架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

新聞を読んでいると、ある記事が私の目に飛び込んできた。
内容としては少女が母親を密告したと言うもの。数年に一度の頻度で発生するありふれた英雄譚であり、悲劇だ。
そして、これらの記事を目にする度に、私はあの愚かな行為を後悔している。

新聞の日付欄を確認すると1990年の4/19。どうやら私が父を密告してもう12年が経過したらしい。
当時、私は中等教育を受けていたが、父は頻繁に私に物を与えてくれた。私は絵を描くことが好きだったから、様々な画材、それは高品質で素晴らしい物を父は私に渡してきた。後から知ったことだが、それは隣国のゴトロスのものだった。

「決して誰にも言ってはいけないよ。」

それが父の口癖だった。
当時、私たちの家族は3人で、父が共産党員であったから個別住宅に住んでいた。代わり映えのない部屋、ただ階が違う以外に何の違いもないアパートだ。
家は狭く壁は薄かったけど、でも私はそれまでの共同アパートから離れ、自分だけの宝物を積み上げるスペースを得れたからひどく嬉しかったことを覚えている。
何の変哲もない日常がそこにはあった。

朝起きてニュースを見ながら缶詰め等の半加工食品を活用した朝食を食べる。そしてバスに乗り、街路樹が両脇に生える道路を進んで学校に到着し授業を受ける。
昼食は食堂で、少なくない数の友達と駄弁りながら決して美味しいとは言えない料理を食べた。
それから午後の授業があって、放課後にクラブ活動に精を出す。
そう言ったごく普通の学生生活を送っていた。

私の家は特段豊かでも、特別でもなかった。共産党は一定の理論と知識、金があれば誰でも加入することが出来たから、親が共産党員なのは特別視されるわけではない。

母は父が必死になって手に入れた理想の個室で自分を表現しようと躍起になっていたことを鮮明に覚えている。
今でもそうであるように、壁が薄かったから壁一面に織物が吊られていた。リビングには赤色の、部屋には緑色の、そう言った様々な色の織物を母は作り、飾っていった。

今とさほど変わらない生活で、でもやはり若干の物資不足は続いていた。家電はそこまで出回っておらず、修理もなかなか頼めない。(これは今でもそうだが。)だから友の家は中古品か故障しつつある家電を使っていた。
でも、私たちは何故かそう言った家電は少なく、最先端とは言えないがそれでも比較的進んだ家電を使用していたし、見慣れないマークが入った腕時計を両親は保有していた。

おかしいと、初めは思っていなかった。父がこの地域の共産党で比較的上の地位に居たと知っていたから高給取りで、だから私たちは恵まれているんだと思っていた。

でも父が私に与えてくれた物は多くの面で優れすぎていたし、何より学校で教職員が推奨していた密告のそれに当てはまっているように思った。
今、思うとひどく不思議に思う。それは、人々の友愛と協力を呼び掛け、推奨し、そのために共同アパートを建設した政権が、人々の友愛と協力を分断させるような密告を推奨していることだ。

道徳の授業があった。そこで私の担任は私たちに向かって冷酷に告げた。―不審なら密告しろ。
多分、資本主義国家なら考えられないのだと思う。でもここは社会主義国家で、人々は自分のために生きるのではなく集団のため、共同体の為に生きることを強制される。全てが間違っているわけではない。それは正しい事で、だからこそひどく残酷だ。

そんな授業、「疑わしきは罰せよ」「一人は万人のために、万人は一人のために」と言う2つの理念の教育が何年も続いた。
純粋だった私は、それを正しい事であり、実行しなければならないと思った。

父が共産党員であった事が不思議な事では無かったとは先程も書いたけど、ただ1つだけ不思議な事があった。それは、私は電話に出ることが出来なかったし、時々訪れる人々が家に入る時に私は決まって外に出された。

「仕事だから」

父はそう言った。でも、私にはそう思えなかったし、周りの友達の家では全くそんなことはなかったらしい。
長い間不思議だった。

そんな疑問と、学校教育が育んだ歪んだ義務感が私に罪を犯させた。
別に、体制批判をして、資本主義化を望んでいるわけではないし、社会主義の方が私には好ましいけど、やはりこの国の道徳はどこか間違っているんだろう。

赤色テロルの合法化、プロレタリアによる革命時の私刑の承認……もう今は革命時や強力な敵が居るわけでもないのに、未だにこの国の道徳的規範は処刑人―詰まる所殺人鬼に帰せられている。
彼ら(共産党)によると、「共産主義の為ならば人間にはあらゆる事が可能であり、あらゆる事が許され、勤労者の利益に益するならば、例え殺人であろうとも道徳的である。」
そして、処刑人(革命時に裁判を経ず冤罪の可能性もある人々を虐殺した)は、殺人と言う悪を、必要に迫られて一時的に執行する悲劇的な義務、ひどく困難で良心に訴えかける義務を、ただひたすら実行し、自身の手と魂を血で染めることで、革命の貴族になったと言う。
つまり、「処刑人は共産主義の為に(地上に天国を産み出すために)大量虐殺と迫害の罪を背負う。」

