架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

 およそ、十代にして遺言を書いた人間がどのくらいいるだろうか。薄ぼんやりと天井を見上げて、私はそんなことを考えた。
 恐らく、百人のうち一人も居ないだろう。自分自身で答えを出すと、机の上に堆く積み上げられた分厚いファイルと、紙の束に向き直った。私の遺言を完成させるために。
 私がこの歳で遺言を書くことを余儀なくされているのは、これもやはり生まれてしまった家の為だ。かつては父も、五年ごとに極めて長大な遺言状を作成しては書き直しといった作業をしていたという。特に大変だったのは、私が生まれた時のことだったそうだ。
 私が病院で生まれた時、立ち会ったのは父と母と親戚数人、そして弁護士と公証人だった。子供の名前を決めて、医師達が出生届を追えたのを確認すると、すぐに彼らは父を執務室に「軟禁」し、遺言状の書き換えを強いた。ヴィシニョヴィエツキ家の持ち物のうち、公爵位とそれに属する財産、ないしはその法定相続人に属する称号、資産の相続人書き換え、或いは公爵個人の資産の相続順位、割合の変更(ここは単純で、財産のほぼ百パーセントを私に与えると書くだけで良かったらしい)、いざという時の為の後見人の指定等等…結局父は遺言の書き換えにおよそ一月を要し、初めて私を抱いたのは母がとっくに退院した後だった。
 それと同じ苦労を今の私も味わっている。期せずして父の莫大な遺産と称号を相続した私は、十五歳にして最初の遺言状を書いた。無論弁護士と公証人、後見人達合わせて三十人ほどが私の補佐につき、法律的には全く瑕疵が無い様に取り計らってくれたが、その煩雑さが軽減されることは殆ど無かった。
 何しろ、単に法律に従った遺言状を作るだけならともかく、歴史ある家はどこでも「家法」を定めており、当主はそれに従って諸々の手続きをしなくてはならないからだ。法律と家法を両方とも守りつつなんとかする。こればかりは未だに慣れないことだった。
「お疲れ様、リュリス。作業は進んでる?」
「ステンカ…まあ、ようやく七十パーセントってところかしらね。何しろ、去年書き換えた時から大幅に財産が増えてるから…」
 マグカップに淹れた紅茶とチョコスコーンの皿を、ステパンは私の机の上に置いた。林立するファイルと書類の柱の中に、ほんの少し良い香りが漂う。
「爵位と領地の相続は簡単なのよ。子供がいないから、『今のところ』は叔父様にみんな渡しちゃえばそれで済むの。だけど、普通財産が死ぬほど面倒なのよね」
「普通に渡すんじゃダメなんでか?」
「慣例があるの。そりゃ、もし私に子供がいて、その子が爵位の法定推定相続人なら文句も出ないわ。或いは夫がいて、その人に半分渡すのでもいい。でも、どちらも居ないとなると、自由に処分できる資産の全部を一人に渡すってなったら、納得しない人達が出るでしょう?」
「まあ確かに…」
 基本的にイェスパッシャンでは、財産の処分は被相続人の意思に任されており、原則として遺留分の様な制度は存在しない。したがって、私は法律によって定められた制限(爵位並びに家門に属する領地についてなど)を除けば、自由にその財産を処分できる。
 が、ここに絡んでくるのが家法や慣例といった貴族特有の事情であり、これを無視すると非常に面倒な争いを引き起こしかねなかった。
 たとえば、ヴィシニョヴィエツキ家の家法では、原則として全ての財産は「法定推定相続人」に渡ることとしている。法定推定相続人、とは継承権の第一位たる地位が確定し、将来的にそれを上回る者が現れないことが明瞭な人物のことだ。
 基本的には当主の第一子がこれに当たり、彼または彼女が爵位・領地のみならず、財産の一切を単独で相続し、それ以外の人々は個人的な遺贈や贈与の他は分け前に与れない。
 が、今話をややこしくしているのは、私に子供がおらず、法廷推定相続人が不在であるということだ。現在、私が死んだ時に爵位と領地を引き継ぐことになっているのは、父の二番目の弟ーつまり私の叔父の一人ーなのだが、彼はあくまで「推定相続人」に過ぎず、将来的に私に子供ができれば権利を失うことになる。
 そんなイレギュラーな相続が起きた時、何が予想されるか。答えは簡単、「争族」だった。
 無論、何処の家の家法にも事態を想定したルールがある。
