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kosyoubaru 2022年11月18日(金) 22:59:11履歴
私の名前はトイヌ・シン。辺境の離島出身で幼い頃から海外に憧れて語学を勉強し、特にイエスパッシャン語が得意だ。
それは日暦2022年1月、新年度始まってすぐのことで、突然の知らせであった。
「失礼します、校長先生……」
「おお、来ましたか」
「それで、話というのは……」
始業式の翌日の放課後、私は校長先生に呼び出され、校長室に入った。そこには、校長先生ともう1人、知らないマウサナ人が居た。
「君がトイヌ・シンだね?」
「はい、それで貴女は……」
そのミステリアスな雰囲気の、スーツを着た若いマウサナ人は、次に衝撃的な自己紹介をした。
「私は内務省特務機関、SĒUKのハルン・ペル課長です。今回は貴女にお話があって、ここを訪れました。」
「SĒUK……」
内務省に属する特務機関であるSĒUKは、マウサネシアの諜報機関であり、『泣く子も黙るSĒUK』と言われるほど、マウサネシアでは恐れられる存在であり、同時に人民を守ってくれる頼もしい保護者でもある。
そんなSĒUKの、しかも課長クラスの人物が直々に個人を訪ねてくる場合は2通りしか考えられない。つまり余程の凶悪犯か、SĒUKへの『お誘い』だ。
私はそのような重大犯罪を計画したこともないし、手を貸したこともない。普通のマウサナ人として生きてきた。
そうすると考えられる可能性は一つ……
「そう怖がらないで。SĒUKは貴女の才能、特に語学能力を高く評価した。」
「それってつまり……」
「さすが、察しが良いね。単刀直入に言うけど、君はSĒUKの『職員』としての内定が決まった。」
「トイヌさん、これは大変な名誉ですよ。貴女は我が校の誇りです。」
SĒUKの構成員は大きく分けて2種類。一つは『エージェント』で、幼い頃から訓練を積み、実際に重要施設に忍び込んで諜報したり、敵対国の要人を暗殺したり、敵のアジトを制圧するなど、実際に動く者たちだ。
そしてもう1つは『職員』で、民間人から頭脳面で優秀な人物を厳正な審査の後、声をかけて公務員として雇用、エージェントをサポートするなど、事務的な仕事をする者たちだ。
「君は厳正な審査を既に通過した。私の見込みなら君はすぐに昇進できるだろう。もちろん、君に拒否権が無いことは理解してるね?」
「はい。分かっています。」
「よろしい。これは君自身にとっても、そして君の家族にとっても大変な栄誉だ。もっと喜んでも良いんだが、まあ突然の事で驚いてるのだろう、無理もない。」
ハルン・ペル課長は、『ようこそSĒUKへ』と書かれた分厚い冊子と、何枚かの重要そうな書類を渡してきた。
「君への本格的な研修が始まるのは高校卒業後のことになるが、その前に、協力してもらいたいことがある。」
「それは何でしょうか」
「君は語学が得意だが、特にイエスパッシャン語が堪能だ。そこで、5月下旬より君に留学してもらいたい。学校の名前は王立カルドニア大学附属コレジオ・グラン=カルロス高等科、名門校だな。」
王立カルドニア大学附属コレジオ・グラン=カルロス。イエスパッシャン有数の名門校だが、マウサネシアではある意味有名な学校でもある。
この学校の学費はマウサナ人が想像できないほど高く、マウサネシア人民の平均年収は日本円で350万円にも満たないため、1年通うだけで人民2人分の稼ぎ丸々全て(8割超ある所得税は考慮しない)が必要になるのだ。
そのため、生徒の9割は貴族や財閥の御曹司、つまり正真正銘の『ブルジョワジー』であり、メディアの外国批判の際は『上流階級の再生産装置』として悪名高い。
「でも、そんな高い学校は……」
「心配するな、これは国費留学だから君の金銭的負担は0だよ。もっとも、マウサネシア人民の血税だから有効活用してくれないと困るがな。」
