最終更新: bennkyotyuu 2012年02月25日(土) 05:56:29履歴
- 大衆社会の政治的特性
しかし、大衆社会において大衆自身が指導者の政治責任を有効に追求することは極めて困難である。大衆が政治的には受動的な存在である限り、責任追及に関してのみ能動的であることを期待するのは困難だからである。しかも大衆社会には、そもそも責任の追及自体を無意味なものにする新しい型の政治理論が存在している。19世紀までの政治理論は、ある一つの共通な前提を持っていた。それは、社会的・政治的問題はすべて理性の適用によって解決できるとする前提であった。
- 全体主義の政治理論
大衆社会は20世紀前半の全体主義的独裁を成立させる基礎になったことにおいてしばしば批判の対象とされている。確かに1920年代から30年代にかけての大衆社会は、「根無し草になった人々」を大量に生み出した。こうして孤立化し原子化された大衆が、その操縦されやすさのために全体主義の温床となったのである。しかし、今日の大衆社会は20年代のそれとは異なり、社会のすみずみにまで巨大な組織網を張り巡らしている。大衆の多くは何らかの形でこうした組織のどれかと結びついており、決して「根無し草になった人々」ではない。今日の大衆社会は大衆社会理論が示唆するような特性をとどめてはいるが、かつで想定されていたよりもはるかに安定した社会であるといえる。
コメントをかく