中絶薬

今はもう見かける事が少なくなった「野良犬」
僕の地元の二子玉川の河川敷には昔、野良犬がいた。
元々ペットとして飼われていたのか？ペットが子を産み、捨てられその子犬が大きくなったのかはわからない。
子供だった僕が、給食のパンを持って野良犬にあげようとしても決して近寄って来ない。
こちらが仲良くなろうとしても、目を合わせようともしない。
「そんなパン如きで、尻尾なんか振らねぇよ！」とでも言っているかのように、こちらを無視する。
「ゴールデンレトリーバー」のような風貌だが、明らかに雑種でその犬には高級感や品格はない。
身体は痩せてはいるが筋肉質で、ペットの犬達とは全く異なり、目つきは鋭く、時々牙を剥く怖い感じの野良犬だった。
母の実家長崎から父の地元に引っ越し、なかなか打ち解けず、心を許す友人ができなかった自分とダブらせていたのかもしれない。
野良犬は、僕を見つけると逃げる。
僕が毎日会いに来るのを知っているのだろう。
「チっ！また来やがった、めんどくせー奴！」
子供ながらに野良犬の心が解る気がした。
急いで家に帰り、その日は何故か冷蔵庫から魚肉ソーセージを2、3本掴んで、野良犬に会いに行った。
7年前、離婚により家族を離れ独りで生活するようになった。
仕事も捨て、お金も捨て、たくさん居た友人とも連絡をせず、自ら孤独を求めるように周囲から遠ざかった。
人に会う事や、仲良くする事を拒み、必要最低限の会話しかしない。
目は鋭く、時には怖い印象さえ与えた。
不思議なもので、そんな生活をしていると余計な脂肪がなくなり身体が見違えるように締まってくる。
野良犬は僕に媚びなかった。
優しく声をかけても決して近寄っては来ない。
数匹いる野良犬で、お気に入りの犬だけが来ない。
僕は手渡しで食べて欲しくて毎日会いに行った。
2ヶ月くらい経った頃、新しい学校に馴染めない僕は、学校に行く振りをして、河川敷の橋の下で過ごした。
連絡もなく学校に来ないので、すぐにサボった事がバレた。
母が僕を見つけると、笑いながら近付いて来た。
バツが悪そうに僕も笑った。
遠くで野良犬も見ていた。
その日は学校に行かず、河川敷に独りで遊んだ。
母が僕の為にと置いて行ってくれたパンをちぎって、野良犬に見せた。
いつもは無視するくせに、その日は近寄ってきた。
孤独を知った僕の心を理解してくれたのかもしれない。
野良犬は、ガツガツは食べず、恐る恐る慎重に食べていた。
「毒なんか入ってねぇよ！」
僕がそう言ったから安心したのか、パクパクと食べた。
僕は、あの当時の野良犬の気持ちが解る。
誰にも媚びず、誰とも群れず、誰にも期待しない気持ちが…
今はもう「野良犬」ではなくなった。
笑うし、友人も増えた。
時々は群れる事も覚えた。
一時は愛した人もいた。
人間の脳とは恐ろしい。
記憶の中で、感触や味や音はしっかり覚えていて、それが離れない。
野良犬のように彷徨っていた頃から、少しだけまともになった時の、脳にこびり付いた記憶がどうしても消えない。
それが切ない。

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