架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

 「焼肉行かねえ?」
「は?」
 全ての話はここから始まった。
 聖暦1992年の6月ごろ。カルドニア郊外にも夏の気配が日に日に濃くなる時節、夜になって寮に引き上げた私はアンナからこんなことを言われた。
「ええと、その…」
「ああ、すまん。ちょっと話を端折りすぎたな」
 アンナは頭を掻きながら言葉を続けた。
「いや、最近親が宝くじを当てたらしくてな。大した額じゃねえ、会社の月給二ヶ月分くらいの額だ。それで、分け前がアタシの所にも来てさ。でも、沢山金持ってんのなんか気持ち悪いから、普段行けねえ高い店でパッと使っちまおうと思ってな」
「いえ、そうじゃなくて…」
「ん?」
「そもそも、焼肉ってなんのこと?」
 ずっと気になっていた、よく分からない単語について私が質問を投げると、彼女はそういえばそうだった、とでも言いたげな顔でため息をついた。
「いや、すまん。確かにリュリスはそういうやつだった。悪かった」
「なんかムカつくわね!」
 実のところを言えば、ここに戻ってきて大分時間が経つにも関わらず、私は凡そ普通の学生が経験するようなことには無知だ。蝶よ花よと、温室の中で育てられた時代、漸く好きに遊びに行けるとなった矢先にあの事故があり、私の記憶の一ページには、最も青春を楽しめたであろう時間がまっさらな白紙のまま残っている。
「中等科の時に行かせてやればよかったかな、焼肉」
「だから、その焼肉ってのはなんなの?」
 勝手に後悔されていては全く話が進まない。私は焦れて段々とイライラしていた。すると、それを感じ取ったのかアンナは居住まいを正し、私の疑問に対してすぐに答えてくれた。
「焼肉ってのは、ゴトロスから来た…料理というかなんというか、まあ、食べ物とその周りの習慣みたいなもんだと思え」
「ふんふん」
「簡単に言うと、生肉を注文して、それを金網の上で火で炙ってその場で食べる。火加減は自分のお好みで、但し肉の種類には気をつけろ、みたいなそんな感じの料理だ」
「フワッとしてるイメージだけどなんとなく掴めたわ。要は、ジビエをその場で調理するのと似たようなものね。パーンと撃った鹿を焼くとか」
「なんでそれはわかんだよ!」
「あら知らないの?私は射撃と馬術は名人なのよ…ってそれはさておいて。で、要は焼肉というのは、生肉を自分で焼いて楽しむ料理ってことでいいのね?」
「ん、まあそんな感じだ。必要に応じてタレとか塩とかも注文できるから、味付けも自分次第。そんで、後はみんなで焼きながらワイワイ会話を楽しむんだ」
 なるほど、彼女の話ぶりから察するに、どうやら焼き肉というのは単なる料理というよりは、友達との会話を楽しむ社交的なものであるらしい。しかも、肉が山盛りおまけについてくる。
 多くの人からは意外に思われるが、私は肉や魚が好きだ。元より自然豊かなオルディナツィアで育ち、幼い時から馬を狩って狩りや釣りに出かけていた。自分の獲物は責任を持って全部食べ、感謝の意を表する。それが私の家の常識だったから、必然的に家の食事での肉の量は多く、又私の好みもそれに引っ張られていった。
「いいわ、一緒にいきましょ。でも、どこのお店で食べるの?私カルドニアの焼肉店とか全然知らないんだけど」
「実はアタシもなんだ。安くて山盛り食べられる店ならいくらでも知ってるけど、今回は高いところに行ってみたいからな」
「うーん…」
 さてこんな時、頼りにできるのは一体誰か。ステパンに電話をかけて訊くのは簡単だが、流石にそれでは主人の威厳が無さすぎるし、何より彼に負担がかかる。となれば、頼れるのは…。
 「えー!高級焼肉!いいじゃんいいじゃん!行こう行こう!」
 翌日、私とアンナは唯一覚えのあるツテだったフランシスカ達三人の友達を頼ることにした。彼女達ならば、世間知らずの私たちよりもはるかに良い店を知っているはずだとそう踏んだからだ。
「んー…高くて上手い店か…どう思うフェルナンド」
「マルティンと前に行ったところはぼったくりだったからね…慎重に探したい所だけど」
