架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

 聖暦一九九二年の五月は、例年よりも涼しめの気温で幕を開けた。この頃になると、咲き誇った花も次々と散り、木々は緑色の装いに衣替えをする。気温は日中二十度前後まで上がり、状況暑いと感じる日も増えてくる。
 が、今年の五月は少々例外のようで、その半ばに至ってもまだ気温は四月の水準を大きく超えることはなく、十五度から十八度程度で停滞していた。また、いわゆる五月晴れという爽やかな青空の姿もあまり見られず、時折雨を降らせるどんよりとした雲がカルドニアの空を覆い、人々は少々気落ちした雰囲気で日常を送っていた。
 アルビノの私ににとっては、こうした気候はむしろ過ごしやすいから、是非とも一年中このくらいになって欲しい、というのはわがままだろう。アンナの様に、熱気を好む人もこの国には少なくはないのだから。
 そんな日のこと。いつもの通り寮で課題に取り組み、夕食と入浴を終えて寝る時刻の直前、ふと私のスマートフォンが鳴った。
「どうしたのステンカ」
「今期の議会の召集日が決まりました。五月の十五日に、円卓議会議事堂にて開会式を行うそうです」
「分かったわ。登院の為に準備をしろってことね?」
「はい。特に、来年からお嬢様は本格的に議員として活動する訳ですから、今年は他の議員との挨拶回りも兼ねて、しっかり出て頂きたいと」
「勿論。貴族の義務は果たすつもりよ。公欠届を出しておくわ」
「はい。よろしくお願いします。それでは、おやすみなさい」
「おやすみ、ステンカ」
 簡単に用件を聞き取って電話を切ると、ベッドに寝そべりながら本を読んでいたアンナが話しかけてきた。
「議会に行かなきゃいけねえのか」
「うん。これでも貴族院議員だから」
「すげえなあ、十六歳、今年で十七歳の議員か」
「多分そのコメント、私が十四歳の時から言っていたでしょ?」
 バレたか、と苦笑いして彼女はベッドの中に引っ込んだ。私はそちらから視線を外すと、生徒部に公欠予定のメールを書く。これを書いておくとスムーズに公欠の手続きが進むのだ。
「来年から公爵議員か…」
 襲爵した日には想像もつかぬほど遠い日だと思っていた、十八歳の誕生日が刻一刻と近づいている。その日から私は一人前の貴族として、歴史ある家門の舵取りを一手に担うことになる。少なくとも、これから先死ぬまでの何十年もの間、公爵として、議員として、経営者として…とにかく様々な義務を背負い、歩いていかなくてはならない。
「どうなるかしらね、本当に…」
 自分自身もベッドに入り、天井を見上げながら考えた。公爵閣下、という名前に相応しい人間には、きっとまだ成り切れていない。

 五月十五日当日。公欠届と外泊届を提出した私は、前日にユージェニー宮殿に一度戻ると、登院に必要な諸々の支度に追われた。基本的に、服装は学生のためカレッジの制服をそのまま着ていけばいいのだが、歴史ある王立円卓議会では他にも様々な慣習があり、それを踏み外すことは議員としての自身の品格を貶めることになってしまう。貴族院ならば尚更だ。
「ローブのサイズはこれで大丈夫かしら」
「大丈夫ですよ。襲爵の時に、ある程度余裕を持たせて仕立ててもらいましたから」
「紋章の糸がほつれてないといいけれど」
「一応仕立て屋に出して、気になるところは修理してもらっていますが…正直な話、殆ど着ませんよね?」
「まぁね。カレッジの式典用制服とおんなじ。こんな物と重たい儀礼用の剣を引きずって登院する貴族なんかいないわ」
 適当に鏡の前でポーズを取ったり、くるりと回ったりした後、私は真っ赤な貴族のローブを脱いだ。はっきり言えば、左胸の勲章も外してしまいたいがこればかりは付け直すのが面倒なのでそのままだ。
「…何よ、そんな意味ありげにじろじろ見つめてきて」
「いえいえ…ただ、貴族の正装をしているお嬢様は、とてもよくお似合いですよ」
「…揶揄わないでステンカ…でも、ありがとう」
 ステパンはにっこりと笑みを浮かべながら、私を馬車へ導いた。彼はローブを収めた小さな鞄を持って、いつもの通り差し向かいに座る。
「一人で着れますか?」