「私に出来るでしょうか……」
「まあ要するに向こうの上流階級について見たり聞いたりしたことを毎日、UsTalkで報告してくれれば良いだけさ。簡単でしょう?」
※UsTalkはマウサネシアにおけるLINEのようなもので、類似するYANPLACEのチャットが若者向けなのに対して、UsTalkは幅広い世代が利用する。
「確かに、私でも出来そうです」
「学業のほうも、才能を授かったのだから、有能な者の義務として是非とも頑張ってもらいたいね。」
「はい。留学させていただくのですから、もとよりその予定です。」
「その心意気だ。人民の血税なんだから、この留学でも祖国に貢献するように。」
こうして聖暦1992年5月下旬、私は『カレッジ』に学年ただ1人のマウサナ人留学生として登校した。
手には、留学のためにSĒUKから渡された、国外電波対応の特別仕様のMTCのスマホ(しかも、ハイエンドモデル!)を持ち、これがこの国で円滑に生きるための武器だ。
そして私はブレザーに身を包んでいる。厚着なため服が重いが、幸いにも祖国の制服と大きな違いはないので、すぐ慣れるだろう。
ちなみにスカートの長さには校則で規定があるらしく、膝が隠れるようにしなければならないという。マウサネシアなら、だいぶ長い部類に入る。
「これがカレッジの建物……まるで王宮みたいだ……」
見慣れたマウサネシアの学校と言えばモダニズム的な白い箱であったが、それは権威主義的な校舎であり、この国が権威主義国家だということを思い出させてくれる。
「それに街の建物も権威主義的だったし……」
この国で最も高いビルですら権威主義的な新古典主義建築だ。高さ300mのモダニズム建築なんて祖国にはいくつもある。
「おっといけない。職員室に向かわなきゃ」
歩いているうちに、ちらほらと他の生徒達が歩いているのが見え初める。腕時計(銀色でアナログ式、ソーラー&クオーツ)を確認すると、始業まで20分を切っていた。
マウサナ人は毎年この学校に数人ほど留学してくるというから、皆1度は見たことあるはずだが、やはり視線を感じる。
確かにこんな上品な学校に、青緑色の髪の毛と耳、尻尾を持った人物が居れば視線を向けられるのも仕方ないことだ、と思った。
担任の先生は若い白人男性であった。マウサナ人の勘だが、悪い人ではなさそうだ。
「今日から新しいクラスメイトが皆さんの仲間に加わります。トイヌ・シンさん、立って自己紹介を」
人間社会では第一印象が重要だと聞いていたので、自己紹介の内容は丸一日かけて検討してきた。
「『女子だ』」
「『かわいいな』」
「『あの子マウサナ人じゃない?』」
「『あのしっぽ本物なの?』」
「『みなさん初めまして。私はトイヌ・シンと申します。マウサナ人という種族で、マウサネシアから留学のために参りました。この国にはまだ慣れていませんが、半年間よろしくお願いします』」
ちゃんと伝わったかは心配だが、私の発音は祖国では上手だと評価された。大丈夫だと信じたい。
その後は何事もなく朝のホームルームが終了し、休み時間に入ると早速、私の周りに人集りが形成されたのだった……
「『マウサナ人と人の違いって何?』」
「『私たちは両性具有なんだよ』」
「『……その見た目で、ついてるの?』」
私が頷くと、周囲のクラスメイトからは驚きの声が上がった。話には聞いていたが信じられない、というふうだった。
「『普段何食べてるの?』」
「『えっと……こうゆうやつ』」
私がスマホに保存していた写真を見せると、数人が画面を覗き込んだ。
「『これ何だ?』」
「『これは芋、こっちはご飯だよ』」
所詮は平民の食事だ、と思う者も、この中には居るのだろう。
「『向こうの貴族はどんな暮らししてるのかしら?』」
「『えーと、エメラルド音楽貴族なら居るよ』」
「『???』」
エメラルド音楽貴族というのは月額料金を払うと沢山の音楽が聴き放題になるサービスのことだが、うっかりとここでは通じないことを言ってしまった。