「えっと、じゃあプリンシペ街の…」
 三人は私たちからのオファーを快諾すると、すぐにスマートフォンを取り出してあれこれと調べ始めた。どうやら頼ったのは正解だったらしい、と私とアンナは顔を見合わせる。そして、又しばらく相談と調査が進められた後、私たちが行く店が決定した。さて、問題はもう一つここからである。
 焼肉店でのディナーの予定はすぐに決まり、フランシスカは手早く五人分の予約を入れてくれた。オーダー通りの最高級店、客には夜景を一望できる高さの個室が一つ一つ提供され、サービスの評判も上々だ。きっと楽しい夜になるだろう。だが…
「(ステンカをどう説得するかね…)」
 私がステパンに敢えて相談しなかったのには、もう一つ理由がある。というのも、彼は普段は不真面目そうに飄々としているが、実のところかなり私に関して過保護であり、人によっては束縛しているとみなされるほど、私の外出には神経質だった。
 無論その気持ちはわからないではない、私を誘拐した時に得られるかもしれない利益を考えれば、命と社会的地位を擲ってでも愚行に出る人間の一万人や二万人はいてもおかしくはないからだ。
 しかし、一応私も年頃の娘だ。ぐちぐちと小言を言って、あれはダメこれもダメ、どうしても行くのなら自分もついていくと言い募る男は時に厭わしく思う。きっと、父が生きていればこんなことを言ったのかなと感慨深く思うところもあるが、現実にいるとなるとそれに浸ることもできないと言うものだ。
 そんなわけで前夜。私はどう言いくるめようかと思案しながら屋敷に戻り、夕食と入浴を終えた寝る直前に話を切り出した。
「ステンカ、明日のお夕飯なんだけど」
「はい、何かリクエストが?」
「ううん、そうじゃなくて…実はその日、友達と夕飯を食べにいくの」
「そうなんですか。どこに?」
「プリンシペ街のゴトロス風焼肉。ビルの五十五階にあるんですって」
「…焼肉?」
 まずい、彼の声音が変わった。トーンが一段階下がるのは、あまり強い怒りを表さない彼が見せる数少ない怒りのシグナルだ。いや、怒っているのではないのだろうが…おそらく機嫌がかなり悪くなってきている。
「そ、そう焼肉!ステンカ行ったことある?」
「…俺にそんな友達は居ませんでした。ご存知の通りに」
「ええと、それはそのあの…」
「まあ、別にいいんですけどね?お友達とお食事なんて止めはしませんけど。でも、焼肉…それも歓楽街に夜繰り出すなんて…」
 やはりこう言う反応だ。露骨な反対と保護者めいたくどくどとしたお説教をしてくる。だが、今回のものは単に過保護というわけではなく、どこか別の感情がある様に見えた。正論の鎧の下から、私情の顔が覗いている。
「…ねえステンカ」
「何ですか?」
「私の勘違いでなければあなた…」
「な、何ですか?」
「もしかして、嫉妬してる?」
「は!?何に?誰に対して?」
「いや、なんとなく」
 彼は真っ赤になって捲し立てる。自分は嫉妬なんてしていない、それはあなたの思い違いだ云々…むしろ弁解すればするほどボロが出ていくのだが…。
 そして、ついに彼は自分の言葉が却って相手を有利にしていることに気がついたのか、
「もういいです!お好きになさったらいいでしょう!」
 と、まるで子供のように頬を膨らませて何処かへ行ってしまった。やれやれ、とは思う。ただ、何かにつけて大人風を吹かせる彼にもこんな可愛らしいところがあったのかと思うと、少し面白かった。
「(まあ、アンナも泊まりにくるし、誘拐されるってことはないと思うけど…とりあえずステンカには、頭の冷えた頃にまた話をしよう)」
 ひとまず今日はそう思うことにして、私は眠りについた。久しぶりの友達との外出、私も多少幼いとは思うが、心が踊った。
 さて翌日。朝目が覚めてみると、ステパンの機嫌はすっかり直り、いつも通りに接してきた。普段通りにこやかで優しく、それでいて飄々としている。が、決して今夜のことには触れようとしない。
「ねえステンカ、今夜の…」
「あぁすみません!ちょっと仕事を思い出しましたー!」
