架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

 「そういえば、結局何年振りなんですか。カレッジに行くのは」
「そうね…あの事故が十四歳の夏休みだったから…大体、二年と九ヶ月ってところかしら」
 聖暦1992年4月25日早朝。私とステパンは、馬車で揺られながらそんな話をしていた。走っているのは、首都カルドニアの旧市街の通り。辺りに徐々に人の気配が現れ始める中を、ゆったりと馬車は進んでいく。
「それにしても、無事に復学届が受理されて良かったですね」
「まあ、きちんと課題はやっていたし…そもそも、カレッジは私の大学の付属校なのだから、流石に却下するわけにもいかないでしょ」
「確かに」
「間も無くカレッジの門に到着しますぞ」
 ステパンとゆるくお喋りをしている間に、馬車は目的地に到着してしまった。カルドニア郊外、都会の喧騒や悪所から遠く離れた、自然の静謐な気が満ちる場所、そこで私は馬車を降りた。
「どうぞ」
「うん」
 地面を踏んだ後、私は彼から紺色のブレザーを受け取って袖を通した。シワひとつない、クリーニング仕立てのそれは、妙に体にうまく合わない様な気がしてこそばゆい。それから、首元にはかつて彼がプレゼントしてくれた、青い石のポーラー・タイを締める。
「よくお似合いですよ」
「そう、よかった」
「はい、これお荷物です。門の先へはお供できませんから…」
「分かっているわ。ありがとう、ステンカ。…それじゃあ、行ってくるわね」
「はい」
 諸々の荷物が入った大きな旅行鞄を受け取り、私は前に振り返った。そこには、古めかしく、来る者を威圧する大きな構の門がある。片側に取り付けられた銘板には、こう刻まれていた。
『王立カルドニア大学附属コレジオ・グラン=カルロス』

 コレジオ・グラン=カルロスー通う生徒達は皆、「カレッジ」と呼んでいるーは、聖暦1480年に、私の遠い先祖にあたるヤン・イェレミノヴィチ・ヴィシニョヴィエツキ公爵によって創設された王立学院の流れを汲む、王立カルドニア大学附属の全寮制学校の一つだ。
 時の国王の名前を記念して設置されたこの学校は、俗に「ノエヴェ・グランデス」(ビッグ・ナイン)と呼ばれる九つの大学附属校の内最古のもので、なおかつ最高の名門として知られていた。
 卒業生の殆どはそのままカルドニア大学に進学し、議会議員、高級官僚、軍人、学者、経営者として王国のあらゆる面で重きを成す。正しく、上流階級を新たに、或いは再び生み出す為の教育機関だった。
 …それが証拠に、この学校の入学金や一年間の学費は、一般的な家庭の年間収入に匹敵するほど高額だ。それを六年間、自分自身の子弟の教育に惜しげもなくつぎ込めるという親は、そう多くはないだろう。
 そんなわけで、この学校の生徒の九割以上は富裕層の師弟だ。出自は様々、歴史ある貴族もいれば、急速に力を強めつつある新興財閥の総帥の子供もいる。十代続けて学校の卒業生だという生粋の名門出も居れば、やっとのことで入りおおせたという成金の子もいる。共通しているのは、いずれも皆親の持つ卓越した財力と権力により、ここに集められたということだ。ごくごく、僅かな例外を除いてー。

 校門をくぐった私は、高等科棟よりもまず先に、敷地内の南側へ向かって歩いた。鞄はひどく重たく、春先だというのに額に汗が浮かぶ。辺りには甘い花の香りを載せた風が吹き渡り、暖かな陽光が青空の上から地上を照らしている。
「…眩しい」
 一旦荷物を置いて、薄く色の入ったサングラスをかける。自分でも似合わないことは自覚しているが、これが無ければ外では危険だ。特にこれから、日差しの強くなる季節には。