音楽聴き放題なだけで貴族という名前が付く、とこの中に居るであろう本物の貴族様が知ったら、笑い飛ばされてしまうだろう。
「『あー……今のは忘れて。マウサネシアには貴族は居ないんだ。』」
「『貴族が居ない国ってほんとにあるのね……』」
「『マウサネシアにもダンスはあるのですか?』」
「『あるよ。MSN41とか、祖国では大人気なんだ 』」
「『MSN41?聞いた事ない名前ですわ』」
「『えーと……MSN41っていうのは国民的アイドルグループで……』」
「『???』」
上手く伝わらないが、どうしたものか。もしかして育ちが良すぎるとアイドルも知らないのだろうか。
「『多分そいつが聞きたいダンスってのは、お前が想像してるのとは違うんじゃねぇか?』」
思わぬ所から助け舟が出される。
先程まで白い髪の女子と教室の隅に居た、赤髪の女子。全学生の中で僅か六十人しか居ない『女王陛下の学徒』の一人が、私の所に歩いてきて、言った。
「『アタシはアンナ・カルデロス。アンナでいい。お前シンと言ったな、舞踏会って知ってるか?』」
「『舞踏会………あぁ、小さい頃に読んだおとぎ話で知ったけど……』」
「『こいつが言ってるダンスってのは、舞踏会のダンスのことなんだ。』」
「『舞踏会のダンス………』」
やらかした。この国の上流階級にとってダンスといえば舞踏会なのだ。それを平民がするようなダンスと勘違いするなんて、常識が無いと思われても仕方ないことだ。
思えば資本主義と権威主義を併用するこの国では、団地暮らしなんて社会の底辺なのだ。
資本主義で財を成した平民の富裕層と、権威主義の恩恵で入ってきた貴族が対立するこの学校では、団地暮らしの私なんて世界が違いすぎる……
すると、肩に優しく手が置かれた。
「『まぁまぁそう気を落とすなって。アタシもここに来た頃は舞踏会のダンスなんてほとんど知らなくて、色々苦労したんだぜ?』」
「『え……』」
「『ここじゃみんな知ってるから言うけど、アタシは一般の、中流階級の出なんだ。特待生としてタダで入れてもらってる、ってワケ。』」
「『そうなんだ…』」
「『ま、中流階級同士、仲良くしようぜ?』」
「『よろしくお願いします』」
「『シンさん!さっきは変なこと聞いてしまって、本当にすみませんでしたわ……』」
「『いえいえ、貴女は悪くないですよ。私も勘違いしてしまって……』」
先程ダンスについて質問してきた女子生徒は、名前をベルタ・デ・ゲベート・イ・サンディバーニェスといい、世襲貴族ビジェーガス伯爵家の令嬢だった。
先程の質問には悪意はなかったようで、放課後にわざわざ謝りに来てくれたのだ。
「『その、私の家は昔にマウサナ人と関わりがあって……』」
「『関わり?』」
彼女の話によれば、ビジェーガス伯爵家はかつてヴィシニョヴィエツキ家に並ぶ名門だったが、大航海時代にマウサネシアの征服を試みたが失敗して勢力が衰退し、それ以降平均的な一伯爵家として続くが、近代には当時のマウサネシアの人々に様々な支援を行ったそうだ。
「『その、これを聞いても私のことは、恨まないかしら……?』」
「『何を言ってるの。そんな大昔の話で恨むわけないし、そもそもベルタさんは関係ないよ。』」
「『感謝しますわ』」
「『お、ベルタそこに居たのか。ちゃんと謝ったか?』」
「『ちょっとセルビオ!突然来ないでよ!』」
「『ちぇっ。相変わらずオレには当たり強いなぁ。で、そこに居るのが噂のシンさんか』」
「『えっと、貴方は……』」
「『俺はセルビオ・イエロ・ガルシア。よろしくな。こいつとは腐れ縁だ。こいつは世間知らずだが良い奴なんだ、仲良くしてやってくれよ。』」
「『よろしくお願いします』」
「『まぁ、あんたら2人とは違うクラスだけどな』」
「『ところで、寮は決まってますの?』」