 そうスタコラと逃げてしまう。
「ほんっとうに大人気ないんだから…」
 とはいえ、大きな喧嘩や言い争いもなく、日はそのまま暮れた。そして予定通り支度を終えると、私はまるで雨に打たれた子犬のような目で見送る彼を背に、迎えに来たアンナ達と共に家を出たのだった。
 路面電車に乗って街を移動する間、私達は他愛もないおしゃべりを続けたが、私の中には見送る時のステパンの顔がちらついていた。
「(寂しそうだったな、ステンカ。明日アンナが帰った後構ってあげたほうがいいかしら)」
「先輩のこと気にしてんのか?」
「え、あやそんなことは…」
「ホント仲良いんだなお前らって。出てく時のあの先輩の顔ったら」
「やめてよ!」
「え、何々、リュリスちゃん好きな人いるの!?」
「しかも同棲してる…?」
 いけない、話がどんどん拗れていく。あんまり騒ぎ立てられる前に収めなくては。
「別に、ステンカは昔から側に居てくれる召使ってだけで、恋人でもなんでもないわ。変な勘ぐりはやめてよね」
「ふーん?」
「ふーん?」
 フランシスカとアンナが呼吸を合わせて意味ありげな視線を向けてきた。爵位を継ぐ前からステパンとの距離を種にしたこの手の噂はいくらでもされたが、今となってはだんだん私の耳にも入るほどに激しくなっている。
「(多分、こう言うところから噂って始まるんでしょうね)」
 嘆息して私は強引に話を打ち切った。深く椅子に座り直し、懐から文庫本を取り出して読み始める。もう喋るつもりはない、の合図だ。
「えー」
 面白げな秘密を目の前で閉ざされたフランシスカは不満げな声を上げたが、そこはやはり彼女も上流層の子女、しっかりと分別を発揮して別な方向に話を転換した。
「(騒ぎすぎたからか、何か視線を感じるわね)」
 そんな風に思いながら、私はみんなと市電に揺られ、二十分ほど経って目的地の駅に辿り着いた。
「ついたー!」
「相変わらずギラギラしてるのね、ここは」
「旧市街は真っ暗だもんな」
 プリンシペ街はカルドニアの中でも指折りの歓楽街だ。無数の食べ物屋、居酒屋、バー、その他少々聞こえを憚る店まで無数に軒を連ね、明かりは消える事なく通りを行き交う幾万の人々を夜を徹して照らし続けている。
「目的地はあそこだー!」
 ビシッとフランシスカが指差したのは、プリンシペ街で一際目立つ一本の摩天楼。その名も、「エンペラトリス=イザベラ・ビル」。今から凡そ八十年前に竣工した、高さ二百三十九メートル、高く聳えた鋭い頂点部を含めると凡そ三百メートルを超えるイェスパッシャン有数の超高層ビルである。
 かつてこのビルは、当時世界で三番目に高い建造物として竣工し、「輝かしきイェスパッシャンの二十世紀の幕開け」を象徴するビルとなった。そして、現在でも歴史ある産業の遺産としてカルドニアのシンボルの一つとなっている。
「あぁ、うちのビルだったのね」
「え、あれリュリスの持ち物なの?」
「持ち物も何も、うちの不動産会社が今の所有者だったはずよ。アダムさんが言ってた」
「はえー…流石は多国籍不動産企業の総帥…言うことが違うぜ」
「肩書きばかり増えてくわ。マルティンに一つくらい分けてあげましょうか?」
「うわっ、やめてくれよ。俺そんな重たい話まっぴら」
「マルティンは男爵家の御曹司なのに爵位継ぎたくないんだよねぇ」
「あたりめえだろ」
「さあさみんな、話してないでいくよー!」
 フランシスカはぐいぐいとマルティン、フェルナンドを引っ張って行く。私とアンナはその後に続いて入ろうとしたのだが…。
「おいリュリス」
「なに?」
「尾行られてるぞ」
「知ってる」
 私とアンナは背後を見た。咄嗟にビルの影に隠れた様だが、身のこなしはど素人だ。気配の消し方もわかっていないのだろう。
「(電車の中で感じた視線はこれだったのかしら)」
「どうする、やるか」
 アンナが好戦的な眼差しで囁いてくる。過去に絶無だったわけではない。私に邪な気持ちを持って、追いかけてきた連中を彼女が優れた腕っ節で追い払ってくれたことは片手の指では効かない程あった。
「いいわ。知ってる人だもの」
