架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

私にとって、生活は無意味でしかなかった。あまりにも画一化されたそれは、私にとって窮屈で、抑圧的で、そしてなにより私は求められていなかった。
将来に対するぼんやりとした不安は無い。ただ、それは私が何も残すことができずに生きていけると言うだけであり、決してそれは充実したとは言えないだろう。
意味もなくただただ形而上学的な言葉を紡ぎ、過去の哲学者の真似をして小難しく言葉を弄ぶ。全く何も意味がない。虚無感だけが私を包む。

そんな私にとってテレビで流れる笑顔の勤労者達の映像は余りにも眩しかった。明らかに私は、彼らの尽力を無駄にする穀潰しでしかなかった。
大学を出て数年間売れない作家として過ごして来た私。これまでの作品の評価は芳しくなかったし、もう私に生きる意義もなかった。かといって自殺をする勇気も私は持ち合わせて居なかったから、当時の私はどうしようもなく愚かで悲惨だった。

私は、ソビエトに住む多くの人々に対して罪悪感を負っていた。それは、彼らは働き何かを作り上げていたのに、私は思弁に耽り、何かを産み出すこともせず文明の恩恵を享受していたのだから。返済不可能なまでに膨れ上がった負債が私にはあった。

そんな非生産的で、無意味な日常を送っていたある日、私は北の方の食糧加工工場での短期的な求人を見つけた。その頃の私はもうかなりの金欠状態であったから、とにかく生活費を稼ぐためにその求人に応募した。

それから数日後、私は見事受かったらしい。そういった内容の書類が届くと、早速私はこれまでの職場―つまり執筆のための書斎を離れ、鉄道に乗って北部に向かっていった。
短期労働者として働く期間は数ヶ月。
私は未だ見たこと無い情景を想像しながら鉄道の窓を通して景色を見る。走るように木々が通りすぎ、幾つもの町を越えて行く。
かつて、いやはての銀世界とも称された目的地までは3時間程度が必要だった。

私は、今ここから何を書けば良いかがわからない。はじめから全てを記してみたいが、おそらく、それは不可能だろう。それはあまりにも長すぎるし、紙面の問題からも不可能だ。
だから、特に私の記憶に鮮明に焼き付いて、私自身の再鍛練と革命があった幾つかの日を書こうと思う。

初日、目的の工場にたどり着くと、私は熱烈な歓迎を受けた。
その工場は小さく、200人程度で操業していたが、とあるオペレーターが怪我を負いその影響を緩和するために短期労働者の求人を出したらしい。
そう話してくれたのは髭を蓄えた工場長で、彼の頭には幾らかの白い毛が既に生えていた。

彼に案内されて、私は私が担当する職場の人たちと面会し、互いに自己紹介を行った。そして、彼らの中のリーダー(作業班の班長だった)に案内されて私は工場の中を回った。
工場は缶詰を生産していて、マカロニや肉の煮込み、蕎麦の実などの日常のあらゆる場所に浸透している物を製造していた。

それまで、知識としては知っていた幾つかの知識を私はこの目で見ることが出来たから、今でもその光景はよく覚えている。

そういった工場の見学が終わった後、私は自分が働くことになる作業場所に向かった。それは主に材料の下処理を行う場所で、肉を切ったり野菜を洗ったりすることが私の仕事だった。

そういった一連のオリエンテーションが終わった頃、確か時間はもう午後5時ごろだったと思う。
そして私はその工場を後にしたが、その直前に作業班についての説明があった。それは労働者のイデオロギー教育を行い、生産力の向上と言う建前を元にした存在する組織だった。
それは実質的な労働者の利益代表組織でありおおよそ18人で構成される。
そのような説明を受け、作業班への加入を勧められ、私は作業班の加盟を希望した。

次の日、私は初めて肉体労働を行った。出社して白い作業着を身に纏う。そして、共に働く同僚と世間話を行い、朝礼を行い作業に入る。
この日は何か神聖な日として私の人生に記憶されると思う。何故なら、それまでの私が死に、新しい私が生まれた日、私自身の再鍛練が始まった日だ。

それまでの無意味な日常は変化した。私は、私の手で社会に奉仕することが出来るようになった。社会の余所者であった私が、贖罪としてようやく負債を返済することが出来るようになった。
言葉に出来ないほどの感情が溢れ出て、私の中にあった幾つかの欠点を共産主義的に塗り替える。

