架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

 聖暦1987年は7月半のことである。
 神代の昔より、凡ゆるラピタ人は他人の噂や人とのおしゃべりを好む人種である。辻や通りの真ん中で、或いは公の食堂で、それともなくば他人の家や職場においても、二人三人と人が寄れば噂話に花が咲く。やれ、どこそこの村で揉め事があった、東何々辻の鍛冶屋のお嬢さんは、北の誰々という所の息子さんにほの字であるとか、深刻なものから夕食時の話のタネまで、実に多様なおしゃべりがラピタ社会には溢れている。
 そして、それは単なる庶民の特権にあらず、上流階級の人々ーこの国を支配するアリイ階級の人々にも共通することであった。
 この頃、ーいや、この頃だけというものではないが、特に盛んであったので、敢えてこの様に言うがーアリイの子女、特にご令嬢達の間で俄に熱と共に流行したのが、皆泊まり込みで夜通しおしゃべりをする、通称「寝巻会」なるものであった。
 それには自然発生的にある種の決め事、しきたりが存在しており、まず招待元のご令嬢と極近しい関係の人々が内で話し合い、今回はいつ、どなたのお屋敷で行いますの、と手紙や会合で日取りを決める。或いは、いついつに我が家で寝巻会を催したいから、是非ともいらして貰いたい、と親しい家々に触れ回る。
 そして会場が決まったら、今度は招待元が相手の家格や人柄を基にして何方を招待するかを吟味する。この時内で話し合った親しい人や、その家と付き合いの深い家の人を呼ばないと、社交において角が立つからこれは大変に慎重に決められる。(特に国主級になると、子供の喧嘩が国同士の争いに発展しかねないので、これをうまく避けるのが招待元の腕というものである)また、自分から見て家格の高い家から人を招く際には、言葉遣いや挨拶などもしっかり礼儀に沿ったものにしなくてはならない。
 呼ぶ相手が決まったのなら、使者を立てて正式に招待状を届けさせ、相手は受けるか受けざるかを使者にその場で返答する。その後、受けた者は当日に何か「気の利いた」お土産を持って参上すると言う訳である。
 こうした荷厄介なしきたりの数々は、先程も書いた通り、基本的には令嬢同士の付き合いの過程で自然発生的に生まれたものであった。これが庶民の家々であれば、ふらりと友人の家に立ち寄って、「今日は夜通し飲もう」で済むのである。
 が、今ひとつ無視出来ないのは、こうしたルールやしきたりの成立には、令嬢達の親が深く関わっていると言う点だ。彼らはこうしたお遊びを将来の社交の練習と見做し、影に日向に娘達を指導した。「お手紙はこの様にお書きなさい」、「挨拶はこの様になさい」、「お土産は特産や季節を考えて…」といった知識や技能は、いずれ彼女らがご新造として、何処かの家門(殆どは血縁的に近しい)に輿入れした後に活かされる事になる。礼儀作法、文章の書き方に長じた女性は、ステータスとして、或いは夫や息子の出世の手助けを期待され、ラピタの貴族社会において珍重されたのだった。
 と、この様な複雑怪奇な理由と経緯に基づき、それらを全くと言っていいほど知らないある一人の少女に宛てた招待状が、王国書記官府に届いたのは七月一六日のことであった。

 「寝巻会、ですか」
「そう。七月一九日に、カリオカラニ卿のお屋敷で行うらしいわ。集められた人達は、上は王家から下は地方のアフプアアのアリイまで様々居るみたい」
 ラピタ王国の第一王女リリィ・ポマレは、丁寧かつ流麗な字体で書かれた手紙を興味深げに眺めた。今日この日まで、彼女はこうした同年代の少女達との付き合いを持ったことが殆ど無かったのである。
「カリオカラニ卿…確か大臣として宮中で見かけた事があるわ。確か…」
「大蔵大臣です、リリィ様」
 彼女の付き人にして補佐役、クリス・オウムアムアは丁寧に答えた。彼女が同年代の友人を作らなかった、無自覚の原因がこの青年である。
「ああ、そうだった。最近准国主の称号をお父様から頂いた人ね」
 国主、というのは所謂「モク」のアリイを表す言葉で、言い換えれば首長国の主人である。この王国は国王の他八七人の国主が存在しているが、無論それ以外のアリイが大多数を占める。カリオカラニ卿は、そうした悪く言えば有象無象のアリイの群から抜け出して、人臣の高位である准国主の称号を得るに至ったのである。摂政を王族が務めている今の世では、最も権勢を誇る人物の一人であった。
「…ねぇ、クリス」
「はい」
「私、この『寝巻会』っていうの、何をするのかよく知らないんだけど。あなた知ってる?」
「…アリイの方々の、そのままご令嬢がなさる事ですから。俺は全く知りません」
「今言外に、『アリイや女みたいな珍獣のことなど分かるわけがないだろう』的なニュアンスを感じたんだけど」
「いえ、滅相もない。例えばリリィ様のことは、あなたがアリイかつ女性でもよく分かりますから」