 そしてまた、えっちらおっちら鞄を運ぶ。時折木陰に入って休みながら、私は一歩二歩、亀の歩みで進んでいった。そんな時、
「あっ!」
 ふと、向こうからやってくる人影が見えた。ジョギング中なのか、服装は体育で使うジャージだ。髪の色は見事な赤毛、ヘイゼルの瞳の煌めくその顔は、私のよく知っているものだった。
 そして、それは向こうも同じだ。彼女は私を見つけるや、ジョギングを中断して駆け寄ってきた。
「リュリス、お前、リュリスだろう!」
「アンナ、まさかこんなところで会えるなんて!」
 私とアンナは互いを強く抱きしめあった。随分長い期間離れての再会、嬉しさもひとしおだった。
 アンナ・カルデロスは、グラン=カルロス校に通う女子生徒の一人で、中等科時代の私の親友だった。ちょっとした縁からすぐに仲良くなった私たちは、時折街へ遊びに行き、或いは休みの時にはお互いの家に招き合った。
 彼女は数少ない中流家庭の出の少女だ。先程述べた、「僅かな例外」、即ち学費など諸々の費用を国が賄う特待生として、彼女はここに通っている。
 彼女の制服やジャージに縫い付けられた校章には、私には無い宝冠があしらわれている。これこそ、全学生の中で僅か六十人しか居ない、「女王陛下の学徒」の証だった。
「リュリス、ここに来たってことは、もしかして…」
「ええ。今日から復学するの。また宜しくね」
「やっぱり!嬉しいぜ、またお前と一緒だなんてよ!」
「今から寮に行って荷物を置いてくるわ。寮母さんに挨拶したら、高等科の教室でまた会いましょう」
「いや、アタシが荷物は持ってやるよ。リュリスはヒョロイからな、学年首席の黒ガウンも重たそうに引き摺ってたし」
「よしてよ。もう三年近く前の話なんて」
「まさか。アタシにとってはまだ一年と経ってないくらいの話さ…ところで、あの先輩は今どうしてるんだ?」
「ステンカのこと?」
「そうだよ。学校辞めちまってからは音沙汰も聞かねえからよ」
「…私のことに巻き込んでしまったの。今でも仲良くしてくれてるけど、そのことは申し訳ないと思っているわ」
「そうか……」
 アンナと歩いていると、短いとはいえ積み上げてきた学校での思い出が蘇る。あの時は何もかもが楽しくて、なんでもできるような気がしていた。一年度修了式で、学年首席のガウンを初めて着た時はその重さで思わずよろめいてしまったし、そのことで随分揶揄われた。
 休みの日になると、高等科に通っていたステパンと、アンナと三人で出かけて、博物館や美術館、遊園地で日が暮れるまで遊んだ。
 今にして思い出せば、余りにも遠く懐かしい日々だ。…もう二度と、戻ってきてはくれないけれど。
「おし、到着だ。まだ変わらず相部屋だぜ。黒ガウンも、きちんと洗濯してかけてある」
「ありがとう。高等科の二年間も同じで嬉しいわ」
「アタシは気に入った巣からは絶対に出ねえからな。ナワバリは絶対に渡さねえのさ。それよりもお前は、最初の定期試験を楽しみにしとくんだな。今まで答案だけ送りつけて済ましてたお前から、金ボタンを剥ぎ取ってやるよ」
「…期待しているわ」
 私達は数あるカレッジの寄宿舎の一つ、ローズベリー寮の敷地に入った。庭の小道を抜けて、古い石造の寮の三階の角部屋に登る。アンナが鍵を開けると、中の部屋は私が出て行った時そのままに残っていた。
 二つのデスクとベッドが対称になるように置かれ、梁には服を引っ掛ける為のフックが付けられている。部屋の隅には本棚や私物を置く為の箪笥が並んでいて、それぞれの個性に応じて様々なもので飾られていた。正面の壁の真ん中には大きな窓が開いていて、そこから朝日が差し込んでいる。
「相変わらず変わっていないのね。物が殆ど無いわ」
「ま、持ってても仕方ねえからな。ウチ貧乏だからさ、おいそれとは買えねえんだ。図書館に行けばタダだし」
