架空の世界で創作活動及びロールプレイを楽しむ場所です。

 6月のとある日。王国書記官府の執務室にて。
「お仕事お疲れ様でした。今日はここまでです」
「ありがとう。思ったより早く終わったわね」
「日が出ているうちに終わるのは久しぶりです。例のアレをお出ししましょうか?」
「頼むわ」
 書記官長補佐兼王女の護衛役を務めるクリスと、その対象たるリリィはいつもの通り執務を終えて、ようやくのんびりとした時間の中に帰ってきた。
 クリスは雑然とした部屋の真ん中の壁に置かれた小さな冷蔵庫を開けて、中から円形の紙包みを取り出す。
「料理人と一緒に焼いたシフォンケーキです。ホイップもご用意しました」
「あら、ありがとう。じゃあわたしは紅茶を用意するわね」
「ふふ…はい、よろしくお願いします」
「…何よ、その意味ありげな笑い声」
「いいえ。ちょっと昔のことを思い出しましてね」

 今から7年前、まだ2人が10代だった頃。その頃の王国はまだ開国したての頃で、幾つもの国と矢継ぎ早に国交を結び、新しい大使館が次々と王都に建設されていた時だった。
 今では公官庁では相当に進められた電化も、その頃は王宮と書記官府、摂政府の3つしかちゃんとした設備は無く、未だ都の殆どが夜となれば闇に包まれていた。
「それじゃ、これは王様に。これは議会の方にそれぞれ届けておいてもらえる?終わったら帰ってもらって構わないわ」
「…承知しました」
 クリスが部屋を出て行くと、当時15歳のリリィは大きく伸びをして、次いで楽しみで堪らないという表情で、設置したての冷蔵庫に目をやった。父王に無理を言って小さいのを置いてもらったが、最早これは彼女にとって欠かせないものとなりつつある。暑い日には冷やしたジュースや茶を幾らでも飲めるし、食べ物を冷やしておけば簡単には腐らない。そして…。
「さてさて、今日のお楽しみ…」
 徐に彼女は立ち上がり、冷蔵庫を開けて中を覗く。そこには、見慣れない紙の包みが飲み物の瓶の林の中にどでんと鎮座していて仄かに甘い香りを残している。
「後もう少しになってしまったわ…デニエスタの大使から貰った『ガトーショコラ』。…異国のお菓子がこんなに美味しいなんて」
 そう独り言を呟くと、彼女は包みを取り出して執務机に置き、何処かから皿とケーキを切る用の包丁を取り出す。
「…分けてあげたい。でも…うーん…後2切れ…」
 今しがた出て行った親友の顔と、そこから生まれるほんの僅かな罪悪感。しかし、目の前の珍しい菓子の美味しさはそれらを撃砕して尚余りあるものだ。そう自身を正当化し、彼女がケーキに包丁を入れた時、
「リリィ様」
「!?」
 ギイ、という音を立てて扉が開く。そして、そこに立っていたのは…
「クリス…」
「今しがた書類を届けて参りましたが…その、怪しい茶色い塊は一体何でしょうか、『殿下』」
「(不味い…!クリスがまともな敬語を使うということは…凄く怒ってる…?)」
 何処か貼り付けた様な笑みを浮かべて、クリスはかつかつとリリィへの歩みを進めてくる。他方彼女は、ケーキから包丁を引き抜くことも出来ず、ただその場に立ち尽くした。
「王女殿下?私の申し上げた質問が聞こえませんでしたか?」
「いや…あの、その…」
「この、茶色くて美味しそうな甘い香りを放つ物体は何なのか、とお訊きしたのです。私めとしては、殿下が何か危ないものでも召し上がって、体調を崩されでもしたら国王陛下に申し訳が立ちませんから。どうか、ご教授下さいませ」
「…ガトーショコラ」
「なんですって?」
「ガトーショコラよ。…前にデニエスタの大使殿から貰ったの。『お近づきの印に』って。とても甘くて美味しい、外国のお菓子よ」
「…ちなみに。それ、最初はどのくらいの量があったのですか?」
「……くらい」
「何です?」
「…このくらい、あった」
 既にリリィの顔は罪悪感と羞恥とで歪み、双眸にはうっすら涙さえ浮かんでいる。ふるふると体を震わせているのに気がついたクリスは、少しやり過ぎたかと思い身を引いて言った。
「…すみません、別に責め立てるつもりはなかったのです」
「……」
「その、美味しいものをリリィ様が独占しようとされるのは、昔からのことですし、別に怒っていたわけではないんです」
「……」