多分、密告が推奨されるのはそう言った道徳的規範なんだろうと思う。
処刑人が時代の要請によって罪を犯し、その為に神聖になるように、必要が要請されるなら、密告と言う裏切りが罪として、しかし共産主義の為に赦される。

実際、その頃は共産党が酷く揺れ動いていた気がする。常に誰かの逮捕のニュースが流れていたことが印象に残っている。(それは守旧派と改革派の攻防だった)
反汚職キャンペーンがあった。
そして、私は密告によって称えられた少女を知っていた―ひたすら授業で聞かされていた。

私は成すべき事を見つけ、それを行わなければならないと、当時は思い、それを行った。行ってしまった。
父との約束を破ったのはそれが初めてで、そして最後だった。

私は教師に父の不思議な行動と、やけに高品質な絵の具の事を言った。
教師は私を大層褒めてくれて、父に秘密にするように言った。私のちっぽけな自己顕示欲と自己満足は満たされて、私は機嫌良く帰りのバスに乗り、家に帰っていった。

それから、様々な大人が放課後、私に質問をしてきて、私は当時憧れていたНАБ―国家安全保障局(※KGBに相当)の職員と対面し、次に父から家から出てほしいと頼まれた日付を教えて欲しいと懇願された。私は正しいことを行っていると言う高揚、まるで物語の主人公であるように感じていたから、それを彼らに教えた。

父の破滅の時計は緩やかに流れていった。彼が最後を過ごしていた部屋は、今私が住んでいる部屋のような場所だった。
壁には織物がかけられ、小さな棚と机が置かれている。そしてその場所に大切に保管している小物が数多く置かれていて、中には10年以上前に発売されたものも混じっている。

それから、私は父に仕事のためだから出ていって欲しいと言われ、何時ものように出ていった。そして来客が家に入り数分すると、НАБの職員が突入していった。両親と来客が拘束される状態で出てきて、母親はその風景を見つめていた私に「何て事を!」と怒鳴って、そのまま連れられていった。

私は何故、私に怒ったのかわからなかった。何故なら、私はその時の共産党中央委員会から賞状を貰ったし、学校の殆どの教職員に褒められた。
地方新聞で、なおかつ小さな記事だったけど新聞の取材もあった。
私は誇らしかった。ただ、友人は全員が離れていった。幾つかのクラスメイトは私を持て囃し、私を誉めてくれたけど、多くの場合は私から逃げるようになっていた。

それから私は芸術の道に進んでいった。私は憧れの芸術大学に入学出来た。所謂天才と比べると、絵が上手いわけではなかったけれど、しかし私は密告によって手に入れた共産党とのコネで入学させて貰った。
この頃になると、密告を口外することはなくなっていたけれど、しかし私の中で誇りとしてあったし、貰った賞状も大切に保管していた。

でも、今はそれを保管してはいない。
私が大学で絵に真剣に取り組んでいたある時、私は密告された。誰が密告したかわからない。でも、密告された内容は本当に信用した彼女しか知らないはずの物だった。
その時に証拠は無かったし、コネがあったからなんとか厳重注意で収まったけど、それで私は目が覚めたように思う。

もともとこの国はあまり人前で笑ったり、談笑することはない。何故なら、いつ誰が共産党にそれらを密告し、何かの間違いで捕まっては堪らないからだ。だからこそ人々は本当に親しい人にしか本当の自分を晒さないし、殆んど仮面を被っている。

そこまで悟って、ようやく私は何をしでかしたのかが分かってしまった。
私は私のせいで本当に親しい家族という掛け替えのない人々を失ってしまった。
私のような存在がこの国には少なからず居るから、私は人を信用することが出来なくなった。
でも、私は密告を完全に否定することは出来ない。何故なら、それをしてしまったら、私には何が残るのだろう。私のこれまでが全て無になってしまう。

しかし、家族ですらも密告してしまうから、本当に信頼できる人なんて誰もいない。
もしかしたら、そのような出来事が他人事として捉えられないから、一人になるために山登りや自然が豊かな場所が観光名所として栄えているのかもしれない。

この国では誰も信頼することは出来ない。しかし誰かと協力しなければ生きていけない。皮肉な事にこの国で信頼できる物は国家しか存在しない。
国家に絶対的忠誠を誓い、それに叛くことがなければ、とりあえずの保障は手に入れられるからだ。

……本当に憂鬱だ。でも、この気持ちを打ち明けられる人なんて存在しないし、もし存在したとしてもそれは家族であり、私は自身の手でそれを捨ててしまった。
多分、これから私が結婚し、家族を持ったとしても、その相手に本当の自分を見せることはないだろう。

想像するだけでも恐ろしい悲劇だ。唯一私が私を表現できる絵画も、社会主義リアリズムでこと細かく規定されてしまっている。
だが、こんな悲劇はこの国ではありふれた存在だ。私はそれが酷く恐ろしい。

もし、神が居るのなら、どうかこの社会を変えておくれ。本当の社会主義社会を実現させておくれ。私はそれだけを心から願う……。

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