「入学した時にも聞いたわ、それ。『ダダだから』って、食堂の残りを貰って食べてたこともあったわね」
「結局食い切れずに、ステパン先輩になんとかして貰ってたな」
「他の子達はどうしているの?」
「みんなそれぞれうまくやってるらしいぜ。先輩方も卒業して…あっ!」
「な、なに!?」
「学校新聞にリュリスが出てたの思い出した!」
 新聞、という言葉を聞いて私の中に嫌な予感が走った。恐らく、いや間違いなく例のことだろう。
 アンナは引き出しの中から折り畳まれた学校新聞を取り出した。生徒会の広報委員会が隔週で発行しているもので、取材・編集から印刷と配達まで殆ど生徒の手で行われている。そして、その一面にはデカデカとこう書かれていた。
『リュリス公爵、舞踏会で皇帝とダンス!』
 その下には、真っ白なドレスを着てデニエスタのルドルフ皇帝と踊る私の写真が掲載されている。
「これ、一昨日出たばっかなんだけどさ、校内まだこれで持ちきりだぜ。しかも、リュリスが復学するって噂が広がったし…」
「勘弁してぇ…それ、領地でも散々言われて恥ずかしいの…」
 今更ながら私は、ベルナー・オーパンバルの一件で私の顔と名前が王国全土に報道されてしまったことを思い出し、恥ずかしさで身悶えした。もとより貴族はその一挙手一投足がゴシップの良いネタになるというのに、その上王国最大の貴族の令嬢が、隣国の皇帝と舞踏会でダンスまでやったのだ。マスコミが食いつかないはずはない。
 屋敷に戻ってみると、あちこちの新聞社やテレビ局から取材の依頼が殺到していて、それらを捌くイヴァンや公室管理評議会の人たちは過労死寸前だった。
 折角だからと思って、ごく小さい扱いにすることを条件に受けた地元メディアの取材では、案の定翌日の一面、トップニュースとなってしまい、気が早い仕立て屋からは、花嫁衣装の準備を引き受けると直々の訪問までされた。
 その上、上流階級の子女で溢れかえるこの学校でも噂になっているというのなら…。
「やっぱり復学やめようかしら」
「え!なんでだよ!」
「アンナまでその話をする様になったらいよいよお仕舞いと思ったからよ。ほんと勘弁してほしいわ…」
「…なんか大変だったんだな」
「本当よ。父さんが生きてた頃はゴシップから守ってもらえてたけれど、今は私が当主でしょ?むしろ矢面に立たなきゃいけないもの」
「ははぁ…おっと、いけねえ。シャワー浴びてこないと。戻ったら着替えて教室に行こうぜ」
「分かったわ。その間に寮母さんにご挨拶してくる」
「おばさんは話がなげえから気を付けなよ!」

 それから少し経って。私は同じ紺のブレザーにライトグレーのプリーツスカートの制服に身を包んだアンナと合流し、高等科の校舎に向かった。
 「伝統の割に現代的過ぎる」と評される、現在のカレッジの制服は、過去に何度か改定された結果決まったものだ。創立当初に規定された制服、(つまりはイェスパッシャンで最古の制服)は、教会の修道士をモチーフとしたブルーのロングコートに、明るい黄色の長ズボンという現代からすれば奇異なもの(これは当時紺色と黄色の染料が最も安かったからと言われる)であり、その後流行の変化や男女共学化などの動きに合わせて幾度かの改定が行われ、二十世紀初頭に現在のブレザー型に収束した。
 とはいえ、過去の伝統が完全に死滅した訳ではなく、入学式や卒業式において生徒は初代の制服を着用するほか、成績優秀な生徒は校長から特別なガウンを授与されたり、日常のブレザーのボタンを金色または銀色にすることができる、などの習慣が今でも残っている。
 これらの古い慣習は過去に何度かメディアに取り上げられ、王国の上流階級の象徴として扱われているのだ。まあ、閑話休題(それはさておいて)。