 しかし、今回に限ってはその必要は無さそうだった。私は一旦みんなから離れ、早足で不審者の逃げ込んだ路地に向かう。そして、中を覗き込むと、驚いたような様子でこちらを見る、サングラスにマスク姿の男に言った。
「何してるのよステンカ。早くそこから出ていらっしゃい」

 「…本当に申し訳ありませんでした」
「別に、私は怒ってないわよ。ただ、他の人達にはきちんとご挨拶なさい」
「これがステンカさん…リュリスちゃんの話にしょっちゅう出てくる人…」
「背は高いけど冴えねえな…」
「まあでも、優しそうな人だし…」
 数分後。ビル五十五階、ゴトロス風焼肉店「ナンデムン」の一室にて。
 密かに私をストーキングしていたステパンは、皮肉にも私自身の手で引っ捕らえられ、皆んなの前に引き出された。当初フランシスカ達は、明らか不審者然とした彼を警察に引き渡そうとしていたのだが、私との会話からそれが話題に上る「ステンカ」であることを目ざとく察すると、忽ち仲間に加え入れてこの店に連れ込んでしまった。
 他方ステパンはというと、引き出された時からずっと信じられないほどに萎縮しており、店に入って個室に落ち着いてからは、開口一番私に頭を下げ、普段よりもずっと弱々しい声で自己紹介をした。
「す、ステパン・サハイダーチュヌィイと申します。どうぞお気軽に『ステンカ』とお呼び下さい。カレッジにはええと、三年前まで通っていました!」
「らしくないわね、そんな萎縮するなんて」
「そりゃしますって。危うく警察のお世話になるところだったんですから」
「年頃の若い女の子をつけ回すストーカーには当然でしょ」
「ひどい!」
「まあまあリュリスちゃん。多分ステンカさんは悪気があったわけじゃないんだよ」
「だな。先輩は女の尻を追いかけ回すタイプの変態じゃねえよ。多分アルバム作るタイプのやつだ」
「決めつけないで!?」
「まあ、あれだよステンカさん。気持ちはわかる、ご主人様が歓楽街で妙な奴に絡まれないか心配だったんだろ?俺だって似た様な経験したことあるし」
「マルティンと遊びに行く時、露骨にボディーガードっぽい人達が木の影から見つめてたもんねぇ」
 意外なことに、彼はみんなにも案外すんなり受け入れられ、「ステンカさん」の愛称で呼ばれることになった。どうやら、フランシスカ達は彼の根の優しさや人の良さをすぐに見抜いてくれた様で、ステンカ、ステンカと親しげに呼んで話しかけている。
「(…なんか微妙に気に入らないわね。何よ、デレデレして鼻の下伸ばしちゃって)」
「リュリスどうした。そんなむすっとして」
「別に〜」
 私は隣から顔を背け、自分のすぐ横の大窓からカルドニアの夜景を見下ろした。すぐ手前には、幾つもの摩天楼と、その下に群れをなす無数の店々が天の川の様に煌めいており、更に向こう側にはうっすらと新市街の官庁街、ライトアップされた宮殿のファザードなどが見える。
 ともすれば吸い込まれそうな程に美しい夜景、これを見ながら食事ができるのならば、確かにある程度のお金を出すこともやぶさかではない。
「ところでステンカ」
「はい」
「ここでご飯食べていくのはいいけど、お金きちんと持ってるの?」
「え?ええまあ。余分に持ってきてはいるつもりですが」
「じゃあ、私の分あなたが持ってね。ストーカーに遭った慰謝料として頂くわ」
「げっ、そんな殺生な」
「嫌なの?」
「あぅ…ま、まぁお金を使うアテもないですけど…」
「ステンカさんってお金持ちなんですか?」
「いえ、そんな身分じゃありませんよ。ただ、ヴィシニョヴィエツキ家のご厚意で、お屋敷の部屋と一日三回の食事付きで住み込みさせてもらってるので、家賃と食費がかからないだけです」
「つまり…同棲…」
 んぐっ、と私は思わずジュースを吹き出しそうになった。げほげほと咳き込んで体制を立て直すと、慌ててマルティンの言を否定しにかかる。
「ち、違うわ!そんな変な意味じゃないわよ!宮殿だって広いし、部屋も大分遠いんだから」
「でも、リュリスと先輩っていつも距離近いよな。食事も同じ卓だし、なんなら先輩が朝起こしに行ってるし」
「完全に同棲じゃん!」