「その、ええと、本当にすみませんでした。少し頭を冷やして…」
「待って」
 足早に立ち去ろうとする彼の袖を、リリィが掴んだ。強い視線と、触れれば壊れてしまいそうなほど弱々しい言葉で、彼女は親友を引き留めた。
「…どうして、そんなことを言うの」
「えっ…」
「どうして、そんな悲しそうな目でわたしを見るの。やめてよ、そんな風に、わたしを見ないで。可哀想な、痩せ細った雛を見る様な目をわたしに向けないで…」
「リリィ様」
「分かってる。あなたの言う通り。わたしって、本当に品が無いのよ。王族なのに、この国で5本の指に入るくらいに偉いのに、高々こんなお菓子一つ分けてあげられなくて。いつも美味しいものや綺麗なものをわたしにくれる、あなたにさえそう」
「…泣かないで下さい、こんな下らない事で」
「下らなくなんて、ない…。あなたの目が怖かったもの。いつもみたいに呆れた様な目じゃない、いつもみたいに、愛情を込めて怒ってくれる時の目じゃない。わたしを軽蔑しきった、憐憫の目だった。…見捨てないで、お願い。わたしが良いものを独占しようとしたのは謝るから…本当に、わたしが…」
「そこまでです、リリィ様」
「え…?」
 謝罪の言葉を形にしようとした彼女の唇に指を当てて、クリスはそれを押しとどめた。
「…良いですか、リリィ様。ご自分の非を認められるのはご立派ですとも。ですが、そうやってすぐに折れてしまうのはダメです。…怖いのは痛いほどわかります、ですがこれから先、幾らでもこんな機会はあるでしょう。自分よりも大きい相手に立ち向かう様な機会が。そんな時、自分が良い悪いに関わらず、そうやって崩されてしまっては、どんな酷い目に遭うか分かりません」
「……」
「リリィ様。どうか、どんな時でも折れない芯をお持ちになって下さい。いっそ、ふてぶてしい位で良いんです。勿論、悪いものを悪くないと言い張るのは良くないですが、折れてしまうのはそれよりももっと良くありません」
「…わかったわ」
 ぐすん、ぐすんと鼻を啜りながら、リリィは頷いた。
「というか、リリィ様。一つ申し上げておくとですね」
「?」
「全部知ってました。リリィ様が美味しいものを密かに隠してるのも、独り占めしようとしてるのも」
「…な、な、何ですって!?」
「ちょ、ちょっとリリィ様落ち着いて下さい!ケーキ用の包丁を手に取ろうとしないで!」
「うるさい!リリィ様と馴れ馴れしく呼ばないで!くそ、よりによってお前に謀られるなんて思いもしなかったわ!そこに直りなさい!切り捨ててやるわ!」
「あーっ、ケーキのじゃ足りないからって、そこに掛けてる山刀を抜こうとしないで下さい!待ってー!」
 必死で宥めること数分。ようやく半分程機嫌を直した王女様の前に膝をついて、クリスは事情を説明することを許された。尤も、眼前には腰に思い切り研いだ刀を佩いたご主人様が真っ青な瞳から発せられる冷徹極まる眼光を向けているのだが。
「あのですね…実は、リリィ様、いえ殿下が密かに美味しいものをもぐもぐと食べているのは私を含め書記官府に務める者は皆知っていました」
「……」
「例えば、書類決裁のお願いに上がった時、口許に茶色の食べかすがついてたり、偶に書類にチョコレートらしき指の跡がついてたり、ここ最近頻繁に遠いところまで書類を届けるように私に命令なさったり、いくらでも類推が効きます」
「それで?」
「それで…務める者の中には、殿下の健康を憂慮する者も多く、かと言って直に指摘を申し上げるのも憚られますから、一番近くでお仕えしている私が一度お訊きしようと思いまして」
「で?それがさっきの悪趣味な三文芝居というわけかしら」
「そ、そんなつもりは無かったんです。ただ…その…」
「その?」
「少し興が乗ってしまって、まさかあそこまで悲しまれるとは思わず…」
「首を落とされたい様ね」
「ああぁ!待って、待って下さい!」
「…わたしがそういうこと、すごく嫌いってわかってる癖に。あなたに見捨てられると思ったら、居ても立っても居られないもの」
「…はい、すみませんでした」
「でも、わたしも悪かった。素直に2人で分けたら良かったのよね…本当にごめんなさい」
「そのことなんですけど」
 ふとクリスが立ち上がり、手に持っていた鞄をゴソゴソと探る。