 広い敷地内を歩いていると、ちらほらと他の生徒達の姿が見え始める。内ポケットの懐中時計を確認すると、間も無く始業ベルの鳴る時間だとわかった。なるほど、この時間ならば確かに皆寮を出て校舎に行かなくてはまずいだろう。だが…
「アンナ、なんかやたら周りから視線を感じるんだけど」
「そりゃあな。だってお前髪の色で目立つから」
「やっぱり…」
「でも、無理に髪は染めない方がいいぞ。禿げるから」
「はっきり言うのね。何処かの気に入らない歳上の男を思い出すわ」
「嘘つけ。一番のお気に入り、だろ」
「なあっ…!」
 この辺り、アンナはステパンよりずっと無遠慮で大胆だ。思えば、初対面の時から彼女は私に対してこうだった気がする。公爵令嬢だと自己紹介すれば、大体の人間は萎縮して慇懃になるが、彼女は違う。無遠慮ながら一応家臣としての分を守って、二人きり以外では敬語を使うステパンと違って、彼女は私を完全に同格の存在と見ているのだ。だからこそ、言いたいことは言うし敬語も使わない。気楽な下町言葉で喋る。
「お、お気に入りってそんな…」
「…先輩といる時、お前はいつも笑顔だったよ。ちょっと悔しくなるくらいな」
「悔しく?」
「なーんて。まあ、あれだ。折角学校に来たんだからよ、前みたいに楽しくやろうぜ。高等科の部活動勧誘も始まってるし、一緒に見に行くとかよ」
「え、ええ。いいけど…」
 高等科校舎ー今から百年ほど前に建てられた古典様式の建物と、最近建て替えられた最新研究棟が繋がっているチグハグな建物ーに入り、三階まで階段を上がる。古い建物の割には電気や空調はそれなりに整っていて、中等科に比べれば決して不快ではない。(何しろ、中等科の建物はカルドニア指折りの歴史的建造物の為、冬と夏は「非常に」過ごしづらかった)
 アンナに連れられて教室に入ると彼女が大きな声で、
「おはようございまーす!」
 と叫んだ。教室中の視線がこちらに向き、沈黙の帷が降りる。普段ならば、あちこちから曖昧におはよう、の声が上がって再び喧騒が戻るだろう。
 しかし、今日は戻らなかった。アンナに向けられた視線が、程なくして私の方に集まってくるのを感じる。何かを探るような、正解を導き出そうとするような視線。私が一番嫌いで、一番怖い視線だ。すると、一人黒髪の女の子が立ち上がって、
「あの、あなたがヴィシニョヴィエツキさん?」
「え、ええ」
「初めまして。私、マリア・アンドラーデ・イ・オマーニャ。このクラスの学級委員をしているわ。気安くマリアと呼んでね」
「宜しくお願いするわ。お父君はお元気?」
「ありがとう。アンドラーデ伯は息災よ。また次の宮廷晩餐会で会える日を楽しみにしてるって」
「お父君にも宜しく」
「あなたの席はあちら、窓際の前の方の席よ。外の光が眩しくて辛い時は自分でカーテンを閉めてね」
「分かった」
 ごく簡単な儀礼的なやりとりを終わらせて、私達は自分の席に向かった。幸いアンナは私のすぐ隣の席で、一人ぼっちで授業を受けなくても済むことに安堵した。後で聞いたところでは、「意地で籤引きを制した」らしい。
 そして、またしばらく経って、始業のベルが鳴る頃には教室は生徒で満たされていた。しかし、雰囲気は相変わらずで、おしゃべりをする中にもどこか私を遠巻きに観察する雰囲気がある。
「リュリス」
「らしくないわよアンナ。この程度で動揺してちゃ公爵なんてやってられないわ」
「…わかったよ」
「はい皆さん、席につきなさい」
 教室の前の扉から担任の教員が入ってくる。若々しい男の担任だ。その様子はどこかステパンを彷彿とさせるが、やはり歳と仕事を重ねた分大人びて見える。
「では朝礼を始めます。まずは本日の予定を確認する…その前に。今日から新しいクラスメイトが皆さんの仲間に加わります。リュリス・ヴィシニョヴィエツキさん、立って自己紹介を」