「…らしいです、お嬢様」
「その顔今度見たらはっ倒す」
 段々調子が戻ってきたのか、ステパンはいつもの様なニヤニヤ笑いを私に向けてきた。史上最高に腹が立つ顔だったので、私は思わず手が出そうになったが、自分でも思うほどに卓越した忍耐力でそれを静止し、なんとかオレンジジュースを飲み干すだけで耐えることができた。
「なあ、そろそろ雑談は切り上げてよ、肉食おうぜ。リュリスと先輩の関係性はそこでじっくり吐いてもらうとしてだ」
「んー…そうだね!何頼もっか!」
「まずはオーソドックスに盛り合わせから行こうぜ。ほら、この『国産肉アソート』とかいいんじゃねえかな。六人前で」
「なるほど…」
 みんながメニューを見ている間、私はステパンの横顔を見直した。笑ってはいるが、その下に何か影がある。やっぱり、私の身が心配というだけでここに付いてきたのではないのだろう。
「ステンカ」
「はい?」
「あなた、私に何か嘘ついてない?」
「嘘って…」
「…正直に話してくれないと嫌よ」
「それは」
「はいはーい!じゃあとりあえず、この『国産肉アソート』と、『カルビ盛り合わせ』六人前ずつ行きまーす!」
 話はフランシスカの元気良い声で遮られてしまう。彼女は店員を呼んで注文を確認すると、カバンの中から一冊ノートを取り出して読み始めた。タイトルは『ゴトロス焼肉の極意』…どうやら自分なりに焼き方を調べてまとめて来たらしい。
「なあ、先輩ってさ」
「ん?」
「こういう焼肉とかって来たことあんの?」
「…無いなぁ。なにしろ、俺はカレッジで友達なんか一人もいなかったから」
「えー、そうなんですか?」
「ああ。何しろ人とうまく話せないド陰キャでね。二人組でもいつも売れ残りだったよ」
 ははは、と笑いながらステパンはジュースを飲んだ。友達はいない、その言葉が重く私にのしかかる。その理由を、それによって彼がどんな目に遭ってきたか、一番知っているのは私自身だったから。
 程なくして、肉の大皿が二つ運ばれてきた。そこには、牛、豚、鶏の三種類の肉が綺麗な花形に盛り付けられていて、鮮やかな赤みに脂の霜が降りている。多少目の肥えているものならすぐに、あまり食べ慣れていないものでも、明らかに最高級品とわかるだろう。
 何しろ、これだけで一般家庭の半月分の食費に匹敵する金額になる。私にとっては月のお小遣いの一パーセントにも満たない金額だが、それでも食事としてはとても高いことに変わりはない。
「さて、じゃあ焼いてみよっか!」
「脂が多いから燃えるよー」
 トングで肉を摘み、熱された炭を下に敷いた金網に置く。すると、じゅわっという食欲をそそる音と共に肉が焼けていく。肉の脂が溶け出して、しばらくしてオレンジ色の炎が立ち上がって踊り出した。
「おわっ!火強い強い!氷で鎮火しないと…」
「あんまり焼きすぎると焦げる、でも焼かないと食べられないから…」
「すごい、これ面白いわ!」
「おら、もっと焼け!」
 ステパンは肉を焼き始めると、これまでほんの少し離れていた感があったグループに完全に溶け込み、うまく肉を焼いては取り分けていた。彼は意外にこの手の作業に器用な腕があるようで、良い焼き加減でさっさとそれぞれの小皿に肉を置いていった。
「はい、お嬢様どうぞ」
「…ありがと」
 彼の手で焼かれた肉をタレにつけて口に入れる。甘辛いタレが絡み、滲み出る肉汁と合わさって、えもいわれぬ旨味が口の中に広がった。
「美味しい…」
「でしょう?」
「む…そうやって大きな顔しないで。お肉が美味しいだけなんだから」
「またまたぁ」
「ステンカさんも食べて下さい!折角一緒なんですから」
「はーい」
 そうして焼いては食べてを繰り返すと、みるみるうちに大皿の肉は減っていって、皿は空っぽになる。
「じゃあ次このチーズタッカルビってのいいんじゃないかな」
「いいねいいね」
「アタシはまたカルビ食べたいかなぁ…」
 意外にも仲間達は健啖家の様で、次々に山盛りの肉の皿を注文しては焼いて食べていった。もはや総額がいくらになるかなどは誰も気にしてはいなかったし、私もそれは同じだった。最悪私のキャッシュカードで支払うことも可能だったし、そんなことを考えながら食べる食事が美味いはずもない。
