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大サハラ帝国の歴史では、大サハラ帝国の誕生から現在までを述べる。



群雄割拠時代

サハラ人がいつ生まれたのか、どこで生まれたのかは諸説あるが、およそ5万年前には現在と変わらない状態になっていたと思われる。もっとも古い記録は約32,000年前で、現在のサハラ地域はいくつかの国家が覇を競っていたとされる。このころの記録は石板が主だったが、度重なる戦乱によりかなりの記録が焼失したと思われる。
群雄割拠時代は、現在のヌアクショット?近辺を本拠地とした「カールボレアス王国」の台頭により終焉した。

カールボレアス王国の躍進

紀元前24627年、現在のヌアクショット近辺にて現地の部落などが協力し、自分たちの指導者として「ブルグンド・ヌアクショット・ガギオダス」を選出した。ガギオダスは自らを国を統べる存在であると定義し、ガギオダスによる独裁を宣言した。ガギオダスは、現在の群雄割拠の原因は諸国家乱立にあるとし、サハラ人地域の統一を宣言した。のちの文書では、この独裁宣言をもって「カールボレアス王国」の成立であるとしている。
カールボレアス王国の成立後、ガギオダスは技術発展と軍備増強に注力し、その類まれなる才能を用いて王国の成立から僅か5年で周辺国家をはるかに凌駕する軍事力を手に入れた。これに対抗し、周辺国家は対カールボレアス王国同盟を結成するものの、紀元前24621年に同盟連合軍とカールボレアス王国軍の大合戦「ハルキア決戦」により同盟連合軍は全滅、同盟は崩壊した。
その後もカールボレアス王国は戦争と外交を駆使し、諸国家の撃破・属国化・併合を繰り返した。紀元前24611年には、カールボレアス王国に次ぐ規模の王国であった「ベロナス王国」を外交により併合。これにより、北部サハラ地域の完全掌握を成し遂げた。その後、ガギオダスは自身を「ガギオダス1世」として正式に国の王として即位し、拡張によって疲弊した国内をまとめつつ、さらなる国力増加を進めていった。この時期は、無茶な拡張で内政がパンクしつつあったとの記録があり、拡張の小休止とされている。
紀元前24599年、ガギオダス1世崩御、89歳という若さでこの世を去った。直後、ガギオダス1世の長男がガギオダス2世として即位。父の悲願であるサハラ地域統一に邁進していく。

サハラ地域の統一

ガギオダス2世は即位後、すぐにサハラ地域統一事業を始めた。もともと、1世の尽力によって国内統治は非常にうまくいっており、崩御しなければ近いうちに統一事業を始める予定だったからである。ガギオダス2世も1世ほどではないが優れた才覚を発揮し、紀元前24582年にサハラ地域では最大の国家となった。しかし、隣国の「メアターフ王国」の策略により国境部で反乱が発生。混乱に乗じた周辺各国の攻撃により紀元前24580年には新規で手に入れた領土の3分の1を喪失した。しかし紀元前24577年、体勢を立て直したカールボレアス王国を怒涛の再進撃を開始。メアターフ王国を含むサハラ地域諸国家を大攻勢によって崩壊させ制圧。紀元前24574年、ついにサハラ地域の統一に成功した。

大サハラ帝国の成立

紀元前24573年、サハラ地域の統一に成功したガギオダス2世は、自らを王の中の王であるとして、皇帝を宣言。同時に国名を「大サハラ帝国」と変更し、帝国の誕生を記念してこの年をサハラ暦元年を定めた。また、先代国王の偉業をたたえ、首都の名前を「ヌアクショット」とした。目下の先代の悲願を成し遂げた皇帝は軍の順次武装解除を進め、国内に重点を置くことを宣言した。これにより、科学・文化面の発展が一気に進むことになった。

大サハラ帝国の絶頂期

没落した帝国

ニスカリマの一撃

現代

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