「はい」
 やはり来た。この日の為に散々練習を重ねてきたのだ。やってやる、と私は気概を胸の中で滾らせた。
 …あの日、父さんと母さんの柩の前で弔辞を読んで以来、私は人前が苦手だ。目の前に置かれた冷たいふたつの柩、その中に横たわるのはかつて私を愛してくれて、温かい愛をくれた人たちだったもの。そして、後ろから突き刺さるのは、私の指の動きまで観察してやろうという、鋭い針の視線。
 あの日の冷たさと痛みの記憶は、今でも私をゾッとさせる。だが、私は決めた。もうこれまでとは訣別してやると。ゆりかごの中で泣く時間は、あのベルンの夜で終わりだ。前へと踏み出してやる。そんな、殺意さえ心中に湛えて、私は口を開いた。
「リュリス・ヴィシニョヴィエツキ公爵です。ソルターヌィ県から参りました。第二学年の夏から休学していましたが、この度復学いたします。以後お見知りおかれまして、宜しくお願い致します」
 一つの淀みもなく言葉を紡ぐ。視線は凛として前から逸らさず、眩しさの裏にクラスメイト達の表情ひとつひとつに相対する。遂にやってやった。私は、自分の勇気によって、恐怖に打ち勝ったのだ。…ところが、それは少し行き過ぎてしまった様で、思わぬ方向に私の背中を突き飛ばし、よろめかせた。
「宜しくお願いしますね、リュリスさん。ところで、マリアさん」
「はい、先生」
「リュリスさんをクラスのグループチャットに招待してあげてくれませんか?」
「分かりました。…リュリスさん」
「はい」
「スマートフォンを出してもらえますか?」
「…スマートフォンって、何でしょうか?」
 空気が変わった。ざわめきが草むらを吹く風の様に教室の隅々に行き渡る。単に純粋な疑問を口にしたに過ぎない筈なのに、これはどういうことだろうと、その時私は訝しんだ。
「え…りゅ、リュリスさん、あなた、スマートフォンを知らないんですか?」
「ええと…その、あれですよね、白い板みたいなやつで、イヤホンをつけて音楽を聴くやつ…」
 確かステパンが持っていた物と、同型のものがあるはずだ。彼が少し前の誕生日にプレゼントしてくれたもの。
 ポケットを探り、取り出す。
「これですか?」
「…リュリスさん、それは…デジタル音楽プレイヤーです。しかも、ちょっと型の古いやつ」
「えぇ!?」
「まさか、リュリスさんスマホを持ってない…?」
「えぇ…今時この歳なら…」
 あれ、どういうこと?スマホ、スマホって何?後グループチャットって何?長い間領地に引きこもっていたことと、父母の家庭の教育方針のせいで私は全く気がつけていなかった。…自分が、とてつもない「デジタル音痴」であることに。
「お、おいリュリス!お前、ステパン先輩から何かもらってないか!」
「え、す、ステンカから?」
「ほら、こんなん!」
「ええと、ええと…あ、あった!」
 必死の思いで内ポケットを探ると、確かにそれらしき物があった。同時に、ステパンが別れ際に言っていたことを思い出す。
「これの使い方は覚えていますか?」
 …それに何と返事をしたっけ、私。
「とりあえず電源入れろ!」
「え、えぇ…!ええと、ここかしら!」
 とりあえず脇のボタンをぽちぽち押すと、画面が白くなり、「GOKIA」とロゴが浮かんでくる。これがキッカケになり、段々と思い出してきた。
 そういえば、父が亡くなる前、高等科になれば持たせてもいいと母と話し合っていた気がするし、復学前にイヴァンが持つ様にしなければと話をしにきていたはずだ。ただ、イヴァンが来た時は忙しかったから適当にみんな任せて処理をさせた。
 それで、漸く復学前日になって本体が届いて、ステパンから簡単なレクチャーをすると言われたけど、準備に追われて断って…ああ、私のバカ!!
