架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

 聖暦1992年 6月某日
 カラン、とグラスの氷が音を立てて沈む。執務室の窓の外は、既に夜の重々しい帷が降りていて、所々に街の明かりがぽつぽつと灯っているに過ぎない。
 だが、対照的に執務室の中は明るい。舶来の電灯は煌々と闇を照らし続け、唯一の頼りのはずだった月明かりの役割は、ほぼ失われていた。
「…ふうん、舶来のお酒も中々いけるじゃない」
「向こうでは最高級のものだそうですよ」
 ラピタ王国宮廷書記官長リリィ・ティナ・ポマレ王女は、自分の手の中に収まっている、全てが輸入品で作られた酒杯に目をやった。
 流れる様な曲線を描く透き通ったグラス、中にはこの国には概念さえ存在しない氷と、焦げついた様な琥珀色の液体。全てが、彼女の祖国では作ることの出来ないものだ。
「『ブランデー』、というのだったかしら。確か、果実の汁を寝かせて、そこから酒の成分を取り出して作るとか」
「その通りです。正確には、今リリィ様が飲んでおいでなのは、『アルマニャック』という種類のもので、デニエスタの一地方のみが皇帝免許によって生産できる特別な品だ、と」
「…大使閣下の受け売りとはいえ、よくそこまで覚えていられるものね、クリス?」
「バレましたか」
 半ば無理やりご相伴を申し付けられている書記官長補佐、クリストファー・オウムアムアは苦笑いし、自らも軽くブランデーのグラスに口をつける。甘く、それでいて灼けつく様な味が舌と喉を刺激した。
「氷を入れてとても冷たい筈ですが、それでも焼ける様な味がしますね」
「…もとよりこのお酒は『焼いた葡萄酒』という言葉が語源だそうだから」
 それだけ答えて、リリィもグラスを傾ける。今から70年以上前、聖暦1920年から熟成させたものだというその味わいは、初めてであるにも関わらず、彼女の舌に抵抗なく受け入れられ、申し分なくその高い気位を満足させた。
「それで、王女様。ご相伴に預かるのはともかく、どうして書記官府なんですか?いつもの食堂ではダメだったのでしょうか」
「……」
 クリスの質問に対し、厳しい視線の一瞥を返すと、リリィは執務机の脇に置かれた小箱を引いて来て、中身を示した。
「これは…以前行われた、海底調査で採取された…」
「そう、色々とあるでしょう?」
 箱の中には小さな密封されたガラス製の小瓶が並べられていて、それぞれに「コバルト」、「マンガン」、「レアアース泥」と言った種別、また採取地が記されたラベルが貼ってある。そして彼女は、その中の一つを手にとってクリスの前に置いた。
「これ、なんだか分かるかしら?」
「石油…もしかして、共同宣言のことですか?」
「察しが良くて助かるわ、大正解」
 にやり、と不敵な笑みを浮かべて、彼女はデスクの引き出しの中から幾通かの書簡を取り出し、ぱさりと放る。
「先週チューイー皇国から我が国に提案された共同宣言の草案よ。議会で可決され次第、正式な調印式を行うわ」
「ははぁ…」
 その文章の冒頭には、大きく「ラピタ王国とチューイー皇国との共同宣言」、と印字され、以降いくつかの友好関係樹立の為の条文が続いている。
 そして、その中には次の様な一文がある。
「6.両国は国策合弁石油会社を設立し、ラピタ王国領域での海上油田開発を、環境に配慮した上で行う」

 元来ラピタ王国とチューイー皇国との間には、特段何か深い親交があった訳ではない。むしろ、王国にとって、チューイーはむしろかなり新しい友人に当たる国である。
 聖暦1984年、カーリスト・ソビエト連邦の電撃的な来訪により、鎖国体制が完全に破られた後も、王国の体勢は急激に変化した訳ではなかった。ソ連が提示した議定書における外国人の自由な入国は合意に達せず、依然として王国はごく限られた国との関係性を保持するのみで、殆どの国と正式な国交は結ばれていなかった。
 その後10年弱の間、王国はその劇的な開国とは対照的に、外国に対しては硬い沈黙を守り、幾つかの国と国交を樹立し、大使館の建設を認めるに過ぎなかった訳である。
 が、状況は今年の4月末に執り行われた国王ポマレ10世即位30周年記念式典で大きく変わった。世界各国が式典に対し貴賓を派遣し、また祝電や祝辞を送付した。そして、王国政府はこれを機に世界各国への精力的な外交政策を推し進めることを決め、デニエスタ帝国連邦を筆頭とした、ソビエト、マウサネシア以外の諸国との関係性構築に乗り出したのである。
 そんな中、政府の外交政策の要として浮上したのが、遥か遠い大和皇国の加盟国、チューイー皇国であった。