「なぁに?」
「実は今しがた、大使館の方に行ってきたんですけど、リリィ様のそのケーキ、いつの物ですか」
「えっと…一週間近く前のものだったと思うけど」
「あ、それもうダメです。冷蔵庫に入れてるからマシですけど、ケーキは寿命が短いんですよ」
「そうなの?」
「リリィ様が食べてるそれはかなり保つ方ですけど、それでも5日かそこら。果物なんかをつかったものは2日くらいが限界らしいです。まあ、一部例外もありますけど…あ、あった。どうぞ、これ」
 彼が取り出したのは、取手がついた質素な紙製の箱である。リリィが持ってみると、ほんの少し重みを感じると共に、馥郁たる甘い香りがある。
「これって…」
「開けてみて下さい」
「わぁ…」
 中に入っていたのは、スポンジケーキの上にバタークリームを塗り、さらにその上をカラメルで固めたクルミで覆った見たこともないケーキが2切れ。
「『フランクフルタークランツ』、と言うそうです。デニエスタの歴史ある都市と、『花輪』を意味する言葉をつなぎ合わせたとか」
「ふらんく、ふるたー…なるほど。多分これを円形にすると、そう言う風になるのね」
「王冠の様に見えることから、向こうでは高貴な人の食べる物、なんて言われてるらしいですよ」
「ふうん…で、それよりも、これ、食べて良いの?」
「勿論です。その為にわざわざ何日も前から頼んでおいたんですから…但し」
「但し?」
「王女様の喜ぶ顔を見たいと頑張った家来に、少しくらいご褒美を頂きたいですな」

 「ああ、確かに。あったわねそう言うこと」
「それでその後、密かに甘い物を食べていたことが王様に露見して、物凄い雷を頂戴しましたね。主に健康面の理由で」
「大使に対して『persona non grata』を宣告する、とまで息巻いていらしたわ。発動していたら、史上最も下らない理由で外交官が追放されることになったわね」
「でも、その噂が広まった結果、『ラピタの王族は甘党だから、着任の挨拶をする際は必ず各国の銘菓を献上する様に。但し、出来るだけ砂糖や人工甘味料を使わないものを』みたいな謎の伝統が生まれてしまいましたよね」
「どこをどう言う風に変わったらそうなるんだろう、って言う感じよね。まあ多分、ご機嫌取りはしたいけど追放はされなくない、だったらいっそみんなに健康的な甘いものを献上したら、みたいな理屈なんでしょうけど」
 クスクスとリリィは笑う。あの日に比べて、身も心も大きく成長した彼女は、相変わらず書記官府にいて、親友を相手に天真爛漫な笑みを浮かべている。
 普段は気を張った社交向けの笑み、しかしここだけでは何の気兼ねも無い純真な笑みだ。
「それにしても、すっかりこの国にも馴染みましたね。外国の物が」
「ん?まあ、10年も経てば多少はそうでしょうね。でも、それでも電化が進んだのは都の官庁街くらいで、まだこの国の9割9分は昔のままよ」
「なるほど…」
「あと、なんでも外国のものばかりってわけじゃないの」
 そう言ってリリィは冷蔵庫から2本のガラス瓶を取り出して栓を抜き、側のコップに中身を注いで片方を押しやった。
「オレンジジュースですか」
「100%の奴よ。飲んでみて」
「んぐ…美味しいです。でもこれ、何か覚えがある様な…」
「お目が高いわね。それ、ラピタ産のオレンジを使ってるのよ」
「本当ですか!?」
「スカセバリアルとの共同開発で、今小規模に作ってるところ。今はまだ一部の好事家や、環境活動家みたいな人が買うくらいだけど、いつかは正式な製品化を目指しているわ」
「へぇ…」
「他にも、真珠や豚肉、コプラみたいなヤシ製品、近くで取れる魚…商売の種は幾らでも溢れてる。これからは、寧ろわたし達の方こそ世界に出ていく時代よ?」
「何とまあ…偉大な大王もかくやと言う野望ですね。本当の意味での、世界の覇者になるおつもりですか」
「ふふ、どうかしら。まあ兎に角、今はこのケーキに乾杯しましょ?折角あなたが手作りで作ってくれたんだから、堪能させてもらうわね?」
「はい、どうぞ。お召し上がり下さい」
 大きな野望に小さな幸せ。少なくともこのところ、ラピタには泰平が続いていた。

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