「『ええと、確かマウサナ人はどっちでもないから、女子用の部屋を1人で使うことになってる。確かソールズベリー寮だったような……』」
「『お、ソールズベリー寮なら俺たちと同じじゃねぇか。もっとも、男女ではフロアが違うけどな。』」
「『やっぱり男女でフロアは違うんですね……』」
「『当たり前だろ。何か間違いがあったら大変だからな。』」
「『カレッジには本当にどうしようもない生徒も居るから、シンさんも気を付けるんですのよ?』」
「『うん』」
カレッジには寮がいくつも存在するが、その規模には差があり、ソールズベリー寮は2番目に大きな寮らしく建物も隣の寮の倍くらいのサイズがあるようだ。
他の寮よりも相対的に歴史の浅いソールズベリー寮の建物は石造りではなく、鉄筋コンクリート造の5階建てである。
「『ここがソールズベリー寮……』」
「『良かったじゃねぇか、ソールズベリー寮は無難な内容の寮だからな』」
「『そうじゃないとこもあるんだ……』」
入口に入ると高い天井にシャンデリアがあり、その奥が階段になっているようだった。
「『じゃあ俺この階だから。そうだ、SNSで友達登録しとこうぜ』」
「『いいですわね』」
「『ありがとう』」
「『よし、これで登録出来たな。じゃあ今日の夕食、3人で学食まで食べに行こうぜ』」
「『そうか、ここだと学食が夜でもやってたよね』」
セルビオとは部屋の階が違うので階段の途中で別れたが、どうやらベルタとは同じ階なようだ。
「『じゃあ、夕飯でまたご一緒しましょう。』」
「『うん。ありがとう。』」
「『いいの。貴方と仲良くなりたいと思ったのは私だもの』」
部屋には既に荷物が運ばれていた。SĒUKの人が運んでくれたのだろう。
「この部屋では入り口では靴を脱ぐというルールでも作るか……」
マウサナ人の感覚では部屋の中では靴は脱ぎたいものだ。床には丸めて運んできた畳をカーペットの上にでも敷けば少しはマシになるだろう。
その後私は3人で夕食を食べると、部屋に戻った。こうして初日は無事に終わったのである……
それは日暦2022年1月、新年度始まってすぐのことで、突然の知らせであった。
「失礼します、校長先生……」
「おお、来ましたか」
「それで、話というのは……」
始業式の翌日の放課後、私は校長先生に呼び出され、校長室に入った。そこには、校長先生ともう1人、知らないマウサナ人が居た。
「君がトイヌ・シンだね?」
「はい、それで貴女は……」
そのミステリアスな雰囲気の、スーツを着た若いマウサナ人は、次に衝撃的な自己紹介をした。
「私は内務省特務機関、SĒUKのハルン・ペル課長です。今回は貴女にお話があって、ここを訪れました。」
「SĒUK……」
内務省に属する特務機関であるSĒUKは、マウサネシアの諜報機関であり、『泣く子も黙るSĒUK』と言われるほど、マウサネシアでは恐れられる存在であり、同時に人民を守ってくれる頼もしい保護者でもある。
そんなSĒUKの、しかも課長クラスの人物が直々に個人を訪ねてくる場合は2通りしか考えられない。つまり余程の凶悪犯か、SĒUKへの『お誘い』だ。
私はそのような重大犯罪を計画したこともないし、手を貸したこともない。普通のマウサナ人として生きてきた。
そうすると考えられる可能性は一つ……
「そう怖がらないで。SĒUKは貴女の才能、特に語学能力を高く評価した。」
「それってつまり……」
「さすが、察しが良いね。単刀直入に言うけど、君はSĒUKの『職員』としての内定が決まった。」
「トイヌさん、これは大変な名誉ですよ。貴女は我が校の誇りです。」
SĒUKの構成員は大きく分けて2種類。一つは『エージェント』で、幼い頃から訓練を積み、実際に重要施設に忍び込んで諜報したり、敵対国の要人を暗殺したり、敵のアジトを制圧するなど、実際に動く者たちだ。
そしてもう1つは『職員』で、民間人から頭脳面で優秀な人物を厳正な審査の後、声をかけて公務員として雇用、エージェントをサポートするなど、事務的な仕事をする者たちだ。