「毎年毎年それを聞くのね。大丈夫よ、向こうにもきちんと控室はあるし、テレビカメラが入るのはもう少し後の予定だから」
「ならよかったです」
 馬車はそのままカルドニア中央にある、円卓議会の議事堂へと向かう。古めかしい白亜の建物、正門に面したファザードの中央には、ソティル教の神話をモチーフにした彫刻がされたペディメントがあり、それを二階バルコニーから伸びる五つの柱が支えている。
 その下には、さらにバルコニーを支える柱が伸び、薄暗い向こう側に三つの扉が見える。そこから議事堂に入り、まっすぐ進めば円卓議会の本会議場だ。
「裏手の方に回りますよ」
「わかってる。庶民院議員の登院は邪魔できないわ」
 正面の混雑を避けて馬車は裏手の方に回り、私達はそこから議事堂の建物に入った。
 議事堂の建物に入った後、私とステパンはまずカーペットの敷かれた階段を三階まで上がる。三階には貴族院に所属する議員達のための控室が並んでおり、議会の開会式が始まるまではそこで過ごすのだ。(尤も、最近は議員定数の増加に伴って、与党の大臣や、一部の古株議員を除いた大部分の議員は、近くに新しく建てられた議員センターに執務室を持っている)
「一年振りとはいえ、やっぱり埃っぽいわね」
「そりゃ議事堂そのものが古いですから」
 「ヴィシニョヴィエフ公爵」と刻まれたプレートの掲げられた扉を開けて控え室に入ると、古い建物特有の埃っぽさとカビ臭さが私の鼻をついた。一応機会あるごとに掃除や備品の整理が行われてはいるのだが、それでも建物そのものの古さのせいで実効を上げているとは言い難い。
「議員センターには移らないんですか?」
「まあ、そっちの方が過ごしやすいし、広いのはわかるんだけど…今のうちはいいかしら」
「でも、本格的に議員の活動をやりたいのなら、移転した方がいいですよ。他の公爵議員みたいに、籍だけ置いてろくに登院しない、みたいな立場に甘んじるつもりはないんでしょう?」
「まあね」
 議員センターの竣工に伴って、多くの議員達は自分の控室をそちらに移していった。ここに残ったのは、昔から議会に勤めていて、議事堂に愛着を持つ老年の古株議員か、内閣控室に行かなければならない大臣や政務官クラスの議員、そして他の生業が忙しく殆ど登院しない、公侯爵議員達だ。
 議会法の規定では、公爵または侯爵となる上級世襲貴族は、襲爵と同時に貴族院に議席を持つと定められてはいるが、他の議員達と違って議員歳費の支給は無く、登院に伴うわずかな手当と政務調査費を受け取れるくらいだ。
「先代の公爵様もよく他の貴族から言われていましたね、『タダ働きを喜んでやる変な人』だと」
「確かに。お父様は会議のある日は殆ど議会にいて、むしろそれ以外の仕事はあまりやらなかった…」
 しかし、私の父はそんな公爵議員の中では異色の存在で、殆ど何の旨味も無い議員の仕事を精力的に務めていた。本会議だけでなく、委員会にもしっかりと出席し、他の一代貴族達にも劣らない議論を展開した。また、地元でも政治活動に関与し、町おこし事業やインフラ投資政策の提案など、地方開発分野の第一人者として名を馳せた。
「新聞で散々こき下ろされたわね…『公爵が政治をやるなど前時代的だ』って…」
 でも、私はそんな父に憧れていた。見返りの殆ど無い仕事でも、与えられた義務として果たそうと努力するその姿を尊敬していた。だからこそ、私は今ここに来ている。少なくとも義務ではなく、父の後継者であろうという自分の意思で。
「ステンカ」
「はい」
「私が議員としてきちんと仕事をするようになったら…」
「はい」
「私の公設秘書をやってもらおうかしら」
「…考えておきます」
「そこは躊躇いなく応えなさいよ」
 笑いながら、私は仕事机の埃を拭き取って窓を開けた。外の曇り空からは、少し冷たい風が中に吹き込んでくる。議会の開会まで、あと一時間ほどの頃だった。

 一時間後。議会内のアナウンスが起動し、貴族院議員は第一委員会室に集合するようにとの指示が飛ぶ。開会式が間も無く始まるのだ。
「それじゃあ、行ってくるわね」
「はい、頑張ってきてください!」
 ステパンと一旦別れると、私はローブを羽織ったまま廊下を歩き、第一委員会室に入った。そこは本会議場とは別に設けられた部屋で、普段は法案の集中的な審議のために各種の委員会が使用する。