「それってつまり、私をアリイでも女でもないってそう思ってるってこと?」
「違います」
 いつもの事だが、二人はどうでも良い押し問答を繰り広げた後、改めて手紙を検討した。それによれば、一九日に屋敷でごく少ない人数で寝巻会を致します。集めるのは仲間とごく親しい人達だけで、貴女様は私の友人と親しいと聞き及びましたので、是非ご臨席を賜りたいのです云々…といった事だった。
「お返事はいかに?」
「承諾はしたわ。こういう事初めてで、楽しそうだもの。でも…この人の名前覚えが無いんだけど…うーん」
「…あ、確か、カリオカラニ卿の名前を使って、出世の仲介を頼んできた娘さんがいましたね。ちょっと前に」
「あぁ!確か宮中の官職を何か斡旋して欲しいって来た子がいた。兄が長いこと無官だからっていう理由で」
「それでリリィ様は典厩か侍従、あと国璽番役の職を斡旋されたと記憶しています」
「そうそう。典厩と侍従と、国璽番役とかを提案したはず。それで侍従が良いと言うから、籠二杯分の塩と芭蕉布四反で請け合ったわ。無事に任官されて報酬も受けたけど…よくよく考えれば暴利よねこれ」
「良い商売ですね本当に」
 しばらくクスクスと笑った後、リリィは思い直して手紙を見た。
「と言っても、実質は今回のお相手とは初対面。お友達とも親しくはないからほぼ他人。知り合いの知り合いなのよね…なのになんで送ってきたのかしら」
「俺としては、そんな見ず知らずの他人からの招待を受けちゃうリリィ様の方が気になります」
「だって面白そうだし」
「…………」
 平然としたこの答えに、クリスは言葉が無かった。もしや彼女は、敵の砦に単身乗り込んで押し包んで殺されようとしても、自分の剣の腕で逃げ切れるとそう思っているのだろうか。
「リリィ様、その…もし可能ならで良いんですが」
「なぁに?」
「俺も付いて行っていいですか?」
 彼の質問を聞いたリリィの顔は、花が開く様な鮮やかな笑顔に変わった。彼女は何度もうんうんと頷いて、
「そうね、クリスもお年頃だから。アリイの女の子達がどんな事してるか気になるのよね!」
 相手が何を言わせたいか、ここまで露骨な事もそうあるまい。だが、ここは主人の安全の為だ。彼はそう自分を納得させ、
「いいえ。リリィ様が心配だからです」
「…!!!」
 的確に正解を口にした。主人の顔は薄く色づき、明らかに緩んでいる。そして、彼女は既に完璧に失われた威厳を取り戻そうと、出来うる限り厳粛な面持ちで告げた。
「いいわ、付いていらっしゃい。私が向こうに話を通してあげるから」
「はい」
 まあ、これも可愛いところだなぁ、と彼は心の中で呟いた。一皮剥けば、王国の王女様も単なる年頃の少女なのである。

 クリスを伴っての出席の意思を固めたリリィは、外泊の予定を国王に申し述べて許しを得ると、改めて使者をカリオカラニ邸まで立てた。そして、翌日に集まりに持参するお土産を調達させ、当日に備えた。
「お土産これでいいかしら」
「はい。程々で、しかもリリィ様にしかできない事と存じます」
「なんか最近、あなた変よ。やけに私を褒めてくれるし、持ち上げるし」
「…別に、なんでもありませんよ」
「さては、何か邪なこと考えてるでしょ。あの温泉の時みたいに」
「……考えた方がいいんですかいだだだぁ!」
「バカ、変態!」
「変態ってなんですか!変態なんかじゃないですよ!」
「うるさいうるさーい!」
 さて、当日。日が暮れ切って夜の暗黒がタアロアの街を包み込む頃。二人は王宮の東門から外に出て、会場の屋敷へと赴いた。辺りは宵の口でも賑わいある南の下町とは違って人気が無く、静けさに包まれている。道を照らす提灯や松明の明かりもなく、薄ぼんやりと闇の中に立ち並ぶアリイ屋敷の門構えが浮かび上がる様は、正しく不気味の一言である。
「車は必要ですか」
「いらない。歩いて行くわ」
 この場合の車とは人力車のことである。馬や牛が元来いなかったラピタでは、馬車や牛車は皆悉く国王の所有物である。そこで、それらの構造を真似て盛んに人力車が作られたのだった。リリィも王族として、国王から黒漆塗り屋根付きの豪奢な車を二輌、八人の車夫を賜っている。
「ちなみに、陛下はお許しを下さったのですよね」
「うん。でも、ちょっと嫌だったのは、開口一番に『クリスは付いていくのか』って聞かれたこと」
「あはは…」
「笑い事じゃない。むぅ…」
 一緒に来てくれるのはとても嬉しいが、自分がクリス抜きでは何も出来ない様に思われるのも癪である。そんな気持ちで、彼女は頬を膨らませた。
 二人は懐中電灯で道を照らしながら東大路を抜け、小路に入って南側へ進路をとった。都の東大路を挟む様にして、北と南には都に住んで王宮に勤めるアリイや議会議員達の拝領屋敷が立ち並んでいる。これらの屋敷は皆築地塀に囲まれた中に、壁のついた母屋とそれを囲む回廊、壁無しの離れ、そして塗籠の倉庫などが付随している。
