架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

 夏の近づく、ある休日の朝のことだ。ユージェニー宮殿の使用人部屋で目を覚ました俺は、おもむろに布団から起き上がって大きく伸びをした。窓からは朝の光が差し込んで、夜の冷気を追い払って旧市街の人々を夢から引き出している。
 俺は寝ぼけ眼でベッドから立ち上がると、服を着替えて隣の部屋の洗面台で顔を洗い、歯を磨く。既に他の使用人達は起き出して、それぞれの部署の仕事を始めているようだった。特に料理方のシェフ達は、味に煩い我らが主人の為に、まだ日が昇らないうちから起きて下拵えや仕込みを始めている。
 かく言う俺もその一人で、普段なら様々な仕事をこなさなくてはいけない。ただ、今日だけは例外だ。何故ならば、この日のために俺はかなり前から「休暇が欲しい!」と主人に願い続けていたのだから…。

 「休暇が欲しい?どうして?」
 今から三日ほど前、最初電話でその旨を告げた時、主人であるリュリス公爵はそう応じた。決して本人は機嫌が悪いと言うつもりはないのだろうが、なぜか彼女は普段俺に対する態度は刺々しく、語気が強いところがある。
「実は、ずっと前から欲しかったゲームの最新作が、土曜日に出るんです」
「ゲーム?」
 訝しげに問い返す主人。普通ならばここで、何のゲームかの説明をきちんとするところだが、彼女の場合はすこし異なる。ここにおける「ゲーム?」という疑問は即ち、「ゲームとはそもそも何だ。チェスとかチェッカーとかと同じようなものか」と言うかなり根本的な問いだ。何しろ彼女は、今まで十七年生きてきて、家の方針でおよそ電子機器というものに殆ど触れたことが無いのだ。俺も彼女の前でゲームをすることは固く先代の公爵閣下から戒められていたし、彼女が襲爵してからは、俺自身そうした電子系の娯楽から身を引いていたので、なおさら縁遠いものになっていた。
「ええと、ゲームというのは電子ゲームのことで」
「その位わかるわよ!」
 どうやら読み違えたらしい。ここまでほぼ確信を持って考えていたことが打ち砕かれた瞬間だった。
「す、すみません」
「で、何のゲームよ」
「『スパイ・オブ・ザ・マジェスティ3』です」
「なにそれ」
 スパイ・オブ・ザ・マジェスティ、ー通称SOTM(ソートム)と略されるーとは、今から十年前にイェスパッシャンのゲーム会社から発売された大人気のゲームシリーズだ。第一次世界大戦の世界を舞台とし、主人公はとある小国のスパイとして各国に潜入し、自国の戦況を有利にすべく潜入、工作など各種のミッションを展開するーというストーリーで、ゲームとしてのジャンルはロールプレイングゲームに属する。
 しかし、その内容はFPSやパズル、或いは戦略など各種様々な要素を取り込んだ重厚なものであり、しかもそれら一つ一つが衝突することなく見事に調和している。これにより忽ち大人気作となった今作は、その頃大和皇国製ゲームに席巻されていたイェスパッシャンの市場を一気に塗り替えした。
 噂によれば、当代の女王陛下もプレイされている、と言うこの超人気作に俺もどっぷりとハマり、十三歳から十七歳までの若き青春をこのゲームに費やした。先に述べた通り、リュリスが公爵になってからはその補佐の為ゲームは封印していたが、1、2と続く傑作シナリオの鮮烈な印象は今でも思い出にありありと残っている。
 そして、今日。いよいよそれが発売されるのだ。しかも発売前の宣伝は、「傑作スパイ・ゲームの集大成!さらば、ドン・ジョバンニ!(主人公のコードネーム)」だ。シリーズ歴代のファンとしては、どんな犠牲を払ってでも買わなくてはならない。そんな義務感さえ抱いて、俺は告知後すぐに予約ページにアクセスし、設定集や追加シナリオ、サウンドトラックなどが付いた割高の限定セットを予約した。
「…なんというか、うん、よく分かったわ」
「ありがとうございます」