「君は厳正な審査を既に通過した。私の見込みなら君はすぐに昇進できるだろう。もちろん、君に拒否権が無いことは理解してるね?」
「はい。分かっています。」
「よろしい。これは君自身にとっても、そして君の家族にとっても大変な栄誉だ。もっと喜んでも良いんだが、まあ突然の事で驚いてるのだろう、無理もない。」
ハルン・ペル課長は、『ようこそSĒUKへ』と書かれた分厚い冊子と、何枚かの重要そうな書類を渡してきた。
「君への本格的な研修が始まるのは高校卒業後のことになるが、その前に、協力してもらいたいことがある。」
「それは何でしょうか」
「君は語学が得意だが、特にイエスパッシャン語が堪能だ。そこで、5月下旬より君に留学してもらいたい。学校の名前は王立カルドニア大学附属コレジオ・グラン=カルロス高等科、名門校だな。」
王立カルドニア大学附属コレジオ・グラン=カルロス。イエスパッシャン有数の名門校だが、マウサネシアではある意味有名な学校でもある。
この学校の学費はマウサナ人が想像できないほど高く、マウサネシア人民の平均年収は日本円で350万円にも満たないため、1年通うだけで人民2人分の稼ぎ丸々全て(8割超ある所得税は考慮しない)が必要になるのだ。
そのため、生徒の9割は貴族や財閥の御曹司、つまり正真正銘の『ブルジョワジー』であり、メディアの外国批判の際は『上流階級の再生産装置』として悪名高い。
「でも、そんな高い学校は……」
「心配するな、これは国費留学だから君の金銭的負担は0だよ。もっとも、マウサネシア人民の血税だから有効活用してくれないと困るがな。」
「私に出来るでしょうか……」
「まあ要するに向こうの上流階級について見たり聞いたりしたことを毎日、UsTalkで報告してくれれば良いだけさ。簡単でしょう?」
※UsTalkはマウサネシアにおけるLINEのようなもので、類似するYANPLACEのチャットが若者向けなのに対して、UsTalkは幅広い世代が利用する。
「確かに、私でも出来そうです」
「学業のほうも、才能を授かったのだから、有能な者の義務として是非とも頑張ってもらいたいね。」
「はい。留学させていただくのですから、もとよりその予定です。」
「その心意気だ。人民の血税なんだから、この留学でも祖国に貢献するように。」
こうして聖暦1992年5月下旬、私は『カレッジ』に学年ただ1人のマウサナ人留学生として登校した。
手には、留学のためにSĒUKから渡された、国外電波対応の特別仕様のMTCのスマホ(しかも、ハイエンドモデル!)を持ち、これがこの国で円滑に生きるための武器だ。
そして私はブレザーに身を包んでいる。厚着なため服が重いが、幸いにも祖国の制服と大きな違いはないので、すぐ慣れるだろう。
ちなみにスカートの長さには校則で規定があるらしく、膝が隠れるようにしなければならないという。マウサネシアなら、だいぶ長い部類に入る。
「これがカレッジの建物……まるで王宮みたいだ……」
見慣れたマウサネシアの学校と言えばモダニズム的な白い箱であったが、それは権威主義的な校舎であり、この国が権威主義国家だということを思い出させてくれる。
「それに街の建物も権威主義的だったし……」
この国で最も高いビルですら権威主義的な新古典主義建築だ。高さ300mのモダニズム建築なんて祖国にはいくつもある。
「おっといけない。職員室に向かわなきゃ」
歩いているうちに、ちらほらと他の生徒達が歩いているのが見え初める。腕時計(銀色でアナログ式、ソーラー&クオーツ)を確認すると、始業まで20分を切っていた。
マウサナ人は毎年この学校に数人ほど留学してくるというから、皆1度は見たことあるはずだが、やはり視線を感じる。
確かにこんな上品な学校に、青緑色の髪の毛と耳、尻尾を持った人物が居れば視線を向けられるのも仕方ないことだ、と思った。