 「彼らとの縁も、まさか巡視艇購入からここまで発展するとは思わなかったわね」
 リリィはそう呟いた。その言葉通り、チューイー皇国とラピタ王国とが結んだ最初の縁は、単なる救難用の巡視艇購入に過ぎず、決して資源開発の様な重要政策の共同者たるに相応しいものではなかった。
「バランス外交、でしたか。マウサネシアやソビエトに偏重しては、いずれ国が立たなくなるのではと」
「そう。叔父様が議会で言ってたわね。『あらゆる国とバランスよく関係を結ぶべし』ですって。それで、いつの間にかここまで関係が深まっていたわ」
「ふーむ…」
 言わずもがなであるが、ラピタ王国は人口50万にも満たぬ小国である。それも、長きに渡って鎖国し、国民の多くが数千年変わらぬ伝統的な暮らしを営む、先住民の国である。
 しかし、単なる小国ではない。その国土には、不要故に手付かずのまま残された、膨大なエネルギー、貴金属、海洋、レアメタル資源が眠っているのだ。古くからラピタ島に巨大な金山、ライアテア島には銀山、がある事が知られている他、スカセバリアル条約機構による簡単な地質調査により、近代工業に不可欠なチタンを豊富に含む土壌が広がっていることも確認されている。
 そして、王国の資源に関するポテンシャルは、近代的手法による調査や、今まで廃石として処理されてきた鉱山鉱石の分析などから、近年鰻登りに上昇しており、適切な投資と開発が行われれば、将来の資源大国化は明らかなものと見られていた。
「だけど、資源の多さに比して、それを守る人間はあまりに少ない。その気になれば、どこの国でも軍隊を派遣して、この国を滅ぼして資源を独占できる。だからこそ、多少利を割いてでも、友人は多い方がいい」
 王国の現実に関して、リリィはそう簡潔にまとめた。膨大な資源を独占するよりも、多少利益を分けることで、安上がりな開発と安全保障を買う。チューイー皇国との間に結ばれる予定である共同宣言にも、そうした意図が見え隠れしていた。
「ですが、一つ分からぬことがあります」
「何かしら?」
「何故チューイーは、わざわざこの国の資源開発に協力してくれるのでしょうか。幾ら大油田があるとはいえ、彼の国からも遥かに遠く、国としては非常に小さいこの王国の為に、資金を投じるだけの利益があるのだろうか、と」
 クリスの質問を聞いたリリィは、少し驚きの表情を浮かべると共に、すぐに我が意を得たりと微笑んだ。
「その答えは、地図にあるわ」
 そう言ってリリィは席を立ち、本棚に立てかけてある大きなイオニア州地図の巻物を机に広げる。
「さて、久々に講義でも始めましょうか。ついてきて頂戴、クリス?」
「は、はい」

