架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

遠くで演説が聞こえる。
その時、私は共同アパートの中で手に入れられる僅かな個人用スペースで新聞を読んでいた。
国営新聞には最高ソビエト総選挙の文字が踊る。
『国際帝国主義の諸国より民主的でよりすぐれた民主主義体制の達成の為にある種の欠点を解決するために、党機関はより社会の統制を強める必要が存在する……』
この時期になるとこのような市民からの投書のみを掲載した紙面が増加し、既に選挙の公示日から15万通以上の市民からの投書が国営新聞の編集局には送られている。その殆どは体制に対する批判や規律の乱れ、そして日常生活の不便を訴えるものであった。
これらの一連の行動は『我々はあらゆる人々が、例えそれが料理女であったとしても国家を統治できるように支援しよう。』と言う革命の不朽の言葉によって裏付けられたものであり、つまりこれは私たちと党との対話、『国家統治への勤労者の参画、官僚主義との闘いの一形態』なのだった。

新聞を置き、共同スペースで簡単な料理をする。大きな寸胴鍋でミルクを沸騰させないように煮詰める。私がミルクを沸騰させないことに神経を尖らせていると、徐々に共同スペースにも人が増えてくる。ある人は洗濯物を洗い、ある人はトイレに長蛇の列を作る。
皆、血は繋がっておらず殆どが独身の男女であり、余計な争いを生み出さない為に共同スペースでの役割分担がルールとして存在する。
私が大人数の料理を行っているのもその為だ―私以外だとあらゆる過程を経ても謎の黒い物体が生み出された。本当にあのときは悲劇だった。
そしてミルクが沸騰直前になると小麦粉をダマにならないようにゆっくりと入れ、かき混ぜながらしばらく熱し続ける。やがて、鍋を火からおろし、バター、塩等の適切な調味料で味付けを最小限行う。

少し薄目の味付けにした(そうでないと味付けが原因で争いが起きてしまう)お粥を私の分だけ取り、濃い味付けを好む口煩い連中の為に調味料を鍋の近くに置いてやる。
そして私は自分の部屋に戻り、落ち着いて朝食を食べるのだ。
やや青みがかったカラー映像のブラウン管テレビからは党書記長の発言が流される。
「党は人民に説明し、理解させ、協力を得なければならない。法令や政策は、ただ決定されるだけでは達成されず、実効性も存在しない。人々の主体的な協力があって初めてそれらは完遂される。」

ふとハイビジョンブラウン管テレビが欲しいなと私は思った。純粋な共産主義者ならばそれを小市民的として批判するだろう。革命の理念を持ち出し、私を断罪するだろう。しかし、もうこの祖国は1905年(革命の年)ではないのだ。平穏を人々は求めているのだ。
選挙と言うものは、日常生活に深く密着している政治を振り返り、そして将来を見るとても良い機会だ。尤も、私はただこの安定し不安定な日常が続けばそれでいい。
私は朝食を終えて、再び共同スペースに戻り皿を洗う。そしてしばらくした後に共同アパートを出ていった。

トロリーバスに乗り込み職場を目指す。バスの中には選挙に関するポスターがところ狭しと貼られており、その大半がこれまでの社会主義建設の成果を大々的に飾り立て、そして将来に渡る計画を述べている。象徴的で古びた陳腐なリアリズム芸術の手法によって書かれた投票率増加のポスターが嫌でも私の目にはいる。
2つほど停車場所を過ぎると流石に人が多くなり、人と人の間は僅か数cmもないほどになり、乗り降りだけでも大変になってしまう。私は投票時に公共交通機関の拡充か自家用車の製造開始を意見書に書こうと心に決めた。

私は郊外にある食糧加工工場に勤めている。一週間ほど前に上からの計画が降りてきて、先日私たちがまとめた計画修正案が認可されたところだ。そして原材料が搬入される。私は『良い生活の為に良い労働をする』と言う党の方針には賛成している。もしこれがかつてのような計画経済なのならば、原材料の搬入は遅々として進まず、それでありながら月末になると計画達成のための圧力が加えられる為だ。

私が着替え、朝礼を行う場所に行ってから数分後に朝礼が始まったが、それはいつもなら数分で終わり作業に入るが選挙期間である今日は異なっていた。特に今日は候補者による集会があった為に、特別に労働組合としての意思表示のための集会となっていた。
私はそこで率直に住宅や公共サービスの不足を訴えたし、その候補者が過去に職権乱用を行っていたことを指摘した。そして、他の多くの人も同じような意見を述べて集会は終わった。
それらの意見はこの後労働組合によって纏められ、選挙管理委員会に送付されるらしい。
私は候補者が変更されることを望みつつ作業を始めた。

やがて、作業が一段落すると昼を告げるベルがなり皆が食堂に向かい始める。私もそれに混じり、同僚と共に選挙について話ながら食堂に向かう。
みんな選挙について話している。何故なら、経済が多分に政治に影響を受け、密接に結び付いており、自発的に政治に関わることは自身の生活に直結するためだ。

食堂でスープ、マヨネーズが沢山かけられたサラダ、じゃがいもが添えられたメイン、ドリンクの四品からなるランチメニュー(国内どこでも同じ味)を取りながら、要望書に書く内容を同僚と煮詰めたり、腐敗について語っていると誰かが食堂に駆け込んで衝撃の一言を放った。

「共産党候補者が候補を取り下げ、労働組合選出の候補者が正式な候補になったぞ!!私達の要望が叶えられたぞ!!」

その一言は大きな波紋を生み出し、そして食堂には歓声が広がった。
それは、私達の要望が受け入れられた事と、正当な権利行使が党に認められたことに対する熱狂であった。
私達の祖国は私達が主人であると言う事が、これまでにないほどに感じられた為に起こった歓声だった。

後から知ったことだが、その共産党候補者は汚職の疑いでНАБから秘密調査されており、それらの影響で候補者から落とされたらしい。そして、その候補者を推薦した党組織も徹底的な調査を受けることになり、何人かの人々が社会主義的財産の横領の罪で刑務所に送られた。





翌日、私は投票所に赴いていた。投票所は6:00〜22:00まで開かれており、投票所に併設してカフェやレストラン、酒類を提供する飲食店等、様々な店が開かれている。選挙とはこの国にとってひとつの祝祭でもある。
それは共産党と私達の繋がりを確認し、これまでの社会主義建設の奮闘を振り返る祭り。一時代の終焉と新しい時代の始まりである。
投票するときには投票用紙を受け取り、仕切り板で仕切られた場所でその用紙に書き込む。投票用紙には候補者の名前が書かれており、その下に信任かどうかを問う欄が設けられている。それ以上の例えば自身の名前を書く欄等は存在しない。勿論、私は候補者を信任した。
これらの投票に関する規定は、金の文字で綴られた私達の私達のための憲法の第7章に記されている。(全ての勤労者代議員ソビエト、すなわち共和国最高ソビエト、地方、地区、市町村の各勤労者代議員ソビエトにおける代議員の選挙は、選挙人によって無記名投票により、普通、直接、平等の選挙に基づいて行われる。)

私は投票所から出た。青空が広がっていた。それはまるで祖国の行く先を祝福しているようで、その太陽の下で、共産党員も市民も関係なく酒を酌み交わし、朗らかに笑っている。
ああ、私はこれほどまでに自由に満ち、喜びと幸せに溢れる国を知らない。
この地球上で最も素晴らしい国こそが、私達が私達として生きていけるこの国が私達の祖国なのだ。

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