 形としては正面に委員長席、そこから両側に三列ほど赤い布張りのロングベンチが階段上に配置され、中央に書記官席と演台が置かれている。
 この部屋には全ての議員が入って座れるほどの広さがあり、本会議場が使えない時の臨時会議場、及び開会式の際の共同控室として使われると規定されていた。
 私は扉から中に入り、入り口から見て右側(つまり議長席からは左側)のベンチに腰掛けた。別に何か意図があったわけではない、単に向こう側のベンチが既に混み合っていたから、こちらに座っただけのことだ。決して、貴族でありながら社会主義者や共産主義者にシンパシーを覚えていたとか、野党を支持する旨を宣言したつもりは無い。
「隣失礼します」
「……どうぞ」
 が、瞬間私はその選択を後悔した。何故ならば、隣に座っていたのが筋金入りの革新議員である、イグレシアス議員だったからだ。彼は今年で七十一歳、初当選してからおよそ五十年間議員を務め、その間苛烈な舌鋒で保守派や富裕層を攻撃することで有名だった。
 永年勤続議員として貴族院に列した後もそれは相変わらずで、議長から見て左側の議席最前列に陣取って、ウィットに富んだ鋭い野次をいつも飛ばしている。
 私はこの爺さんが苦手だった。というより、九割九分の貴族は彼のことを忌み嫌わないまでも煙たく思うはずだ。何しろ彼は、長きにわたって世襲貴族の存在そのものを攻撃し、ことあるごとに廃止を主張した。父の、いや、祖父の代からヴィシニョヴィエツキ家は彼の批判の良い題材になっている。
「(普段は一番前なのに今日は一番後ろだなんて…!そう言えば、前のアーデルビュー事件の時この人生き生きしてたなぁ…)」
「…時にヴィシニョヴィエツキ公」
「は、はい?」
「例の事件の時は、災難でしたな。あの後何かと大変だったでしょう」
「え、ええ、まあ…」
「全く、酷い話だ。仮にも貴族だなんだと名乗るのならば、今少し居住まいを正して暮らすべきだ。そうは思われんかな」
「も、もちろんです」
「その点、あなたはご立派だ。同胞の不名誉を自分自身で償う、自浄作用の理想とも言うべきだ。あえてこう申し上げよう、『よくやった』と」
「はっ…」
 あれ、今私もしかして褒められたのか?と思ってみたが、その後彼はまたむすくれた顔で前を見たきり押し黙ってしまい、一言も口を開くことは無かった。
 そして、そのまま時間は流れ遂に議会の開会の時刻がやってくる。委員長席には議長が着席し、ホールは議員達のざわざわとした呟き声に満たされた。すると、
「式部卿、入来!」
 耳を圧する大声が響き渡る。そこから数瞬置いて扉が開き、燕尾服で正装した一人の初老の男性が律動的な足音を響かせて入ってきた。彼は本来内閣の一員で普段は大臣をしているが、今日限りは名誉官職として「式部卿」と呼ばれる役職を務める。その役割は、女王の命令を議員達に伝えて議場に召喚することだ。
「議長閣下、女王陛下はこの名誉ある貴族院に対し…円卓議会本会議場にいらっしゃる陛下のもとに、直ちにいらっしゃる様にご命令されました」
 そう彼が言い終わり、議長が立ち上がると、
「財務大臣はパーティーの途中か!」
 とイグレシアス老が大声で野次を飛ばした。すると、私の方のベンチだけでなく、議場全体が爆笑に包まれる。
「(やはり鋭い野次、この辺は見習いたいわね)」
 これはイェスパッシャン議会ではもはや名物と化したような物で、彼は庶民院時代から開会式の際に時事ネタをもとにした、痛烈な野次を飛ばすことで知られていた。
 今日のネタは、アーデルビュー伯のパーティーに息子共々出席し、盛んに媚を売っていた結果罷免が確実視されている財務大臣閣下のことだ。私を含め全ての議員はそれを承知しているから、野党系の議員は抱腹絶倒、それ以外の議員も苦笑いするしかない。
 そんなわけで、恒例行事を終えた私達は列を成して本会議場へと向かった。私はちょっとした優しさで隣の老人が立つのを手伝おうとしたが、すげなくあしらわれて、悄然と列に加わった。
 ところで、この国の議会ー正式名称は王立円卓議会というが、その形は世界に類を見ない面白い形をしている。というのも、二つの議場の本会議場が同じホールにあり、中心に円卓を置いて、それを囲むように向かい合わせになっているのだ。
