架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

 ターリンの郊外に建設された小規模な音楽ホールで彼、ミロフラフ・スミノルフは楽器を持って待機していた。
 彼は今年、10年制義務教育の最終学年に入っていて、もうそろそろ自身の進路を決めなければならない時期だった。
「ねぇナターシャ。君は進路の希望を提出したのかい?」
「えぇ、色々悩んだけれども結局音楽大学への進学にして昨日提出したの。貴方はどうなの?ミローシャ?」
「……実はまだ提出していないんだ。色々迷っていてね……。」
 彼は苦笑いをしながらそう答えた。彼の隣に座っている淡い金髪の女性―ナターリヤ・リャザノヴァはそんな彼を心配そうに見つめながら言った。
「ミローシャ、この前の出来事を気にしているのなら忘れたほうが身のためよ?あれは悲しい出来事で決して良い物では無いけど、貴方は実力があるから胸を張って音楽大学への進学をしたら良いのよ。」
 ミロスラフは曖昧に微笑む事しか出来なかった。

 二人がこの音楽ホールにいる理由は彼らが参加するアマチュア音楽サークルが練習を行った為だった。
 そのサークルは仕事終わりの事務員や工場勤務員、教師から年金生活を送る「普通の人々」が中心で、レファル国内に多く存在するアマチュア芸能活動の組織だった。
 アマチュア芸能活動とは、「普通の人々」が無償でプロに学び日常的に演奏を行い、そして何か催し物があったときには他のサークルやプロの演奏を熱心に聴きに行く。これによって人々は金銭的支出をすること無く精神的満足を得る。レファルの娯楽として確立されて久しい文化だ。

 二人が参加するサークルは大人が中心となった比較的レベルの高いサークルで、それでも二人は技術が高かったからほとんど全ての舞台で演奏していた。もちろん二人の他にも何人かの意欲的な子供はサークルの人たちと演奏していたが、大人たちと肩を並べて演奏していたのは二人だけで、それがミロスラフは気に入っていた。

 ミローシャは平凡で俯きがちな青年だった。父は何回か模範的勤労者として表彰されたことのある工場勤務員で、母は事務職をしていた。親戚に共産党員がいる特権階級でもなかった。少しばかり優秀なよくいる優等生。それがミローシャだった。
 ミローシャは人生は何か大きな事を成し遂げる為に有るのだと思っている。学校の先生はそんなことを教えるし、実際革命によって羊飼いが軍隊の指揮官に、文盲が新聞の記事の全てを理解して、支配されていた農民が人民委員になった。彼らは彼らの成すべき事を行って、無名の英雄として去っていった。
 ミローシャはそんなドラマチックな人生を望んでいる。無私の献身が回り回って自身の幸福になることを望んでいる。…だが彼はそう言った何かを成したいと考えていても、自分があまりにも平凡で、勇気が無く、定められたレールの上を歩く大多数の人物でしか無いことを知っていた。

 それに対してナターシャはあまりにも恵まれていた。彼女の父は共産党員、しかも地区ソビエトの議長だったし、学業もミローシャよりも秀でていた。容姿だってミローシャが黒髪で目立たないのに対して、ナターリヤは誰もが認めるほどの美しい蒼い目と金の髪を持っていた。
 ただ唯一楽器の演奏と言う一点でミローシャはナターシャよりも優れていた。ナターシャから与えられてばかりのミローシャにとって、ナターシャに楽器の演奏を教える事は、常にどこか劣等感を感じていたミローシャにとっては救いだった。
 ミローシャがナターシャに楽器の演奏を教えると、彼女は瞬く間に成長していき、ミローシャとの間にあった差は共に今のサークルに参加した時にはほとんど無いような物になっていた。それでも僅かにミローシャの方が上で、二人は良いライバルであった。
 そんな関係がミローシャは永遠に続くと思っているし、それを願っている。

 サークルの全体練習が終わってから解散までの間、周りではサークル員が練習の片付けや楽器の手入れをしていて、様々な音がなっていたが、二人の間には沈黙があった。二人はそこまで饒舌ではなく、穏やかな時間が流れていた。ミロスラフにはそれが心の平穏をもたらすから歓迎していたし、ナターシャと二人でいると言うだけで素晴らしいものだったし、苦悩の中にある彼にとってこの時間はありがたかった。

