親指トムではない。
合衆国を結ぶネットワークを形成し、アメリカという国家を強国化させ、世界史を動かす原動力となった一端。
“アメリカ合衆国鉄道網の歴史”、換言すれば“アメリカの開拓史”の現れそのものなのである。