 地面は多少ならされてはいるがやはり剥き出しの土で、舗装はされていない。ブーツを進めると、昼間の雨で湿った地面にわずかに沈み込んだ。
「そろそろカリオカラニ卿のお屋敷ですが…おや」
「んー?…人力車…」
 見れば、カリオカラニの屋敷の前には、一際大きな俥が停めてある。側には数名の従者と思しき人間が汗だくになって座り込み、精魂尽き果てたという表情をしていた。
「あの」
「は、はぁーいっ!?あ、あなたは…お、王女様!」
「あぁ、モトゥタエの人ですか。お疲れ様です」
「いや今のよく分かりましたね」
「モトゥタエ語齧ってるから。あぁ、でも難しいからラピタ語でお願いできる?」
「え、あ、その…今回の集まりに、うちのお嬢様が参加しておりまして…都辺りの鴻臚館(外国からの来客を滞在させる施設)からお送りする様にとのご命令を」
「…あー、なるほど。あの子が都に来てるのね…そうだったか」
 理由を聞いてリリィは天を仰いだ。これを見落としていたのは痛恨の失敗だ、とでも言いたげであった。
「どなたのことです?」
「ティーヴァ・テタマヌア・トロア。モトゥタエ国の現アリイ、テタマヌア卿の御息女。知らない?」
「いいえ全く…」
「ああそっか。あなた、私が一四歳の時の参賀に居なかったわね。だったら知らなくても仕方ないか」
 彼女は記憶の本棚から一冊の書物を引っ張り出して、捲った。そこには椅子に座る自分の前に跪く、一二歳の少女の姿がある。アロアロ(ハイビスカス)の花が咲いた様な可愛らしい少女だった。しかし、見据えたその眼の中には、あどけなさを装った剣呑な何かがあった。そう、華麗な衣装の中に忍ばされた毒針の様に、危うく、恐ろしい何かが…。
「彼女はできる人よ。良くも悪くも、生まれながらの支配者ってやつかしら。…確か、今日ここに呼ばれた人の家格で二番目に高いのが彼女なの」
「なるほど…やっぱり、お帰りになられますか」
「いいえ、行くわ。ここまで来て帰れないもの」
 立派な作りの門をくぐって敷地の中に入ると、従僕が待っていた様で速やかに廊下を経由して離れの一つに案内してくれる。普通の民家の二倍ほどはあるその離れでは、壁の代わりに設られた簾がぴっちりと下され、中に蝋燭か灯明かのゆらめく明かりと人の影が見えた。
「リリウオカラニ王女殿下、御出でにございます。お嬢様」
「本当?すぐにお呼びして」
「こんばんは」
「いらっしゃいませ、殿下。今夜はようこそおいで下さいました」
 中に入ると、広い建物の中央に一本大きな蝋燭が置かれていて、それを囲む様に数人の少女が車座になっていた。そして、最初に話しかけてきたのは彼女たちの最年長ーつまりは招待主の、エマ・カリオカラニ嬢だった。
「エマさん。はじめまして、リリウオカラニ・ティナ・ポマレです。リリィと呼んで下さい。こちらは付き人のクリストファー・オウムアムア、父王の名により、供に付けました」
「クリストファーと申します。クリスとお呼び下さいませ」
「エマさん、この度はご成婚、おめでとうございます」
「心から感謝致しますわ、殿下」
 ひとまずリリィは、この場の主人であるエマ嬢に祝いの言葉を述べて軽く頭を下げた。今回の会が開かれた理由は、今年一八歳になる彼女がライアテア島に領地を持つ、親類筋の国主家に輿入れが決まり、近く都を離れてしまうからである。
「父母の故郷離れ 異郷の地に一人ありて 今宵の月を如何に見るらん」
 というラピタの古い歌にもある様に、一度都を離れて地方に居を移せば、戻って来る事はほぼ無きに等しい。今生の別れとは言わぬまでも、当分都の友や家族と顔を合わせる事はできないだろう。
 故に最後の思い出として彼女は友人達と共にこの会を企画し、勇気を奮ってリリィという貴人を招待したのである。
「私の様な格の低い家に御成りを迎えられるとは、カリオカラニ家望外の名誉、私の身に余る光栄でございます」
「まさか。都を離れ異郷の地に赴く人には、なんでも物をくれてやれ、と古い言葉にあります。ましてやお輿入れとなれば、何を躊躇う理由があるでしょうか」
 こう言った点において、リリィは非常に鷹揚な性格であり、行く先が例えカフナ(知識人)であろうが、マカアイナナ(庶民)であろうが、何か理由があって求められれば直ぐに赴いた。相手にとっては驚くべき雲上人でも、彼女にとっては身分など、全く取るに足らない瑣末ごとである。
 だが、そうは考えない人間の方が多いもので、この場にも一人…。
「それにしても、最初は恐ろしかったですわ。何しろ、刀のガチャガチャした音が聞こえたものですから、衛士か何かが来たのかと」
 甲高い笑い声が続いた。見れば、奥の方に座っている背の少し高い少女の声だ。顔貌は確かに鮮やかな花が開いた様に全て整っていて、会う人は必ず息を呑み、釘付けになってしまうだろう。しかし、同じ美人であっても、リリィの様な快活さや天真爛漫さは見当たらず、その中に秘めた狡猾さや深慮遠謀さがその視線から滲み出ていた。
