架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

 聖暦1987年の4月中頃。一人の外国人の男が、意を決して都の大門を離れ、雨止みを待つことなく大路を走り出した。舗装されていないこのラピタの道路は、人の足で踏み固められるのが精々であるから、激しい雨が降ればたちまちにぬかるんで、履き物を履いていても走ることは無論、歩くことすら難しくなる。
 一寸先も見ることが難しい雨霧の壁を、勇敢にも工事用のレインコートやブーツで凌ぎ切ろうとした男だったが、大門から走って二、三十メートル程の位置でついに泥濘に足を取られ、地面に強か顔を打ちつけた。
「いたた、うわぁ、泥だらけだ。ちっきしょう…」
 危うく溺れ死にそうになるところを立ち上がったは良いものの、最早これ以上まともに行く事はむずかしかろう。せめて外人地区とは言わぬから、王宮までには到達したかったが、この有様ではどうしようもあるまい。
 彼はひどく疲れた様子でフラフラと側の建物に向けて歩き、ドサリと腰を下ろして柱に寄りかかった。
「ああ畜生、こんなところに来るのではなかったなぁ…」
 母国語でそう呟いた時、
「おい」
「わぁ!」
 俄に建物に下げられていた簾が動き、そこからヌッと浅黒い肌をした大男が顔を出した。身の丈は二メートルを越すであろうかと思われ、更に身体中にはさながら鎧の如く筋肉が張り付いている。
「し、失礼、その、雨がひどくて」
 つっかえつっかえに片言のラピタ語で弁明しようとすると、彼がまともな言葉を紡ぐ前に男はその手首を引っ掴み、そのまま簾の中に引き込んでしまう。
 そして、もしや殺されるのでは、と覚悟して震え上がる彼の前で、男は大音声で言った。
「また雨宿りのお客さんだァ、母さん、あったかい飲み物を用意してくれや」

 靴を脱ぎ、家の広間に通された外国人の男は、辺りをキョロキョロと見回して観察した。部屋の中央には囲炉裏と思わしき、灰の上に火のついた四角仕切りの空間が有り、家の床はそれを囲む様に円形に広がっている。だだっ広い一間の端には壁がなく、屋根を支えるために突き立てられた柱の間の広大な隙間には、雨粒を避ける為に乾燥した植物か何かで作られた簾が下されていた。
 他方人はどうかと言えば、実は先客が二人ほどいた。男と女一人ずつである。
 男の方は彼と同じ様な西洋型のシャツとズボンを着込みつつ、腰にぶら下げていたであろう刀を抱いて丸くなる様な姿勢で眠っており、その向かい側には柱に寄りかかる様な形で本を読む女の姿がある。
 女は襟のついた白い長裾のチュニックに、下は同じく白い長ズボンを履き足を投げ出して読書に集中していた。服装から恐らくはかなり多分の高い先住民である事はすぐに知れたが、肌の色はカーリスト周辺から来た彼よりも白く、腰よりも下に伸びた長い髪の毛も老人の如く純白であった。
 目の色は澄んだ青色だが、見る人によってはオーシャンブルーにもコバルトブルーにも見えるだろうか、と言う不思議な色をしており、同時に目鼻立ちは幼さを残しながらもぼうっと見惚れてしまうほどに美しく整っていた。
「あ、あの…」
「おや、新しいお客さんですか」
 彼が意を決して話しかけると、彼女は明確なデニエスタ語で答えた。思わず面食らって何も答えないでいると、彼女は少し驚いた顔をして、次いで何ヶ国語かで挨拶を述べた。そして、遂に正解に行き当たったーソルティア語である。
「はじめまして。これで正解かしら?」
「え、え、ええ。はじめまして。私は、スカセバリアル条約機構ソルティア連邦から来ました、ピエール・モランデューです。測量士をしております」
「リリウオカラニです。気軽にリリィと呼んでください」
 本を閉じて立ち上がり、彼女は握手を求めた。この時初めてピエールは、彼女が熱心に読んでいた本が、まるきり外国語の小説であったことに気がついたのである。