 そんな感じのことを、俺は長々とリュリスに話していた。チャットアプリの通話を使っているから、料金自体は無料とはいえ、後から思うとあまり品のいい行動とは言えなかっただろう。
「それで、兎に角そのゲームとやらを買いに行きたいから、土曜日は終日休みにして欲しいってことね?」
「はい。帰ってからも土曜日は多分終日ゲームやり続けると思うので」
「……そう、なら好きにしたら」
 プツン、とそれだけ言って電話が切れる。すこし機嫌を損ねてしまったかも知れない、と思ったが時既に遅しだ。…仕方ない、金曜日に宮殿に戻ってきた時に謝ることにしようか、と思いつつ俺は準備を進めていった。
 そして、当日。即ち今日だ。昨晩俺が申し訳なかった、と頭を下げるとリュリスは、
「なんのこと?」
 と平然としていたので、まああまり気にしてはいないのだろう。…そう思いたい、何しろ彼女は一度怒ってしまうととても長い。そのくせ寂しがり屋で、喧嘩したからと距離を取ると逆に向こうから澄ました顔で近づいてくる。無論いじらしいとは思うが、身贔屓を抜いた他人からはあまり良く見られないだろう、と思わないではなかった。
 ひとまずそれはさておいて。一応寝室付きのメイドに伝言を託した後、俺は鞄を肩に掛けて宮殿を出た。懐には財布、スマートフォンを入れ、鞄にはこれまで後生大事に保管してきた予約引換票がある。先に代金は支払ってあるから、後はこれを渡せば事は全て済む。…済んでほしい。そう思いつつ、俺は旧市街を走る市電に乗り込んだ。
 カルドニア市電は旧市街から新市街まで、この街を大きく縦断する形で複数の路線が運行されている。俺はユージェニー宮殿の近くの停留所から、新市街バンコラン通りを経由する路線に滑り込んだ。古めかしい一両ワンマンの列車は、俺が辿々しく運賃を払うと、透き通った鐘の音をチリンチリンと鳴らして動き出す。幸い朝早い時間帯だったからか、比較的中は空いていて、俺はすぐに腰の落ち着け先を見つけることができた。
 後はバンコラン通りの大型電器店に向かえば良いだけだ。緩やかに進む電車の揺れと、後ろへ飛んでいく風景を楽しみつつ、俺は胸を躍らせて到着を待った…のだが。
「(やけに人が乗ってくるな…まさか)」
 電車が新市街に近づくにつれて、段々と混み合い始める。乗ってくるのは老若男女様々だったが、露骨にスマートフォンや次の停留所を示す電光掲示板を気にしている。
 俺はすぐに察した、ここに居る人々は俺と同じ目的を持って乗り込んでいるのだ、と。彼らは恐らく俺の様に、事前購入予約をしなかった人間ではあるまいか、そうであるならば、きっと既に店の前は…。
「バンコラン通り、バンコラン通りです」
 扉が開くや、乗り込んでいた人の波がどっと動いて、猛烈な通りへと吐き出されていく。俺もそれに乗って電車を降りたが、人がはけきった後の中は大層寂しく、ほとんど乗っていなかった。
 さて、そのまま俺は風吹き抜けるビルと電器店の街並みを人の流れに乗って抜け、目的地である大型電気店の前にたどり着いた。やんぬるかな、やはりそこには何千人という人並みが長大な列を作っており、店員達が必死で誘導を行なっていた。しかし、相当前から待っている者もいるのだろう、そんな人々は長いこと待たされたことで気が立っている様子、「早くしろ!」とか「まだか!?」とかいう声が所々聞こえてくる。
「お待たせ致しました!『スパイ・オブ・ザ・マジェスティ』お待ちのお客様、整理券の順番に従って売り場まで…」
「行くぞおおお!」
 シャッターが開いた瞬間、その戦場宛らの緊張は一気に弾け、店員たちの制止を振り切って客達は文字通り店の中に雪崩れ込んだ。前に遅れるな、とばかりに後ろもまた走り出す。大人が大人を押し退け、親子連れの家族が所々引き裂かれ、親が子を求め、子が親を求める声はかき消され飲み込まれる。
 下手をすれば将棋倒し寸前の混沌の中、俺は予約票を持っていることを思い出して、ひとまずは抜けようと思い立って群衆の中を泳ぎ回った。そんな時、ふと地面を見ると、
「おや、これは…」
 そこには、俺が持っているのと同じ予約票が落ちていた。番号は違うが、形式は同じで、払い込みが終わった後予約サイトからダウンロードできるものだ。