 段々と私も楽しみにはまっていき、食事とお喋りをとめどなく続けていた。
「そういえば数学のあの先生…」
「ハゲの話?あれ、知らなかったの、あいつカツラだよ…」
「ところでステンカさんとリュリスさんって付き合ってたり…」
「してないわよ!確かに彼とは昔から一緒にいたけど…」
 そんな話と食事を続けるうちに夜は更けていって、遂に門限の時間ー夜九時ごろに差し掛かっていた。そろそろお開きにしよう、ということで私達は席を立ち、会計を終えて店を出た。…結局どのくらいかかったかは、ステパンの顔から予想してほしい。ちなみに私からは、彼はお腹いっぱいなのに痩せこけている様に見えた。
 「じゃあおやすみ!みんな楽しかった、また行こうね!」
「はーい、お疲れ様でした」
 店を出た後、私たちは三人ずつ二手に分かれて帰路に着いた。私はステパン、アンナと共に屋敷に向かう市電に乗り込む。
「あー、美味かった。久々に腹一杯食って満足だ」
「よかったわ、アンナ」
「ところで先輩、最初テンション低かったのに後になって盛り上がってたな」
「ん、まあね。俺はカレッジ時代は友達と出かけることは本当に無かったんだ。クラスでいつも浮いてたからね」
「なんでだ?先輩普通に人懐っこいから友達できると思うけど」
「んー…実はね、俺は縁故でカレッジに入ったんだよ。お嬢様のお父様、つまり先代の公爵閣下のご意向でね」
 その通りだ。ステパンがカレッジに入ったのは、私の父がそう命じて、立場を利用してねじ込んだからだ。理由はーこれも貴族ならではというべきかー私が入学した時に、人脈作りにあまり苦労しない様に、あらかじめ地ならしを彼にさせる為だ。
 右も左も分からない私を、上級生の立場をうまく利用して、邪な連中から守ること。それが彼の役割だった。
「…ステンカ」
「ん?」
「ちょっと話があるから、家に戻った執務室に来て」
「わかりました」
 ただ、彼は全体的に世渡りも勉強も下手くそだった。狡猾に立ち回って仲間を作ることも、或いは卓越した学力で立場を認めさせることも出来ず、結果としてコネの裏口入学生という悪いイメージだけがついて回ったのだ。誰もが同じ様なやり方で入学したというのに、彼は身分を持たないというだけで孤立していた。
「(あの事故の時、彼がすぐに学校を辞めて私の側にいてくれたのも、それが理由なのかもしれない)」
 あの交通事故で私の父母が亡くなった時、彼は躊躇わずにカレッジを中退し、私の側に付きっきりでいてくれた。親を亡くした悲しさと、運命の理不尽さへの憤りから、不安定な躁鬱を繰り返していた私の精神が辛うじて均衡を保っていられたのは、ほとんど彼のお陰だったと言っても過言ではない。
「(結局まだ、彼には何にも返せていないのだけど…)」
「次ですよ、お嬢様」
「あ、うん」
 路面電車から降りて、電燈の照らす石畳の道路を五分ほど歩く。程なくしてユージェニー宮殿の通用口が見えてきた。
「アンナは先にお風呂に入ってて。私も後から行くから」
「お、おう」
 彼女と別れると、私とステパンはそのまま三階にある公爵執務室に入った。側に誰もいないことを確認して、私は扉を閉める。
「で、ステンカ」
「はい」
「そろそろはっきりさせましょ。今日こっそり着いて来たのはどうして?」
「え、あや、それは」
「言っとくけど、『心配だった』は無しよ。それはもう聞いたから」
 あなたの本心を全部聞かせて。そんな意味を込めて、私はじっと彼を見つめた。冷や汗をかきつつ、彼は目を逸らす。しかし、私は退かない。聞くまではこの部屋から出してやらない。そんな決意だった。
「どうしても…言わなきゃダメ?」
「ダメ」
「イェシーを傷つけるかもしれない」
「あなたに隠し事をされたことの方がショック。だから早く」
「……」
 諦めた様に彼はため息をついた。そして、ゆったりと話し出した。
「…まず、俺はイェシーに嫉妬してたんだ。俺はカレッジにいた時に友達なんていなかったから。みんな俺を蔑んで、馬鹿にしていたから、同年代に仲のいい奴なんて居なかった」