 もう少し詳しく説明すると、議場ホールの中心には四つの椅子が置かれた円卓が据えられ、それを囲むように庶民院と貴族院の議長席がある。そして、更に外周に何段にも分けて半円状に両院の議席が設置されており、併せて壮大な「円卓」を構成している。中央の円卓に置かれた四つの椅子は、それぞれ国王、貴族、庶民、聖職者を象徴しており、開会式ではそれぞれの代表と本人が実際に着座することになる。
「よっしょっと…」
「おや、お久しぶりですな公爵閣下」
「お久しぶりです、ベラグア公」
 一応この議場ではきっちりと席が決まっており、所定の場所に座らなければ叱責を受ける。私をはじめとした公爵議員の席は、中央の縁台からは離れた一、二段目の最左翼、(議長席から見ると最右翼)に固まっている。自分の名札をしっかりと確認して着席すると、後は少しの間待つだけだ。掛け声に合わせて立ったり座ったりするだけで良い。
「イェスパッシャン王冠入場!」
 議員の着席を確認すると議場の扉が開き、式部卿に運ばれてイェスパッシャン王国の王冠が運ばれてくる。華やかに装飾された王冠は、王国を治める偉大な権力と、天上の神に祝福された王国の聖性を象徴している。余分な理屈を省いて言えば、それが円卓に据えられるということは、「王国そのものがそこにある」ということを表すのだそうだ。
 そして、円卓の中心に王冠が据えられたのを合図として、庶民院と貴族院の議長と貴族院側に座っていたカルドニア大司教が立ち上がり、中心の円卓に着く。この時、庶民院の議長はもう一つ空いた玉座から見て左側に、貴族院の議長は右側に、そして大司教はその対面に座ることがしきたりだ。
 三人が座ると、式部卿から合図が送られ、再び堂々たる大声がホールに響き渡った。
「全員起立!!女王陛下のご入来!」
 来た。私達をはじめとした議員は皆総立ちになり、それと同時にラッパの音が鳴り響く。そして…
「女王陛下です!」
 護衛兵を先導とし、背後には王家に仕える少年たちに長いローブの裾を持たせた、白いドレス姿の女王ーネロギール陛下が現れた。彼女はゆったりと円卓に据えられた玉座に向かい、優雅な仕草でそこに座る。そして、
「親愛なる、庶民院の議員の皆さん、貴族院の諸侯の皆さん、どうぞ御着席を」
 この玉音下賜によって、ようやく全ての議員が席に座る。次いで陛下は、内閣が起草した施政方針演説を開き、全ての議員に対して読み聞かせ、以て今期の円卓議会の招集を宣言する。
「……以上、これを以て、王立円卓議会招集の宣言とする」
 時間にして数分前後だろうか。陛下は鈴の転がるような美しい声で、緩やかにお言葉を述べられた。やはり流石だ、僅かな人間しか知らないあの「裏の顔」を除けば、陛下は若いながらも王者として申し分ない天稟を備えていると言える。
 そして、陛下が再び優美な立ち姿で議場を後にするのを、議員一同再度起立して見送る。これで開会式そのものは終了だ。議長の指示に従って、各々再び例の委員会室へと戻る。
 委員会室に戻ると、私は今度は左側のベンチに座った。こちらは保守派…現在の与党系勢力が主に座る場所だ。今度隣になったのは、学者として長くキャリアを積んだ後に一代貴族として議員に選ばれた好々爺で、孫を見つけたような気分なのか、あれこれと話しかけてきた。
「実はですな、今の政府は科学にもっと投資をすべきと…」
 教養が深く、その上性格が優しいので決して不快ではない。が、少々話が長いのが彼の欠点だった。お陰で委員会が始まるまで退屈はしなかったが、ゆったりと休むことはできなかった。
「えぇ、皆さん。それではこれから、今後の議事運営に関する全院委員会(文字通り全ての議員で構成される委員会。欠席者の多い貴族院では、議案の殆どは全院委員会で審議される)を開始します。まずは、議事日程について議事運営委員長より説明があります」
 来期退任となる老議長が宣言すると、ベンチから一人の初老の男性が立ち上がって演台に着いた。
「それではこれより、議事運営の日程につきましてご説明を申し上げます…」