「(誰かが落としたのかな)」
 よくよく考えると馬鹿なことだろう。ただ、その時俺は妙な義侠心に駆られていて、これを持っていた人はきっと同志に違いない、同じゲームを好むもの同士、見捨てられはしないと思って、何人もの人に踏まれてみるも無惨な姿になったそれを拾い上げると、群衆から抜け出した。
 それからすこし経って。俺は殺人的な混乱がある程度収まったのを見計らい、再び列に並んだ。売り場に続く列はゲームの階には入り切らず、ぐるぐると螺旋階段を回って店の入り口を出るまで続いている。
「これは長くかかりそうだな…」
 前後にひしひしと続く列を見ながら俺はため息をついた。きっと、時間に追われる人もいるだろう、ほら、前の白髪の女性の様にひどく焦っている人が…。
「えっ」
 確かにそこには、鍔の広い帽子に、品のいい黒の長袖ワンピースを着込んだスラリとした女性がいた。彼女は何やら焦っている様で、何か盛んに手元のハンドバッグを弄っている。
「イェシー?」
「えっ」
 気がついて、俺はハッと口を塞いだ。つい本能的に声に出ていたらしい。
「あの、私を呼ばれたのでしょうか?」
 しかし、振り返った女性はリュリスとは似ても似つかない別人だった。確かに、同じ様なアルビノの女性、顔貌もよく整っていて、まるで冬に咲く椿の様な美しさだ。しかし、目の色はリュリスよりも赤色が濃く、印象もより大人びている。
「あっ!し、失礼しました…知り合いによく似ていたもので…」
「そ、そうですか…」
「あの、それよりも、何かお困りのことがおありですか?とても焦っている様ですが」
 余計なお世話、と突っぱねられても文句は言えない。ただ、俺はどうも彼女を放って置けなかった。心の一番奥深くにいる、大切な人と同じ姿を持つ女性を見捨てることに、どうしようもない良心の呵責を覚えたのだ。
「え!あ、いや、その…」
「大丈夫です、SOTMファンに悪人はいませんよ!」
「…!…その、ものすごく、お恥ずかしい話なんですけど…」
「はい」
「よ、予約票を何処かで落としてしまったみたいで…でも、列から出るに出られず…!」
「予約票…もしかして…」
 俺はボロボロになった予約票を取り出すと、番号を読んだ。すると、忽ち彼女の顔は明るくなる。
「そ、それです!間違いありません!はい、この手で予約した番号ですとも!」
「そうでしたか!よかった!」
 何百人の足に踏まれたかわからない紙片を、後生大切な宝物の様に胸に抱き締めた彼女は、やがてそれをまたハンドバッグに、今度こそなくすまいとしまい込む。
「いやあ、よかった。拾っておいて」
「はい、ありがとうございます…その、私すごく楽しみにしてたんです、新作の発売。それこそ、今日の日の為に予定も調節して、仕事も頑張って、本当に…!」
 彼女は涙さえ浮かべて熱く語った。その口振りは真に迫っていて、若さに似合わない苦労をしてきたのだということが読み取れた。
「(品の良い言葉遣い、きっと貴族なのかな)」
「あ、すみません…その、熱く語ってしまって…」
「いえ、いいんですよ。俺もこのゲーム大好きなんですが…あんまり語り合える友達がいなくてですね」
「そうだったのですか…!いえ、私もそうなんです。だって、皆『ゲームの様な低俗なものに触るな』とうるさくって…」
 そんな風に会話をしながら、俺と彼女はつつがなくゲームを手に入れた。豪華ボックスの入った紙袋の、心地よい重さを感じながら、二人でしばらくの間通りを歩いた。
「…あの」
「はい」
「もし宜しければ、お名前を教えて頂けませんか?その、私の窮地を救ってくださった上に、こんなに楽しいお話までして下さって…」
「ステパン・サハイダーチュヌィイといいます。発音しづらい苗字ですから、ステパンと呼んでください」
「ありがとうございます。ステパンさんは、学生さんですの?それともどこかにお勤めで…」
「ヴィシニョヴィエツキ公爵家に、昔から住み込みでお仕えしています」
