大宰相は、オスマン皇帝の代理人という意味もあり、絶対的な権力者として君臨した。
スレイマン大帝以後、凡庸なスルタンが続いたオスマン帝国の衰退した時期に、実質的にオスマン帝国を動かしたのは、この大宰相であった。
マフムト二世?や
アブデュルメジト一世?による
タンジマート?改革、
アリー1世による
オスマン革命によって皇帝の絶対的権力が大宰相に集中していた体制が分割され、大宰相は他国で言う「首相」のようなものに変化した。さらに大宰相は、1533年に締結されたコンスタンティノープル条約で、
「オスマン帝国はフェルディナント一世をドイツ王、カール五世をスペイン王として認め、その地位をオスマン帝国大宰相と同等とする。また、「皇帝」を名乗る権利はオスマン帝国スルタンのみにあるものとする」
という対外的な
「国家元首」という立場にあったということも確認されている。
現在も、大宰相の地位はオスマン帝国の対外的な元首(代理人)である。