架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

 聖暦1992年9月末。平穏な村を吹き抜ける温かい風すらも、冷たい山の流水の様に感じる。空を流れる雲が今にも真っ黒な雷雲に変わり、滝の様な大粒の雨を降らせる様に思える。人々にそうした不吉な想像をさせる様な噂が、あちこちで囁かれていた。
 都の人々は朝起きて近所と顔を合わせれば、挨拶もそこそこにそのことを話し合い、神に祈る時も、食事をするときも、眠る時でさえ忘れることはなかった。
 皆暇さえあれば、都の南の山肌を眺めたり、暇と体力のあるものはわざわざその場所を望む村まで足を運び、直接に目に焼き付けようと努めた。
 それ程までに人々は浮き足立ち、気を揉まずにはいられなかった。
 「リリィ王女不予」、という見出しが新聞の一面に踊ってから、王国全土で、薄暗い闇に包まれたかの如く、陰鬱な雰囲気が渦巻いていた。

 ことの起こりは今から少し前に遡る。とある超大国の死に伴って起きた騒乱の責任を負い、リリィ王女がカイラニ村に程近い離宮に謹慎の処分を下されたことは、既に国内外周知の事実であった。が、当の本人も含めて人々はあまり深刻にそれを捉えることは無く、いつもの通り彼女が有り余る才気を暴発させて、父王から頭を冷やせと叱られたのだろうと噂し合っていた。
 そして、それを裏付けるかの如く、彼女は離宮に入ってから、謹慎中にも関わらず盛んに村を訪れ、村人や子供達と触れ合い、普段は聞けない様な外国の面白い話を語り聞かせたり、持ち込んだおもちゃで新しい遊びを教えてやったりと朗らかな日々を楽しんでいた。
 流石に祭りや宴会に姿を見せることはなかったが、村の長や人々と夕食を囲み、酒を片手に歌い踊ることはしょっちゅうであったから、もはや慎みなど遠い世界のことと誰もが思っていた。
 が、ある日を境にぷっつりと彼女が村を訪れることが絶えた。食事はおろか、村に入ってくることも、離宮の建物の外に姿を見せることも無くなった。何事かと思い、村人が思い切って離宮の召使に尋ねても、秘密と言って首を振るだけで、何も教えてはくれなかった。
 そして、どうやら王府へと定期的に書き送っていた手紙も出していない様だ、ということが知れると忽ち噂の煙が立ち、燎原の火の如く王国本土に広がった。
 最初のうちは単なる体調不良であったのが、段々と尾鰭がつき、実は疫病だ、いや実は過労によって倒れたのだ、遂には死の床で危篤になりかねぬ状態なのだ、などと際限なく噂は膨らみ、果てには公営新聞もその記事を一面に載せた。
 無論王国政府はそうした噂を消し止めるべく幾つかの命令を発したが、帰って民衆の疑心を掻き立てる結果に終わり、諸外国がリリィの為に石段の派遣を持ち掛けたことが何処かから漏洩すると、いよいよ手のつけられない有様となった。
 離宮には王国全土から見舞いと回復を祈る品物が届けられ、神官達は聖地で快癒を祈る祈祷を行い、王国に駐在する外国人の医師が速やかに派遣され、本国からも設備や医薬品の搬入が予告されるなど、社会的な現象を引き起こした。
 さて、そんな外の騒ぎの根源となった王女、彼女は一体どの様な状況で日々を送っていたのか。実は…