 「お待たせしやした、ささどうぞ」
 相変わらずザアザアと降り頻る外の雨を他所に、ピエールとリリィ、クリスと名乗った先ほど眠っていた青年、そして家の主人であるヨセーフォとその妻フィアメの五人は、湯気を立てている茶を前にして囲炉裏を囲んでいた。
 ピエールは茶を一口含み、その余りの渋さと苦さに思わず顔を顰めたが、周りの人々は顔色を変えずに飲み干しているのを見て、自身も鼻を摘んだつもりで何とか飲み下した。
「王女様から、水は腹壊す言われたんでこうしたんじゃがどうかね」
 彼女の通訳を介して伝えられた意図は、決して外国人相手への嫌がらせではなかったので、怒るわけにも行かない。
「ありがとうございます」
「にしたって、外国の兄さんは細っこいなぁ。まだ二十いくらだろうに、俺なんて六十過ぎたってまだ現役さ」
 ヨセーフォは自慢げに力瘤を盛り上げて見せた。後でピエールは彼のことを詳しく聞いたが、彼は島指折りの優れた漁師であり、同時に七人の子女を妻と共に産み育てた優れた親でもあった。うち二回ほど双子が生まれたという。
「……」
 饒舌に喋る者が居る一方で、黙して語らぬ者もいる。クリスと名乗った青年ー目の前の少女の従者だと言ったーは、黙ったまま茶を黙々と飲んでいる。顔つきは精悍さを絵に描いた様で、顔に彫り入れられた刺青と相まって、中々の迫力を醸し出していた。
「クリス、あなたも何か話したら?」
「話す事は特に」
「そんな調子では女の子にモテないわよ」
「どうでもいいじゃありませんかそんな事は!」
 リリィが彼に接する時の態度はどうやら他人とは一線を画している様で、遠い様に見えて実はかなり近いという印象を見る者に与える。それは異邦人のピエールも例外ではなかった。
「ところでピエールさん、あなたはどうして雨の中あんな無茶を?」
 興味深げな観察をしていると、ふと彼にリリィが水を向けてきた。一瞬戸惑ったが、答えない訳にもいかない。
「実は私は測量士として、王府の協力を得て都の周辺地形をチームと共に測量していたのですが…深い霧の中仲間とはぐれ、元々方向音痴の気があったのでどうにもならず、なんとか都まで戻ったは良いものの…こんな次第に」
「方向音痴で測量士とはこれいかに」
「はっきり仰るのはどうかと思います」
 彼女の直言をクリスが嗜めたが、彼としては苦々しい笑いを禁じ得ない。遥か遠い南の異国で、任務の途上にはぐれた挙句、呑気にこんなところで茶を飲んでいたなどと知れたら馘首では済むまい。今頃捜索隊の検討もされているであろう。
「その、雨が止みましたらすぐにお暇を…」
「それは得策じゃないわ」
「何故です?」
「一つ目として、このタイプの雨はタチが悪いのよ。多分夜まで止まない。夜、特に月が中天にかかった後は人の時間でなくて、魔物の時間だから出ない方がいい。二つ目は…」
「なんです?」
「ラピタ人は客人を引き摺り込んだら、一日掛で接待するまで返さない。おもてなしで恨みを買うよりはマシでしょう」
 その時の笑みはピエールさえたじろがせる妙な迫力があった。とても見た目通りの年端もいかぬ少女とは思えぬ不敵な笑みは、後々まで彼の心中に濃い印象を残したのだった。

