架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

今思うと4月7日に劇的な何かがあって、その結果として社会主義政権が誕生した訳では無いように感じる。それ以前から街はデモ隊が絶え間なく運動していたし、警察との間に小規模な衝突があった。
WW1が発生しカリオニアで革命が生まれ、レファルというかつての王国が共和国として再誕した6月の革命は、私の様な労働者には何も与えなかったように感じた。レファルがカリオニアから独立してもなお、私達は戦争の中にいた。
経済的な基盤は、独立してなおカリオニアにあったし、協商との関係は微妙で独立は事実上の物に留まっていたから、私達にとっては何も変わらなかった。
革命が求めた労働者と農民の解放、平和と食料。その全ては何も私達に与えられなかった。戦況はますます悪化していた。遠く離れた大地で兄弟がカリオニアの為に倒れていた。
私達にとって唯一の心の慰めであったソビエト権力(レファル社会主義ソビエト共和国)は8月には既にターリンから消え、地下に追いやられていた。それから反革命が勝利し、ターリンに残っていた妥協的な社会民主主義者がブルジョワと定めた労働法典は8時間労働を認めたが、時間外労働を規制しては無く、事実上意味が無いものだった。
社会主義労働者党(後の共産党)の呼びかけは地下ネットワークを介して私達の手元に届いていた。だからこそ労働法典が成立した10月21日以前から、そしてそれ以降も組織的なサボタージュ、示威運動は続いた。
レファルの政治は治安と同じ様に荒れ、僅かに残った正統な社会主義者は孤独の中に闘い、ブルジョワの間ですら親カリオニアと親協商で割れていた。
君は2月14日に何が起きたのかを知らないかも知れないが、私達は覚えているし、それを忘れてはならない。その日は社会主義労働者党が合法化された日で、彼らが再び地上に現れた事を私達は歓迎した。
いよいよレファルが戦地になろうとしつつある時、最も愛国心を有していた彼らが政権側に立てば、私達の多くは政権を間接的に支持しただろうし、それを政権は狙っていた。それに既に国政選挙は終了し、4年後まで彼等は議席を持てない事は、政権側に極めて有利な状態だった。
ただ、政権側の企みは簡単に潰えた。社会主義労働者党は全世界の同志と共にあったのだ。全世界の国家での革命の連鎖、そして即時停戦による平和と繁栄、あらゆる搾取機構-国家の解体があの時に行われる予定だった。
8月に敗れ、蔑まれていた社会主義労働者党はもう既に国内の殆どの支持を得ていた。共和国政府が非常事態を理由に約束を反故にし続け、社会民主主義とブルジョワの間の権力闘争による対応の遅れは、彼等の支持が社会主義労働者党に移るのを防げなかった。
そして社会主義労働者党はレファル赤衛軍を、党の私兵を作り、汚職によって機能不全に陥りつつあった警察に変わり治安維持を実施した。多くの都市は半ば社会主義労働者党によって保たれていた。
熱狂的愛国主義は社会主義労働者党のみが発揮していた。共和国政府が戦争によるカリオニアとの取引によって、より大きな富をレファルの大地と引き換えに得ようとした中で、社会主義労働者党が非現実的と嘲笑されながらも、唯一即時停戦を主張していた。
しばらくして、ソビエト共和国が倒れてから中止されていた全レファルソビエト大会が4月7日から開催されることが決まった。ストライキ等によって経済が死につつある中で、ソビエトの7割は社会主義労働者党が占め、残りが共和国政府に参加していた祖国革命党の中でも比較的革命的な代議員だった。
誰もがソビエト大会の間に何かが起こると感じていた。共和国政府はターリン守備隊に命じてソビエト大会が行われていた建物に砲門を向けていたし、赤衛軍は機関銃の陣地を構築していた。一触即発の雰囲気の中で全レファルソビエト大会の準備が行われていた。社会主義労働者党は4月7日に重大な採択をするだろうと仄めかし、共和国陸軍の一部は自らのソビエトを通じて宣言を採択し赤衛軍に加わった。
そして奪われた革命は再びその火を燃え上がらせたのだ。全世界規模での同時社会主義革命の序曲としてレファルの革命があった。
社会主義労働者党の武装蜂起は極めて自然に行われた。全レファルソビエト大会開幕前に全ての革命的プロレタリアはソビエト大会を見ようと前進を行い、赤衛軍はその先頭に立っていた。そして彼等がターリンを流れる川に差し掛かった時、それまで前線を知らず、共和国政府に忠実であると思われていたターリン守備隊によって封鎖されていた橋が解放された。それは彼等が完全に赤衛軍になった事の証だった。前線が迫り彼ら自身が戦争を本当の意味で知った時、彼等は共和国政府に失望した。
彼等はそして叫んだのだ。
「本守備隊はターリンで革命的プロレタリアと共に革命を遂行し、その防衛を確約しよう!」
革命の大いなる意志はあらゆる社会主義者に旧時代の破壊を告げたのだ。赤衛軍は最早反政府的な暴力集団では無く、民意であり、大衆そのものの力となった。ターリンの多くの場所で赤旗がなびき、ソビエト大会の開幕を祝福した。
そして開幕したソビエト大会は以下の宣言を採択し、そして革命を告げたのだった。
「全ての労働者、全ての農民、そして今なお苦境にある全ての兵士は彼ら自身が望む平和、自由、食料、そしてその他の諸々の物を得るために、真に彼ら自身の意志を反映するソビエトに権力を移さなければならないと認識している。そしてこの全レファルソビエト大会は、レファルのあらゆる人々が私達を支持し、共和国政府が偽りの民意の上に存在している事を証明した。よって、全レファルソビエト大会はこの宣言を採択する。全ての権力をソビエトに!」
それからは様々な出来事が同時に進展していった。電信局、印刷所、国立銀行、政府省庁に赤衛軍が押し入り、そしてその実権を握った。ターリンのあらゆる場所で散発的な銃声が聞こえた。
最も激しい戦闘があったのはかつての宮殿、政府が存在していた場所だった。数時間の銃撃戦は劇的な形で終焉した。それまで拮抗していた状態は赤衛軍に装甲車が現れたことで一変した。それも最も共和国政府に忠実であるとされた第2親衛騎兵連隊の装甲車で、装甲車に描かれた輝かしい紋章は赤いペンキによって塗りつぶされ、レファル臨時軍事委員会のメンバーと共に政府の陣地に突入したのだ。
しばらくして、ターリンでは全てが終わった。政府大臣の殆どは捕縛され、新たな宣言がソビエトで採択された。
「共和国議会は正統性を喪失し、共和国議会に任命された内閣は辞職した。プロレタリアの独裁は事実となった。レファルは社会主義のソビエト共和国である。」

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