 「うーん、まだ微妙に熱が下がりませんね」
「あらぁ…」
 離宮の一室、ベッドに横たわるリリィを前に、付き人のクリスはため息をついた。持っている外国製体温計は、三十七度三分を示しており、体調が思わしくないことをよく表していた。
 彼女は額に体を冷やすための冷却シートを貼り、側には経口補水液で満たされた水差しが置かれている。頬は仄かに色づき、腕や顔は汗ばんでいて、時折ちょっとした咳が漏れ出た。
「殿下、医師団の方々の診断が出ました」
「読み上げよ」
「はい…スカセバリアル、マウサネシア、チューイー他現地駐留医師団の診察によりますと…リリィ王女殿下は…『風邪』と思われます」
 外の混乱とは対照的に、彼女の体を冒していたのは、至ってありふれた、平和的な病であった。
「ところで、外はどんな感じなの?」
「いやあひどい混乱です。あちこちでリリィ様はまだ生きているのかって訊かれて…何で最初秘密にしてしまったんです?」
「だって分からないもの」
「まあ、お気持ちはわかりますが…でも、最初から外国人医師を呼べたらよかったですね」
「まあ巡り合わせが悪かったのね。偶々どこの駐留医師団も手一杯で、こっちの薬師が対処してる間に噂が広まって、急いで来てみたら却って火に油をって」
「外国からお手紙がたくさん来てます。熱が下がったら目を通しておいて下さい」
「ん」
 リリィは返事をして、水差しから飲み物をコップに注ぎ、チビチビと飲んだ。確かに体調不良なのは間違いないが、意識は明瞭で受け答えも澱みなく、病の影は全く感じられない。
「(重病に備えて伏せたのはわかるけど、こうなるなら普通に公表すべきだったよなぁ)」
 クリスは心中苦笑いした。元はと言えば、今回の変事は熱を出した際に、彼女が厳重な箝口令を敷く様に指示したことから始まる。一応自分の立場をよく理解しているのか、彼女は薬師の診断が有るまで迂闊な公表を避け、混乱を防ぐことを図ったのだ。
 が、その結果として外の世界は阿鼻叫喚である。彼女のお付きの薬師は、それ相応の能力と知識を持った人物だったが、結果としてバッシングに晒され、神官達にも飛び火する勢いだという。
「なんとも、気の毒なことをしてしまったわね。爺やのことはきちんとケアしないと」
「はい」
 ばさり、と手紙の束を広げつつ、彼女はそう言った。こうした時、彼女は自分に寄せられる人気、いや崇敬に対して少々息苦しさを感じてならない。憎まれるよりは良いのだろうが、一挙手一投足を注目され、また自身の周りの人々がそれによって何某かの損害を被ることになるのは嫌だった。
「俺だって、実は一部の方から憎まれているんですよ。リリィ様を誑かす下賎な男、って」
「何それ。流石に怒るわよ」
 かつてクリスが笑いながら言ったことを心中密かに反芻すると、まるで豚の脂身をたくさん飲み込んだ様な胸の悪さを感じる。彼はそもそもそんな邪な人間ではないし、自分は簡単に誑かされる柔な女ではない。半身を侮辱されたことと自負を傷つけられたことは未だに思い出せば怒りが湧いてくるほどに衝撃的だった。
「いろんなところが来てるのね。あら、これって…」
「チューイーの太子様からです。ご丁寧に直筆ですよ」
「確か、筆まめなのよね…こっちもちゃんと返さないと失礼かしら。紙とペン、あと辞書を持ってきて頂戴。二枚書くわ」
「はい。でも…何故です?」
「ラピタ語とチューイー語のニュアンスの違いを補填する為よ。ラピタ語で思いの丈を書いて、それを自分でチューイー語に訳す。で、向こう側に二通渡せば、確実に私の意図が伝わるわ」
「分かりました」
 大分前から用意していたのか、手紙用の古めかしい紙を渡されると、リリィはすぐに流麗な古書体ラピタ文字で手紙を書き始めた。字を書く際の独特の癖もあえて直すことなく、そのままに書いていく。
「この度は、私の引き込んだ病に対して、国境を越えて大変なご厚情をお示し下さり、感謝に堪えません。私及び、王国政府より心から御礼を申し上げます。また、貴国の優れた医師団に対し、私を含めた全ての国民は、深甚なる敬意を払い…」
「どうかしたんですか」
「いや、その…この後、『実は風邪でした』とか書くのよね」
「はい」
「このゴテゴテした文章の後に、『実は風邪だったのだ! バーン』みたいなふざけた趣旨を繋げるのよね」
「はい」
「舐めてんの?」
「いや俺に言われても困ります」
「うーん…仕方ない。もうちょっと砕けた感じに書き直しましょうか」
 お礼状にオチを付ける必要性は無い、とリリィは紙を捨てて、二枚目に書き始めた。
「この度は、貴国の優れた医師団を派遣して下さり、本当にありがとうございました。お陰を持ちまして、すっかり体調も平常を取り戻し…」
 次に書いたものは比較的マシな出来になったらしく、彼女は満足げに頷いた。
「これならまあ、失礼には当たらないでしょ」
「よく分かりませんが…」
 彼女は一旦手紙を封筒に入れると、すぐ側のベルを鳴らして執事を呼び出し、手紙二通を持って王都の外務省に届ける様に指示した。そして、執事が退出すると、大口を開けて欠伸をし、そのままベッドに横になった。
「…ちょっと寝るわ。まだ体がだるいから」
「はい。では、俺はこれで…」
「待ちなさい」
 立ちあがろうとしたクリスの服の袖口を掴むと、彼女は震える声で命じた。
「まだここにいて。それで、手を私のおでこの上に…そう、そんな感じ。そのままこうして居なさい」
「眠れますか?これで」
「うん。程よいくらいに冷たくて…安心する…おやすみなさい」
 風邪を引くと人は寂しがり屋になる、と聞くが果たしてそれだろうか。或いは、普段から彼女が言うわがままだろうか。いずれにしても、彼は苦笑いして、この長時間労働を受け入れた。目の前の主人の安眠の為に。

 「ん、んん…」
 少しして目を開けると、すぐに天井が目に入った。自分の視覚を遮っているはずの掌が無いことに気がつくと、リリィはばね仕掛けの様な速さで文字通り飛び起きた。
 そして、すぐそばに目を向けると、
「なんだ、居たのね」
 自分の左手を握ったまま、ベッドの際に突っ伏して眠るクリスの姿があった。
「ん、リリィ様、おはようございます」
「おはよう。全く、命令を破るなんて、いい度胸してるじゃない」
「それは、その…」
「まあいいわ。ちゃんと側に居てくれたのは事実だから…ご褒美をあげるから立ちなさい」
 彼が立ち上がると、リリィは体を捻ってそのまま彼を抱きしめた。仄かな心地良い温かさが二人を包み込む。
「リリィ様…」
「もう少しこのまま」
 後ろに手が回るのを感じた彼女は、更に表情を緩ませた。
「ねえ、…偶には風邪引くのも悪くないわ」
「どうしてです?」
「みんなが優しくしてくれて、お世話してくれて…何より、あなたを独り占めできるもの」

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