 少なくとも、リリィとクリスはその少女が内心に並々ならぬ思いを抱えており、それは決してこの場に相応しいものではないであろうことを、敏感に感じ取っていた。
「ティーヴァさん、およしなさいよ。リリィ殿下もクリスさんも、刀を提げるのが正装なのですから」
 エマ嬢に嗜められて、ティーヴァはごめんあそばせ、と謝罪を述べた。そして、徐に向き直って自己紹介を述べる。
「お久しゅうございます、殿下。モトゥタエ国アリイ、テタマヌアの娘、ティーヴァでございます。一度御意を得た事があるのですが…」
「覚えています。私が一四歳で今の役目を継いだ時に、王宮に来てお祝いを述べて下さいましたね」
「あら、嬉しゅうございますわ。覚えていて下さって」
「態々お祝いに来て頂いたので」
 そこで一旦リリィは話を打ち切り、他の参加者から自己紹介を受けた。他には四人の少女がこの場に居り、皆家格はアフプアアのアリイか、それと同じ広さを治めるコノヒキ(執事)の位であった。
 全員の挨拶が終わると、エマ嬢が手を打って、
「さあ、ここからは堅苦しいことは無しに致しましょう。何方も同じ身分の同輩同然に思い、お話を聞かせて欲しいですわ」
「じゃあ、私もこの通り敬語をやめて、普段通りに話すわね?こう、お上品な話し方には慣れていないから」
「構いませんわ、リリィ殿下」
「下民相手にも同じ目線で話される殿下ですもの。きっとそうだろうと思っていましたわ」
「ティーヴァさん!」
「……」
 ティーヴァは相変わらず美しく微笑んでいる。見てくれば美しく着飾って、一分の隙も無い態度で相手と話すが、その心の内は火山の火口の如く煮え滾っていた。自身は誰にも悟られてはいないと信じていたが、内側では嫉妬の混じった怒りと嫌悪の情が渦巻いている。尤も、その細かい理由を理解出来るほど、彼女は大人ではなかったのだが。
 そして、その嫉妬の心はリリィの敏感に察知するところだった。恐らくは、自分が居なければこの場で彼女は最も家格の高いアリイの娘として、尊敬の眼差しと共に遇されたであろう。そして、自分はその名誉を鷹揚にも招待主に与えてやるのだ。きっと、そうした心持ちで居たのをリリィにぶち壊された。今やこの場の最高位者は、至尊の国王に次ぐ立場の直宮の姫君であり、その前では国主の娘の肩書きなど光を失ってしまう。
 そうした異様な迄の誇り高さと、それに起因する嫉妬と怒り。二歳しか違わないながらも、リリィは相手の心の内をほぼ完璧に読み取り、しかもそれを悟らせる事が無かった。
「さ、さあエマ様。私どもお土産を持ってきましたの。貴女に進呈しますわ」
 気を利かせて一人の少女が言った。それを合図に参加者は皆各々土産品の入った包みを取り出して前に置く。
「私は領地の名産のコプラを持って参りました」
「私は模様を入れて織らせた特注の芭蕉布を…」
「私は丹精込めた手作りの木の腕輪を…」
 と、この様な形で家格の順に贈り物を出していく。そして、ティーヴァの番になると、彼女は徐に箱を取り出して包みを開け、中身を示して見せた。
「私は、我が国の特産の黒真珠の一等品をここに」
「まあ、ティーヴァ様凄い!」
「あんな大きな傷無しの黒真珠、見た事がありませんわ!」
 その真珠は確かに実に見事な品であった。黒の中に鈍い虹色の光があり、傷なく磨かれた表面には薄く人の顔さえ映り込む。これ程の真珠を使った首飾りは、きっと王国の何処を探してもそう見つからないであろう、と思われた。
「(ふん、これであたしが一番よ。寝巻会のしきたりを知らない世間知らずの王女様の事だもの。お土産も碌なものじゃないわ)」
「じゃあ、次は私の番ね。クリス!」
「はい」
「これは…何やらいい匂いがしますけれど」
「二つあるの。一つは貴女個人に、もう一つはここのみんなに」
「開けてみても?」
「ええ、どうぞ」
 まずエマ嬢個人に宛てられたお土産の中から出てきたのは、肌触りの良い絹の白いハンカチーフであった。作りは華美ではないが品が良く、手間と技術を惜しげもなく投じて作られた物と分かった。
「なんて良い品でしょう…!ありがとうございます!」
「もう片方も開けてみて」
「あっ、これはもしかして…噂の、外国菓子、ですの?」
「ええ。大使館にお願いして、皆さんの分をお裾分けして貰ったの」
 リリィが調達したのは、某国大使館謹製のチョコチップクッキーである。原料自体はラピタでも手に入らない事はないが、こればかりは積み上げられた技術の差であり、ラピタではしっとりとした物は作れてもサクサクした硬いクッキーは焼けないのである。
「(やられた!)」
 ティーヴァは内心臍を噛んだ。
「(くそっ、技術と手間をふんだんに掛けながら、敢えて華美な物ではなくハンカチのような地味なものにすることで、『これが王族だ』と見せつけたのね!いいや、それだけじゃなく、全員分の外国菓子をすぐに用意する事で、外国とのコネも匂わせたっ…!)」
 おのれ、権力に頼りおって、と心の中で叫んではみても、自分の黒真珠も身分を存分に生かして手に入れた物である。文句は言えなかった。