「ナターシャ……僕は本当に君の隣に立つ資格があるのかな……。」
 彼は自身のトロンボーンの手入れをしながら、誰に聞かせるつもりも無く呟いた。ただあの一件以降ずっと心の中で引きずっている感情が漏れただけだった。
「……ミローシャ?そんな事を言ってはダメだってこの前も話したじゃない。大体、私に文句があるなら私に言えば良いのにそれが出来ないからって貴方を脅すような人の意見なんか…」
「でも!」
 彼はナターシャの言葉を彼にしては比較的大きな声で遮った。
「…でも彼らは言ったんだ。僕なんかより君には相応しい人が居るって……実際、君はあのセルゲイと話している時は僕と話しているときより楽しそうだし……。やっぱり僕は余りにも劣っていて君の可能性を縛っているだけなんじゃ無いかって思っているんだ……。」
 それから暫く形容し難い間が生まれた。ミローシャは俯き、ナターシャは口を一文字に結んでいた。
 それが暫くして、ミローシャは楽器を直し急に立ち上がった。
「ごめん、ナターシャ。今日はもう帰らせて貰うよ。」
「えぇ……、でもミローシャ、これだけは覚えておいて。私は望んで貴方の隣に居るの。例え何を言われてもこれだけは事実だわ。」
 ミローシャは何も言葉を返すことなくホールから帰っていき、そんな彼の背中をナターシャは見つめ続けていた。



「Забота у нас простая……」
 ミロスラフは川岸に建設された公園で、友人のヴァレリーを待ちながら、彼の最も好きな曲を口ずさんだ。彼の歌声はそよ風に吹かれて消えて行く。この歌(心騒ぐ青春の歌)の一節、'「И так же, как в жизни каждый,Любовь ты встретишь однажды,С тобою, как ты, отважно,Сквозь бури она пойдет.」'は彼にとっての理想だ。彼はナターシャが歌詞のように隣にいて欲しいと思っている。
 だが、それは彼女の為にならないと彼は考えているし、歩むべき道を知っている彼女を、迷いの中にある自分が邪魔してしまうのではないか、何よりも釣り合っていないのではないか、そんな不安に苛まれてしまうものだった。
 彼はため息をついた。誰か、答えを教えてくれ、どうすれば?ただそれだけを彼は知りたかった。

 それから暫くして、ヴァレリーがミロスラフの前に現れ、ミローシャに声を掛けた。
「久しぶりだね、ミローシャ。そっちの調子はどうだい?」
「ヴァリー、君に会えて嬉しいよ。調子は……まぁまぁと言ったところかな。」
「本当かい?どうせまたナターシャの事で悩んでいるんじゃないのかい?……なぁ、いい加減告白しろよ。モタモタしてたら何処かの誰かに取られるぞ?」
「うん……、でも……」
「はぁ……ところで今日はどうする?まさかここでお前の恋愛事情について話すだけじゃないだろうな。」
「もちろん違うよ。とりあえずこのままお昼に行って、会えなかった時に起きた事を話そうと思っているけど、君はどう?」
「ほー、まぁ良いんじゃないだろうか。個人的には駅の向こう側にある雑貨を売っている筋に行きたいが…。」
「あー、なるほど。ヴァリー、それじゃあ早めに食堂に行こうか。」

 ヴァレリー。彼はミローシャとナターシャの親友だ。元々は同じ学校に通っていたが、8年生の時に彼が職業・技術専門学校に進学して以来全くと言って良いほど会う機会がなかった。今回、2年ぶりに二人が再会したのはミローシャからの誘いが理由だった。
 ただ会いたかった訳ではない。そもそもミローシャはそこまで人付き合いが上手ではなかったから、友と呼べるのは本当に限られた人だけで、その中でも特に、日々深刻になっている悩みを解決する糸口を助言してくれるのはヴァリーだけだとミローシャが感じたからこそ、今回の再会が生まれた。