 開会式の後に行われるこの全院委員会は多分に慣例的なもので、単に今後の議事日程について、あらかじめ各議員に対して配布されたペーパーの内容を口頭で説明し、場合によって議員からの質問を受け付けるという位のものだ。基本的にこれらの日程は各政党の国会対策委員長の話し合いを基に、先の会期末に開かれる両院の議事運営委員会で案が作られており、開会式後の全院委員会ではそれを説明するだけで、特に修正の余地は無い。
 では何故こんな無駄な会議が開かれるのかと言えば、一応これにも理由は存在している。この少し後で、私はそれを理解することになった。
「…以上です、議長」
「ありがとうございました、委員長。それでは続きまして…本議院より、伝達事項を申し上げます。リュリス・ヴィシニョヴィエツキ公爵議員!」
「はい」
「貴女はまだ、十八歳にはなっていませんね?」
「はい」
「では、本年度も議会法の規定に基づき、登院及び、議員の職権を停止する処置を取ります。毎年の慣例で申し上げていますが、これは懲罰ではありません、宜しいですね?」
「理解しております、議長」
「大変結構…それにしても、初めて顔を合わせた時から、随分と大きくなられましたな。来年度、私は退任することになりますが、貴女は成年に達し、正式に議員としての生活をスタートできます。同僚として貴女と共に働ける日を楽しみにしていますよ」
「はい、ありがとうございます」
 これもお決まりの儀礼の一つだ。というのも、この国の法律では、先に述べた通り公爵と侯爵は襲爵と同時に自動的に貴族院に列する。しかし、時折私のようになんらかの事故で若すぎる議員が誕生してしまうこともある。そこで、その下にこのような規定が付属しているのだ。
「但し、本条により貴族院議員に列する者が未だ成年に至らざる場合、及び心身の故障により、職務の遂行が著しく困難であると認められる時は、その会期中の登院義務、並びに職権を停止する…但し、当該議員が成年に達した時、または心身の故障より充分に恢復したと認められる時は、直ちにこれを解除しなくてはならない」
 この規定により、まだ十六歳である私は、委員会の許可がなければそもそもとして議会に登院することができない。国王臨席の下行われ、会期の始まりを告げる開会式の日のみは、全ての議員を集めるためにこの停止は解除されるが、その後の委員会で再び通達される。決して処罰ではなく、私が成長するまでの経過的な措置なのは皆重々承知してはいるが、全員の前で登院停止を高らかに宣言されるのはあまり気持ちの良いことではない。
「(いっそ、十八歳未満はそもそも議員になれない、って法改正すればいいのに)」
 と思わないではないが、これもまた伝統なのだろう。(聞くところによれば、かつてこの国がまだ事実上の絶対王政だった頃の名残らしい)
 ここまでが慣例として委員会をやる理由の「大体」半分だ。どうして「大体」を付けるのかといえば、この後には「半分以上」の要素が入るからに他ならない。

 「お疲れ様でした!」
「ステンカ、待ってたの?」
「ええまあ。公設秘書扱いで通してもらえました」
「登院停止の議員の秘書って、入っていいのかしらね」
 ステパンに荷物を持ってもらい、私はまた長い廊下を歩いて議事堂から出ようとする。すると、本会議場に続く扉の前で、私達を呼び止める声があった。
「あの、貴女はリュリス・ヴィシニョヴィエツキ公爵にお間違い無いですか?」
「はい、そうですが」
 呼び止めた男は、気弱そうな線の細い男だったが、着ている背広は旧市街のテーラーで仕立ててもらったであろう糊の効いた高級品だ。恐らくは議員か、名のある大物議員の秘書か何かだろう。
「貴方は?」
「私は与党院内総務のアルベルト・ヌーニェス議員の公設秘書で、アスナールと申します。この度、公爵閣下にヌーニェスの方からお話がありまして…」
 アルベルト・ヌーニェスといえば、保守派を代表する著名な国会議員の一人であり、次の首相候補と目される大物だ。陣笠議員を庶民院にも貴族院にも大勢抱えている。
「お話と言いましても…私はまだ未成年で登院ができませんし、議会のことにも無知ですから…」
「い、いえ、そ、その…兎に角一度お会いできないか、と…」
 公設秘書のアスナール氏は、どうやら余りその仕事には向いていないようだ。何しろ、気が弱過ぎる。いくら公爵とは言え目の前にいるのは十六、七の小娘だし、自分の後ろにいる大物議員に比べれば立場は余りにも弱い。それを考えて堂々としていればいいのに。