 さて、それから夜になるまで、ピエール達はくだらない与太話を聞いたり話したりしながら時間を潰した。幸いラピタ人は日々の会話のネタはほぼ尽きない民族の様で、先ほど何もないと言い張ったクリスでさえも二、三の笑い話をストックしていたし、フィアメなどはーこれは全世界に普遍的な現象なのだろうかーご近所さんの噂話を「サメの牙の数ほど」隠し持っていた。
 一方ピエールはと言えば、自身の郷里のことをよく訊かれた。どのような暮らしか、美味い飯はあるのか、可愛らしい女の子はいるのか等々…。つい気恥ずかしくなる様な突っ込んだ質問もされたが、基本的に彼が何を話してもラピタの人々は興味深そうに聞き入り、終わった後には演劇を見た後の様に拍手を送った。
 その様な調子で雲の向こうで日は沈み、時間にしておよそ午後七時いくらという頃。
「雨が弱まってきたわね」
「好機だな。支度をしよう」
 俄にリリィ達が示し合わせて立ち上がり、各々が雨具をつけはじめた。
「何事ですか」
「あなたもいらして。今日は催し物の日だから」
 無造作にレインコートを放って寄越すと、彼女達はそのままシトシト振りに変わった雨の道へと出て行ってしまう。このまま帰るべきか、という考えもよぎったが、程なくしてピエールの中では毒食らえば皿までだ、との考えが優勢となり、早足で彼らを追いかけはじめた。
 一向は大路を横切り、今度は小さな路地に入り込むと、その中の大きな建物の前に足を停めた。既に中は人でごった返していて、この人数が座れる席を見つけるには酷い苦労を要した。
「一体何が始まるんです?」
「街頭テレビの映画」
 リリィがそう言って指差した先には、とっくに各国では廃れたブラウン管の箱型テレビが鎮座しており、先程から砂嵐を映し出している。
「政府が定期的にテレビを見られる時間を作って、海外の番組を受信したりして流すのよ。で、今日は映画の日」
「いらっしゃいませ王女様。ご注文は何を?」
「魚の切り身と蒸し焼き、皿で大盛りにして出して。蒸し焼きには鶏肉も入れて欲しいわ」
「後酒もだ。壺ごと持ってきてくれや」
「はいはい。丁度マヒマヒの良いのが上がりましたから蒸し焼きでご用意致しましょ」
 ピエールは王女、という風に聞こえた単語に反応したが、そこまでリスニングに自信があるわけでもないので、そのまま黙っていた。
「ところで、マヒマヒというのは?」
「ええと…そちらの言葉で言うとシイラかしら。あの頭の角張った魚」
「なるほど。こちらではポピュラーなんですか」
「ま、取る難易度が高いから」
 辺りは夜とも思えぬ喧騒に包まれていた。あちこちの卓で酒飲み達が大声で喋り、山盛りの料理からは食欲をそそる匂いが届いてくる。彼は暫く何も食べていなかったことを思い出し、思わず生唾を飲み込んだ。
「凄い混み合いだろ?」
「え、ええ。ヨセーフォさん」
「この日のツケだけで食堂の一家は二月くらいは遊んで暮らせるンだ」
「そんな!」
「あとそれから、このメシ代は気にすんなよ。俺とあの人で払っとくからよ」
「いざって時のサイフ役にされるのは癪だけどいいわよ。財は有り余ってるから」
「リリィ様贅沢は良くないです」
 そのような会話をしていると、擦り切れたレコードのような音声がテレビから流れはじめた。そして、大きくもない画面に映像が映り始める。
「始まったぞ!」
「あら、どうやら今日はあなたの国の映画みたいね」
「ええ、このシリーズは何度も見ました」
 今日上映される映画は、とあるシリーズもののSF映画だった。遺伝子研究所で甦った古代の強大な生き物達が施設から脱走し、絶海の孤島で壮絶なサバイバルが始まると言うパニック・ホラー仕立ての映画である。
 ピエールにとってはもはや古典名作の部類であり、子供の時からそれこそディスクが擦り切れるまで見たものだった。
「何度見てもいい映画ですよ、これは」
「そう、期待してるわ。あと、ネタバレは厳禁よ?」
 リリィはそう言って、口元に指を一本立てて笑った。

 映画が流れている間、ピエールは画面の他、その周りを見つめていた。質の悪い映像に掠れた様なラピタ語の字幕、恐らく旧型の受像機をタダの様な値段で輸入したからだろう、パチパチと耳障りな雑音がところどころに混ざる。
 しかし、にも関わらず見見ている人々は興奮し、のめり込んでいる。他愛の無いコミカルなシーンで大笑いし、見飽きた感動シーンでポロポロと涙を流す。直ぐ側で見ている白髪の少女も、また同じであった。
 食堂を照らすのは蝋燭ですらない灯火、音はスピーカーなどないから、ざりざりと音割れする受像器の音を直接、耳をそば立てて聞く。だが、そんな設備であったとしても、世界一の大劇場に当たらないのではないか。
 彼はそう思いながら、辺りを眺めていた。

 「いやはや、面白かった」
 二時間ほど映画を見た後、一向はまた家に戻って来ていた。ピエールの脳裏からは、既にこの家を辞去して戻ろうと言う考えは消えている。とはいえ、言ったら言ったで、
「私が口添えしてあげるから」
 とリリィに押し切られたであろうが。
 時間は既にだいぶ遅い頃となっており、街の灯もほぼ消えかかっている。そして、戻ってきたヨセーフォ夫婦は早くも寝支度を始めた。
「リリィ様とクリス様は、あちらの離れに。外人の旦那はこっちで寝てくだせえ」
「わ、わかりました」
 若い男女が同じ部屋で寝ると言う事は、この二人は婚約者か何かか、と彼は訝しむ視線を向けたが、同じ離れで寝ろと言われた途端に初心らしく顔を赤らめた彼女の様子を見るに、なるほど未満かとすぐに得心した。そして、全くと言っていいほど表情の動かないクリスを見て、恐らくはこの青年は指一本触れる事はなかろうという確信が心を満たした。