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▲主人公の外見のイメージ |
担任の先生は若い白人男性であった。マウサナ人の勘だが、悪い人ではなさそうだ。
「今日から新しいクラスメイトが皆さんの仲間に加わります。トイヌ・シンさん、立って自己紹介を」
人間社会では第一印象が重要だと聞いていたので、自己紹介の内容は丸一日かけて検討してきた。
「『女子だ』」
「『かわいいな』」
「『あの子マウサナ人じゃない?』」
「『あのしっぽ本物なの?』」
「『みなさん初めまして。私はトイヌ・シンと申します。マウサナ人という種族で、マウサネシアから留学のために参りました。この国にはまだ慣れていませんが、半年間よろしくお願いします』」
ちゃんと伝わったかは心配だが、私の発音は祖国では上手だと評価された。大丈夫だと信じたい。
その後は何事もなく朝のホームルームが終了し、休み時間に入ると早速、私の周りに人集りが形成されたのだった……
「『マウサナ人と人の違いって何?』」
「『私たちは両性具有なんだよ』」
「『……その見た目で、ついてるの?』」
私が頷くと、周囲のクラスメイトからは驚きの声が上がった。話には聞いていたが信じられない、というふうだった。
「『普段何食べてるの?』」
「『えっと……こうゆうやつ』」
私がスマホに保存していた写真を見せると、数人が画面を覗き込んだ。
「『これ何だ?』」
「『これは芋、こっちはご飯だよ』」
所詮は平民の食事だ、と思う者も、この中には居るのだろう。
「『向こうの貴族はどんな暮らししてるのかしら?』」
「『えーと、エメラルド音楽貴族なら居るよ』」
「『???』」
エメラルド音楽貴族というのは月額料金を払うと沢山の音楽が聴き放題になるサービスのことだが、うっかりとここでは通じないことを言ってしまった。
音楽聴き放題なだけで貴族という名前が付く、とこの中に居るであろう本物の貴族様が知ったら、笑い飛ばされてしまうだろう。
「『あー……今のは忘れて。マウサネシアには貴族は居ないんだ。』」
「『貴族が居ない国ってほんとにあるのね……』」
「『マウサネシアにもダンスはあるのですか?』」
「『あるよ。MSN41とか、祖国では大人気なんだ 』」
「『MSN41?聞いた事ない名前ですわ』」
「『えーと……MSN41っていうのは国民的アイドルグループで……』」
「『???』」
上手く伝わらないが、どうしたものか。もしかして育ちが良すぎるとアイドルも知らないのだろうか。
「『多分そいつが聞きたいダンスってのは、お前が想像してるのとは違うんじゃねぇか?』」
思わぬ所から助け舟が出される。
先程まで白い髪の女子と教室の隅に居た、赤髪の女子。全学生の中で僅か六十人しか居ない『女王陛下の学徒』の一人が、私の所に歩いてきて、言った。
「『アタシはアンナ・カルデロス。アンナでいい。お前シンと言ったな、舞踏会って知ってるか?』」
「『舞踏会………あぁ、小さい頃に読んだおとぎ話で知ったけど……』」
「『こいつが言ってるダンスってのは、舞踏会のダンスのことなんだ。』」
「『舞踏会のダンス………』」
やらかした。この国の上流階級にとってダンスといえば舞踏会なのだ。それを平民がするようなダンスと勘違いするなんて、常識が無いと思われても仕方ないことだ。
思えば資本主義と権威主義を併用するこの国では、団地暮らしなんて社会の底辺なのだ。
資本主義で財を成した平民の富裕層と、権威主義の恩恵で入ってきた貴族が対立するこの学校では、団地暮らしの私なんて世界が違いすぎる……
すると、肩に優しく手が置かれた。
「『まぁまぁそう気を落とすなって。アタシもここに来た頃は舞踏会のダンスなんてほとんど知らなくて、色々苦労したんだぜ?』」
「『え……』」
「『ここじゃみんな知ってるから言うけど、アタシは一般の、中流階級の出なんだ。特待生としてタダで入れてもらってる、ってワケ。』」