 例えば子の居なかった未亡人や、相続の権利が無い娘や私生児達に遺留分を与える、当主がある程度遺贈の形で分割する、といったさまざまな対策が練られていた。無論我が家も例外ではない。
 ところが、そうした取り分を巡った争いは昔から絶えることなく、歴代の当主を悩ませてきた。今から百五十年ほど前、貴族財産が最も増えた時代には、無数の相続に関する訴訟が提起され、甚だしきは数十年の長きにわたる法廷闘争に発展した。
 ある伯爵家の当主は、兄から爵位を継承したが為に、亡くなるまでの三十年余り、遂に訴訟から解放されなかったという。
「(死んだ後のことなんて、とは思わないではないけど、下手な揉め事でステンカ達に迷惑かけたくないし…)」
 私が嫌々ながら遺言に向き合う理由もこれだ。たった数万程度の財産でも大いに揉める家がある。ましてや、この国で最も富裕な貴族の家で揉めないはずがない。だから、誰が見てもある程度受け入れられる内容のものを作る必要があった。
「あーあ、いっそ子供がいたらよかったのに」
「そんな消極的な理由で生まれてくる子供が可哀想だよ」
「ジョークよジョーク。にしたって、本当に面倒臭い。昔はこの文庫本一冊近くある遺言を手書きしてたっていうんだから、本当に驚きよね」
 私は七割ほど出来上がった遺言の冊子と、十冊ほど積まれた辞書ほどもあるファイルを見比べた。ファイルの中には公爵が有する財産の詳しい情報が入っていて、目録だけでも一冊本になってしまう量がある。
「今でも法規上遺言は手書きが基本らしいですよ」
「だからわざわざ公証人と弁護士の人達にお金を払って来てもらってるんじゃない。こんなの一から十まで執筆してたら、書き上がる頃にはまた書き換えなきゃいけなくなるわ」
 スコーンを食べる間、私はステパンに内容の確認を頼んだ。最初に遺言の概要と、携わった弁護士、公証人の名前を書き、最後に私のサインがある。その後はずっと相続人のリストと、その人が相続する財産の名前が続き、付録としてそれらのある程度詳しい情報が末尾に記されている。
「不動産も絡むから、馬鹿みたいに長くなるんだね」
「ちなみにもっと長くなるわ。特に美術館と図書館は、国の保護遺産指定を受けてるから、文化省の方に問い合わせないといけない」
「うへぇ…」
「全く。先祖が何の因果で手に入れたか知らないけど、行ったこともない街の十坪の土地の管理まで見切れないわ」
「まあまあ。俺も手伝うから、もう少し頑張ろう?」
「じゃあ、またスコーンを焼いて紅茶と一緒に持ってきて。あと、暇があったらマッサージもしてもらおうかしら」
「もちろん」
 スコーンを食べ終わり、紅茶を飲む。ステパンの作るものは大概私の好みに上手くあっていて美味しかった。
 ぐっと椅子の背にもたれて伸びをすると、彼は笑いながらマッサージをしようか、と聞いてきた。
「じゃあ、お願いするわね」
 私が部屋の隅に置いてあるソファに背中向きに寝転がると、ステパンは肩甲骨の辺りに手をかけて、ぐりぐりと揉みほぐし始めた。
「ん…ふ、んん…」
「どう?気持ちいい?」
「結構…いい、わ…」
 肩甲骨の下を押され、凝り固まった。筋肉が動くごりごりという音がする。味の好みだけでなくツボまで彼は心得ているから、とても心地良い。だからだろうか、私の口からふと、溢れてしまった。
「ねぇ、ステンカ」
「はい?」
「私の遺産を半分あげる、って言ったら…欲しい?」
「え……」
 瞬間、私は自分が何を言ってしまったかを理解した。遺産の半分を分け合う、その資格を持つということはつまりー
「え、いや!違うわ!なんでもないの!冗談よステンカ…」
「…リュリス。俺は」
「……」
「俺は、遺産の半分どころか、一文だっていらないよ」
「そう…なの?」
「…その代わり、生きている君が欲しいな。生きている君との思い出が、欲しい…」
「……え!?」
 ばっと後ろを見ると、ステパンが真っ赤になって顔を背けていた。態度のあからさまについ笑みが浮かんでしまう。
「…ばか、なにそれ」
 立ち上がって肩を叩くと、私は軽く彼に舌を出してみせた。
「じゃあ、あなたにはビタ一文、何にもあげないわ」
 相続人リストに入っていたステパンの名前を二重線で消す。その代わり……
「その代わり、生きている間は…お互いが生きている間は、なんだってあげる」

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