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概要

帝暦とは西レーネ帝国でのみ用いられている暦である。聖暦とは約830年のずれがあり、聖暦の紀元前830年を帝暦元年としている。レーネ帝国?建国を元年としており、当時はレーネ帝国領となった地域で広く浸透していたがレーネ帝国の衰退と帝国の東西分裂により東レーネ帝国では使用されなくなり、西レーネ帝国領のみで使用されるのみとなった。さらに西レーネ帝国が衰退すると、最後の帝国領となったイーザス半島とロスタンダール半島のみで使用されるようになった。

制定に至る歴史

紀元前840年頃の共和制レーネ?の学者ソリテンネウス?は王暦に代わる新しい暦を模索していた。紀元前1408年から使用されていた王暦は当時既に、578年となっていた。ソリテンネウスはそれを良しとせずに新しい暦を求めた。しかし、暦を変えるに至るような重大な事件は起こらずに紀元前833年(王暦585年)、ソリテンネウスは亡くなった。しかし、彼の死から3年後にある重大事件が起きた。そう、帝政レーネの発足である。彼の弟子達は初代レーネ皇帝ローレンス・ラ・ヴァルダンに亡き師の考案した暦を採用するように嘆願書を提出した。その暦の出来の素晴らしさに感銘を受けた皇帝ローレンスはその暦を「帝暦」として採用した。また、便宜的に建国の年を元年とした。満足した弟子達は師を称える碑を作った。これが師へ捧ぐ我々の成果?と呼ばれる石碑である。

帝暦の拡散と浸透、衰退

帝暦は紀元前830年(帝暦0年)〜600年(帝暦230年)にかけてのレーネ帝国の拡大に伴い、大陸中に拡散された。その後紀元前210年(帝暦620年)の帝国の東西分裂?により旧東方帝国領(東レーネ帝国)では使用されなくなった。その後は一貫して西レーネ帝国で使用され続けた。

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