架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

 山からの風が吹きおろし、雨雲となって空を覆う、ラピタの夏の日のことである。もとより湿潤なこの国では、殆どが夏であり雨が降るが、その日は一際激しく音を立てて降り注いでいた。
「クリス、飲み物を用意して頂戴」
「お茶でよろしいですか?」
「うん」
 王女リリィは、この雨に理由を得て仕事を休み、王宮の一室から黙然と外を眺めていた。巫鳥に濡れたバルコニーからは、雨の薄い衣を通して甍を連ねる市街地が見える。
「流石に今日は強いわね。誰も通りに出ていないわ」
「もう少し続く様です。川が氾濫しなければいいのですが」
「まあ、外国の支援で治水工事もしっかりとできているし、そう心配することもないと思うけど」
 リリィは安楽椅子に腰掛けつつ、付き人のクリスが持ってきた麦茶を口に含んだ。なんだかんだ、一日中ずっとこの調子である。普段の気力に溢れた姿は何処へやら、半分眠っている様な調子で薄ぼんやりとして、時折クリスを呼んでは取り止めもない話を垂れ流すだけであった。
「(まあ、こんな日もよろしかろう)」
 とはいえ、クリスは決してそれを責めるつもりはない。何しろ、最近あまりにも要人の訪問や国家行事が続きすぎた。ガリアやチューイーの王族訪問、条約締結事項の見直し、議会での改革案提出…このところリリィはあちこちに引っ張りだこで、一時も気が休まる時が無かった。ならば、今日一日、いや、一週間ばかりはこうしてぼんやりと過ごしても責める人はいないだろう。彼はそう考えつつ、自分も冷たい麦茶を注いで飲んだ。
「…クリス。あなたは雨が嫌いだったわね」
「…そうでしたか」
「ええ。雨の日は外に出られないし、頭も痛くなるって言ってた」
「かも知れませんね」
「…でも、私は雨の日の方が好きよ。雨の日は『痛くない』もの」
「……」
 燦々と太陽が輝き、白い砂浜と真っ青な海がどこまでも広がる南国の楽土。その様に言えば聞こえは良いが、リリィにとって太陽とは、光によって自らを鞭打つ痛みそのものであった。
「まあ、日焼け止め塗る様になってからは、晴れの日も好きにはなれた。でも、それでも日差しがきついと碌に目も見えないのよね」
「…すみません、無責任なことを言って」
「別にあなたが謝る必要は無いのよ。もう随分と昔…十二年、いえ、それよりももっと昔のことかしらね…」
 もたれかかった安楽椅子が高い音を立てて軋む。眠たげな彼女の双眸は、その中に古い思い出を描いていた。
「…ねえクリス」
「はい」
「お母様のこと、覚えているかしら」
「…とてもお優しい方でした。身分の低い俺にまで、気遣いをして下さる、お美しく気高い王妃様でいらっしゃいました」
「…思い出は美化されるものだと思うけど、私もそう思う。身贔屓が過ぎるかしらね」
 リリィの母ー現国王の第二王妃で、先代の「白髪の御子」ーは、今から二十二年前にリリィを産み落とし、彼女が十歳の時に帰らぬ人となった。
 クリスがその名前を聞いて思い出すのは、娘によく似てすらりと背が高く、透き通る様な真っ白な髪を持った優美な女性の姿である。元々彼の父親は、この第二王妃付きの侍医として宮中に勤めていたのだ。
「長い間国王陛下との間に子供ができないから、『産まずの王妃』と蔑まれて、その末にリリィ様が生まれると、途端に皆掌を返した」
 クリスの父は絶えずそうぼやいていた。いかに神々の守護によって身は守られているとしても、嫉妬と中傷は根絶しうるものではなく、宮廷に息づき、渦巻いていた。
 しかし、そんな中でも彼女は娘を育て上げ、教養と活力に溢れた立派な王女に仕立てた。それこそ、外国からは女王の有力候補と見做されるほどに。
「こんな雨の日は、お母様のことを思い出すわ。クリス、あなたもそうじゃない?」
「…ええ」
「今思い返すと、本当に悪いことをしてしまったと、そう思っているわ」
「……」
 ざあざあと降り続ける雨の中に二人が幻視していたのは、そんなリリィの母の最後の思い出のことだった。
 今から十二年前のある日。朝から暗雲が垂れ込めて、雨こそ降らないがいつ荒れだしてもおかしくないぐずついた天気だった。
 リリィとクリスが喧嘩をしたのだ。きっかけはいじらしいもので、その時ちょっとした風邪で塞ぎ込んでいた母親の為に、リリィが薬草を摘みに行こうとしたのを、危ないからとクリスが無理に止めたのである。
 当然双方譲らず、遂には父王が彼に味方するに及んで談判は決定的に決裂した。彼女はしょんぼりとして一度は部屋に戻ったが、ここで素直に言うことを聞く様な子供ではない。すぐに脱走を思い立ち、宮殿の抜け道を使って、遂に一人で敷地から脱出しおおせたのだ。
 リリィの脱走がわかった時、既に外には雨が降り始め、時折雷の光がピカピカと輝いていた。国王はすぐに親衛隊を総動員し、都から街道をひた走らせ、薬草が生えているであろう山を分け、谷を抜けて彼女を探させ始めた。
 無論クリスもその一団に加わり、声を枯らして彼女を探し求めた。だが、見つかることはなく段々と辺りは暗くなり、相手の顔を見分けることさえもおぼつかなくなる。創作は一度中断された。
 …深夜。降り続いた雨がようやく晴れて、彼らは捜索を再開した。そして、再び彼らは山の中を歩き回り、その末に古びた霊廟を発見した。誰かいるのかと誰何すると、少女の声が答えた。皆が先を争って駆け込む。
 そこに居たのは、リリィと、ずぶ濡れになりながら彼女を胸に抱き、疲れ果てて眠るその母の姿だった。
「…それから一週間後だった。お母様が風邪を拗らせてそのまま旅立たれたのは」
「……」
「私は一生忘れられないわ、クリス。あの時のお母様の胸の感触も、私を温めようとする細かい震えも、泥だらけになった足元も」
「リリィ様…」
「言わないで、クリス。あなたは何も悪くないもの。悪いのは私、私があんな馬鹿な真似をしなかったら…」
「……」
 降り続く雨に向けて語りかける様な思い出の回顧を終えて、リリィは推し黙った。麦茶の氷はすっかり溶けて、結露がコップ全体を覆っている。
「…リリィ様、何か温かいものでもいかがですか?スープでも作らせましょう」
「いいわね…お願いするわ」
「はい」
 クリスが立ち去ると、リリィは立ち上がって、内と外を隔てるガラス窓に手を当てて、そこに映る自分の顔と、段々と疎になる雨粒のカーテンを眺めた。
 もう間も無く、雨は止もうとしている。

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