「喜んで貰えてよかった。何しろ不安で仕方なかったんだもの」
「まあ不安だなんて。どんな贈り物でも、私にとっては大粒のエメラルドに勝る価値がありますわ」
「ちなみに、菓子を加える様に提案したのは彼よ。参加者全員に宛てた物も何かご用意なさっては、って」
「まあ!クリスさん、よく出来た方ですのね。良い家来をお持ちで羨ましい…」
「恐れ入ります」
「ねえエマ様、私達もこちら、頂いて宜しいんですの!?」
「勿論ですわ。殿下からの下賜品を独占だなんて。誰か」
「はい、お嬢様」
「今すぐに、食器ととっておきのお紅茶をお出しして」
「承知しました」
「待って。紅茶ならうちのクリスに淹れ方の心得があるから、手伝わせるわ。お願い」
「はい」
 書記官府で普段リリィが飲んでいる飲み物の用意の一切を仕切っているのは、実はクリスである。一四歳の時に初めて紅茶を淹れて以来、彼はその腕前の向上に邁進し、今ではリリィお墨付きの腕を持つに至っていた。
 従僕とクリスが諸々の準備を終えて戻り、その場の支度を終えると、いよいよ令嬢同士の話が始まる。まずは前置きとして、ごく軽い話からだ。

 「時に皆さん方、最近都で外国の方を見かけることも多いと思うのですけど…やはり一番美しいのはどこの国の方かしら」
 最初の話題はこんなところである。聞いて皆それぞれ考え込んだが、程なくして一人の令嬢が言った。
「やはり、なんと言ってもデニエスタ人でしょう。顔立ちや体付き、まことに男らしくて惚れ惚れしますわ」
「ええ、確かに。デニエスタの書記官様!憧れてしまいます…」
「でも、デニエスタの方では…その、身の丈が…ねぇ」
 ラピタの男は伝統的に他国と比べても身長がずっと高く、筋肉や骨の量が多く頑健である。一九〇センチメートルを越える男もざらにおり、ここにいるクリスも身長は一八七センチ、細身に見えるが中には硬い筋肉と骨が詰まっている。
 そうした男を見慣れてきた彼女達にとっては、凡そ外国人というのは、どれほど見目が優れていてもまず身長で落第点をつけてしまうのである。
「チューイーの方は?」
「奥ゆかしくてお優しいのは魅力的。でも、お顔の印象が薄くって」
「あと、やはり身の丈ですわねぇ…こう、女性と同じ身長しかないのは頂けませんわ」
 そうは言っても、この場にいるご令嬢の平均身長は一七〇センチ近い。リリィは全員の中では低い方の一七三センチ、一番高いご令嬢はなんと一七八センチである。これでは、世界的にみても比較的低い方のチューイー人とは中々釣り合わない。
「というかそもそも、女性に身の丈で負けてしまう男の人ってどうなんですの?」
「そうですわ、あてになりませんもの」
「さあ、それはどうかしら」
「リリィ殿下?」
「少し前にチューイーの教官が担当する王室親衛隊の訓練を見たけど、凄かったわよ。何しろ、その人は私の胸くらいに頭がくる身の丈しかなかったのに、クリスよりも大きい兵士を投げ飛ばしたの」
「本当ですの!?」
「陛下もご覧になっていたけど、言葉が無かったわ。それで、後でその教官をお召しになって、『如何にしてあの男を投げ飛ばしたのか』と問われたの。そしたらなんと、『体術の運びでこの位はできる』って!」
「な、何ですって…」
「過去一番の驚きですわ」
 この様な調子で話が運んで行くと、流れは必然的に色恋の話となる。微笑ましい純愛から、些か生々しい劣情の絡んだ恋までその幅はとても広い。
「そういえば、お聞きになって。アイカナカナカ家のアン姫、遂にカプ破りを犯してお相手のカフナ共々捕らえられたそうよ」
「ええ聞きましたとも。国主の娘が何たる醜聞かと、お父君が痛くお怒りに。本来ならば相手の男は斬刑に処されるところ、特に陛下のお達しで流刑になったとか」
「いやあねえ、身分を越えようとするだなんて」
 リリィは密かにクリスに向けて、耳の痛い話だな、という視線を送った。二人の近しい関係性は、時折身分を弁えない非道徳的なものだ、と苦言を呈する者が少なくないからだ。
「時に、殿下。殿下は何方か心に懸けられた方でもいらっしゃいまして?」
 ふと、ティーヴァがリリィに水を向けた。その顔は、あわよくば真っ赤になったところを揶揄ってやろう、という思惑に満たされている。
「まさか。そんな人は今の所いないわ」
「といっても、殿下は今年一七になりあそばしますもの。恋の一つや二つくらいは…」
「そういえば、カイセラ・カルアイク殿下は今年一一になられたと。聡明の誉れ高い方ですけれど、浮ついた話は何も」
「あの子はまだ一一、何もわからない子供だもの。まだ同い年の遊び友達と野原を駆け回ってればいい歳でしょう?」
「クリスさん、いかが?何かそう言ったお話はございませんの?」
「く、クリス!ダメよ!」
「…申し訳ありませんが、宮中の事は全て秘め事でございますれば」
「あら、忠義が篤いのねえ」
