政治経済法律〜一般教養までをまとめます

  • 市民社会
 18世紀から19世紀にかけて、西欧先進諸国に見られた社会の形態は市民社会であった。それは、「財産と教養」を備えた市民によって構成される社会である。市民の「財産と教養」は、市民が理性の持ち主であることを保証する。理性を備えた市民は、自他の利益を正確に計算しうるし、またその実現に必要な方策も正確に計算しうると考えられる。こうした市民によって構成される市民社会では、人々は合理的に行動することが期待され、したがって、政府が積極的な役割を果たさなくとも、社会の秩序は容易に成立しうるはずである。市民社会では、最小の政府こそ最良の政府であるとされるゆえんである。
  • 大衆社会
 こうした市民社会では、20世紀に入るとともに大衆社会に転換する。その直接の契機となったのは、普通選挙制の成立であった。普通選挙制によって新たに有権者となった大衆は、社会の複雑化と大規模化のゆえに、自他の利益を計算するのが困難であった。言い換えれば、政治における理性の機能が著しく低下したのである。その結果、新たに政治参加を認められた大衆は政治に対して理性的に対応する代わりに、期待・願望・不安など多様な感情的要素を政治に投入することになる。こうして、大衆は非合理的な行動様式を示すことになり、大衆社会は政府の積極的な働きかけなしには安定した秩序を保ちえなくなる。
 現代人は他人との過剰な接触の中で生活せざるをえないために、他人の期待や評価に極めて敏感であり、社会的行動や態度を決める場合にも他人の行動や態度をその基準とする(他人指向型)。ここから画一化された行動様式が大衆の特性の一つになるが、それは政治的指導者の側から見れば、大衆が操作の対象になりうることを意味している。しかも20世紀においては、テクノロジーの発展が通信交通手段にも及び、大量伝達を可能とするマス・メディアが驚異的発展を遂げた。政治的指導者は、大衆操作の手段として今や高度に発展したマス・メディアを駆使できる。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

役立つリンク

管理人/副管理人のみ編集できます