 食堂を目指して二人が道を歩いていると、ピオネールの団員がボランティア活動としてゴミを回収しているのが見えた。
「ヴァリー、懐かしいね。あの光景。ほんの数年前までナターシャも含めて3人であんなことをしていたね。」
「そうだなぁ……。そういえば6年生の時の夏のキャンプを覚えているか?」
「もちろんだよ。あれは本当に面白かった。特に……」
 二人は食堂につくまでの間、そんな他愛のない話、昔を共に思い出すような話を続けた。

 やがて食堂につくとミローシャはザペカンカ(グラタン)を、ヴァリーはカツレツの食券を購入して注文した。
 二人は食堂でも長い間話をしていた。ヴァレリーは職業実習の出来事や、コムソモール生産突撃隊と言う名目で5ヶ年計画の完遂の為に、夏休みを返上したことを面白おかしくミローシャに語り、ミローシャはサークルでの出来事を語った。
 料理が来て、話は一時中断したがそれでもすぐに二人は話し込み始めた。それだけ2年間と言う歳月は長かったし、様々な経験を体験していた。

「……ミローシャ。1つだけアドバイスしよう。お前はなにやら色々考え込んでいるみたいだが、兎に角いま目の前にある物事に集中しろ。そうしたら自ずと道は開けるさ。」
 ミローシャは驚いた様な顔でヴァレリーを見つめた。ヴァレリーは小さく笑って続けた。
「この言葉は俺の恩師の言葉さ。俺だってこの2年間色々悩んだよ。本当にこの道で良かったのか、お前みたいに大学に進むための道を歩むべきだったのかってな?でもこの言葉を信じてがむしゃらに努力したら、実際問題は何処かに消えていったよ。な?」
「……うん。ありがとう、ヴァリー。」
「なに、親友の悩みに役に立つかもわからない言葉を言っただけさ。さて、それじゃあ雑貨屋に行くことにしようか。」

 二人は食器を返却して食堂から出て駅に向かった。
 駅はレファルの全土から鉄道が集中している非常に大きく、そして多種多様な銅像が設置された社会主義リアリズム建築だ。ターリンの玄関口であるだけに多くの人がいて、警官の詰所も散見される。
 そして掲示板の前に差し掛かるとミローシャは足を止め、その前を行くヴァリーも彼に気付いて足を止めた。二人が足を止めたのは掲示板にミローシャの所属するサークルの演奏会の宣伝で、その演奏会は2週間後であることを知らせていた。
 ヴァリーは短く「行ってもいいか?」と問いかけ、ミローシャは当然のように「もちろんだよ!歓迎するよ。」と答えた。

 それから少し歩みを進め、高架下を通過して線路を乗り越えると、周囲の整然とした風景に比べると明らかに異様な雰囲気を醸し出す一角にたどり着いた。
 そこはターリンと言うソビエト政権の直下にありながら、どちらかと言えば資本主義的な雰囲気だ。道路には様々な出店が立ち並んでいて、所々でロックの演奏がなされている。そしてペンキで絵が描かれた板が一面に散らばっていた。
 ここは政府に黙認された第二経済のマーケットであり、政府に抑圧された若者が自己を表現するための場所でもあった。

 二人がここに来たのはヴァリーが趣味としている切手の収集の為と、経済計画では供給されない卑猥な商品を買うためだった。
 ヴァリーが切手と女性の裸体が撮された写真を見て、店主と値引き交渉をしているのを聴きながら、ミローシャは商品の古びた音楽雑誌を眺めていた。
「8ルーブリ(24円)だ!」
店主が叫ぶ。
「いーや、この写真は5ルーブリだ!」
 ヴァリーがそれに負けずに叫ぶ。かれこれ10分程度このやり取りを聞かされてミローシャはうんざりしていた。結局、値引き交渉は7ルーブリで落ち着き、ミローシャが新しく手に取った本を半分まで読み終えた時まで続いた。
 店を出た後、近くで演奏されていたG-POPを少し聴いた後に、その日は解散した。