 と、この様な調子でしばらくの間会話が続いた。彼女は他の令嬢からの恋の追及を上手くかわし続け、何とか心に秘めた想いを吐露せずに済んだ。仮にしてしまえば、先ほどの醜聞どころでは済まなかったであろうから。
「さて皆さん。場も温まってきた事ですし、一つ話題を決めましょう」
「待ってましたわ」
「話題…?」
「殿下、寝巻会では、途中から主人が話題を決めて、みんなそれに即したお話をしていくのが習わしなのですよ」
「なるほど…」
 エマ嬢は用意した筒から木製のくじを一つ引いた。そこに書いてあったのは…
「怪談、怪談ですわ!」
「こ、怖い話っ…!」
「ゾクゾクしてきましたわね。とっておきのを披露しますわよ」
「怪談、かぁ…」
「さあ、皆さん、お話は考えられまして?それでは始めますわよ、文字通り百物語を…!」
 エマ嬢は獰猛な笑いを浮かべた。相手はこの性格を知って結婚を承諾したのだろうか。この場の令嬢達が皆一様にそう訝る様な、凄まじい顔であった。
「で、では。私からお話をさせていただいても?」
「勿論いいですわ」
「ありがとうございます」
 最初に話し出したのは、ニオベ地方のある村のキアアイナ(知事)の令嬢である。
「私の父が預かる土地は、都から離れた山の中にあります。人々は普段森に入り、木を切って薪と木材にして、貢納品や食料に代えているのです。
 …その昔そうした木の中におかしなものがあったそうなんです。というのも、その木に斧を入れると白い樹液が染み出してきて舐めてみるとほんのり甘いのだとか。不思議な木だ、ということでその時は切らずに置いておいたそうなのです。
 一年程して、ある女が子供をその森の中に棄て、俄に村を逃げ出しました。聞くところによれば、身分違いの恋の間違いの末にできてしまった赤子だったとか。しかし、露見すれば斬刑、ならば子供を始末してしまえば、と思い余った末のことだったのでしょう。
 そこから更に五年後。女はほとぼりが冷めたろうと思って、村へ戻ってきた。そして、せめて殺してしまったあの子の骨を拾って弔ってやろう、そう思い森に入ると…
『おっかさん』
 ギョッとして見てみると、そこには五歳くらいの小さな男の子が立っている。見れば、自分が棄てたあの赤子の面影がある。なんてことだ、と思い必死で逃げ出した。子供は追ってはこなかった。女は気を取り戻して、あれはきっと何かの見間違いだったのだろう、と思い再び森へ行った。すると、そこで彼女はとんでもないものを目にした。
 なんと、子供があの白い樹液を出す木に吸い付いている。しかもそこは、まるで乳房の様に膨らんでいて、木々の枝は子供を抱くように奇怪に伸びていた。
『きゃあっ!』
 思わず声を上げる。すると、木の枝分かれした頂点が、ぎぎぎと音を立てて…
『オマエハ、ハハオヤジャナイ』
 …以来、その女が山から出てきたのを見た者は、一人たりとも居ないのだとか」
 最初はつっかえつっかえであったが、次第に興が乗ったのか、語りがどんどん滑らかになって行った。セリフも上手く魂がこもっており、聞く者全ての背筋に冷たいものを押し込む良い話振りであった。
「…怖かったです。とっても」
「確かそれ、本で読んだことがありますわ、古い古いお話ですわよね」
「確かそうだったと思いますわ」
「さあさ、皆さん。どんどんお話を続けていきましょう?夜はまだこれからですから」
 令嬢達は其々に怖い話を出し合った。滝壺が突然血の様に真っ赤に染まった話、刎ねた首が空を舞い、処刑人の喉笛を食い破って殺した話、或いは突然気が狂った男が村に火を放った話などなど…中でも彼女らが恐ろしがったのは、ティーヴァの話であった。
「私の国には、実に奇怪な鳥がいるの。羽は大鷲で、広げれば人の大きさを優に越えるほど。だけれども、その頭は醜悪で、皺だらけの太った老婆の様な姿をしている。そして、智慧があり実に狡猾で、人の血肉を好んで食らう。
 そう、あれは私がまだ一〇歳だった頃…島一番の猟師がいた。彼は弓を使わせれば百発百中の腕前だった。そんな時、彼の下にこんなお願いがあったの。
『子供が森から戻らないから、助けてくれないか』
 って。彼は引き受けた。森の中に入り、木々をかき分けて子供を探した。そして、足音があったので辿ってみると、それらしき泣き声がするの。おかあさん、おかあさーんって。
『助けに来たぞ!』
 そう言って男が飛び出すと…そこに居たのは、ボロボロに食い散らかされた子供の遺骸と、その声を真似して次の獲物を誘い込もうとしていた…その鳥だった。
 しまった、と思った時にはもう遅い。三羽の鳥がバッと男に襲い掛かり、鋭い嘴で肩口を切り裂き、牙で片腕に食いついた。男は激痛で意識を失いかけたが、さっと毒の小刀で食いついた一匹の首を刺し貫くと、一目散に逃げ出した…。
 これはね、本当にあったお話よ。私はその人と会って話を聞いた、ううん、それだけじゃない。その人の家の屋根で不気味に笑う、老婆の顔だって見たんだもの…」
「な、なんてこと…!」