「どうしてでしょうか。そもそもとして、ヌーニェス議員本人と、私はほとんど親交がありません。…父とは縁があったと聞いておりますが、もしかして、それに関係することですか?」
「え、ええ!そ、そうです!是非ともご令嬢の閣下にお話ししたいことがあると…」
 彼は、今夜カルドニア郊外にある高級大和料理店の個室で、二人きりで会談を行いたいらとヌーニェス氏が求めていると告げた。
 そう、これこそが残りの「半分」だ。一度議員を全員ひと所に集めることで、円滑にコミュニケーションやアポイントメントを取れる様にする。良くも悪くも。
「(さて、どうするべきか)」
 正直なことを言えば余り行きたくはない。だが、来年度のことを考えると、一度プロの政治家と話してみるのも悪くはない気がした。ステパンに同席して貰えば、なにか下手な言質を取られたり、罠にかけられる可能性を減らすこともできるだろう。
「分かりました、詳しい場所を教えていただけますか?」
「はい、カルドニア郊外の…」

 ユージェニー宮殿に戻った後、私はアスナール氏に聞いた件の大和料理店について簡単に調べた。どうやら完全紹介制の高級料理店らしく、料理を担当するシェフも大和人か兄弟国のチューイー人、一番下の丁稚役も数年単位で修行した者達を使っている様だ。
「完全紹介制、というのは今の時代だとなかなか稀よね」
「先代の公爵閣下もお出でになったことはあるらしいですが…生魚がお口に合わなかったらしく」
「…まあ、領地のものならともかく、ここまで運んできたものじゃね…」
「でも、この天麩羅っていう料理は美味しそうですね」
「ちょっと、目的を忘れちゃダメよ」
 食べ物に釣られるステパンに釘を刺しておいて、私は黙然と会見の目的について思いを巡らした。保守派の大物がわざわざ出てくるということは、間違いなく政治や経済において何か大きなものが絡む。そして、ヴィシニョヴィエツキ家はその双方において、未だに国を動かすに足る力がまだある。
「舐められてるのかしら」
「俺達のお嬢様への忠誠心が、ですか?」
 見返すと、ステパンは不敵に笑う。
「あなたいつの間にそんなかっこいいことが言える身分になったのかしら?」
 そう言いながらも、私は笑った。これならきっと大丈夫だ。私自身は未熟でも、優秀な家臣達が支えてくれる。彼らなら、きっとこの家を守ってくれる。そして、私自身のことは…。
「それじゃあ行くわよステンカ。そろそろ馬車を頼んだ時間だから」
「ああ、行こう。イェシー」
 午後二十時四十五分。私とステパンを乗せた馬車は、一時間ほどゆっくりと走った末に、カルドニア郊外の大和皇国料理店に到着した。少々危惧していたが、事前に問い合わせた通り馬車でも入れる、というのには少々驚きだった。
「『松の間』にご案内いたします」
「マツ…」
 来店して名前を告げると、確かに予約が入っているという。ステパンのことを余り詮索されなかったのは幸いだった。
 畳という不思議な質感の床に、座布団なる布を敷いて座る。後で聞いたが、大和料理店の部屋の作りは『書院造』というらしい。
「質素な部屋って感じですね」
「私は嫌いじゃないわ、こう言う部屋」
「なるほど」
 それから待つこと十分程度。前菜として出された「お通し」なるものをちまちまと摘んで待っていると、ようやく待ち人が現れた。
「お待たせしてしまったかな」
「いえ、お気遣い無く」
 現れたのは、茶色の髪の毛を品よく後ろに撫で付けた四十代ほどの背の高い男性だった。顔は年相応に皺や老いの影こそあれど、普通の人に比べれば遥かに若々しく、気力に溢れている。
「テレビでよくご活躍を拝見しています」
「これはこれは、お恥ずかしい」
「電波の入らないヴィラヌフ宮殿でも、ヌーニェス議員の顔なら映るだろうと、共産同盟の候補者が言っていました」
「それはそれは!」
 ジョークが痛くお気に召したのか、彼は呵呵大笑して膝を叩いた。が、そんな世間話もそこそこに、彼は真面目な顔になって、
「それでは本題の方に入らせて頂きたいのだが…」
「はい」
「その…申し訳ないが人払いを願いたい」
「ここにはステンカしかおりませんが」