 「さて、じゃあきっちり説明しましょうか」
「お願いします」
 既にリリィは何かを教える先生の口調だ。彼女は新聞の取材や、自分にとって自明であっても他人が理解し得ないことについて話す時、よくこういう口調になる。
「テーマは…そうね、『どうしてチューイーが今や我が国の外交政策の要になったのか』、包括的に説明することにしましょうか」
「はい」
「さて、じゃあそもそもの話なんだけど、なんでチューイーと我が国は関係性を持つに至ったのかしら」
「ええと確か…王様の記念式典の折に祝電を寄せて下さいましたね」
「そう、正解。後は?」
「後は確か、海軍の本格的な改革ということで、近代的な巡視艇を買いたいと探したら、チューイーが性能面と価格面でバランスの取れた良いものを提示してくれたと」
「合ってるわ。その通りよ」
 えらいえらい、とリリィはクリスの頭を撫でる。完全に保護者か先生かになりきっている様だった。
「ちなみにだけど、石油資源開発の話も、元を辿れば実はここから来てるってのは理解してるかしら?」
「確か、船そのものを動かす燃料や、対価として支払えるものがあるかどうかの検討の中で、可能性が示唆されてきたこの国の周りの海上油田が候補に上がったのでしたっけ」
「正解正解」
 満足げにそう言うと、彼女はニッコリ笑ってグラスの酒を一口飲む。
「そして、その開発に対してチューイーは非常に積極的だった。彼らはわたし達が油田開発によって燃料や対価の支払いを検討していることを知ると、すぐに駐在大使を介して、積極的な支援と投資を表明してきた。しかも、単なる言いっぱなしじゃなくて、具体的な方策や説得材料まで携えて、ね」
「ああ、確かにそんな感じでしたね…今思い出しました」
「うちにも来たでしょ?大使閣下自らお土産を持って」
「別に権力者というほどでもないと思いますけどね…」
「うるさいわね!」
 ふざけた様に怒ると、彼女は咳払いをしてまた話を続ける。
「さて、じゃあ今度は地図を見て貰えるかしら」
「はい」
「この国の周りには実に様々な外国があるわね?」
「マウサネシア、ウォーセルン、モルキア…他にも実に様々ですね」
「諸外国では、この辺りの海のことをグリヤとか焼海とか、そういう風に呼ぶらしいわ」
 リリィは、周りの国々の名前と首都を言ってそれぞれに指をさしていく。
「これらの国々は、この海を囲む様にそれぞれ領土を持っている。そして、そのど真ん中の海にわたし達の王国が浮かんでいるのが分かるでしょ?」
「はい」
「そして、これさえ分かってしまえばチューイーの意図もすぐにわかるというもの。説明はお終い」
「…へ?」
「え?」
 ぽかん、とした顔を互いに見合わせるが、その意味合いは全く異なる。
「あの…」
「なぁに?」
「もしかして、本当に説明はお終いなんですか?」
「そうだけど」
「私の理解力の問題でしょうか?」
「間違いなくそうね」
「………」
 クリスは一瞬ためらった後、大きく息を吸って言い放った。
「そんなわけないでしょうがぁ!!!」
「な、どうしたのよ?」
「リリィ様、いくらなんでも、地図を見てはいこれで見ればわかる、は乱暴すぎますよ!もうちょっと分かりやすく説明できないんですか!」
「なっ、あなたに理解力が無いから悪いんでしょ!大体、この海の真ん中に浮かぶ要衝の島に利益を確保すれば、引いてはこの海を囲む国々全体を睨むことができる、この国を完全に押さえれば事実上チューイーは海全体に覇権を確立しうる、石油はその為の布石!この単純なことがなんでわかんないのよ!」
「そんな単純なことをなんで説明しようとしないんですか!」
 互いに酒が入っているからか、二人は大人気なく怒鳴り合う。暫しの間部屋は熱雷を孕んだ喧嘩の舞台として、姦しい騒ぎの中心となった。

「…はぁ、はぁ」
「…すみません、熱くなって」
「いいえ、わたしも説明不足だったわ」
 数分後、多少熱が冷めたのか、二人は互いに謝罪し、講義の続きに入った。
「ええと、どこまで話したかしら…そう、思い出した。この国の地理的重要性について、だったわね」
「はい」
「ええとね、まずこの国から一番近い場所にあるのは何処かしら?」
「マウサネシアですね。地図の上ではほぼ目と鼻の先でさ」
「そう。そして、それは向こうも同じこと。これが何を意味するか、それは…」
「それは?」
「…マウサネシアにとって、この国はある種喉元に突きつけられた短剣も同然ということよ」
 リリィは皮肉げな笑みを浮かべる。夜になると、彼女は時折そうした冷徹な中身を外に出すことがあるのだ。
「ねぇ、クリス。わたし達は開国以来随分と外の世界の驚異について学んだわよね」
「はい」
「なら思い出して。あったはずよ、超遠距離から一方的に敵を叩きのめす手段…空を飛んで、敵の街を一瞬で炎の海に変える兵器が、世界にはあったわよね?」
「……あっ!そうだ、ミサイルだ!」
「正解。…仮にこの国に、現行の最新型ミサイル基地を配備した場合、マウサネシア連邦の首都は無論、この他の大陸諸国も射程内に入る計算になるわ」
 リリィは縮尺に合わせてコンパスを広げて、ラピタ島を中心に大きな円を描く。これが、王国から発射された場合のミサイルの射程圏である、と示したのだ。
「仮に、何処かの国がこの王国を制圧して、この島にミサイル基地を置いたとすれば、忽ちこの海全体にある種の支配権を確立することが可能になる。…この海を己の海と自認するマウサネシアからすれば、悪夢でしかないでしょうね」
「ということは、チューイーの目的は、石油を基にこの国の支配権を固め、最終的にはマウサネシアを屈服させ、その他の国々まで脅威の下に置くとそういうことですか」
「いいえ、そこ迄ではないわ。だって、この場所と彼らの本国とは遠過ぎるもの…。だけど、そうした一つの軍事的威圧、つまりはこの海全体に食い込むことで、一つの国が軍事的・経済的利益を独占することを阻み、その間隙を縫って手付かずの資源利権と、外交的影響力を保持する…それが大きな目的の一つであることに違いは無いわ」
「この国を抑えた者が、この海を制する…」
「ゾクゾクしてくるでしょ?」
 彼女は地図を見つめつつ、今までに浮かべたことが無い程に、獰猛な笑みを浮かべる。今その頭脳の中では、強大な列国に対し、僅か人口50万の小国が渡り合う為の無数の計画が渦巻いていた。そして、その淵源に有るのは彼女自身の救い難いまでの好奇心であり、火を吹くばかりの激しい熱を生み出す闘争心であった。