「い、異郷の地にはそんな生き物があるのですね…」
「何て恐ろしい…!」
 彼女は満足げにお茶を口に含んだ。これ以上の話などもうあるまい、相手は開けた本土で育った人々、そもそも環境が違うのだ、と言いたげであった。

 「ところで、殿下。殿下だけまだ一つもお話が無い様ですが、何かございませんの?」
「そ、そうですわ殿下。ここに来たからには、何かお話をして頂かなくては」
「…いいわ。一つ、してあげる。これも私の実体験よ」
 令嬢達の求めに応じて、暫しの間沈黙を守っていたリリィは徐に口を開いた。眼光鋭く前を睨み据えて、普段の明るい声から一転して、真っ暗で深い声を作って話をする。
「私の仕事、皆さんなら知っていると思うけれど…所謂宮廷書記官長と、もう一つ、神官の仕事をしているわ。『白髪の御子』といって、神殿で祭祀を担当しお祓いや占い、お祈りもやるの。勿論その為の修行も十数年やってきたし、今もやってる。…だからかしら、時折妙なものが見えることがあるの。
 今から三年ほど前。私が都の神殿で、いつもの通り訪れる人の占いやお祈りの依頼をこなしていた時。少し人の流れが途切れて休んでいたら、
『すみません、〇〇というアリイの方のことで、お願いがあって参りました』
 見てみると、髪の長い女の人だった。肌の色は少し薄くて、着ている着物は上等な物。でも、ほんの少し雰囲気がおかしかった。
『何かしら、お祓い、占い?それとも病気平癒の祈祷?』
『お祓いでございます。私の主人直々の依頼で…』
 聞けば、その方は最近やけに頭痛に悩まされ、それだけでなく家の前に締め殺された大鷲の雛が落ちていたり、矢で腐った魚の骸が打ち付けられていたりと、怪現象が続いていたそう。
 だから、彼の屋敷でお祓いの儀式をして、身を守る護符を書いて欲しいとその人は言っていた。
『お礼はこの通り…砂金をふんだんに…』
 そして、その人は小箱いっぱいの砂金を置いて、そのまま帰ってしまった。
『クリス、クリス』
『はい、リリィ様』
『今の人、どう思う?あのちょっと不気味な女の人』
『…そんな人、いらっしゃいましたかね?』
 見てみると、その人が歩いた後はじっとりと濡れていて、足跡と二本の奇妙な筋が残っていたわ。
 どうやら只事ではないと思って、私はすぐにそのアリイのお屋敷に向かって、話の真偽を確かめた。その人は不承不承事実を認めて、近いうちにお祓いを頼もうとしていたところだ、と言っていた。だから、これこれこういう女に心当たりは無いか、と聞いたら…
『無い、無い、無い!金輪際ござらぬ!』
『しかし、』
『殿下、どうぞそのお話は、外で話されませぬように』
 ひとまず私はそこで話を聞くのをやめて、その人に一枚護符を書いて、守護の修法を授けて屋敷を出た。そうしたら…『いた』の。屋敷の正門の脇、壁に向かって、あの女が立っていた。顔は見えないけれど、女はひたすら壁に向けて、中を見通す様に…でも、道行く人やクリスには見えていないみたいだった。
 その数日後。私とクリスは、件のアリイ様からの依頼でまたお屋敷に赴いた。聞くところによると、
『怪現象はますますひどくなっている。昨日は突然妻が発狂して、幼い子供の首を締め上げ始めた。慌てて止めて屋敷から出したが、今度は子供達が狂い出した。泣いたり笑ったりしながら家のものを壊し、刀を振り回して僕を傷つける。そして我に帰ると子供達はみんな、『変な女の人に無理矢理』と言うのだ」
 これはいけない、と思った私はクリス共々持てる限りの護符や呪具を持ってお屋敷に入った。そして、アリイ様とご家族の衣服に隠密の護符を仕込み、わたし達は離れの一つに宿直してなんとか事を納めようと思ったの。
 そして、全ての支度を終えて恐る恐る屋敷の側を伺うと…いるのよ。女が、女はずっとそこに居た様に思えた。足元には不気味で真っ黒な水溜まりができていた。
 私は、万事の淵源はこの女ではないかと思った。ほぼ直感だったけれど…だから、意を決して剣の柄に手を掛けながら近づいて、話しかけようと思った。すると、女は目の前でパッと消えてしまった。
 …その夜。私は一つ策を立てた。アリイとそのご家族には隠密の護符を持ったまま屋敷を出て頂き、その後に他の神官に作ってもらった囮を据えた。勿論必要な術をかけてもらった上で。そして、クリスにもう一振り剣を持たせて、
『今からここに蝋燭を置く。私が呪文を唱えてあなたに薬を飲ませると、しばらくの間はこの世ならぬ物が見える様になる。蝋燭が掻き消えたら、あなたはすぐにその奥に向かって剣を振りなさい』
 夜の屋敷はシーンと静まり返っていた。今の様に、闇が辺りを包んで…時折吹き込む風が簾を揺らして、シトシトと降る雨音だけが耳に届いていた。ひゅうひゅう、シトシト…そんな音の中で、私は段々と眠くなって、うとうとと…。
『バタバタバタバタッ!』
 轟音で目を覚ましたその時、バーンッ、と私は上から押さえつけられ、思い切り首を絞められ押し倒された!