「よし、それでいい…って、初期設定もまだかよ!」
「だって、これ触ったこと無いんだもの!」
「嘘だろ!?この現代社会で!?」
「ヴィラヌフ宮殿には電波が入らないのよ!」
 カオスだった。とにかく混乱する頭で、言われた通りの「グループチャット」の為のアプリケーションをインストールする。そして、そこで自動生成されたQRコードなる奇怪な模様をマリアの方に出すと、彼女はそれを読み取って、招待メッセージを送ってきた。
「これを受け入れるってタップして」
「は、はい…これでいいの?」
「ええ。試しに何か送ってみて」
 タイプライターの様なキーボードをぽちぽちと指で叩き、「よろしくお願いします」、とメッセージを送る。すると、
「わ、わわわっ!」
「危ねえ!」
 スマホが振動し、ポポポンとメッセージが次々飛んでくる。危うく取り落とすところだった。
「こ、これがグループチャット…」
「ったく危なっかしいな。幾ら地方にいても、スマホも知らねえって余程だぜ」
「父と母が電子機械嫌いで…私の目の前でそういうのを使いたがらなかったの」
「中等科でも持ってる奴はいただろ」
「みんな『携帯』、『携帯電話』としか言わなかったし…電話の延長線か何かかと。それに、どっちみち領地はろくに電波入らないから…」
「マジかよ…」
 そんなやりとりをしていると、先生が言った。
「ありがとうリュリスさん。とりあえず席に戻りなさい、休み時間にスマホの使い方は聞いてみてね」
「は、はい…」
「それでは、本日の予定を…」
 結局、それで朝礼は終わってしまった。アレの騒ぎは何だったんだろう、と不思議に思いながら、私は授業の支度を始める。すると、
「ねえ、リュリスさん」
「な、何?」
 振り向いてみると、そこには初対面の生徒が三人居並んでいた。男二人に女一人、不思議な組み合わせだった。女子は明るい茶髪で、くりくりとした大きい目がモルモットを連想させる。男子の方は、片方が特徴的なニット帽を被って制服を着崩していて、もう片方は黒髪を後ろに撫で付け、服装もキッチリとしている。
「リュリスさんって、もしかして電子機器全般ダメな人?」
「…お父さんがそういうの好きじゃなかったから、家にはゲームとか、私の触れる電子機器って殆ど無くて…そういえばテレビも無かった様な」
「ご実家だと…」
「実家はそもそも田舎すぎて電波がろくに来ないから、電子機器そのものが殆ど使えなかったわ」
「す、凄いわね…」
「こんな人この時代にいるんだな…」
「情報時代って嘘だったのか?」
「ええと、それで…何か用事?」
「う、ううん!大事なことは特に無いんだけど…その、よかったら、スマホの使い方とか教えてあげたいなーなんて」
「え?」
 どういうことだろう。うまく頭の処理が追いつかない。
「そ、それはどういう…」
「言葉通りの意味さ。何せ、これからスマホ使えないと相当苦労するよ」
「遊びの約束とかみんなチャットやメールだもんねぇ」
「それに、スマホっていろんなこともできるから…覚えておいて損は無いってどしたの!?」
「え…あ…」
 一気に張り詰めた緊張の糸が解けたせいか、私の両の瞳からは熱い涙がこぼれていた。ああ、漸く見つけた、やっぱりいたんだ、「彼の様な人」が…。
「ごめんなさい、その、領地だとこんな風に接してくれる人が殆ど居なくて…」
「リュリスよかったじゃねえか。アタシ以外にも友達ができてさ」
「とも…だち?」
「そう!私達、もうリュリスちゃんの友達だよ!」
 そう言って三人は胸を張り、それぞれ自己紹介した。
「私はフランシスカ!フランシスカ・エリーチェ・デ・イルホ!」
「…俺はマルティネス。マルティネス・アリアーガ。ニット帽は自作だ」
「僕はフェルナンド。フェルナンド・ラ・カルサーダだよ」
 …私の無知という弱点は、不思議な方向への新しい扉を開いた。もしステパンが聞いたら何と言ってくれるかな。
「リュリス・ヴィシニョヴィエツキ。皆気安くリュリスと呼んで。これから…どうぞ宜しく」
 

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