 「…と、まあここまで真面目な話をしてきたけれど、すこし軽めの話に移るわ」
「軽めの話?」
 リリィは一旦水をあおって興奮を冷ますと、話題を一度変えた。
「今さっき、この島を制すればこの海を制すという風に言ったけど、それは全ての国に共通する話で、チューイー特有のものではないのよね」
「チューイー特有?」
「そ。あくまでわたしの予測に過ぎないけど、今回のネタにはチューイー独自の事情も関わってるんじゃないかなぁと思ってるの。いの一番に立候補してきた理由も、それが関わってるんじゃないかなと」
「…お聞かせ願えますか?」
「待ってました!」
 にひひ、と笑って彼女は別の地図を取り出す。そこには、チューイー皇国と、その本家筋とも言える大和皇国が含まれていた。
「もともとチューイーというのは、この大和という国の分家匙にあたり、今でも強い結びつきを持っているわ。なんと言ったかしら、連邦制っていうの?外に対しては実質一つの国みたいなそういう感じ」
「ふむふむ」
「で、なんだけどさ。実際に見てみるとチューイーってかなり大和とは違う道筋を辿ってる感じがあるでしょ?贈呈してくれた巡視船とか見るに」
「確かにそんな感じがしますね」
「他にも色々と違うポイントがあるのだけど、そういうのを見ると思うのよね。…もしかしてチューイーって大和と仲悪いんじゃないか、って」
「まあ、場所もそもそも遠いですけど。でも、仲が悪いとどうなるんですか?大和皇国がこの国に進出しようとした事って無いですよねー
「…笑わないで聞いてほしいのだけど、わたしはこんな仮説を立ててるわ」
「?」
「見栄の為よ」
「見栄!?」
「歴史を見るにチューイーは、それ相応に強い力を持ちつつも、常に大和に対して劣後する立場にあった様に見えるわ。その上、経済的な停滞期を迎えつつある。そうした状況下に、忸怩たる思いを抱いている人々が多いやじゃあないかと思うのよね」
「でも、見栄でここまでするでしょうか…」
「あら、見栄は大切よ。かの偉大なる大王様も、自らの王妃様を侮辱されたことを理由に戰を起こしているんですもの」

 すっかり氷の溶けたグラスの中身を干して、彼女は窓の縁に座り外を眺める。すぐ正面には、日常を過ごす石造の立派な王宮が見えた。門前には、設置されたばかりの街灯がポツポツと光を放っていて、歩哨の親衛隊兵士の姿を闇夜に照らし出している。
「危ないですよ、リリィ様!」
「ん…ごめんなさい、少し夜風にあたりたくて」
 クリスは彼女が転げ落ちたりしない様、窓のそばへ寄って軽くその体を支える。手のひらを通じて、人肌の温かさが心地よい重みと共に伝わってきた。
「あら、『白髪の御子』に触れるなんて、意外と大胆なことをするのね」
「…もしかしなくても、酔っ払っていますね?明日は議会ですのに…」
「大丈夫大丈夫。わたしはお酒に強いもの」
 クスクスと笑って、リリィはクリスの方へ身を寄せる。アルコールで火照った純白の頬には薄く紅が刺し、潤んだ青色の瞳で彼を見つめると、そのまま彼女は胸板へもたれかかって来た。
「…眠いんですね?」
「…否定はしないわ」
 仕方無い、とでも言いたげにクリスは彼女を抱き上げて、背中と膝を抱えて運ぶ。こうして彼女を送り届けるのは、何度目のことだろうか。

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