『ぐ、あっ…!』
 助けを呼ぼうにも声が出ない。そうしたら、
『リリィ様!』
 …と、クリスが剣を振るう音がした。そうしたら、
『ぎゃあぁぁぁぁ』
 という、この世のものとも思えない、悍ましい叫び声が響いて…恐ろしい手応えと共に、私は解放された。朝、明るくなった部屋の中を見てみると、床一面に血溜まりが残っていて…点々と痕が外に続いていた。
 そして、二人でその後を追っていくと、都の外、ワイルクの支流の辺りに…半ば腐り果てた女の骸があった。朽ち縄で首を絞められて殺されていて、その体には、ハッキリと切られた傷が残っていて…」

 話を終えてみると、誰も口を開く者は無かった。その凄惨さか、或いは実感を伴ったその話し方か。いずれにせよ、リリィの話は場を圧倒したのである。
「お、恐れながら殿下」
「何かしら」
 ぶるぶると震えながら、一人の令嬢が口を開いた。
「さ、三年前。その様な変事があったとはとんと聞きませぬ。そ、それは一体どなたのお屋敷でのことでしょう」
「…聞きたい?」
「ひっ」
「ぜひ、教えて頂きたいですわ、殿下」
 気丈にもティーヴァが続く。それを聞いて、リリィは不敵に笑った。
「ティーヴァさんは勇気がある…気に入ったわ。クリス」
「はっ」
「真実を打ち明けていいわよ」
「…リリィ様。恐れながら」
「なあに?」
「狂言も度を越すと興が削がれます。今後は控えられた方がよろしいかと」
「そう?まあまあ面白いと思ったんだけど…」
「きょう、げん?」
「はい。さっきまでの話は九割八分までが嘘なんですよ。申し訳ありませんでした」
「こっ、のっ、ふざけるんじゃないわよ!」
「ティーヴァさん!」
 怯えさせられた怒りか、ティーヴァは身分差も弁えずにリリィに掴み掛かろうとする。周りの令嬢たちがそれを止めようとした時、
「あっ!」
 ふっと吹きこんだ風のせいか、蝋燭が消えた。他の明かりも同様に吹き消され、部屋は真っ暗になる。
「きゃっ!」
 二人の少女がもつれあって床に倒れた。慌ててクリスが制止して引き剥がそうとするがー
「しっ…誰か来ますわ」
「なっ」
 よく聞けば足音だ。回廊を渡って、こちらに歩いてくる。しかしその歩調は不安定で、ふらふらと揺れている様だ。どう考えてもまともな人間ではない。
「ま、まさまさか、怖い話をしていたから幽霊が」
「そんなわけないじゃない!アンタらは下がって!」
「そうね。剣を持っているのは私と…クリス!」
「はい」
「ティーヴァさん達を守って」
「お断りします。リリィ様が下がってください」
「私は平気よ!アンタなんかに守られなくてもっ!」
 ティーヴァは護身用の短剣を抜いて前に構えた。「それ」は、もうすぐそこまで来ている。簾が上がり、ばたん、と木の軋む音を立てて中に入り込んできた。動く影は、どうやら四足で床を這っている様だった。
「くっ、ううっ…」
「そ、それ以上近寄るな!」
「待ちなさいクリス!ペンライトを!」
 ハッとしたクリスは、懐の小さな電灯を入れて前を照らし出した。すると、這いつくばっていたそれは、唐突な強い光に目を細め、驚きの声を上げた。そして、
「お父様!」
「「お父様!?」」
「うぅなんなのだ、これはっ…!」
 四足のそれーもとい、屋敷の主人であるカリオカラニ卿は、泥酔によって混乱した頭のまま曖昧に呟いた。

 翌朝。騒動のお詫びとして配られた、カリオカラニ家からのお土産を抱えて、二人は屋敷を出た。先に帰路についていたティーヴァは、
「次は負けませんからね、殿下」
 と対抗心を剥き出しにした捨て台詞を残し、俥と従者を引き連れて「歩いて」帰って行った。その後ろ姿をリリィは苦笑いと共に見送る。
「リリィ様、宜しいのですか、あの様な無礼」
「良いのよ、別に。寧ろ、思ったより健全に育ってて安心したわ」
 クスクスと笑う彼女に、クリスは苦言を呈さずにはいられない。
「しかし、身分というものもあるでしょう。王族に対する物言いでは…」
「クリス」
「はっ…?」
「あなたが言っても説得力が無い。もちろん、私もね」
「…そう言われては、返す言葉もありません」
「でしょ?」
 もう一度笑顔をひらめかせて、彼女は早足で王宮へと歩いていく。過ぎ去った夜を後ろに、また新しく始まった朝を迎えて。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Wiki内検索

メンバーのみ編集できます

メンバー募集!