 やはりか。ヌーニェス議員は気まずげに何度か視線を送っている。恐らくは彼が自主的に中座するのを期待しているのだろう。だが、そんなことを許すつもりはない。
「議員、彼は私の半身も同然です。私と彼とで一人の人、私だけに話して彼には秘密ということはあり得ませんし、その逆も然りです。…ご心配は解ります。ですが、少なくとも彼は私の知る限り最も信頼に値する人です。私と彼の二人から、大切な秘密が漏れることは無いと思って頂いて結構です」
「…承知した。だが、これは本当にごく内密の話と思って聞いてもらいたい」
「お待たせしました、天麩羅のお造りでございます」
 温かい湯気と香りを放つ天麩羅の盛り合わせを前に、彼は話を始めた。
「…君も知っての通り、お父君であるイェレミー二世公爵閣下は、近年の貴族の中では異色の存在だった。公爵議員はほとんど登院せず、政治に関わらないと言う慣習を破り、自ら議会に足を運び審議に参加した」
「はい、よく知っております」
「それだけではない。公爵閣下は、ご自身の領地であるオルディナツィア一帯でも政治活動に取り組まれ、ソルターヌィ県で多数の議員を当選させた」
「…オルディナツィアの領域にある二つの選挙区は、事実上我が家の『懐中選挙区』だ、とそう批判を受けたことがあります」
「そうだ。閣下は与党側の政治家でいらした。だからこそ、野党から極めて大きな批判を浴びた。『今更貴族が口を出すのか』と。そして、それは私たち与党の方でも批判が噴出した」
 段々と言いたいことが分かって来た。つまり彼はこう言いたいのだ。
「…つまり、貴方はこう仰りたい、『今後ヴィシニョヴィエツキ家は政治に関わろうとするな。来年度以降も他の公爵議員のように登院せず、ただ献金だけしていてくれ』と」
「…民主主義の尊さと危うさはご理解頂けるはずだ。我々は共通の義務として、今の自由な時代を守らなくてはならない、そうは思わないかね」
 私は天麩羅に、不器用に箸をつけた。サクサクの衣を噛み砕くと、中から柔らかい海老の甘い旨味が広がる。なかなか美味い。
「…ヌーニェス議員。もしも私が与党の支持者と思われて、その結果党のイメージがダウンすることを恐れておいでならご安心を。また、ならばと臍を曲げて野党に選挙協力されるかも、とご心配ならそれも無用のことです。どうせ私は終身議員、辞めさせられる気遣いが無いのですから、どちらの党に行くつもりもありません」
「……」
「選挙や政策に関わらないでくれ、と言うのならそうします。先にお話をいただければ、議場でも賛成票を入れても構いません。…ですが」
 私ははっきりと言った。
「登院するな、と言うことだけは聞けません。何故ならば、議会に登院して政治に参与するのは神聖な貴族の義務だからです」
「義務、だと」
「…私の父は、確かに民主社会の政治家としてはその資格が無かったかもしれません。ですが…それでも父は国のために力を尽くしました。自分には資格がない、何をしても報酬はおろか、非難しか浴びない仕事をやり遂げようとしました。…そんな父を、私は心から尊敬しています」
 私は席を立った。そして、そのままヌーニェス議員に一礼して部屋を出ていく。結局、天麩羅は殆ど食べなかった。

 「さて、この後どうしますか?」
 馬車に乗り込み、ユージェニー宮殿に帰る途中。ステパンが私に訊いてきた。その声はあっけらかんとしていて、怒られることを覚悟していた私を拍子抜けさせた。
「…怒ってないの?」
「まあ、そういうことはなさると思ってました。というより、開会式の終わりを待ってる間俺が何もしてなかったとお思いですか?」
「…何をしてたのよ」
「議員間でやりとりがある様に、議員の秘書の間でもネットワークがあるんですよ。父のコネクションを使って、そこから情報を抜いてました」
「私があの人をあしらうことを見越してやってたわけね」
「ええまあ」
「…なんというか、その勝ち誇った表情がものすごくムカつくわ」
「なんでですか!?」
 唖然とする彼をよそに、私は一度クッションに体を預ける。そして、思い出した様に呟いた。
「天麩羅」
「はい」
「今度はきちんと食べたい…。一緒にどう?」
「はい、喜んで」

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