「ヴィシニョヴィエツキ…あの、大きな貴族の…」
「ええ。あなたは?」
「あっ、私は…その、名前が長いですから、ネロギールとお呼び下さい。一応これでも、公務員なんです」
「(ネロギール…どこかで聞いた名前だな…)よろしくお願いします」
「はい。あっ…どうやら、もうお迎えが来てしまったみたいです」
 挨拶を交わした直後、俺達のすぐ横に黒塗りの大きな車が止まると、そこから物々しい雰囲気の男達が降りてきた。
「車でここまで?」
「ええ。自分で並びたい、と言った時はとても強く反対されましたけど…ああ、そうだ」
「はい?」
「今日家に戻ったら、あなたのご主人、ヴィシニョヴィエツキ公爵に宛てて、招待状をお出しします。あなたと一緒に来て頂いて、きちんとお礼をしますね」
「えっ、そんな、別に…」
「…あなたにとってはそうでも、私にとってはとても大切なこと、なんですよ?」
 ネロギール嬢はそう微笑むと、最後にこう言って去っていった。
「それでは、またお会いしましょうね、Mi amigo」
 これまたどこかで見た覚えのある紋章を掲げた車は、そのまま高速で走り去っていく。
「あの人、どこかで…」
 そんな疑問が拭い去れないまま、俺は家路についた。もう少ししてそれは、とてつもなく劇的な形で氷解することになる。

 「ただいま戻りました」
「…おかえりなさい」
「ご機嫌斜めなんです?」
「…別に」
 ユージェニー宮殿に帰宅して執務室を訪れると、露骨に頬を膨らませたリュリスが俺を出迎えてくれた。視線を合わせようともしないし、机の上にある公文書に適当に目を通すふりをしている。
「それで、ゲームとやらは買えたの?ステンカ」
「うん。きちんと予約してたからね」
「…そう。なら、もう下がっていいわよ、今日一日休暇なんだから、ゆっくり休んでゲームを楽しみなさい」
「…やっぱり怒ってる?イェシー」
「…別に怒ってないわよ」
 荒く否定して見せるが、完全に突き放してしまう事もできないらしく、語尾は弱々しく消えていく。俺はようやく彼女の真意が分かった。要は、寂しさと嫉妬が入り混じっているのだ。
「イェシー、ごめん。朝ご飯一緒に食べられなくて」
「…別に」
「その、もし良かったら、ゲーム一緒にやる?操作方法とかきちんと教えるから…」
「……見るだけなら、付き合う」
 そう小さく言って、彼女は机から立ち上がった。その顔は可愛らしく、子供っぽい。ただ、その表情がずっと愛おしくてたまらなかった。
「それじゃ、俺の部屋に行きましょうか。今からセットアップするので」
「そうね。あ、でもゲーム背景とかの説明は不要よ。空き時間の間に調べたんだから…」
 それからすこし経って。リュリスと一緒にゲームをしていたら、気がつけば日が中天に登っていた。メイド達が恭しく、ランチができたことを告げる。
「じゃ、一旦これで今日は切り上げましょうか」
「いいの?休暇は丸一日あるのに」
「いいんです。一緒にご飯食べたら、午後はチェスでもやりましょう。久々だから、腕が鈍ってるかも」
「…いいわよ、五百連敗の記録を更新してあげるんだから」
「こ、公爵閣下!」
「…!?」
 二人で食堂まで向かっていた時、一人の老執事が息急き切った様子でやって来て、
「い、今しがた、宮内省の使いがお出でになりまして、こ、こんなものを…!」
「こ、これって…!」
 手渡されたのは、丁寧に『ヴィシニョヴィエフ公爵リュリス・ヴィシニョヴィエツキ殿、並びにステパン・サハイダーチュヌィイ殿』と宛名書きされ、裏には赤い封蝋に紋章が押された上で署名がされた封筒だった。その紋章、名前の意味するところは…
「あなた方の友人、ネロギール・レオノール・ガルシア・イザベル・エティコーン=プロヴェンサー…」
「イェスパッシャン女王からの、手紙ですって…?」
 ネロギール、アルビノ、これだけで本来俺は気がつくべきだった。俺が声をかけたあの女性が、どの様な人物であったのかを…。

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