 その日から再びミローシャはサークルでの練習に、これまで以上に精を出した。それは今までの練習がナターシャと共に居るために、そして今後も彼女に劣らない様にしていたが、ヴァリーが聴きに来ると知ったことで、よりそれまで以上の練習を彼が決心したからだった。

 演奏会の当日はミローシャにとって思いの外早くやって来たように感じた。開始時間は夕方からだったが、彼はナターシャと共に午前10時にはトロリーバスを使って現地入りした。
 準備、練習、確認……とにかくやらなければ行けない事は沢山あった。途中、一人が貧血で倒れると言ったアクシデントが発生したが、全体で見ると順調に時間は進んでいった。
 開演少し前、ミローシャは舞台袖から座席を見た。すると比較的前の方に彼はいた。ヴァリーはミローシャに気づいた様で、小さく笑っているのが見えた。それを見てミローシャは手を振ってから舞台裏に戻って最終調整を始めた。

「ミローシャ、ちょっと良い?」
 ナターシャが演奏についての相談をするためか、ミローシャにそう声を掛けた。
「うん、大丈夫。」
「あのね、ミローシャ。貴方は変わったね。全部ヴァリーのおかげ?さっき観客席に居るのが見えたわ。」
「ナターシャに隠し事は出来ないね……。」
 彼は苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。だが、この会話で彼は緊張を解く事が出来た。だから、彼は小さく礼を言って、彼女は頷きながら離れて行った。



 拍手の中ミローシャは舞台に上がる。今回の演奏では比較的メジャーな曲―『песня о тревожной молодости』『полюшко-поле』……誰もが一度は聴いたことがあるような曲を演奏する。
 指揮者が観客に一礼したのが見えた。それに合わせて、ミローシャは深呼吸をして心を切り替える。
 1,2,3…そしてきらびやかな音がホールを支配した。演奏は象徴的だった。小さく始まった演奏は徐々に盛り上がりを魅せて、次の曲にバトンを渡す。そして最も激しい所では指揮者さえもが演奏に参加した。

 二時間ほど経過して二人は演奏を終えた。大きな拍手が小さなホールに響いている。その中でミローシャは彼自身が追い求めていた物の一端を見つけた。
 常々彼はナターシャに比べて何かが、根本的な物が欠けていると思っていた。その欠落が生きる目的を持って日々を歩いてるナターシャとの間に差を着けていた。
 しかし、それは素晴らしいこの一日で僅かではあるけれども埋められたと彼は感じている。
 彼が見つけたのは大きな賭けであった。彼は彼自身に残された唯一の機会―音楽大学への入学と言う最後のチャンス。
 その賭けに賭けて見ようと彼を思わせたのは、彼の頭の中でリピートされているつい先程までいた舞台から見える人々の笑顔だった。ミロスラフはこの人々の笑顔を産み出したのは彼自身の演奏であることを自覚した。それにより、演奏と言う手段によって彼は人々と繋がり、自分が必要とされている事を、彼自身の欲求を実現する可能性を秘めている事を知った。

 彼は今日の演奏で見つけた物が間違っていても良いと思っている。何故なら、例えそれが間違っていたとしてもそれを乗り越え、正しい道を見つけることが生き甲斐なのだと知ったから。
 ミローシャはそれまでの彼と決別したのだ。人生の崇高な目的の遂行の為に一切の迷いは必要ではないと考えていたが、しかしその迷いすらも受け入れて崇高な人生であると彼は知ったから。

 各時代の様々な人が見つめ、しかしそこで輝き続ける満天の星空を見つめながらミロスラフは言った。
「ナターシャ。僕は決めたんだ。この前の共産党の人が提案した音楽大学への推薦入学……そしてそこで学んだ事を生かしてあらゆる人々を幸福にする。それこそが僕の人生だと感じたから。」
「ミローシャ……。」
 ナターシャは驚いたような、嬉しそうな顔をしながら答えた。
「ふふ、ようやく迷いは断ち切れたのね。これからもよろしくね?」
 二人は見つめあった後に笑った。そして、ヴァレリーが2人の名前を呼びながら合流し、彼らを労った。
 星はそんな若者を見守りながら光輝き、やがて夜は更けていった。

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