 その深夜。雨は上がって動物の鳴き声も最早まばらに、ただ森から吹き抜ける風の音だけが、ザワザワと街を抜けていった。生え残った草むらがそよぎ、囁く音を立てるのに誘われて、ピエールはふと目を覚ました。
 簾の向こうには煌々と月が輝いており、それが通り抜けて部屋の中を薄らと照らしている。
「故郷ではあり得ぬほど静かな夜だ…」
 彼は静かに起き上がると、周りで大の字になって眠る主人夫婦を避けつつ、離れに通じる廊下の脇の縁側に座った。無論そこにも簾があって足を乗り出す事はできないのだが、寛ぐことに特段支障はない。そして、そのまま夜の冷えた風と静寂を楽しもうと考えていたその時、
「なんだ、この声は…」
 周り中から、微かに声が聞こえてくる。男のものと女のものが入り混じったそれは、何か苦しみ悶える様な色を帯びていたが、不思議と悲壮さは感じない。いや、むしろこの感じは…
「月にはかられて、と言うやつかしら」
「なっ!」
 思わぬ声かけに驚き、後ろを見ると、そこには暗闇に薄く浮かび上がるようにして立つリリィの姿があった。彼女は一度あくびをすると、近くの鉄瓶から湯冷しをコップに注ぎ、彼のそばに腰を下ろした。
「ご存知ないかしら。たしか…大和の古い物語の書き出しで…『月にはかられて、夜ふかくおきにけるも、思ふらむところいとほしけれど…』なんて。ま、それは別にどうだっていいでしょ?」
「どうしてこちらに?」
「目が覚めたから。喉も乾いたので水でも飲もうかと」
 ごくごくと中身を飲み干すと、彼女は意味ありげな視線をピエールに向けて、澄ました顔で言い放った。
「ところで、周りのこの妙な声が気になるの?」
「え?あ、まぁ、ならないといえば嘘ですが…」
「…一言だけ言うなら、この街では深夜になれば娯楽は他に無いの。残念ながらね」
「…ま、まさか!」
「はい、静かに」
 自分の分とピエールにも湯冷しを入れてやると、彼は勢いよくそれを飲んで頭を冷やした。同時に彼女も喉を鳴らして飲み下した。僅かに頬を赤くしてしまったことを隠し通すためである。
「ま、お陰様でこの国の出生率はいつも高いのよね。どこに行っても赤子の鳴き声と、遊び回る子供の群れには事欠かないもの」
「あまり知りたくはなかった事情ですね」
「…正直都住みの中でこれだけは嫌なところよね。耳に張り付いてきてなかなか眠れないし、ちょっと嫌」
「はっはっは、分かります。私が故国で住んでいた家も、壁が薄くてこう言うことがたまにありました」
 あはは、と静かに笑い合う。国も環境も違うが、たまにこうして符合するところがある。それを面白く感じるのは、どこの者でも同じ様だった。
「故郷はソルティアだったかしら」
「ええ。ソルティアの南の田舎です。山間の町で、実家はりんご農家なんです」
「りんご!いいわね、この国じゃ育たないから滅多に食べられないのよ…」
「もしご希望なら、実家に連絡してお取り寄せしますよ」
「いいわね」
 またひとしきり笑う。すこしして、彼女は再び質問を投げかけた。
「ご家族は元気?」
「ええ、元気です。父も母も、昔気質の農家で、仕事をするなら一本貫き通せって言う人なんですよ。私がここに行くと告げた時も応援してくれました…まあ」
「まあ?」
「恋人は、残念ながら付いて来てはくれませんでしたが」
 その比喩するところをリリィは正確に読み取った。気持ちは痛い程わかる。この様なはるか南の、得体の知れない先住民の国に、長い長い仕事をしに行くと恋人に言われて、その将来を考え直さない者がいるだろうか。二、三度口を開けて言葉を絞ろうとするが失敗し、沈黙の帷が降りてしまう。
「…なんというか、悪いことしたかしら」
「まさか、あなた方のせいではありません。それに」
 ピエールは小さく呟いた。
「来てみましたが、ここは面白いところです。私の人生を賭けて、来てみる価値があったと言うものですよ。特に、あなたと出会って、お話しできたこととか」
「…ふふ、光栄ね」
 残った湯冷しを飲み干すと、そのままリリィは静かに寝床へと戻って行った。そして、後に一人残った彼は、そのまま横になり、再び寝息を立て始めた。

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