「『そうなんだ…』」
「『ま、中流階級同士、仲良くしようぜ?』」
「『よろしくお願いします』」
「『シンさん!さっきは変なこと聞いてしまって、本当にすみませんでしたわ……』」
「『いえいえ、貴女は悪くないですよ。私も勘違いしてしまって……』」
先程ダンスについて質問してきた女子生徒は、名前をベルタ・デ・ゲベート・イ・サンディバーニェスといい、世襲貴族ビジェーガス伯爵家の令嬢だった。
先程の質問には悪意はなかったようで、放課後にわざわざ謝りに来てくれたのだ。
「『その、私の家は昔にマウサナ人と関わりがあって……』」
「『関わり?』」
彼女の話によれば、ビジェーガス伯爵家はかつてヴィシニョヴィエツキ家に並ぶ名門だったが、大航海時代にマウサネシアの征服を試みたが失敗して勢力が衰退し、それ以降平均的な一伯爵家として続くが、近代には当時のマウサネシアの人々に様々な支援を行ったそうだ。
「『その、これを聞いても私のことは、恨まないかしら……?』」
「『何を言ってるの。そんな大昔の話で恨むわけないし、そもそもベルタさんは関係ないよ。』」
「『感謝しますわ』」
「『お、ベルタそこに居たのか。ちゃんと謝ったか?』」
「『ちょっとセルビオ!突然来ないでよ!』」
「『ちぇっ。相変わらずオレには当たり強いなぁ。で、そこに居るのが噂のシンさんか』」
「『えっと、貴方は……』」
「『俺はセルビオ・イエロ・ガルシア。よろしくな。こいつとは腐れ縁だ。こいつは世間知らずだが良い奴なんだ、仲良くしてやってくれよ。』」
「『よろしくお願いします』」
「『まぁ、あんたら2人とは違うクラスだけどな』」
「『ところで、寮は決まってますの?』」
「『ええと、確かマウサナ人はどっちでもないから、女子用の部屋を1人で使うことになってる。確かソールズベリー寮だったような……』」
「『お、ソールズベリー寮なら俺たちと同じじゃねぇか。もっとも、男女ではフロアが違うけどな。』」
「『やっぱり男女でフロアは違うんですね……』」
「『当たり前だろ。何か間違いがあったら大変だからな。』」
「『カレッジには本当にどうしようもない生徒も居るから、シンさんも気を付けるんですのよ?』」
「『うん』」
カレッジには寮がいくつも存在するが、その規模には差があり、ソールズベリー寮は2番目に大きな寮らしく建物も隣の寮の倍くらいのサイズがあるようだ。
他の寮よりも相対的に歴史の浅いソールズベリー寮の建物は石造りではなく、鉄筋コンクリート造の5階建てである。
「『ここがソールズベリー寮……』」
「『良かったじゃねぇか、ソールズベリー寮は無難な内容の寮だからな』」
「『そうじゃないとこもあるんだ……』」
入口に入ると高い天井にシャンデリアがあり、その奥が階段になっているようだった。
「『じゃあ俺この階だから。そうだ、SNSで友達登録しとこうぜ』」
「『いいですわね』」
「『ありがとう』」
「『よし、これで登録出来たな。じゃあ今日の夕食、3人で学食まで食べに行こうぜ』」
「『そうか、ここだと学食が夜でもやってたよね』」
セルビオとは部屋の階が違うので階段の途中で別れたが、どうやらベルタとは同じ階なようだ。
「『じゃあ、夕飯でまたご一緒しましょう。』」
「『うん。ありがとう。』」
「『いいの。貴方と仲良くなりたいと思ったのは私だもの』」
部屋には既に荷物が運ばれていた。SĒUKの人が運んでくれたのだろう。
「この部屋では入り口では靴を脱ぐというルールでも作るか……」
マウサナ人の感覚では部屋の中では靴は脱ぎたいものだ。床には丸めて運んできた畳をカーペットの上にでも敷けば少しはマシになるだろう。
その後私は3人で夕食を食べると、部屋に戻った。こうして初日は無事に終わったのである……
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