そういった実感が私にはひしひしと感じられた。私の中で燻っていた火花から炎が燃え上がった。
私の中で逆立ちしていた世界はひっくり返った。ただ、まだその時はそれには気づいていなかったと思う。
私がそれを知る前に、私はただ感動に震えることしかできなかったから。

そのような感動と驚きの中で、時間の流れはそれまでとは異なった形で流れていった。
それ自体は以前とは異なっていないはずなのに、退屈で冗長であったはずのものは、飽きることない激流となっていた。それを示すように、私はいつの間にか一ヶ月をそこで過ごしていたのだった。

一ヶ月も経過すると私は浮いた存在では無くなっていた。私は確かに仲間として受け入れられ、私自身が行っている事が、殆ど理解出来たように思った。
私は追体験を行っていたのだ。それは私たちの父母や先祖が情熱の中行った偉業である。革命は今も続いていた。革命の求める要求に答え、そして新しい勝利が私の中で生まれた。
私が缶詰を作ることは、革命に参加する人々を作り、つまり私は革命を遂行していたのだ。それまでとは全く異なるそれは、新しい意義を私に与えた。

労働の本質を私は知った。私は私の中に息づき始めた幾つかの革命の英雄に従って歩いていた。偏見と諦め、怠惰と無知を覚えた。それは革命にとって明らかに反逆するものであった。
ただ、私はこの時点までそれを知らなかったし、知ることもなかった。だが、私は真にプロレタリアになることで全ては変わった。
労働とは私たち人間が自然を支配し、そして自己の秘められた本質を昇華させることであり、労働を通して私たちは社会の一員であることを再認識する。つまり、ブルジョワ資本主義国家における苦役としての労働は偽りであったのだ。かつての政権がプロレタリアの新しい文明を工場や労働に求めたのは間違いではなかった。
それまで、薄暗い書斎で物を書くことしかしていなかった私にとって、ここまで労働が満ち足りた人生を育成することは遂に理解できていなかった。

数々の困難が工場ではあった。だが、それは全くの苦ではなかった。
否、私はそれを苦にしてはならなかった。それらをそれまでの否生産的な怠惰な日常を送った私がなせる唯一の贖罪として、責務を果たすことの出来る喜びに変える必要があった。
思うに、最良の人々が夢に描き、そして私たちがなそうとしている物―それまで、私たちにのし掛かっていた私たちのものではない絶対主義を打ち倒した後に、永遠と共にやって来る四月革命の絶対主義は、私たちが唯一未来を託すことの出来る最良の思想なのではないだろうか。
小さな革命から勝利が生まれ、より大きな革命が発生する。そういった永久革命が貫かれている限り、私たちは私たち自身が望むものを、私たち自身の手で掴み取る事が出来るのではないだろうか。

それらの事を私は知った。だが、時間の流れは早く、より多くを知るための時間はもうなかった。工場長や同僚は雇用期間の延長を提案してくれたが、しかし私はこの数ヶ月で得て、私の中で滾っているこの情熱を形にしたかった。
始めに私と企業の間に取り交わされた契約に記されたこと―私がなすべき事を終わらすと、私は無性にペンを握りたくなっていた。
今振り返れば、あのわずか数ヶ月の勤労に比べれば、私がこれまで経験した、そしてこれから経験するであろう出来事は酷くつまらない物に感じられる。

そして、私は満ち足りた充実感に包まれたまま最後の作業を終えた。私は所属していた作業班の人々や工場長に頭を下げて感謝を伝えた。彼らの内、私と親しかった幾つかの人々は、私が物書きであることを知っていたからペンを贈呈してくれた。(実際にこの文章はそのペンで記している。)
駅まで私を送ってくれた彼らに手を振りながら、私は南に向かう列車に乗り込んだ。
やがて列車は走り出す。彼らとはもう二度と会うことが出来ないかも知れない。そう思い、私は彼らに笑顔を見せて手を振った。
彼らはすぐに小さくなり、遂には地平線と一緒になった。
私は原稿用紙と彼らから貰ったペンを使って文字を書き出す。数ヶ月の疲労が私にはどっとのし掛かっていたいたが、それはどこか心地よいものでもあった。表現しつくせない感情と列車の揺れの中、私は懐かしい書斎を思い浮かべながら、あそこで体験したことを忘れないように原稿を書いていった……。

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