「……」
「ずるい、と思ってたんだ。すぐに沢山友達を作って、みんなの中心になれる君が。おかしいよな、自分の主人にそんなこと思うなんて…でも、そう思っちゃったんだ。だから、しつこく反対した。行くなって」
「それだけなの?」
「ううん、まだあるよ。…一番の理由はね、イェシー。…俺は、寂しくて、怖かったんだ。君が俺から離れて行っちゃうのが」
「怖かった?」
「うん。…俺は、先代の閣下のご指示でカレッジに入ったけど、結局何も出来なかった。一人でボロボロになって、暗い日の当たらない場所でずっと過ごしてた…でも、君は違った。入って来てすぐの時は、アンナさんと俺と、三人で連んでいたけど、いつの間にか俺はそこに居なくなってた」
「……」
「…その後、あの事故があった。あの事故で閣下ご夫妻がお亡くなりになって…俺は、カレッジを辞めた。君の側にいる為に」
「覚えてる。あの時、あなたはカレッジの卒業も控えていたのに、それをみんな捨てて私の側に居てくれたよね」
「うん…そのことは後悔してないよ。でも、それは、退学したのは単に君の側にいて、忠誠を果たそうとしたからじゃないんだ。あぁ畜生、これは死ぬまで持っていくつもりだったのに…」
「いいわ、話して。全部洗いざらい」
「…俺は、学校に通わずに、君と地方にいられることが少しだけ嬉しかったんだ。君と俺とで、二人でいられることが。君が俺を必要と思ってくれることが嬉しかった。…最悪だよ、両親をなくして、一人ぼっちになった君に、こんなことを思うなんて」
「……」
「…でも、君は立ち直った。また学校に戻るって、そう言ってくれた。…嬉しい反面、また怖くなった。学校に戻ったら、きっと君はまたみんなの中心になって、俺のことなんか忘れる。それが怖くて、妬ましくて、寂しかった」
 ステパンの告白は悲痛に満ちていた。孤独の苦しさ、友情への渇望と嫉妬、心の中に渦巻いていた私への愛情と憎悪。「全てを捨てて付いて行っても、結局は報われない」という思いが根底にあったのだろう。
「だけど、これだけは本当なんだ。君が立ち直った時、また学校に戻ると決めた時、それだけは本当に嬉しかった。君が舞踏会のパートナーに俺を選んでくれた時は、心の底から、もう死んだっていいって思うくらい幸せだった。それだけは信じて欲しい…」
「これで、全部?あなたの気持ちは全部吐き出せた?」
「…ごめん。こんなに女々しくて、汚くて、邪で。幻滅したよね」
 ステパンは泣いていた。流れる涙を何度も拭って、私を見ようとしてくれている。だから私は、彼に近づいて、涙を拭わなくても見える様にした。
「ステンカ、ありがとう」
 強く体を抱き締める。たったそれだけ。余計な言葉はかけなかった。全ての思いを、自分の鼓動と体温にこめる。
「(愛してる、ステンカ。私のたった一人の家族だもの…)」
「イェシー…」
「ステンカ、大丈夫。私たちは家族なんだから。いくらでも甘えて、怒って、泣いていいわ。外は主従でも…二人きりの時は、家族でいていいの。あなたはたった一人の、大切な私の兄妹よ…」
「ありがとう、ありがと…」
 しゃくり上げながら頷くステパンを、私はずっと抱き締めていた。彼が泣き止むまで、涙が心の澱みを洗い流してくれるまで。ずっと…。
 「…もう大丈夫だよ、イェシー。その、ごめんね」
「ううん、いいの。あなたの心の底を初めて見られたから。これからも、何か辛いことがあったら、なんでも言ってね」
「うん」
「…あっ」
「どうかしたの?」
「…お風呂入らなきゃ。だって今、身体中から美味しそうな焼肉の匂いがしているもの」
「…確かにそうだね」
「先に入ってるから、あなたも着替え用意しておいて。私の後にどうぞ」
「うん」
「あと、それからステンカ」
「はい」
「…大好きよ。たった一人の家族としてね」
 そのまま扉を閉める。このすぐ後で私は、後悔と恥ずかしさのあまり身悶えすることになるのだが…それはまあ、別のお話。

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